長い廊下の所々に置かれた品の良い調度品、造りの良い装飾が、屋敷の格式と主人の権力の高さを物語る。
“コンコンコン”
「失礼いたします。旦那様、ラビアナお嬢様をお連れいたしました」
「あぁ、入ってくれ」
開かれた重厚な扉、執務室の中ではバルーセン公爵家当主オルセナ・フォン・バルーセン公爵閣下が書類に目を通しながら難しい顔をされている。
「ラビアナ、急に呼び出して悪かったな、そこに座ってくれ。コリアンダ、ラビアナに飲み物を、創国産の紅茶の茶葉があっただろう、私の分も頼む」
「畏まりました、旦那様」
私に着席するよう促すと、執務机に書類を戻し軽く伸びをしてから立ち上がるお兄様。そのお顔には疲労の色が色濃く表れ、現在のオーランド王国の状況を如実に表しているようでした。
「王都学園が再開されてしばらく経つが、学園の状態はどうだ」
執務室の会談用のテーブルに席を移したお兄様は、笑みを浮かべながら話し掛けてきます。私はここしばらくの学園の様子やアルデンティア第四王子殿下の様子、生徒会メンバーの様子などを主観を加えて語るのでした。
「そうか、学園生徒が落ち着きを取り戻してきているという話は朗報だな。同年代や他学年の生徒の姿が見えなくなるという事はそれだけで動揺を生みやすい、ましてやここまで大規模な粛清が二年連続で起こることなど誰にも予測し得ない事態であったことだろう。
ブライアント第二王子の造反は裏でバルカン帝国が暗躍していたことが大きいが、クロッカス第三王子が中央貴族共に持ち上げられゾルバ国王の方針に逆らい魔王討伐軍に参加したことは、バルカン帝国の脅威という枷が外れたことで調子づいた中央貴族と王都教会勢力の結託が大きい。
こういっては何だが、一年戦争が起こらず父セオドア・フォン・バルーセン公爵が生きていたとしたらこうした事態は起こらなかっただろう。まぁその時は父上自らが主導する形での造反が起きていただろうがな、その為の準備が進められていたことは私でも知っている。
何が言いたいのかと言えばオーランド王国はそれだけ末期状態であったということだ、現在は最小限の犠牲で事態が収束している、これは奇跡的と言ってもよいだろう」
お兄様の口から語られた言葉、それは私がすっかり忘れていた前世の思い出、乙女ゲーム「蒼天の花嫁」の世界が繰り広げられていたかもしれないというもう一つの世界線。私が前世の記憶を取り戻した時点で既にこの世界は乙女ゲームの世界とは大きく異なっていた、その原因が一体何であったのかは分かりようがないけれど、私は悪役令嬢という決められた役割を熟すゲームキャラなどではなくバルーセン公爵家の娘として、一人の人間としての人生を生きている。
「だが本当に大変なのはこれからだ。結果的にオーランド王国貴族社会の大改革を断行することは出来たが、それに伴う痛みは想像を遥かに超えるものだ。二年連続で二人の王子が相次いで造反騒ぎを起こしたのだ、オーランド王国王家の国際的な信用は大きく揺らいだといってもいいだろう。
幸いスロバニア王国との関係は以前に増して強固なものとなっている。これは両国の橋渡しを担っているカルメリア・マルローニ夫人とフレアリーズ第五王女殿下の働きかけが大きい。御二方はスロバニア王国王家に深い信頼を以って受け入れられ、スロバニア王国貴族社会に多大な影響力を示している。
ヨークシャー森林国は北西部貴族連合の盟主グロリア辺境伯家との繋がりが深く、その関係を以って静観の構えを取っている。リフテリア魔法王国は国内で大きな変革が起きたらしく、他国に構っている場合ではないようだ。
ダイソン公国は建国したばかりという事もあり国内経済を優先していることや、南西部貴族連合の盟主でもあるテレンザ侯爵家との関係が強固である事から大きな問題へ発展する事はないだろう。
バルカン帝国とドラゴン領域に関しては注意が必要だが、ドラゴンの目が光っている以上今は大きな動きを見せる事もないはずだ」
本来であれば周辺国からの圧力が強まり国際的に追い詰められてもおかしくなかった状況、だが幸いなことにそうした動きは回避することが出来ている。
「これには二つの造反に関わった別の要因が大きく作用している。ブライアント第二王子の造反はバルカン帝国の侵攻戦略の一環であり、帝国の脅威は各国が警戒していた最重要課題であったこと。更に言えばドラゴンが絡んだことで、各国がこの件に深入りすることを避けたのだろう。どの国もドラゴンの次の標的にはなりたくないからな。
クロッカス第三王子の反抗はボルグ教国の強要に対する各国の反発だ。各国とも自国の教会とは別にボルグ教国聖教会に対し多額の寄付を行っていることはラビアナも知っていると思うが、それは偏にボルグ教国聖教会が魔王認定の権限を有しているからに他ならない。ゾルバ国王の内政干渉発言はそんなボルグ教国の権威に真っ向から反対するものだった。
ボルグ教国の当たり前となっていた圧力に内心反感を持っていた各国は中立という立場を取ることで自分たちの意思を示したという訳だ」
積み上げられてきた反感、オーランド王国は各国の共感を得ることで平穏を摑むことが出来た。
「だがこれはあくまで状況が良かったからに過ぎない、ゾルバ国王は積極的な外交によって安定的な平和を構築しようとお考えだ。その一環として隣国ミゲール王国との婚姻外交を進めようとなさっておられる」
「ミゲール王国とですか? 確かにミゲール王国はオーランド王国に並ぶ大国、繋がりを強くすることは重要ですが、王家の姫は既に嫁がれておられます。・・・もしや私が」
婚姻外交において必ずしも王家の人間が嫁ぐ必要はない。その国において重要な地位を占める貴族家、公爵家の娘である私であれば外交手段の駒としても十分に価値がある。
私が突然のことに戸惑っていると、お兄様は慌てて話を続けられます。
「言い方が悪かった、誤解をさせてしまったのなら謝ろう。今回の話はラビアナをミゲール王国へ送るというものではないんだ。
婚姻はオーランド王国王家とミゲール王国王家の間で交わされることとなった。未だ婚約者の決まっていなかったアルデンティア第四王子殿下の下にミゲール王国第四王女セシール・ミゲール殿下がお輿入れなさることで話が進められている」
お兄様の執務室であるにもかかわらず、安堵から思わず小さな息を吐く。自身のことではなくアルデンティア第四王子殿下の婚姻話の申し送りであったことに、何を焦ってしまったのかと恥ずかしい気持ちが沸き起こる。
「ただこの話の際にアルデンティア第四王子殿下の第二夫人候補としてラビアナの名が挙がってね。第一の理由としては国内情勢の安定化と王家の基盤の強化だ。
我がバルーセン公爵家は一年戦争以降一貫してゾルバ国王陛下派閥であることを明言している、我が家に連なる家の中には無論反発する者もあったし軍閥貴族に擦り寄ったり中央貴族派閥に与した家もあった。そうした者たちはこの二年の粛清で姿を消した為、ある意味一族の強化に繋がることになったのは皮肉としか言いようがないがね。
今や名実ともにゾルバ国王陛下派閥の中心となった我が家だが、王家の求心力が下がってしまった今、国内貴族家を纏め上げる為にもバルーセン公爵家と王家との婚姻は重要となる」
背筋を何か冷たいものが走る。世界が変わることで前世の私が最も恐れていた死亡フラグは粉々に破壊されてしまった。与えられていた公爵家令嬢としての役割はなくなり、当たり障りのない気楽な三年間を謳歌できる、そう願っていた。
実際の学園生活は当初の予定とは相当にズレたものになってしまったけれど、それでも私は充実した毎日を送ることが出来ていた。
「これは何も家柄だけの話じゃない。アルデンティア第四王子殿下の側近であったピエール・ポートランドが王都学園を去った後、殿下の補佐としてラビアナが付き見事その役割を果たしたことを、王家の方々をはじめヘルザー宰相閣下や中枢の者たちは高く評価しているのだよ。
アルデンティア第四王子殿下がラビアナに強い信頼を寄せていることも大きいだろう、これはラビアナに対する評価であると考えて欲しい」
だがこの世界がゲームなどではない現実の世界であるとして、私がバルーセン公爵家の人間であり、公爵家令嬢ラビアナ・バルーセンであることには変わりがない。貴族家の令嬢とはすなわち駒、家の繁栄の為の婚姻はむしろ当然のこと。
「ただこれはあくまでそういった話が上がっているというだけで、決定ではないことを理解して欲しい。
ラビアナが王都学園の入学式を迎えた朝、私はこの部屋でこんな話をしたと思う。“未だその心が決まっていないのであれば、学園での生活で確りと将来を考えなさい。ラビアナの人生はラビアナだけのものだ。後悔だけはするなよ? これは兄として贈る唯一の助言だ”とね。
私は再びこの言葉を贈るよ、ラビアナ。バルーセン公爵家のこと、王都貴族社会のこと、オーランド王国のこと、そんな余計なことは考えなくていい。その事を考えるのは私たち大人の仕事だ、ラビアナは第一に自分の心と向き合いなさい。
ラビアナの人生はラビアナだけのもの、その事を忘れないように。卒業まであと半年、後悔だけはしないようにしなさい」
お兄様はそれだけを告げると、「話は以上だ、後は自身でよく考えて欲しい」と言って部屋へ下がるよう促すのでした。
自室に戻った私は、フラフラとした足取りでベッドに腰を下ろす。バルーセン公爵家令嬢としてなすべき事は何か、私が本当に望んでいることは何か。これまでの学園生活の思い出、お兄様が私に語った言葉、様々な思いが頭の中を駆け巡り、何が本当の気持ちなのかが分からなくなる。
「・・・私は一体どうしたらいいの、お願い、何とか言って」
視線の先、手首に巻かれていた物は、いつかジミーに渡されてそのままになってしまった髪留め。私は不安に押し潰されそうな心を庇うように、髪留めを胸に当て、ギュッと握り締めるのでした。
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“コンコンコン”
「失礼いたします。奥様、コリアンダです」
「入りなさい」
そこはバルーセン公爵家王都屋敷の一角、屋敷の内々を取り仕切る公爵夫人の自室。
「ご報告いたします。ラビアナお嬢様は旦那様のお言葉を受け、相当に思い悩まれているご様子、魔王討伐軍が王都を出立する前日、王都を逃れるジミー様から手渡された髪留めを抱き締め、荒れる胸の内に耐えておられるご様子でございました」
「そう、あの子はああ見えて責任感の強い子だから、自分がバルーセン公爵家の娘としてどう立ち振る舞うべきかを常に考えてしまいますものね。今度のことは愛の試練として十分な壁となることでしょう」
ラビアナの専属メイドであるコリアンダからの報告に、深い頷きで応える公爵夫人。義妹であるラビアナの恋物語は、“ラビアナお嬢様とジミーの恋を見守る会”会長の公爵夫人にとって、今最も熱い関心事となっていたのである。
「ではコリアンダはこの詳細をイザヨイ先生にお伝えしてお話の続きを執筆してもらってください。それと新作が出来上がったらすぐにモルガン商会で冊子に纏め、特別名誉会員であるセシール第四王女殿下にお送りしなさい。無論イザヨイ先生のサイン入りでお願いしますよ」
「はい、心得てございます。イザヨイ先生には魔王討伐軍の侵攻に対抗する為戦場に向かうジミー様とラビアナお嬢様との別れの場面までの原稿を上げてもらっております。現在は王都学園での再会と、訪れた平和の中、素直になり切れないラビアナお嬢様の様子を原稿に纏めてもらっているところです。今回のお話が巻末に加われば、同志の皆様の期待もよりいっそう高まるものと愚考いたします」
己の欲望と喜びの為に暗躍する者たち。歴史は男達が造り上げる、だがその裏には必ず女たちの姿がある。
“ラビアナお嬢様とジミーの恋を見守る会”会長である公爵夫人は、初心で可愛らしい義妹の恋に身もだえながら、この出来事が二人の恋をどう燃え上がらせるのか、ワクワクせずにはいられないのであった。
おはようございます。
いってらっしゃい。
by@aozora