オーランド王国北西部地域の貴族領ホーンラビット伯爵領で発生したとされた魔王誕生騒動は、光の勇者グロリアス・ブリッジ率いる魔王討伐軍の敗北という前代未聞の形で終息を迎えた。
ボルグ教国がオーランド王国貴族ケビン・ワイルドウッド男爵を魔王と認定しホーンラビット伯爵領に存在する祝福されし礼拝堂を解放すると世界に対し宣言した当初から、魔王討伐軍遠征に反対し内政干渉であると主張し続けたオーランド王国国王ゾルバ・グラン・オーランドは、クロッカス第三王子を中心とした中央貴族派閥による造反を受けながらもこれを粛正、中央政権に蔓延る腐敗を一掃し国内政治の立て直しを図った。
だがこれは長年に渡りオーランド王国貴族社会を覆い尽くしていた根深い内患であり、その一掃はオーランド王国の政治体制や王家の存在意義そのものを問う大改革となったのである。
「王国行政官採用試験会場はこちらです。机に着いた際は受験票を必ず試験官の目につく位置に置き、試験官の指示に従ってください」
改革の規模は腐敗貴族の粛正に止まらない。文官や武官として王家に仕える多くの行政官にも改革の刃は向けられた。これまで行政運営に差しさわりがあるとして見過ごされてきた数々の不正が、まるで火山の爆発の如く噴出し、多くの関係者を呑み込む結果となったのである。
これによりオーランド王国王家が砂上の楼閣であったことが露呈したばかりか、賄賂主義、特権主義の利益誘導型経済の問題が広く王国民に知れ渡ってしまったのである。
当然のように王都の政治経済は大混乱に陥ったものの、経済に関しては王都商業ギルド本部に国家予算に匹敵する大量の資金提供があったことで混乱を収束する事が出来た。
だが失われてしまった人材に関しては急遽補充せざるを得ない。そこで王家は一つの決断に迫られる、それが在野に広く人材を募集するというものであった。
これまで王家の政治にかかわるような役職に平民の血筋が就くことなどありえないとされていた。それらの役職には貴族子弟の者が就くことが一般的であり、平民といっても親が役職持ちの名目貴族の者であったりと、必ずしも平民とは呼び難い家柄の者であったりしたのである。
確かに多くの関係性を持つ者たちで構成された行政組織は、密な連携がとり易いという利点もあった。だがそれ以上に腐敗の温床となり、オーランド王国を内部から腐らせてしまったという事実を否定する事が出来ない。
今回の在野より広く人材を求める試みは、オーランド王国の行政組織に新たな風を吹き込むこととなり、王国政治の再生に王国民が大きく寄与する切っ掛けとなったのである。
「ヘルザー、不足している行政官の確保はどうなっている?」
「はい、国内各地で募集を掛けたことで最低限の業務は行う事が出来ていますが、どの部署も人材不足に喘いでいるということが実情です。新たな試みとして在野に下った人材の登用試験を実施しておりますが、合格者が即戦力になるなどということはあり得ませんので、彼らの教育係も付けなければならず人材不足の解消は当面先になるかと。
各部署の統合も行い、無駄の少ない行政体制を模索しているのが現状となります」
王城内国王執務室、ヘルザー宰相はこのところの激務ですっかり戻らなくなってしまった目の下の隈を隠そうともせず、ゾルバ国王の問い掛けに答える。
人材の不足、それがオーランド王国王家の最大の悩みであることは誰の目にも明らかであった。
「我が国の行政組織は複雑に絡み合っていたからな。重複する部分も多く、それぞれが権利を主張しぶつかり合うことも多かった。この機会に纏められる部署は統合し、組織全体の無駄を省く必要がある。そうでもしなければ王国が立ち行かないということも事実、ここは一から王国を造るくらいの気持ちで事に当たれ」
「ハッ、ゾルバ国王陛下のお心のままに」
現在王城内で最も激務に晒されているのはヘルザー宰相の執務室であると言っても過言ではない程、その責務は重大であった。ヘルザーはこの機に他所から優秀な人材を引っ張ってくることを誓い、ゾルバ国王に恭しく頭を下げるのであった。
「それとスロバニア王国の件であるが」
「はい、スロバニア王国王家からの親書は既にご覧いただきましたが、マルローニ侯爵家へ嫁がれましたカルメリア様が王家との仲立ちとなり、両国の橋渡しに奮闘してくださっていることが大きいかと。それとフレアリーズ第五王女殿下がスロバニア王国王家の信頼を勝ち取ったことが強く影響しているものかと。
やはりケビン・ワイルドウッド男爵がスロバニア王国王城を訪れた際に交渉に立たれたことが信頼をより強固なものとしたものと考えられます」
スロバニア王国は軍事同盟の関係上魔王討伐軍のオーランド王国遠征に反対の立場を取っていた。だが第三王子と貴族家の子弟がこぞって魔王討伐軍に参加することでオーランド王国との信頼関係にヒビを入れてしまったのである。
そんな両国の間を取り持った者がマルローニ侯爵家に嫁いだ第四王女カルメリアでありスロバニア王国王都に避難していたフレアリーズ第五王女であったのである。
「二人の王子が国を脅かし、二人の王女が国を救う。皮肉なものであるな」
「何がよくて何が悪かったのか、特にフレアリーズ第五王女殿下は幼少の頃よりアーメリア別邸に通いアーメリア王妃の英霊に触れてきたばかりか、普段はスライムの飼育に心血を注ぐという奇行を繰り返す変わり者。
翻ってブライアント第二王子やクロッカス第三王子は、軍事と貴族社会の抑えとしてレブル王太子を支える役割を果たしていると思われておりました。
しかし結果は変わり者のフレアリーズ第五王女殿下がケビン・ワイルドウッド男爵の抑えとなりスロバニア王国との橋渡しを担い、両王子は抑えるべき者たちに取り込まれ造反に至った。
我々は多くを間違え多くを見誤っていたということなのでしょう」
ヘルザー宰相の言葉が執務室の中に響く、ゾルバ国王は瞑目し、辺境に飛ばした第二王子と自らの手で命を摘み取った第三王子のことを考える。
「我は無力であるな。王としても、父親としても」
「それは私にも言える事、共にオーランド王国を支えているつもりになっていただけの只の愚か者であるということを、今この瞬間にも分からされている最中ですよ」
そう言い肩を竦める戦友に、「すまん、今の言葉は忘れてくれ」と言葉を返すゾルバ国王。王とは孤独であり、人であって人でないものである。亡き先王の言葉が実感として胸に突き刺さる。
王として優先されるべきは国であり国民、民あっての王であり王あっての民ではない。凡庸で平民に媚びる夢想家と揶揄されることもあった先王は、果たして真実を語っていたのだと今なら理解する事が出来る。
「フゥ~、それでボルグ教国とナミビア王国の件であるが」
「はい、ボルグ教国聖教会はケビン・ワイルドウッド男爵に対する魔王認定は誤りであったと正式に謝罪文を送ってまいりました。此度の魔王討伐軍遠征自体を誤りとし、国として和解交渉の席を設けて欲しいと申し出ております。また独立領となったホーンラビット伯爵領との和解交渉の仲立ちをお願いしたいとの要請がございました。
ナミビア王国はボルグ教国の要請に応え勇者パーティーを派遣したことを正式に謝罪すると共にホーンラビット伯爵家との再交渉の窓口になって欲しいとの要請がございました」
魔王認定の撤回、これまでの歴史上有り得なかった事態。女神様の教えを絶対とする宗教国家を屈服させ、その意見を変えさせたケビン・ワイルドウッド男爵。更に言えば勇者の出身国の王家と交渉をし、巨額な賠償金をせしめてみせた。
「ナミビア王国がホーンラビット伯爵家に支払う賠償金は金貨千二百万枚であったか。これを高いと見るか安いと見るか」
「ナミビア王国経済にとっては大打撃でありましょうが、滅びを選ぶか交渉で片を付けるかと問われれば、選択の余地はなかったものかと。
我が国としてはナミビア王国に思うところはありませんが、ホーンラビット伯爵家としては通すべき筋を通したに過ぎません。この度の勇者一行は三種の神器を携えての参戦、その責を問われれば反論の余地はないものかと。それに・・・」
言い淀み言葉の止まるヘルザー宰相。そんな戦友の態度を咎めることなく、額に手を当てるゾルバ国王。
「影の耳目からの報告、教会からの情報提供、ボルグ教国からの情報提供、その全てが同じ事実を伝えてきているのか」
「はい、天使様の降臨、しかも幾柱の天使様が降臨なさり、事態の収拾に当たられた。騒動の中心は上級天使様の暴走、そしてその上級天使様を調伏した者がケビン・ワイルドウッド男爵。
これは降臨なさった天使様のお言葉であり、その場の者たちの捏造ではないことは明らか。天使様に認められた者、すなわち女神様に認められた者を魔王認定してしまったボルグ教国聖教会の権威は地に落ちてしまったと言っていいでしょう。
尤もケビン・ワイルドウッド男爵が女神様の加護を授かっていたことはボルグ教国聖教会も知っていたはず、知ってしまったからこその嫉妬か、祝福されし礼拝堂を独占したい欲求からの行動か。いずれにしろ天使様方から明確に否定されてしまえば返す言葉もなかった事でしょう」
ケビン・ワイルドウッド男爵が人々に害をなす魔王ではないことは、天使様方により証明された。だが上級天使様を調伏するなど、魔王などという生易しい存在ではないということも立証されてしまった。
「魔王討伐軍八万七千の撃退と搬送、各国との交渉と上級天使様の調伏。これら全てをたった三日の内に過不足なく対処して見せる。このようなことを現実に行うことが出来る者が存在するということが信じられないのだが。勇者物語や高位冒険者の英雄譚でもここまで無茶苦茶な話は聞いたことがない。
なぜあの者はこれ程の力を持ちながら辺境の地にこだわるのだ」
「そうですね、これはホーンラビット伯爵家独立領の者全体に言えることなのですが、権力や金銭に対する執着が極端に薄い。彼らの欲求はホーンラビット伯爵家独立領の中で完結してしまうのではないかと。
またケビン・ワイルドウッド男爵の驚異的な移動能力により、望めばどこであろうと赴く事が出来るということも大きいでしょう。しかもそれは彼一人だけではなく多くのものを伴う事が出来る。王都内で噂される“蛮族の来訪”、あの日王城へやって来た四十名のホーンラビット伯爵家騎士団の者たちは朝集められて一時間も経たずに王都北街門前に到着していたとか。そのような者たちにとって支配域などというものはあってなきがごときもの、彼らが王権を欲っしなかった理由がまさにそれ、彼らにとって権力など面倒事でしかないのです」
権力とは力である。それは武力であり、財力であり、発言力であり。だがすでにその全てを持っている者たちが面倒ごとの付随する権力を欲するだろうか。
「・・・すでに独立を宣言されてしまった以上、爵位を上げる訳にもいかんと。ここ数年の出来事を分析すれば、彼らホーンラビット伯爵家の者たちがいなければオーランド王国が終わっていたことは明らか、彼らとの関係は何としても維持せねばならない。
しかし下手に手を出せばボルグ教国の二の舞になりかねない、上級天使様を調伏するような人物にどう接すればよいのか、これではドラゴンと交渉するようなものではないか」
両手で頭を抱え込むゾルバ国王、ヘルザー宰相はふと何かを思いついたかのように報告書の束をめくり、その後神妙な面持ちで口を開く。
「フレアリーズ第五王女殿下にお願いしてみてはいかがでしょうか。フレアリーズ第五王女殿下はケビン・ワイルドウッド男爵のことをスライム飼育の師として仰いでいると聞いております。殿下も以前より一度マルセル村に赴きたいと仰っておりましたし、結婚前の旅行という名目であれば問題も少ないかと。
冬期休暇で里帰りするエミリー・ホーンラビット伯爵令嬢に交渉してもらえるよう、アルジミール・マルローニ侯爵令息に打診しておきましょう」
それは王都学園生徒時代にフレアリーズが築き上げた繋がり、婚約者のアルジミール・マルローニ侯爵令息が現在進行形で結んでいる太いパイプ。
オーランド王国王家とホーンラビット伯爵家の間に太い繋がりを作り上げる。ゾルバ国王とヘルザー宰相はその望みをフレアリーズ第五王女殿下に託し、王家の代表として送り出すことを決定するのであった。
その知らせを受けたフレアリーズ第五王女殿下はゾルバ国王とヘルザー宰相の思いに気付くこともなく、「黒蜜ちゃんとお出掛けできるのですね。大福様ともお会いする事が出来るだなんて、なんて素晴らしい事でしょう」と一人大興奮するのだが、その知らせを受けた二人が再び頭を抱えることになるのはまた別の話なのであった。
おはようございます。
いってらっしゃい。
by@aozora