そこにあった物は一枚の扉だった。爽やかな風の吹き抜ける草原にぽつんと置かれた一枚の扉、その隣にはにこやかな笑みを浮かべる美しい女性。
「なぁジェイク、あの人は」
「あぁ、ケビンお兄ちゃんの所の従業員で紬さん。ベネットおばあさんの縫製工房で仕事をしてるんじゃなかったかな? 見とれる気持ちは分かるけど、変な気は起こすなよ、ケビンお兄ちゃんの所の従業員は俺たちとは棲む世界が違うんだからな」
紬さんの顕現せし精霊のような神秘的雰囲気にやられボーっとするアルジミールとライオネス。フレアリーズ第五王女殿下の婚約者にあるまじき態度にヘレン先輩からお叱りの言葉が飛びそうなものですが、そのヘレン先輩も一緒になって見とれちゃってる始末。
これはフレアリーズ第五王女殿下もご気分を害されたのではと思いきや、何故か普通に話し掛けてます。まぁ紬さんは“キュキュキュイ~”としか言わないんですけどね、でも何故か会話が成立しちゃってるみたいなんですよね。
流石スライムと会話するフレアリーズ第五王女殿下、半端ないです。
「それでは皆様、こちらの扉をお通り下さい。ホーンラビット伯爵閣下がお待ちになっております」
俺たちを案内するように扉を潜るケビンお兄ちゃんに続き、フレアリーズ第五王女殿下が扉の向こうへ進もうとします。
「フレアリーズ先輩、アルジミールたちを置いて行かないでください。ほら、アルジミールとライオネスは確りしろ。ヘレン先輩と御者の方もどうぞお進みください」
俺からの声掛けに慌ててフレアリーズ第五王女殿下の傍に集まるアルジミールたち、殿下は俺から先輩と呼ばれたことが嬉しかったのか、「フフフ、慌てると転んでしまいますよ?」と笑みを浮かべておられます。
「ねぇジェイク君、こんなことを言うのも今更なんだけど、フレアリーズ第五王女殿下のお付きの人が少なくないかな? 小説なんかだと王女様が旅をなさる場合って、メイドさんとか護衛騎士とかたくさんのお世話係が付くってなってるんだけど」
そう言い首を傾げるエミリー。俺も言われて初めて気が付いたけど、フレアリーズ第五王女殿下は降嫁した訳でもないしご身分は王女殿下のまま。普通に考えて世話係が付いていないっていうのは、おかしいと言うよりも異常事態。
「あぁ、それはおそらく終業式の混雑を慮って王都北街門前で待機していたのかもしれません。王城の方々もまさかワイルドウッド男爵家王都屋敷へ入った切り姿を消すとは想像もしていないでしょうから」
エミリーの疑問に答えたのはラビアナお嬢様、「私も初めてマルセル村に来た時は、驚き過ぎて意味が分かりませんでしたわ」と言って頬に手を当てていらっしゃいます。
「・・・これって不味くない? 行き先がホーンラビット伯爵領ってことは王城側も分かっているだろうけど、形としては拉致されたと思われても不思議じゃないよね」
「う~ん、ケビンお兄ちゃんのことだから根回しはしていると思うけど、一応声は掛けとくよ。それよりも俺たちも行こう、ホーンラビット伯爵閣下がお待ちだ」
俺の心配にジミーが答える。まぁケビンお兄ちゃんなら上手い事やってるんだろうけど、常識的に考えてヤバいよね。
もしかしたらここまでの流れが既に話し合いで決まっていて、フレアリーズ第五王女殿下はワイルドウッド男爵家王都屋敷に宿泊していることになっているとか? そうなれば王都からは一歩も出ていない訳だし、王家がホーンラビット伯爵家に媚びて第五王女殿下を向かわせたことにはならない。
「う~わ、これが政治ってやつなの? 無理無理無理、俺生涯冒険者でいいわ」
「どうしたのジェイク君、そんな難しそうな顔をして」
心配そうにのぞき込むエミリーに、さっき思い付いた考えを語って聞かせる。すると周りでその話を聞いていたフィリーとラビアナお嬢様が感心したような頷きを向けてくる。
「ジェイク、王都学園で勉強した成果が出てるな。その考えに至れるようなら貴族社会でも立派に通用するぞ?」
「そうだな。言わずとも理解できることを要求されるのが社交界だ、言葉の裏を読む、言葉に隠された本心を読み取る。貴族の会話は表と裏が真逆なんて事はよくあることだし、それを逆手に取って気付かないフリをするなんて事もしたりする。貴族の会話は本当に面倒だ。
ジェイクたちもよかったらアルデンティア殿下の下で政治に加わらないか?」
俺の考察に及第点をくれるロナウドとさり気なく勧誘してくるカーベル。カーベル、お前の仕事の大変さはよく分かった、だから勘弁してください。
俺たちは誰ともなく笑い出しつつ、扉の向こうにある故郷マルセル村へと足を向けるのだった。
――――――――――――
「フレアリーズ・ウル・オーランド第五王女殿下、ご婚約者であらせられるアルジミール・マルローニ侯爵子息殿、ラビアナ・バルーセン公爵令嬢、ロナウド・テレンザ侯爵子息殿、我がホーンラビット伯爵家独立領へようこそおいで下さいました。我々ホーンラビット伯爵家一同、皆様のご来訪を心より歓迎させていただきます」
「「「「「皆様、ようこそホーンラビット伯爵家独立領へ」」」」」
扉を抜けた先はホーンラビット伯爵邸、玄関前にはホーンラビット伯爵閣下を始めミランダ夫人とデイマリア夫人、ロバート君とバーミリオン君とマリアンヌちゃん、執事長のザルバさんとメイドさんたち、村役場の方々が勢揃いして歓迎の意思を表しています。
「ホーンラビット伯爵様、ホーンラビット伯爵家の皆様方、突然の訪問であるにも関わらず快く受け入れて下さり感謝いたします。ホーンラビット伯爵家独立領はオーランド王国の大切な友人、ゾルバ国王陛下からもより良い関係を築いていきたいとのお言葉を賜っております。
暫くの滞在となりますが、何卒よろしくお願いいたします」
そうお言葉を述べられ優雅にカーテシーを決めるフレアリーズ第五王女殿下。本来王家の者が爵位の低い伯爵家当主にカーテシーを向けることはおかしいのだろうけど、先程のお言葉の通りホーンラビット伯爵家独立領はオーランド王国から離れた政治的に別の地域。
フレアリーズ第五王女殿下の所作は王家としてホーンラビット伯爵家の独立を認めた上で、対等な立場で関係を築くという意思表示。王家の者としてこれ以上の敬意はないだろう。
「ジェイク、ホーンラビット伯爵家は凄いな。ダイソン公国もいつかオーランド王国との確執を乗り越え、ホーンラビット伯爵家独立領とオーランド王国のような関係を築くことが出来るだろうか」
「そうだな、一年戦争では数多くの戦死者を出した、俺たちはその光景を目の前で見せ付けられた。あまりにあっけなく数万という人が死んでしまったから実感が湧かないだろうけど、あの人たちの家族からしたらダイソン公国は仇以外の何者でもない。
亡くなった将兵はダイソン公国の何十万という人間を虐殺しに行って、ただ返り討ちに遭っただけなんて考えは持ち合わせていないんだ。
時間は掛かると思う、恨みを代々引き継ぐなんて話はよくあることだからな。大変だとは思うけど頑張ってくれ、困ったことがあればホーンラビット伯爵閣下を頼ってくれてもいいから」
「いや、そこは俺たちを頼ってくれって言うところじゃないのかよ」
「「「「「難しい事は偉い人に丸投げがマルセル村の教えですから!!」」」」」
そう言いドヤ顔を決める俺たちに、額に手を当て「駄目だこいつら」と呟くロナウド。何を言っているのかなロナウド君、ホーンラビット伯爵閣下はケビンお兄ちゃんが尊敬してやまない偉大な御方なんだぞ? 一代で寒村の村長から独立領の領主になり上がった手腕を嘗めるなよ。
「「「さ、寒い!!」」」
あ、アルジミールたちが寒さでガタガタ震えてる。まぁ仕方ないよね、さっきまで小春日和の特殊空間にいたのが急に極寒のマルセル村に放り込まれたんだから。何事もないかのようににこやかな挨拶を交わすフレアリーズ第五王女殿下が凄過ぎるだけで、アルジミールたちは普通普通。
「ジェイク、ジミー、ロナウドまで、何でお前たちは平気な顔をしてるんだよ、寒くないのかよ」
「あぁ、俺たちは魔力を纏ってるから寒くないな。アルジミールとライオネスなら魔纏いくらいできるんじゃないのか? ラビアナお嬢様やアリスさんもやってるぞ」
俺の言葉に“嘘だろう!?”といった表情になるアルジミールとライオネス。
「お前、魔纏いっていったら、高位冒険者や近衛騎士が使う特殊な技じゃないか。ジェイクやジミーはともかく、エミリーやフィリーまで。メイドたちも使えるのか? 一体どうなってるんだよ」
「どうなってるも何も、寒いから? マルセル村の冬は半端ないからな~、魔力を纏えるようになったお陰で冬でも快適、マルセル村じゃ必須技能だから。あとでホーンラビット伯爵閣下にご相談するといいぞ、もしかしたら教えてくれるかもしれないから」
マルセル村の必須技能魔力纏い、こんなことで驚いてたら身が持たないぞ~。
「このような場所で立ち話もなんでしょう、どうぞ中へお入りください、ご案内いたします。エミリー、皆様を応接室へ」
ホーンラビット伯爵閣下に呼ばれ、フレアリーズ第五王女殿下たちを屋敷内へ案内するエミリー。来訪者たちが皆屋敷内へ入っていったことを見届けたホーンラビット伯爵閣下はその場に残った俺たちに声を掛ける。
「ジェイク君、ジミー君、フィリーさん、学園での生活、お疲れ様でした。ディアも見守りご苦労だったね、詳しい報告はケビン君伝いに聞いているよ。
いずれにしろ卒業まであとわずか、この冬は旅立ちの前の最後の準備期間、悔いのないように過ごしてください。それと少し落ち着いたら領都グルセリアの教会で旅立ちの儀を行うからそのつもりで、儀式の後グロリア辺境伯閣下にもご挨拶申し上げる予定だからね、心に留めておいてください。
今日のところは各自家に帰りゆっくり身体を休ませてください、ご家族と過ごす時間も大切ですからね」
「「「「はい、ありがとうございます、ホーンラビット伯爵閣下!!」」」」
俺たちはホーンラビット伯爵閣下に深い礼を向けると、連れだって家路に就くのでした。
――――――――――――――――
楽しげに談笑しながら家に帰っていく若者軍団、久々に会う家族との交流に心を弾ませているといったところなんだろう。
「旦那様、少々お耳を」
俺が若者たちの背中を眺めて感傷に浸っていると、メイドの十六夜が声を掛けてきます。フムフム、ほう、そんなことに。
どうやらこの冬は、若者軍団にとって大きな分岐点になるようです。
「十六夜、楽しむのはいいがほどほどにな? それとベロニカ・マクスウェル嬢、話はビーン・ネイチャーマンより聞いている。あの者は我が家と深い関りがあってな、ネイチャーマンの頼みであれば否やはない。この冬の訓練次第ではベロニカ嬢の望むもの、その足掛かりになる力を与える事ができるだろう。
訓練を担当するメイド長の月影は私が最も信頼する人物の一人だ、何でも相談するといい」
「はい、ケビン・ワイルドウッド男爵閣下のお心遣い、深く感謝いたします。未だ未熟ゆえはっきりとした目標を申し上げる事は出来ませんが、いかなる状況にも対処できる心の強さを身に付けるべく訓練に取り組みたいと思います」
俺からの言葉にしっかりと目を見て答えるベロニカ嬢。分からないことを分からないと言える素直さは大変好感が持てます。俺はベロニカ嬢のことを十六夜に任せると、ホーンラビット伯爵閣下に一礼しその場を「ちょっとケビン君、何処に行こうというのかな? ほら、皆さんがお待ちだよ、一緒に応接室に行こうか」・・・下がる事は出来ないようでございます。
「イヤイヤイヤ、ドレイク村長、ケビン航空便の役割は終わりましたよね? フレアリーズ第五王女殿下御一行はアーメリアが健康広場脇に移設した王都屋敷に連れて行ってくれるし、ロナウド君とラビアナお嬢様は勝手知ったるマルセル村ですし? 俺って別に要らないですよね」
「何を言ってるのかな、元狡猾の魔王ケビン君。フレアリーズ第五王女殿下が何でマルセル村に来たと思ってるのかな? 個人武力で国落としが出来るケビン君と良好な関係を作る為でしょうが。当のケビン君がいなくなってどうするの、早くこっちにきなさい。
というか見捨てないで、さっきの挨拶だけでいっぱいいっぱいなの、フレアリーズ第五王女殿下の担当はスライムの専門家であるケビン君にお任せだから。ザルバ、ケビン君を応接室に案内して」
“ガシッ”
「畏まりました、ホーンラビット伯爵閣下。さぁ行こうかケビン君、たまには義理の父親の顔を立てて欲しいと思うのだが、これは私の我儘かな?」
「ウグッ、ここでそれを持ち出しますか、ザルバお義父さん。分かりました、ちゃんと行きます、逃げませんから。ドレイクお義父さんの為にも頑張りますとも」
「・・・なんでしょうか、ケビン君にお義父さんと呼ばれるとどうにも不安が」
「・・・ヘンリーさんは御立派ですね、私も頑張ってヘンリーさんの境地に到達しなければなりません」
なんか二人の反応が酷い、俺頑張ってるのにな~。俺は義理のパパさんズから微妙な反応を受けつつ、お客様方の待つ応接室へと足を向けるのでした。
おはようございます。
いってらっしゃい。
by@aozora