「フレアリーズ殿下、マルセル村での生活はお楽しみいただいておりますでしょうか?」
冬のマルセル村は寒い。吐く息は白く、植物は枯草色に染まり、凍てつく大地は石畳のように固くなる。草原を徘徊するグラスウルフは姿を消し、フィヨルド山脈から吹き下ろす寒風は、人々の訪れを拒絶する。
そんな冬のマルセル村にやってきたオーランド王国第五王女フレアリーズ・ウル・オーランド殿下は、一体何を感じ何を思ったのだろうか。
この数年数々の動乱が発生し、オーランド王国国内の政治経済状況は混乱を極めた。そんな中その存在感を大きくしたホーンラビット伯爵家はオーランド王国から独立し距離を空けることで、様々な政治闘争から逃れる道を選択した。
たかが辺境の小領、元々が貴族とは名ばかりの名目男爵家として始まったホーンラビット伯爵家は、様々な特殊な環境を備えることで王家としても無視することのできない巨大な存在へと成長してしまっていた。
そのような貴族家に対し何もせず無策のまま放置することなど、国家を預かる為政者として看過することができなかったのだろう。オーランド王国王家はホーンラビット伯爵家との関係を深める為に、第五王女であるフレアリーズ殿下を送り込んできたのであった。
「はい、毎日が夢のようで。大福先生はアルやライオネスやヘレンに魔力の扱い方や様々な応用方法をご指導くださるばかりか、オニキスちゃんやトパーズちゃん、フレンズちゃんとも仲良くしてくださって。
うちの子たちも大福先生のお陰ですっかり逞しくなってきているんですよ?
大福先生は仰っています、“スライムであれ人であれ、全ては女神様の夢の欠片。可能性の扉は常に開かれている”と。私はこれまで人とスライムという小さな枠組みでしか物事を見ていなかったという事に気付かされました。世界は全にして個、個にして全。広くこの世界という大きさで物事を見れば、スライムも人もただの色の違いでしかないんです。
分かり合うとか感じるとか、そんな小さな枠組みで物事を捉えてはいけない、そこにあるからあるのです。大福先生の仰ることは本当に深く素晴らしい」
・・・ただ朝のご挨拶をしようとしたら、フレアリーズ殿下が大福哲学に目覚めたのか悟りを開いておられました。これはアレですかね、大福問答集とか出版してスライム教の経典とか作っちゃうんですかね。
参考図書は無論「スライム使いの手記」でしょう、あの名著を加えないでスライム教を名乗るようなら、全員下半身がスライムになるまで正座です。
「そうですか、それはよかった。アルジミール様やお付きの方々もマルセル村の寒さは身に堪えていたでしょうから、少しでも過ごし易すくなられたのでしたらこれに勝る喜びはありません。それでは本日のご予定ですが」
俺は大福が上手いことフレアリーズ殿下御一行の接客を熟してくれていることに感謝しつつ、“スライムネタってそこまでないんだよな、今日のイベントが終わったらこの後どうしよう”と、今後の予定について頭を悩ませるのだった。
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“パチンッ、パチンッ、パチンッ”
暖炉の薪が音を立てて爆ぜる。ユラユラと揺れる炎を眺めながら、日々の移ろいの早さを実感する。若い頃は生きることで精一杯であった。恵まれた体格も魔法の才能もない儂は、与えられたテイマーという職業を頼みに生きていくしかなかった。
周りの者は言った、「外れテイマーが冒険者になれる訳がない」と。儂は確かにテイマーの外れスキル<魔物の友>を持つ所謂外れテイマーであった。だがそのようなことを嘆いたところで何かが変わるはずもない。
口さがない冒険者連中は言う、「戦う力のない奴が冒険者などとふざけるな」と。だが世の中は外れスキルを持っているというだけで門前払いを喰らわす程偏見に満ちている。
冒険者はなろうとしてなるものではない、他に道のない者が生き残る為に必死になってしがみ付く職業なのだ。多くの冒険者はその事実から目を逸らし、自尊心を保つ為により弱き者を攻撃するのだ。
“コトッ”
テーブルに置かれたティーカップ、これは領都のモルガン商会のギースさんが、「養蜂家の指南書」の発売記念に下さった物。上品で普段使いにはもったいない品だが、珍しく目を細め喜んでいた妻の事を思うと食器棚にしまったままという方が問題か。
ティーカップから漂うのは癒し草の煮出し茶の香り、癒し草で煮出し茶を作るなど少々もったいない気がしなくもないが、こうした贅沢ができる心の余裕ができたのもグロリア辺境伯領全体が好景気になり養蜂場が上手くいっているお陰だろう。
後はこれで次男の嫁でも見つかれば思い残す事もないのだが、こればかりは縁というか、中々上手くいきそうもない。
「ありがとう、お前たちも休んでお茶にするといい」
儂からの言葉に薄い蜂蜜色をした髪の娘はニコリと微笑むと、自身のカップを取りに行き、儂の前に持ってくる。
「魔力を強く意識して、<ウォーター>」
コップ一杯の水を出す生活魔法<ウォーター>、冒険者時代散々使い潰したお陰で短縮詠唱でも出せるようになったその水が、魔力を強く意識しながら作ることで魔力水になることを教わったのは養蜂業を長男に引き渡してからのこと。
年を取ってからでもまだまだ知らないこと、教わること、発見することのなんと多いことか。数年前までは年寄りは息子に迷惑を掛けないよう家で大人しくしているものだと思っていたが、今では毎日がすっかり忙しくなってしまった。これも全てはあの少年との出会いからであったか。
“カチャッ”
儂はテーブルの上の容器の蓋を開けると、中身をスプーンで掬い魔力水の入ったカップにたらり。それは琥珀色をした甘い香りのする蜂蜜。
スプーンでよくかき混ぜ蜂蜜を溶かしたら、娘の前にそっと差し出す。彼女はカップを両手で摑むとゆっくりと口を付け、嬉しそうに笑みを浮かべる。その笑顔は妻の若い頃にそっくりであり、私は思わず台所に立つ妻の後ろ姿に目を向けるのだった。
「親父、お客さんだぞ。マルセル村のケビンが、何か大勢連れて訪ねてきた」
「ロイ、ちゃんとワイルドウッド男爵様と言わないか。お貴族様を呼び捨てにしたなんて事が分かったら大変だぞ」
玄関扉を開けて入ってきたのは次男のロイ、前は街に出て蜂蜜売りをして家計の支えをしてくれていたが、増産の要請に巣箱の数を増やした為、今は養蜂の作業を手伝ってくれている。
「そうは言っても親父、ケビンの奴が呼び捨てで頼むって言うもんだからよ。“尊敬するジニー師匠の息子さんに男爵呼びをされるなんて勘弁してください”って言われちゃうと何とも困るっていうか、さっきも“男爵を辞めようとしたらそれだけは勘弁してって引き留められた”とか言ってたな~。本当にお貴族様らしくないよな、ケビンって」
ロイの言葉に半ば呆れつつ、ケビン君のことを思い出し然もあらんとも思う。時代の流れ、本人が望む望まぬに関わらず貴族になってしまった村人の青年。いつ会ってもスライムに対する情熱は変わらない数少ない同好の士。
儂はゆっくりと席を立つと、妻にお茶の準備を頼み玄関へと向かう。後ろからは娘が付き従い、儂のことを見守る。前はこの子を見守る側であったものがと、頼もしさと共に年を取ったことの物悲しさも感じてしまう。
“カチャッ”
玄関扉を開けた先には久し振りに見る青年の顔、その元気そうな姿に思わず儂の口元が緩む。
「お久し振りです、ジニー師匠、お元気そうで何よりです」
「おぉ、ワイルドウッド男爵殿、久し振りですな。大福君も久し振り、元気に過ごしておりましたかな?」
「ハハハ、お止めくださいジニー師匠、私はただのスライム好きのケビン、それでいいではないですか。大体私は元々のただの農家の小倅、男爵だなんて柄じゃないんですから。
こちらの方々はスライム繋がりの知り合いと言いますか、どうしてもジニー師匠にお会いしたいと聞かないものですから、ご迷惑とは存じますがおつれしたしだいでして」
「はじめまして、ジニー様。私は幼少の頃よりスライムを愛し周りからは変わり者と疎まれておりましたが、ジニー様の著書「スライム使いの手記」を手にする幸運に恵まれ世界の変わった者でございます。
一度ジニー様のスライムに対する考察をお聞かせ願いたく、こうして無理を押してお伺いさせていただきました。
あの、こちらは私のお友達のオニキスちゃん、トパーズちゃん、フレンズちゃんです。皆、ジニー様にご挨拶を」
“““ポヨンポヨンポヨンポヨン、ペコッ”””
挨拶する女性の隣で整列し頭を下げるスライムたち。その姿に女性とスライムたちの間に深い心の交流が生まれていることが窺える。
「そうですか、わざわざその為に。まぁ何もないところですがどうぞ中にお入りください。外は寒い、身体の温まる蜂蜜湯でもお出ししましょう。
メリッサ、皆さんを家の中へご案内してくれ」
儂の言葉に娘が前へ出ると、一礼をしてから玄関扉へと案内する。
「すみません、ジニー様、そちらの女性はもしや」
「うむ、お嬢さんは合体スライムというスライムを知っているかな? これはケビン殿の弟であるジミー君が所有しているスライムなのだが、三体のスライムがまるで一体のスライムのように共同して動く特殊な進化個体でな、それぞれに考え動くことも一体のスライムとして融合することもできる。
なぜこう言い切れるのかと言えば、私のスライムもその合体スライムに特殊進化を遂げてね、集合体として合体した姿がこのメリッサになるんだよ」
儂の言葉に嬉しそうに微笑む娘の姿は、スライムの妖精とでも言おうか。女性は目を輝かせ、お付きの方たちは口を開けたまま放心しているように見える。
「ジニー師匠、フォレス、ウッド、ビー、遂にやりましたね。見れば木製骨格の支えなしに二足歩行を実現している様子。三体合体の皆さんの回答、堪能させていただきました。
ではメリッサには次の課題を用意いたしましょう。大福、黒騎士モードでご挨拶を、ヘルムは外して」
“ポヨンポヨンポヨン、ゴボゴボゴボゴボ”
ケビン君の言葉に身体を大きく膨らませた大福君は形を変える。そこに現れたのは全身甲冑に漆黒のマントを靡かせた黒騎士。黒騎士はゆっくりとヘルムを取ると脇に抱え儂に向かい一礼をする。
「ジニー殿、我々スライムをただの底辺魔物と切り捨てず共に高みを目指すその姿勢、スライムの一体として感謝申し上げる。我々スライムは基本的に何も考えてはいない。我々に思考や感情が芽生えるのだとすれば、それは外部から与えられた刺激によるもの。
与えられた環境により変化し、様々な環境に適応することで世界中に広がるのが我々スライムであり、この世界の均衡を保つ為に発生したのが我々だ。我々の存在は世界に受け入れられ今や世界を構成する大きな役割を持つに至った。
言い方を変えればスライムの可能性は世界を変える程のものなのだ。
ジニー殿、フォレス、ウッド、ビー、世界を楽しんでほしい。世界はこんなにも美しく輝いているのだから」
黒曜石の彫像のような美しさを持った大福君は、私たちに言葉を向けると嬉しそうに微笑むのだった。
「どうですか、ジニー師匠。メリッサの次の目標は人との会話、これはかなり難しいと思いますが取り組み甲斐のある課題かと。
ってまずい、アルジミール殿、ご婚約者様が大変なことになっています。急ぎ家の中へ」
「うわっ、フレア、ちょっとその顔は人前に出しちゃ駄目な奴だから!! ヘレン、手伝って!!」
騒がしくなる玄関前、バタバタと中へと入っていく客人たち。儂はそんな彼らをよそに大福君へ目を向けると、新しい目標を与えてくれた彼に感謝の意を込めて深く頭を下げるのだった。
おはようございます。
いってらっしゃい。
by@aozora