フィヨルド山脈、そこはオーランド王国北西部に広がる大山脈であり、濃厚な魔力溢れる魔力異常地帯である。周囲にはフィヨルド山脈から流れ込む魔力の影響を受けた大森林と呼ばれる広大な森が広がり、多くの強力な魔物で溢れている。
ではフィヨルド山脈における魔物の生息はどうかと言えば、濃厚な魔力異常地帯に耐え得るだけの強靭さと強大な力を持ち合わせた魔物が跋扈し、人類が足を踏み入れることを許さない異界が形成されていると言われている。
人々はこの異界のことを畏怖の念を込め“魔境”と呼ぶ。
“ズズズズズズズズズズズズズッ”
それは太く巨大な何かであった。その太さはマルセル村の一般的な小屋ほどもあり、その口は二頭立ての馬車を丸ごと呑み込むのではないかというほど大きく凶悪であった。
“グワァァァァァァァァァァァァァ”
迫る絶望、それはこの世の不条理そのものであり、回避不可能な厄災。
「<疾風・横薙ぎ一閃>」
“シュンッ、ズバンッ”
それは風、吹き抜ける瞬きの突風。
“ドスンッ、ドタンドタンドタンドタンドタンドタン”
その強大で巨大な厄災は、自身の命運が尽きたことも分からず肉体の反射行動とばかりに暴れ狂う。そしてそんな厄災を深い深淵の闇が覆い尽くす。
“ズルズルズルズルズルズル、トプンッ”
「ジミーお疲れ、中々素晴らしい一振りだったけど、今回に関しては頭を引っ叩いて絶命させた方がよかったかな? これはスネーク系魔物の特徴なんだけど、例え首を切られたとしても数分、長ければ数時間も暴れ回ることがあるんだよ。
だからスネーク系魔物は切り倒したとしても油断する事は出来ず、警戒する必要がある。実際切り落としたはずの頭部に噛まれて絶命する冒険者の話はそこら中に残っているからね。
特にこのジャイアントスネークはその名の通り巨大な身体を持つ分厄介でね、中々死なないんだな、これが。
で、そんなスネーク系魔物の討伐に有効な手段が頭部に対する打撃による脳の破壊、動きを一瞬で止める事ができるから今度試してみるといいよ。この獲物は取り合えず俺の影空間に預かっておくね」
眼前で繰り広げられるのは勇者の英雄譚で語られるような衝撃的な戦い、そんなとんでもない戦闘の注意点をまるで狩りの指導を行うような口調で平然と語り合う者たち。
これが魔境、これが魔境に生きる者、マルセル村の実態。
「あ~、ゴホンッ。ラビアナ様、カーベル、アリス、大丈夫か~、ちゃんと息してるか~。ゆっくり吸って~、吐いて~、もう一度ゆっくりと吸って~、はい、吐いて~」
「ありがとうジェイク、って違うわよね!? えっ、何、私たちってば、一体何を見せられているの?
ジャイアントスネークはまだいいわよ、ここは魔境だし、魔境から戻った冒険者の手記にはその特徴が書き記してあったし。
でもその厄災級の超大型魔物を一瞬にして討ち取るって、そんな偉業を果たしたジミーに駄目出しって、しかもその様子を特に違和感と感じることもなく放置するって、あなたたちマルセル村の住人って一体どうなってるのよ~~~~!!」
来た~~~~~!! この世の終わりと呼ばれる魔境にて、遂にラビアナお嬢様が覚醒!! アルジミール亡き今(死んでません。白目を剥いて気を失っただけです)、ボケ揃いの俺たちに対し誰がツッコミを入れてくれるのかと半ば諦めの境地に入っていた中、ツッコミの公爵令嬢が爆誕!!
しかも懇切丁寧なノリツッコミ、これは超新星誕生の瞬間ですか!?
俺とエミリー、そしてフィリーまでもが喜びのハイタッチ。そう言えばフィリーってばゴブリン騒動がなければヨークシャー森林国の精霊姫だったんだっけ、しかも生まれはラビアナお嬢様と同じ公爵家。冷静沈着なボケをかますフィリーと激しいノリツッコミを返すラビアナお嬢様の公爵令嬢コンビ、これって何て胸熱展開!?
いかん、妙にテンションが上がっちゃってるわ。これってば魔境の濃厚な魔力に当てられたからなんだろうか、冷静さを欠いたら即死亡の地獄でこれはいけない、本気で気を付けないと。
俺は軽く深呼吸をして自身を諫めると、今だ肩を上下させて荒い息をしているラビアナお嬢様に対し、「大福ヒドラドラゴンモードに比べたら全然弱いですからね、まぁこれくらいの相手ならボビー師匠でも一撃なんじゃないんですかね?」と言葉を返すのだった。
――――――――――――
世界が壊れる。これまで生きてきた十六年間の人生で築き上げてきた“ラビアナ・バルーセン公爵令嬢”という人物像が、粉々に打ち砕かれていく。
「ケビン様、あの頭がピカピカ光っている魔獣は何という魔獣なのでしょうか?」
「あぁ、アレはサンダーディアですね。頭の角から雷を発生させる非常に危険な魔獣です。フレアリーズ殿下、間違っても触りに行こうとはしないでください、これはフリじゃないですからね!!」
サンダーディア、それは教会の伝承に残される厄災級の魔物。天空より雷を呼び、都市を丸ごと破壊したと言われる雷鳴の使い。
「ジェイク、デカい亀がいるぞ。アイツと霊亀、どっちが強いと思う?」
「そりゃ霊亀の方だろう、アイツ半端ないもん。ってジミー、試しに行くなよ? 俺たちの仕事は護衛、襲いに来た魔獣以外は相手にしない。って石を投げようとするな、この戦闘狂が~~~~!!」
キャッスルタートル、記録では城に匹敵するほどの巨体を持ち、その進行方向にある都市はなす術なく破壊されたという大厄災。
「ラビアナ様、私たちは生きて帰る事ができるのでしょうか?」
次々と現れる厄災級魔物にすっかり怯え、カーベル様の腕にしがみ付くアリス。その表情にはこれまでのような余裕は一切なく、これが不安からくる本心からの行動であることが見て取れる。
「だ、大丈夫だアリス。俺たちは必ず生きて帰る、二人とも無事に生き残って、だから大丈夫だ」
カーベル様は必死になって自身に言い聞かせ、恐怖に怯える気持ちを誤魔化そうとしている。既に限界を迎えている二人に私はどう声を掛けていいのかが分からない。
私たちはマルセル村での生活を何処か甘く見ていたのかもしれない。私たちは何も知らなかった、辺境のおかれた現実も、マルセル村が抱える本当の危うさも、その全てを乗り越える為に戦い続けてきた名もなき英雄たちのことも。
“辺境の蛮族”、王都でそう呼ばれ恐れと侮蔑を向けられる存在は、そうならなければ生き残れない状況に追い込まれた人々であった。彼らがオーランド王国の混乱を収め、魔王討伐軍などという暴挙を撃ち返したことは奇跡でも何でもない、彼らが生き残ってきたことの証明であったのだ。
「私は小さく矮小な存在であったのですね。それなのにくだらない貴族の矜持を抱え、自身の要らぬ拘りに囚われて。本当にくだらない」
目の前に広がる現実、世界が壊れていないのはただ運がよかっただけなのだと、人知れず世界の均衡を支えてくれた者たちがいたのだということを。
「カーベル様、アリス、目を開き、耳を傾け、この現実を真っ直ぐ受け止めるのです。私たちは弱い、そのことを認めて初めて前へ進むことも後ろへ逃げることもできる。目を瞑り立ち止まっていては、何も分からず現実に呑み込まれてしまいますよ?
あなたたちの人生はまだ始まったばかり、私たちは何も知らぬ理想を抱えるだけの物知らずなのですから」
私は何も知らない、何も分からない。それでも自身が何も知らぬお嬢様であったということだけは分かった、今はそれで充分。
一歩を踏み出そう、前を向きしっかりと向き合おう。自身の置かれた立場と、家族と、自分自身と、心に浮かぶ思い人と。
差し出す手、それはアリスとカーベル様に向けられたものか、それとも私が助けを求め伸ばしたものか。
この先に進めば何かが変わるかもしれない。私は不安と決意と戸惑いを胸に、ジミーたちの後を追い掛けるのでした。
――――――――――――――――――
フィヨルド山脈の岩山に囲まれた大渓谷、巨大な岩が転がり、大自然の力強さと雄大さを物語る。そんな大渓谷を上流に向け遡ること暫く、それはそこにあった。
岩山に忽然と穿たれた巨大な切れ目。山が裂け、岩壁がくり貫かれたようなそこは、王都バルセンの王城がすっぽりと収まってしまうような高さと広さを誇っている。
「さて皆様、本日は大森林深層、魔境の荒野、魔境フィヨルド山脈と立て続けに魔力異常地帯の現実をご覧いただいてまいりましたが、マルセル村観光地巡りもいよいよ大詰めでございます。
ところでフレアリーズ殿下は何故オーランド王国北西部地域にグロリア辺境伯家という王家の血筋を持つ大貴族家が置かれたのかをご存じでしょうか?」
そんな巨大洞窟の前で足を止め俺たちの方を振り返ったケビンお兄ちゃんは、舞台俳優よろしく大仰な口上を始めると、フレアリーズ第五王女殿下にグロリア辺境伯家のことについて問い掛ける。
「・・・それは王家に伝わる伝承の話でしょうか?」
ケビンお兄ちゃんの言葉に珍しく口ごもるフレアリーズ第五王女殿下。ケビンお兄ちゃんはそんなフレアリーズ第五王女殿下へにっこりと笑みを向けると、続きとばかりに口を開く。
「これは「オーランド王国の歴史」という書物に記された、フィヨルド山脈について解説している章の一節です。
“遠い昔の文献によれば、大森林の先に広がる魔境フィヨルド山脈にはドラゴンの棲み処があるとされている。これは我が国最大の脅威として恐れられており、グロリア辺境伯家が北の備えとして睨みを利かせている理由の一つと言われている”
この書物が正しいとするならば、魔境フィヨルド山脈にはドラゴンが棲んでいるということになります。
王家がグロリア辺境伯家をオーランド王国の北西の外れに置いたのは何故か、確かにヨークシャー森林国に接する要所であるとはいえ、辺境伯家を置くには理由が弱すぎます。むしろ国家の脅威に対する備えとしては、バルカン帝国に接する旧ダイソン侯爵家が任されていた南西部に置くべきでしょう。あの場所はヨークシャー森林国、バルカン帝国、スロバニア王国の三国に目を光らせることのできる要所であったはず、しかし王家はそうはしなかった。
王家に残された伝承は果たして真実であったのか、昨年王都バルセンに飛来した厄災との関係は。ここから先はホーンラビット伯爵家も知らないマルセル村の深淵、この私、ケビン・ワイルドウッドが抱え続けてきたマルセル村にこだわり続ける最大の理由。
皆様が知ることになる歴史の真実です」
両手を大きく広げ、舞台の終幕の始まりを告げる進行役のように虚空を見上げるケビンお兄ちゃん。
「では参りましょう、先ずは勇者パーティーの皆様方から、あちらの洞窟へお入りください。白、案内を頼む」
指示された先、そこは深淵に至る入口、現実に存在した地獄へと続く道。
「これは先にこの洞窟へ挑んだ者からの助言だ。気を確り持て、己を見失うな、何があっても取り乱すな。分かったら後ろをついてこい」
先に洞窟へ向かう白雲さん、その背中は広く、そして逞しく。
俺たちは大きく息を吐くと、互いの意思を確認することもなく、ほぼ同時に前へ足を踏み出すのだった。
「うわっ、これって大丈夫なの? 魔境に足を踏み入れた時の比じゃないんだけど」
「グッ、これは強烈だな。暗黒大陸の魔力溜まりでも、これほどの物は経験したことがなかった」
俺の独り言にクルンが続く。他の皆も大なり小なり声を上げ、驚きに表情を曇らせる。
「まぁ順当だな。大福ヒドラドラゴンモードに繰り返し挑戦し、ドラゴンの襲来やマルセル村夏祭りを経験したお前たちは、俺が初めてこの洞窟に挑んだ時とは持ち合わせている経験値が違うからな。驚きはするだろうが、入り口で躓くことはないと思っていた。
だが油断するなよ、この洞窟は奥へ進めば進むほど魔力濃度が濃くなっていく。今は肌にまとわりつく程度の感覚だと思うが、はっきりと抵抗を感じるほどにはなっていくぞ。例えるのなら水中に潜っている時の圧迫感がどんどん強くなっていくって感じか、当然息苦しくもなってくる。
その時はその場で一度立ち止まり、息が整うまでゆっくりとした呼吸を繰り返すんだ。ただ静かに先に進むことを許されるまで待つ、それが出来たら改めて足を動かす、駄目だったらお前らが侵入を許されたのはそこまでだったということだ」
白雲さんの言葉を真剣に聞き、黙って頷きで応える俺たち。おふざけの時間は終わりだ、そんな余裕など一切ないのだから。
「次はロナウド君とフレアリーズ殿下、二人とも絶対に無理だけはしないでください、この場に辿り着いたというだけであなた方は讃えられるべき存在なのですから」
ケビンお兄ちゃんが煽らない、多少大仰な口調は残っているものの表情が真剣そのもの、それだけこの場所が危ういということなのだろう。
「スライムが一匹、スライムが二匹、スライムが三匹、スライムが・・・グホッ、大福様、私では未だ大福様のお傍に辿り着くことは叶わないということなのでしょうか」
フレアリーズ第五王女殿下が膝を突く、その瞳は洞窟の遥か先を見据えるも、身体が全く動こうとはしない。
「フゥ~~~~~~~、シリアル湖で過ごしたあの夏を思い出す。エミリーやジェイクたちと共に走り回ったシリアル湖の湖面、空中歩行訓練では何度も水面に叩き落された。その後知った戦争の現実、テレンザ侯爵家に向けられた戦争の狂気という名の刃。あの時から俺の生き方は大きく変わった」
力強く足を踏み出すロナウド、一歩一歩、それは堅実に。
「ぐっ、これはキツイな。だが俺はこんなところで立ち止まっている訳にはいかないんでな」
身体をくの字に折れ曲げるも、一歩一歩前に進むロナウド。
「ジミー、ジェイク、エミリー、フィリー、ディア、クルン、待たせたな」
「フッ、来るとは思っていたさ、今は呼吸を整えろ、じきに慣れてくる」
ジミーの言葉にニヤリと口角を上げるロナウド、こいつは本当に格好いいな、まさに理想の主人公、シリアル湖で勝負を挑んできた気まぐれなお貴族様のお坊ちゃんとは思えない。
「では最後、ラビアナ嬢、カーベル様、アリス嬢」
「さぁ行きましょう。私たちもその目で確認するのです、オーランド王国の真実とマルセル村の深淵を」
ラビアナお嬢様を先頭に、カーベルとアリスがやってくる。そして。
“ドサッ、ドサッ、ドサッ”
「俺たちはまだ終わっていない、終わってはいないんだ!!」
「魔力は逆らわず、受け入れ受け流し、場に染まる。魔力は逆らわず、受け入れ受け流し、場に染まる!!」
カーベルとアリスは必死になって立ち上がろうとする。だがその身体は、現実は、決して思いだけでは届かない。
「私はまだこの先には進めないということなのですね。ジミー、残念ながら私の旅はここまでです。帰ったら洞窟の先の話を聞かせてください」(ニッコリ)
「あぁ、しっかりと土産話を聞かせてやるさ。だからラビアナはゆっくりと身体を休めていてくれ」(ニヤリ)
悔しいだろう、悲しいだろう、胸が締め付けられるほど苦しいだろう。だがラビアナお嬢様は笑みを向ける。前に進む思い人に後顧の憂いを残させぬように。
開かれた扉、ワイルドウッド家の使用人の助けを受け精霊の庭に運ばれていく三人。
「ジミー、ラビアナ様っていい女だな。大切にしろよ?」
「そうだな、あんな面白い奴は早々いないからな」
短く言葉を交わしニヤリと笑みを向け合う俺たち。こうして俺たちは気持ちも新たに洞窟の先へと「ジェイク君、ちょっと悪いんだけど、黒蜜を借りるね。黒蜜、出てこいや~!!」・・・。
ケビンお兄ちゃんの呼び掛けに上着の裾から這い出す黒蜜。何やらケビンお兄ちゃんと相談を始めると、フレアリーズ第五王女殿下の下へと行き。
“グニョグニョグニョグニョグニョ”
「“何か急に身体が楽に、これは一体・・・”」
スクリと立ち上がるフレアリーズ第五王女殿下、そのお姿は。
「黒蜜ドレスアーマーモード、周囲の過剰魔力は黒蜜が吸収、フレアリーズ殿下におかれましては最後の催し物をお楽しみいただきたく存じます」
慇懃に礼をするケビンお兄ちゃんと、黒蜜を着込んでいると知りテンション爆上がりになるフレアリーズ第五王女殿下。っていうか黒蜜は俺の従魔だから、何でケビンお兄ちゃんの言う事を聞いてるのさ~~~!!
俺は“従魔って一体”と頭を抱えながら、背中を摩り慰めの言葉をくれるエミリーに、ウンウンと頷きを返すことしかできないのであった。
おはようございます。
いってらっしゃい。
by@aozora