真剣で竜と恋しなさい 作:ロンチーノ
「お前、強そうだな」
若かりし頃のとある男が全国を巡り歩いて武者修行に勤しむ中で立ち寄った山間部の農村。
現代のようなハイテク機器はおろか車もない古風で、それでいて山間部という閉鎖的な土地だからこその村民達の強い結束が見られた農村で、彼がそう声をかけた相手はお世辞にも強そうや男らしいといった表現は不適切に思える人物だった。
当時15か16といった歳頃の彼とほぼ同い年でありながら、背格好も体格も全てが違う。
ボロボロの車椅子に座り、ボロボロの布を適当に縫い合わせただけの衣服を身に纏った細身の男子。
表現は無表情で変化が無く、光の無い紅い瞳で一直線に凝視してくる。
食事は取れているのか極度に痩せ細っているわけではないのだが、鍛錬を積み肉体を鍛え上げている彼と比較すれば弱々しく見えるその肉体を見て、彼は強そうだと評価した。
「何を馬鹿げたことを」
当然、声を掛けられた男性は意味が分からないと言いたげな表情を浮かべながら鉄心の言葉を否定する。
中性的な顔付きに似合う、中性的な声。低くもなく高くもなく、細い男とも肉付きの悪い女とも呼べそうな彼の否定は、その見た目が説得力をより強いものとしていた。
「自分の足で立つことも儘ならず、己の腕を伸ばすことにすら時間を要する……こんな
立とうとすれば激痛に苛まれ、腕を伸ばそうとすれば肘関節が悲鳴を上げる。
車椅子の肘置きに置かれている指も少し曲げるだけで関節が痛みを生じさせ、一日を通してほとんど動くことは無い。
時代が進み、医学の知識に精通した者が診察すれば病として扱われるかもしれない特異な体質。
肉体が抱える問題を聞いてもなお、彼は発言を取り消さなかった。
「いいや、お前は強そうだ。そこまでの気を抱えているなんて、全国巡った俺でも見た事ないぞ?」
一見して病弱そうに見える男性だが、武術の修練を積んでいる男には彼が内包している膨大過ぎる気が知覚出来ていた。
放出しようとしている様子は無いが、肉体に収まりきらなくなった気が溢れている。穴の空いた桶に注いだ水が漏れるように。
それもただ生み出しているだけではなく、良く練り込まれている。
通常の気を自然そのままに流れる生水に例えるならば、彼の肉体から漏れている気は遠心分離や加熱処理といった様々な手段を用いて人体に有害な物質を取り除いた清涼な飲み水。
威圧感を与えることはなく、むしろその気を放つ彼を見ていると不思議なくらいに気持ちが落ち着く。
だからなのだろう。彼の周りには種族の垣根を越えた、多種多様な動物達が寄り添っていたのは。
「あんたのそれは内包する気を発散出来ていないせいだ。生み出されて生み出されて、それがどんどん肉体に蓄積している。どうにか水漏れみたいに漏らしちゃいるが、それでも全部出し切れるものじゃない」
武術を極めんとする彼の目と感覚を持ってすれば、男が抱える問題を見抜くことも解決策を導き出すことも容易い。
男の言葉を聞いて、彼はニヤッと笑った。
生気の感じられない目に、生気が灯る。
「……あんた、名前は」
この時の男性の嬉しそうな顔を、彼は一生忘れない。
「川神鉄心。武を極める為に日本全国を回って武者修行をしているんだ。そういうアンタは?」
後に武神と呼ばれるまでに至り、孫娘へとその偉大な称号を引き継いでもらうこととなる武人 川神鉄心の問い掛けに、男性は笑って答えた。
「僕は竜宮
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
博自と名乗った男性との出会いは、鉄心の人生においてかなり大きな役割を担っていた。
「ふぃ〜……生き返るぜぇ…」
今宵も闇夜の竹林へと飛び込んで野獣との死闘を繰り広げ、日が昇る頃には裂傷や打撲痕だらけの肉体を作り上げた鉄心を呆れ顔で見つめながら博自が癒す。
彼は修練を積んだ一流の武芸者と比較しても気を生み出す力は群を抜いている。集中する必要もなく、ただ生きているだけで凄まじい量の気を生み出し続けた。
武術の心得がある者であれば誰が見ても羨む才能だが、そんな物を望まずして得た彼は代償かのように体外に吐き出す事を不得手としている。
それが災いして肉体に許容量を超える気を内包し続け、下手をすれば内包する気に肉体が耐え切れなくなり爆散していただろう。
それを肉体の各所へ分散することでどうにか爆散までには至らないようにし、水漏れのように体外へ少量ずつ排出することで何とか肉体を保っている状態だと、鉄心は判断。
自身の気を相手へ分け与えて力を与えたり疲労や負傷の治癒力を高める生命入魂という技を教え、吐き出す術を与えた。
「無理をするな。僕を泣かせる気か」
鉄心も年若くして数多の修羅場を潜り、日夜鍛錬に励む一流の武芸者の1人。後に武神と呼ばれるに足る才能と、その実力を支える気の持ち主だ。
そんな彼が毎夜毎晩、気を枯れ尽くして現れる。
初めて出来た友人のそんな姿に博自は教わった生命入魂を用いて気を分け与えるのだが、気を生み出す才能を持つ彼が与える気の治癒力たるやそんじょそこらの薬師が処方する薬の何倍も効く。
鍛錬によって気の保有可能量も同年代の並の武芸者とは比較にならない鉄心は、強欲とも思える程に博自の気を受け取り続けていた。
その気によって肉体を癒してすぐにまた修練や道場破りに明け暮れ、気を使い果たして戻っては生命入魂で気を受け取る……そんなサイクルを繰り返していた。
「あ? アンタを泣かせられるヤツなんか居るのかよ」
今掘り返せば黒歴史認定間違い無しな荒々しい口調で問い返す若い鉄心に、博自は無言の圧力を返す。
気を相手に分け与える。それは相手に力を与えたり治癒を促す効果を持つ技だが、それが単なる相手へ有利や利益を与えるだけに留まらないことは博自が最も理解が深かった。
彼は孤児だ。親は辛うじて声を覚えている程度であり、それ以外のことは良く覚えていない。
博自は幼い頃から気を生み出す才能を存分に活かしており、己の肉体を苦しめて水漏れの如く体外へ漏らす術を編み出したが、その被害を強く受けたのが他ならぬ彼の両親だった。
何故か溢れ出る力は一日を通しての活動を可能としたが、それは両親が本来持つ体力とは別の物を勝手に押し付けられているから出来た芸当に他ならない。
肉体は次第に限界を迎え始める。
本来以上の力を行使し続けた事で肉体の損傷や消耗が治癒力を上回ってしまい、それでも彼と近い距離で生活する両親は彼が生み出す気を抵抗することも出来ずに受け取り続けた。
それに両親も武術の心得は無く、受け取った気を完全に消費することは出来なかった。故に受け取った気が体内へと蓄積し続け、やがて限界を迎えて崩壊。
内包した気が肉体の許容量を超えてしまい関節が砕け、肉が裂け、皮膚が割れ、全身から血液を噴き出し、受け取り続けた気を一気に炸裂させて死んだ。
「現に今、僕に心労を掛けさせて泣かせようとするバカタレがここに1人」
その経験を、彼は生命入魂という技を会得したことで攻撃へと転用。
心技体全てをやや技と体に比重が寄ってはいるものの満遍なく鍛えている鉄心に対し、博自は心と技に比重を寄せて鍛えた。
車椅子だからと馬鹿にする相手の技を意図的に受け、それをいなし、同時に自身の気を相手へと流し込む。
力を得たと更に苛烈に責める相手に、持って行けと言わんばかりにどんどんと気を流し込み、やがて内部から相手を苦しめて動けなくする。
気を拳や足に込めて技の威力を高めたり気そのものを火炎や氷雪とする鉄心と異なり、博自は気そのものを相手へ流し込んで内側からの破壊や鎮圧を得意とする彼独自の武術体系を編み出していた。
「僕を泣かせるな。僕は泣くと面倒だぞ」
博自が生み出す気は肉体を破壊するという芸当を可能にしながらも、その本質は冷静沈着な博自に似て清く穏やか。
それは気性の荒い野生動物達を穏やかな気持ちにさせ、鉄心が現れるまで彼の友達は熊や猪といった野獣達だった。
人間と比較すれば一日の活動量や消耗量も桁違いである野獣達は、両親を殺した気を受け入れてなお支障なく生き延びる事が可能であり、博自も心を許していた。
そんな野獣達が集めてくれる薬草を磨り潰し、傷口の手当をしてくれる博自を、鉄心は何時からか友情以上の感情を抱くようになる。
「ほら、腹を見せろ。塗ってやるから」
「い、いや、俺が自分で処置する。薬、寄越せ」
一年近い付き合いになっても博自は変わらない。吐き出す術を持たずに溜め込み続けた気が肉体を痛め付けており、成長よりも治癒を優先していたことで彼の肉体の成長は止まってしまっていた。
色白な肌と細い肉体。
後の世では色素欠乏症、一般的にはアルビノと呼ばれる体質によって髪は美しい白色を誇り瞳は紅く、抱き締めようものならへし折れてしまいそうな肉体と相俟って陽炎のような儚さと、天女のような美麗さを両立させていた。
そんな相手が、しかも中性的な顔付きと声をした相手が、甲斐甲斐しく己の世話を焼いてくれる。
一人の武術家でありその前に一人の年頃な男でもある当時の鉄心にとって、彼の存在は極めて心身に悪影響だった。主に、下半身のある一部に。
「はぁ…近頃の鉄心は特にそうだ。僕は、何かお前に嫌われることでもしたか?」
こてん、と小首を傾げる仕草すら様になる。鉄心の心にクリティカルヒット。
顔を赤くしてバッと顔を背けつつ、野獣達が集めてくれた薬草を磨り潰して気を混ぜ込んだ塗り薬をひったくった鉄心の背中を見て、博自がぷくぅっと頬をふくらませる。
「何もしていないが、だが、しているッ」
「…………はぁ?」
ヤケクソ気味に答える鉄心の言葉に博自は呆れ顔をするが、それも鉄心には直視出来ない。
彼は己に言い聞かせる。俺にその手の癖は無いのだと、他にこれだけ深い交友を築いた相手が居ないから勘違いしているだけなのだと。
闇夜の中で2人を照らす焚き火にくべられた木材が燃えるパチパチという音と2人の呼吸音だけが、やけに夜の山林に響く。
季節は夏。自然豊かな山林には綺麗な水を誇る小川が流れ、そこで繁殖したホタルがフワフワと夜空を飛び交い彩っていく。
「まぁいいか。これだけ綺麗な夜はそう巡り会えん。そら、鉄心も空を見やれ」
目の前に飛んできたホタルへ人差し指を差し出すと、そこにふわりと着地したホタルの肉体を支える細い6本の足がもたらす感触に博自が笑う。
その姿に、鉄心は己の気持ちとは裏腹に確かに見惚れていた。
「綺麗だろう?」
博自の言葉は、己の姿に対してのものでは無い。ホタルが飛び交う澄んだ空気に満ちた山林、その光景そのものを指しての言葉。
そうだと分かっていながらも、鉄心は別の意味を込めて言葉を返していた。
「……ああ。綺麗だな」
そうだろう?と微笑む博自の顔を、今でも鉄心は忘れられず時折夢に見る。
年老いてなお未だに現役……とまではいかずとも、並大抵の相手にはそう負けることの無い武術の達人の1人として、川神の地に居を構えて今日もまた武に打ち込む。
この地の底で眠りに付く、大切な友人であり初恋の相手に顔向け出来るように。