走って、笑って、騒いで──
その何気ない時間の中で、まだ名前のつかない感情が少しずつ灯り始める。
四葉、三玖、五月、二乃。
それぞれの胸に宿り始めたものを、楽しんでいただけたら嬉しいです。
夏の風は熱いのに、隣で笑う四葉の息だけは、不思議と心地よかった。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
「四葉。厳しいなら言いなよ」
「いえ!まだいけます!」
「やるじゃねぇか!そういう気概好きだぜ!」
「ありがとうございます!」
あれから次の週末。
図書室での勉強会は、何だかんだで継続していた。
僕や聖奈、三玖に五月も、都合が合えば参加している。
四葉と風太郎に至っては皆勤賞だ。
まあ、三玖や五月も僕がいる時は顔を出すことが多いので、ほぼ常連と言ってもいい。
そして今日も、勉強会の後のトレーニングに、四葉と政樹が付き合ってくれていた。
「よし!到着!」
「はあぁぁぁーーー!疲れましたぁぁ~~……」
いつもの公園に着くなり、四葉は芝生に大の字で倒れ込んだ。
それも無理はない。
毎日のように僕のトレーニングに付き合っているおかげで、四葉の走力は目に見えて上がっていた。
最初は途中で息を切らしていたのに、今では僕らのいつものペースにも食らいついてくる。
元々、運動神経は抜群だった。
そこに継続が加われば、伸びるのは当然だ。
「やるなぁー!四葉!俺でもこのスピード慣れるのに結構かかったのによ!」
「はぁぁ……はぁぁ……ししし!はぁぁ~~……気持ちいいぃぃ♪」
四葉は笑いながら目を閉じ、そのまま風を感じるように体を預けている。
それを見た政樹が、何を思ったのか四葉の隣に同じように大の字で寝転んだ。
「マジだ!!気持ちいいぜええぇぇーーー!」
何やってんだか。
でも、悪くない光景だった。
夏の空の下、芝生に転がる二人。
全力で走って、全力で笑って、何も考えずに風を浴びる。
青春って、こういうものなのかもしれない。
うっすら笑みを浮かべながら、僕は二人の姿を写真に撮り、グループチャットへ送ってみた。
「よし!休憩はこの辺で。じゃ、いつもの始めようか」
「はい!」
「ウッス!」
身体能力の高い二人は、さっきまで寝転がっていたとは思えない動きで跳ね起きる。
まずは水分補給。
二乃特製のドリンクを飲み、四葉は中国拳法の動きを、政樹は空手の型を取り始める。
四葉は、どうやら中国拳法にかなりハマったらしい。
本人曰く、この動きをした後は頭がスッキリして、勉強もはかどるのだとか。
まあ、それが結果に繋がれば綺麗な話なのだが、現実はそう甘くはない。
「四葉。もう少し体重移動を意識して」
「はい!」
「政樹は反復が物を言う。しっかりと一つ一つの動きを意識するように」
「ウッス!」
二人に指示を出し、自分の練習に移ろうとした時だった。
ヴー……ヴー……
スマホが震える。
着信。
画面を見ると、表示された名前は二乃だった。
何の用だ?
「は──」
『何なのよ!!あの写真はーーーーー!!』
……は?
電話に出るなり、二乃の不機嫌な声が耳に飛び込んできた。
用件が分からず、続く言葉が心の中で疑問詞になってしまう。
「写真?」
『そうよ!政樹君と四葉が仲良さそうに並んで寝ている写真よおぉぉ!!』
ああぁぁ~……。
『まさか、トレーニングとかこつけて二人はデキてるんじゃないでしょうね!?』
「ないない。二人の性格が似てるから仲が良いだけだって」
不機嫌そうな声の奥に、心配が混じっている。
聞いているこっちは笑いを堪えるのに必死である。
とはいえ、ここまで真剣な恋をしている相手を笑うわけにはいかない。
「それに考えてもみな」
『何をよ』
「あの二人に、陰でコソコソ隠れて付き合うことが出来ると思う?」
『それはないわね』
即答かよ。
「なら心配無用だろ?」
『……分かったわよ』
「後、四葉はちゃんと家まで送り届けるから。そっちも心配無用だよ」
『──っ!ふん!あんたが狼にならなきゃね』
「……それと」
『なによ』
「二乃、嫉妬してる?」
数秒、沈黙。
『……は!?』
図星を刺された時だけ出る、半拍遅れ。
『してないわよバカ!!』
ガチャッ。
今度こそ本当に切れた。
スマホを見下ろし、思わず笑う。
「分かりやすいなぁ」
ヴー……
続けてメッセージが届く。
三玖『……四葉、楽しそう』
続いて。
五月『帰りは気を付けて送ってください』
……反応の温度差が見事すぎて、思わず苦笑する。
本当に面白い五つ子だ。
「ふぅぅ~~……うん!和樹さん、電話大丈夫でした?」
「ああ、問題ないよ」
息を吐きながら納得のいく形が出来たのか、キリの良いところで四葉が声をかけてくる。
僕はスマホを軽く掲げながら答えた。
「そうですか……そういえば以前から気になってたんですが、あの刑事さんとはどんな形でお知り合いになったんですか?」
刑事さん?
「ああ、恒一さんのことね」
「あの時の兄貴は格好良かったっすからねぇ~」
政樹が懐かしそうに笑う。
恒一さんとの出会いは、本当に偶然だった。
あれは高校一年生の秋頃だっただろうか──。
放課後。
いつものように政樹と軽く走り込みを終え、人気の少ない商店街の裏通りを抜けていた時だった。
「──っ!?待てコラァ!!」
怒号と、慌ただしい足音。
視線を向けた瞬間、状況は一目で分かった。
引ったくりだ。
前方を全力で駆ける男。
その手には、女性のバッグ。
その後ろをスーツ姿の男が追っている。
だが──遅い。
体の使い方は素人じゃない。
ただし、全力ではない。
……わざとだね。
一瞬で判断する。
「政樹、右回れ」
「ウッス!」
言葉はそれだけで十分だった。
僕は正面。
政樹は回り込み。
逃げ場は塞がれる。
「チッ!」
男が舌打ちをして進路を変えようとした瞬間──
踏み込む。
「──そこ」
最短距離で間合いに入り、腕を掴んで体勢を崩す。
体が先に動いていた。
考えたというより、そう動くべきだと身体が知っていた。
「ぐぁっ!?」
そのまま地面に叩きつける。
間髪入れず、政樹が背後から押さえ込んだ。
「確保っす!」
「……見事」
後ろから、落ち着いた声。
振り返ると、そこにはスーツ姿の男が立っていた。
「学生にしては、やりすぎだな」
軽く肩を竦めながら、男──恒一さんが近づいてくる。
「……手出し無用でしたか?」
僕の問いに、恒一さんは小さく笑った。
「いや。助かったよ。こっちは確実に捕まえるために距離を調整してたが──」
一瞬だけ、僕と政樹を見る。
「それを理解して、動きを合わせた。……偶然じゃないな?」
……やっぱり見てたか。
「さあ。どうでしょう」
はぐらかすと、恒一さんは小さく息を吐いた。
「まあいい。結果オーライだ」
そう言って、ポケットから警察手帳を見せる。
「県警……じゃないな。こっちか。石暮だ」
軽く見せるだけ。
だが、その所作一つで分かる。
この人、ただの警官じゃない。
「石暮……警部ですか」
「お、知ってるか」
少しだけ感心したように笑う。
「ま、そういうことだ。で──」
視線が、ほんのわずかに鋭くなる。
「お前ら、何者だ?」
空気が変わる。
政樹が一瞬だけ身構えたのが分かる。
だが、僕は間を置かずに返した。
「ただの学生ですよ」
恒一さんは数秒こちらを見た後、ふっと笑った。
「……そういうことにしておくか」
それ以上は踏み込まない。
「今回の件、礼は言っとく。助かった」
「いえ」
「ただし──」
恒一さんが少しだけ近づく。
「無茶はするな。次は運が良かったじゃ済まない」
低く、静かな声。
脅しではない。
経験から出ている言葉だった。
「……肝に銘じます」
そう返すと、恒一さんは満足そうに頷いた。
「いい返事だ」
そして、少しだけ口元を緩める。
「また何かあったら、見かけたら声くらいかけろ。……悪くない動きだった」
その一言を残して、恒一さんは犯人を引き渡しに戻っていった。
「……なんだったんすかね、あの人」
「さあね」
少しだけ空を見上げる。
ただの警官じゃない。
それだけは確信できた。
「でも──」
小さく呟く。
「悪い人じゃない」
そう思えたのは、きっと──
あの人の目が、“見ていた”からだ。
~中野家~
「そんなことが……」
その日の夜──中野家の食卓。
四葉が目を輝かせながら語った和樹達の武勇伝に、箸を止めた五月がぽつりと漏らした。
「引ったくり犯を、二人で取り押さえた……?」
「そうなんです!しかも和樹さん、ばしゅっ!って!」
一花の問いに、四葉が身振り手振りで再現する。
「説明が雑すぎる……」
呆れたように三玖が突っ込むが、その声にはどこか感心も混じっていた。
「ちょっと待ちなさいよ」
真っ先に反応したのは二乃だった。
箸を置き、身を乗り出す。
「それ普通に危ないでしょ!?何してんのよ、アイツ!」
怒っているようでいて、その実、滲んでいるのは心配だ。
「しかも政樹君まで一緒って……」
小さく漏れたその一言に──
にやり。
一花の口元が上がる。
「おやおや~? 二乃さん、それ彼女の反応じゃない?」
「はあ!?ち、違うわよ!!」
言葉とは裏腹に、顔は真っ赤だった。
「ただ心配しただけ!」
「ふーん♪」
面白がる長女。
「……分かりやすい」
三玖がぼそり。
「言うな!!」
食卓に笑いが起きる。
その空気の中──
ぽつり。
「……でも」
三玖が、小さく言った。
箸の音が止まる。
「……かっこいい」
沈黙。
誰も、すぐには返せなかった。
一秒。
二秒。
「え?」
二乃。
「えっ?」
四葉。
「ええっ!?」
五月。
言った本人も、言ってから固まっていた。
「み、三玖が素直に褒めた……」
一花が珍獣でも見たような顔をしている。
「……ち、違う」
三玖が耳まで赤くなる。
「その……助けたことは、すごいって意味」
「ふーん」
一花がにやにやする。
「かっこいい、ねぇ?」
「……うるさい」
顔を逸らす三玖。
だが、その赤さは否定になっていなかった。
「ちょっと待ってください」
今度は五月が、ぴしゃりと口を開く。
「褒めるところではありません!」
優等生モードである。
「危険行為です。学生が犯人を取り押さえるなど──」
正論。
完全なる正論。
だが。
「……でも」
小さく続いた声は、少しだけ違っていた。
「……無事で、良かったです」
沈黙、再び。
今度は五月本人が固まる番だった。
「五月までぇぇぇ!?」
四葉が叫ぶ。
「え、えっと、それは、その……」
珍しく五月がしどろもどろになる。
「……はい、これ全員落ちかけてます」
一花が面白そうに総括する。
「誰がですか!?」
「え、違うの?」
「違います!!」
必死。
だが説得力がない。
四葉はそんな姉妹たちを見ながら、なぜか少し誇らしそうに胸を張っていた。
「やっぱり和樹さんすごいですよね!」
満面の笑み。
その無邪気さに、二乃がむっとする。
「……何その得意げな顔」
「え?」
「いや別に」
ちょっとした火花。
それを見て、一花は頬杖をつきながら思う。
(あー……これはもう始まってるなぁ)
完全に見えている人の顔だった。
その時。
ピロン……
四葉達のスマホが鳴る。
「あ、和樹さんからです!」
皆の視線が集まる。
『今日は二人とも手伝いありがと。三玖と五月、助かった』
短いメッセージ。
実はあの後も、文乃の教室の片付けを三玖と五月にお願いしている和樹。
というより、率先して二人が手伝うようになったと言った方が正しいかもしれない。
それには文乃も面白くない顔をするが、たまに三玖との戦国話で盛り上がると、ご機嫌になるのはまた別の話である。
「……」
三玖が少しだけ口元を緩める。
五月も、さっきまでの動揺を誤魔化すように咳払い。
二乃はなぜか不機嫌そうにむくれている。
「……返信しないの?」
一花が煽る。
「し、します!私は普通に返します」
「……私も」
すると四葉が、明るく笑って宣言した。
「じゃあ次、みんなでトレーニングしましょう!」
「はあ!?嫌よ!!」
「私は見学で……」
「……少し興味ある」
また、騒がしくなる。
けれどその喧騒の中、誰もまだ気づいていない。
同じ人の名前で、胸が少しだけ揺れることに。
それが何なのか──まだ、誰も知らない。
ただ。
名前を持たない感情だけが、静かに胸の奥で灯り始めていた。
今回は「それぞれの胸に、灯るもの」というタイトル通り、
五つ子それぞれの中に生まれ始めた小さな火種を書いてみました。
まだ恋とは呼べない。
でも確かに、昨日までと少し違う。
そんな“始まりの温度”を感じてもらえていたら嬉しいです。
もし「この子のここが良かった」「誰の変化が気になった」などあれば、感想で聞けると励みになります。
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