今回は、少しだけ静かな回です。
大きな出来事が起きるわけではありませんが、その分──それぞれの中で、確かに何かが動き始めています。
トレーニング、勉強会、そして夜。
同じ時間を過ごしながらも、それぞれが感じた“距離”や“想い”は、きっと少しずつ違っていて。
その小さな違いが、これからどう変わっていくのか。
そんな“始まりの一歩”として読んでいただけたら嬉しいです。
どうか、最後までお付き合いください。
騒がしくもあり、どこか心地よい疲労の残るトレーニングを終えた後は、いつもの勉強会の時間だ。
今日は清治が部活で不参加。
さらに五つ子も、一花と四葉が別件で来ていない。
人数が少ない分、少しだけ静かな空間になる──
……そう思っていた。
「和樹さん、ここ合ってますか?」
「うん、正解だ。すごいね、らいはちゃん」
「えへへへ♪」
その中心には、小さな笑顔があった。
週末ということと、勇也さんは仕事で不在。
そのため今日は、風太郎とらいはちゃんがうちに泊まりに来ている。
その流れで、この勉強会にもらいはちゃんが参加していた。
「ら、らいは?勉強ならお兄ちゃんが見てやるぞ」
遠慮がちに声をかける風太郎。
だが──
「やだ!今日は和樹さんに教えてもらうの!」
ぴしゃり。
一切の迷いのない即答だった。
「らいはぁ~~……」
ぷいっと顔を逸らされ、風太郎はその場で崩れ落ちる。
……哀れである。
そのまま涙目でクッキーを頬張る姿には、どこか哀愁すら漂っていた。
「和樹君。ここなのですが……」
「ああ、ここはね──」
気を取り直し、五月の質問に答える。
本来なら三玖と五月は風太郎に任せるつもりだった。
だが──
『こんなノーデリカシーの人に教えを乞うことなどありません』
五月の一言で、その案は即座に却下された。
結果、三玖のみが風太郎担当となったが──
「……」
社会の教科書を開いたまま、静かに読み進めるだけ。
質問はほぼゼロ。
つまり──
「……あいつ、ほぼ自習だな」
ぽつりと呟くと、風太郎がちらりとこちらを睨んできた。
まあ、自分の勉強もできる分、悪くはないだろう。
「二乃さん、政樹さん!先程から居眠りが多い様ですよ!」
「仕方ないじゃない……さっきまで動いてたんだから……」
一方、二乃と政樹のペアは完全にエネルギー切れだった。
机に突っ伏しかけながら、なんとか耐えている状態だ。
それを見て、聖奈が小さくため息をつく。
「仕方ない。そろそろ休憩にしよう」
「「ふへえぇぇ~~……」」
同時に崩れ落ちる二人。
その拍子に──距離が一気に縮まった。
「──っ!!」
政樹の顔が、至近距離に来たのだろう。
「み、みんなの飲み物用意するわね!」
二乃は顔を真っ赤にして立ち上がると、そのままキッチンへと逃げていった。
……分かりやすい。
「私も手伝います!」
「ありがと、らいはちゃん」
らいはちゃんが後を追う。
その時、二乃が見せた柔らかい笑みは──さっきまでとは別人のようだった。
「……あんな顔もするんだな」
思わず、呟く。
「そういやー、明日って花火大会だったすよね?」
「ああ……もうそんな時期か」
机に突っ伏したままの政樹が言う。
パシンッ。
「いってぇぇ~~……!」
「姿勢!」
聖奈の一撃で、空気が引き締まる。
「カ……カズキも行くの……?花火……」
「そうだな。去年も行ったし」
少し思い出す。
「あれが、五人での最初のイベントだったけ?」
「ですね。政樹さんと清治さんとの出会いも夏休みですし」
聖奈が静かに補足する。
「
「ええ。二乃が既に場所を取ってますので」
「場所取り?」
首を傾げるらいはちゃん。
そこへ、飲み物を持った二乃が戻ってきた。
「ふふん。ビルの屋上を貸し切ってるのよ」
誇らしげに言う。
「私たちにとって花火大会は特別だからね」
「特別?」
らいはちゃんの問いに──
一瞬だけ、空気が静まる。
「……お母さんとの思い出なの」
口を開いたのは三玖だった。
「毎年、一緒に見に行ってた。……いなくなってからも、ずっと」
穏やかな声。
だが、その奥には確かな重みがある。
「だから花火は……私たちにとって、そういうもの」
言い終え、三玖は小さく微笑む。
二乃と五月も、それに重なるように笑った。
……そういうことか。
深くは聞かない。
それが、今は正しい。
「なら、うちと同じだな」
軽く言う。
「聖奈も妙に花火好きでさ。ずっと二人で見てきたよ」
「へぇ……妙なところで被るのね」
「まあ、好きな人は多いですから」
何気ない会話。
だが──
同じ花火でも、見ているものはきっと違う。
そんな予感が、胸に残った。
「じゃあ、今年はみんなで行こうよ!」
らいはちゃんの一言。
やっぱり来たか。
「いいんじゃないかしら」
「大勢の方が楽しいだろ!」
「静かに見るのも風情ですが……」
それぞれの反応。
そして──
「俺は行かん!勉強だ!」
風太郎。
去年と同じ流れだ。
なら──
「お兄ちゃん、行かないの?」
うるうる。
「……分かった」
はい、今年も同じオチでした。
「では決まりですね」
「楽しみだな!」
だが。
「課題は終わらせてから、ですよね?」
絶対零度。
聖奈の一言で、全員が机に向き直った。
~四葉side~
「お疲れ様~、助かったよ」
「いえ!お役に立てたのなら何よりです!」
試合終了のホイッスルと共に、体育館には安堵の空気が広がった。
女バスの助っ人として出場していた四葉は、額の汗を拭いながら、いつものように満面の笑みを浮かべている。
(やったぁ~!勝てました~!)
心の中で小さくガッツポーズ。
(それに……前より動けてる気がする……!)
軽くジャンプしてみる。
身体がよく動く。
(やっぱり和樹さんとのトレーニングのおかげですね!)
最近取り入れている中国拳法の動きも、試合の中で自然と活きていた。
(あれ、すごく使えます……!後でちゃんとお礼言わないと!)
そんなことを考えながら帰り支度をしていると──
「中野さん、ちょっといいかな?」
部長に呼び止められた。
「はい!」
振り返る四葉。
少し真剣な空気。
「今後なんだけど……よかったら、うちの部に入らない?」
「……え?」
「正式に。掛け持ちでもいいからさ」
周囲の視線も、自然と集まる。
それもそのはずだ。
今日の四葉の動きは、それだけ目立っていた。
願ってもない話。
以前の学校なら、きっと迷わず受けていた。
──けれど。
「……ごめんなさい」
即答だった。
「私、部活には入れません」
頭を下げる。
「今の私には、大切な場所があるんです」
一瞬だけ、間を置いて──
「それに……必要としてくれてる人が、いますから」
顔を上げる。
その表情は、迷いのない笑顔だった。
部長は少し驚いたように目を丸くし、やがて苦笑する。
「そっか。……なら無理は言わないよ」
「すみません!」
「でも、気が変わったらいつでも来てね」
「はい!」
深く頭を下げる。
体育館を出た四葉の胸は、不思議と軽かった。
(……大切な場所。必要としてくれてる人)
その言葉の先に浮かぶのは──
姉妹の顔。
そして、風太郎。
……それだけじゃない。
(和樹さんも……かな)
胸の奥が、少しだけくすぐったくなる。
ぽん、と胸に手を当てる。
少しだけ、温かい。
「よーし!帰りましょう!」
いつもの調子で、四葉は駆け出した。
「さてと……」
勉強会が終わり、風太郎とらいはちゃんを家に招き入れてしばらく。
僕は再び外に出ていた。
「……昼の分、ちょっと足りないな」
軽く肩を回す。
二乃たち三人が参加したトレーニングは楽しかったが、その分、負荷としては物足りなかった。
まあ、あれはあれで意味あったけどね。
ストレッチをしながら、空を見上げる。
夜風が、少し涼しい。
「よし……走るか」
踏み出そうとした、その時だった。
キーッ……
目の前の道路に、一台の車がゆっくりと停車した。
「ん?」
特に珍しいことではない。
……はずだった。
「今日はありがとうございました」
車のドアが開き、降りてきた人物に、思わず目を細める。
「……一花?」
見慣れた制服姿ではない。
私服。
それもどこか“大人びた”雰囲気。
「今日も最高だったよ、一花ちゃん。また次もよろしくね」
運転席から声がかかる。
「はい。本日はありがとうございました」
丁寧に頭を下げる一花。
その仕草は、いつもの彼女とは少し違って見えた。
……仕事モード、か。
そんな印象を受ける。
「……え!?か、カズキ君!?」
振り返った一花が、こちらに気づいた。
「ん?知り合いかね?」
運転席の男が興味深そうにこちらを見る。
「えっと……同級生です!」
少し慌てた様子で答える一花。
「どうも。樋口和樹といいます」
軽く頭を下げる。
「これはご丁寧に。私はこういう者です」
差し出された名刺を受け取る。
「……織田芸能事務所。代表取締役社長……?」
思わず声に出る。
「あはは、小さな事務所だけどね」
穏やかな笑み。
鼻の下の髭が特徴的で小太りな温厚そうな男性。
だが、只者ではない空気は感じる。
「この子は将来有望なんだよ。未来の大女優、間違いなしだ」
「ちょ、ちょっと社長……!」
一花が顔を赤くして俯く。
「なるほど……」
確かに、さっきの雰囲気はそれだった。
「……そうだ」
ふと、社長がこちらを見る。
「君、芸能界に興味ないかね?」
「「え?」」
一花と声が重なる。
「いや、そういうのは……」
軽く笑って返す。
「僕なんかじゃ無理ですよ」
「そんなことないよ」
じっと見られる。
「かなり鍛えてるだろう?その体、活かさないのはもったいない」
見抜くか……
「モデルでもいい。一花ちゃんと並んだら映えると思うけどね」
ぐいっと身を乗り出してくる勢い。
「……今すぐ決めなくていい」
名刺を軽く叩く。
「興味があったら連絡してくれ。一花ちゃんに聞いてもいい」
「は、はい……」
「じゃあ、今度こそ行くよ」
車はゆっくりと走り去っていった。
静寂。
「で?」
ちらりと一花を見る。
「うぐっ……」
分かりやすく視線を逸らす。
「このこと、他の姉妹は?」
「……知らない」
小さく答える。
「バイトってことにしてるから」
「そうか」
一拍。
「なら、僕も言わないよ」
「……え?」
顔を上げる一花。
「聞かれたくなさそうな顔してるし」
少しだけ目を見て、そう言う。
「……」
沈黙。
そして──
「……助かるぅ~~……」
力が抜けたように、両手を合わせる一花。
「ありがと、カズキ君……」
「別に」
軽く肩をすくめる。
「で、もうすぐマンションだろ?送る必要はないな」
「うん、大丈夫」
少し落ち着いた顔。
「カズキ君はトレーニング?」
「ああ。ちょっと消化不良でね」
昼間のことを思い出す。
「そっか」
一花が柔らかく笑う。
その顔は──さっきの“女優”じゃない。
いつもの、一花だった。
「……」
少しだけ見てから。
「その顔、いいと思うよ」
「え?」
「さっきのもすごかったけどさ」
背を向ける。
「そっちの方が好きな人、多いんじゃない?」
言い切って、走り出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
背後から声がするが、振り返らない。
……言い過ぎたかもな。
夜風が、心地いい。
走りながら、ふと思う。
──花火大会。
──一花の秘密。
──四葉の選択。
いろいろ動き出している。
……面白くなってきたな。
足を強く踏み込む。
そのまま、夜の中へと駆け出した。
~中野家~
それぞれの部屋に灯りがともる頃。
昼間の喧騒とは打って変わって、家の中は静けさに包まれていた。
──なのに。
「……はぁ」
ベッドの上で仰向けになりながら、二乃は大きく息を吐いた。
(なんなのよ、今日……)
目を閉じると、自然と思い出される。
──あの距離。
合気道の“入身”。
ぶつかる寸前、すり抜けるように入り込んできた和樹の身体。
胸が触れたわけでもない。
なのに、あの瞬間──妙に近かった。
「……近すぎるのよ」
ぽつりと零す。
顔が少し熱い。
(別に、あいつだからってわけじゃないし)
そう言い聞かせるように寝返りを打つ。
「……でも」
言葉が、続かない。
(なんで……あんなに意識しちゃうのよ……)
答えは出ないまま、天井を見つめ続けた。
「……」
三玖は、自分の部屋の床に座り込んでいた。
手には、スマホ。
開いているのは──今日撮った写真。
芝生の上。
少しだけ、和樹と近くに映っている自分。
「……」
指で、そっと画面をなぞる。
(……隣にいた)
ただ、それだけ。
それだけのはずなのに──
「……温かかった」
ぽつり。
思い出すのは、“転換”の瞬間。
腕を引いたはずなのに、気づけば隣にいた。
距離が、変わっていた。
「……少し、ずらしただけで……」
小さく呟く。
「……近くに、いられるんだ」
自分でもよく分からない感情。
だけど、不思議と嫌じゃない。
むしろ──
「……もっと」
その先を言葉にした瞬間、何かが変わってしまう気がして──飲み込んだ。
三玖はそっとスマホを胸に抱きしめる。
まるで、逃がさないように。
五月は机に向かい、ノートを開いていた。
……が。
「……」
ペンが止まったまま、動かない。
(集中できません……)
原因は、分かっている。
今日の出来事。
──小手返し。
手を掴んだ瞬間。
軽く返された、あの動き。
そして──
「……手」
思わず、自分の手を見つめる。
(しっかりと……包まれていた感覚が……)
力ではない。
安心感。
支えられているような、あの感触。
「……いけません」
小さく首を振る。
(あれはあくまで技の一環であって──)
理屈では、分かっている。
けれど。
「……不思議です」
ぽつりと零れる。
「痛かったはずなのに……嫌ではありませんでした」
むしろ、安心していた。
それが、どうしてなのか。
答えは出ない。
「……これは一体……」
言葉にしようとして──やめた。
まだ、名前をつけるには早すぎる気がしたから。
同じ夜。
同じ家。
同じ出来事を思い出しているはずなのに──
揺れ方は、それぞれ違う。
けれど確かに。
今日という一日は、ほんの少しだけ、彼女たちの中の“何か”を変えていた。
まだ誰も気づかない。
その感情に、名前がつく日が来ることを。
ただ──
静かに。
確かに。
その火は、灯り始めていた。
──まだ、誰にも見えない場所で。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
今回のお話は、いわば“前夜”のような位置づけでした。
大きく関係が動いたわけではないのに、なぜか少しだけ心に残る──そんな回を目指しています。
二乃、三玖、五月、それぞれの感じ方。
四葉の選択。
一花のもう一つの顔。
そして、まだ誰も名前をつけていない想い。
どれも小さな変化ですが、確かに積み重なっています。
もしよければ、いいね・感想などいただけると、とても励みになります。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。