今回は「花火の夜、それぞれの装い」。
ついに当日、夕方から花火大会までの準備回となります。
浴衣という“特別な装い”の中で、
それぞれが誰を意識しているのか──
そんな小さな変化や距離感を、少しでも感じ取っていただけたら嬉しいです。
そして今回は、
男子側と女子側で温度差のある構成になっています。
同じ時間を過ごしていても、見えている景色は少し違う──
そんな対比も楽しんでいただければと思います。
静かな準備の時間。
けれど確実に、何かが動き始めている。
そんな“花火の前の一瞬”を、どうぞお楽しみください。
~樋口家・リビング~
次の日の昼。
「お……おおぉぉぉ……」
「お兄ちゃん、手汗でお札がしわしわになってるよ!?」
樋口家のリビングでは、今月分の家庭教師の給与が五月の手によって手渡されていた。
机の上に置かれた封筒。
そこから取り出された現金を前に、風太郎は完全に思考停止している。
「一日五千円を五人分。それが二回ですので……合計五万円になります」
落ち着いた声で五月が説明する。
「……これは、高校生が受け取っていい金額ではありませんね」
「いやマジでな……」
聖奈の冷静な一言に、風太郎は引きつった笑みしか返せない。
「父が決めた金額ですので、問題はありません」
淡々とした口調。
だが、その言葉とは裏腹に──
「……ところで、和樹君は?」
ふと、五月は視線を巡らせた。
そこにいるはずの人物が見当たらない。
ほんのわずかに、胸が落ち着かなくなる。
「兄さんなら、父さんと母さんに呼ばれて病院に行ってますよ」
「え!?どこか悪いところでも!?」
思わず声が上がる。
だが──
「ご心配なく。兄さんはすこぶる健康体です」
聖奈はあっさりと否定した。
「何か用事があるとかで……正直、面倒くさそうな顔して出ていきましたけど」
「……そうですか」
五月は小さく息を吐いた。
胸の奥にあったざわつきが、少しだけ収まる。
「よし!この調子でバリバリ家庭教師して、借金返していくぜ!」
「借金?」
ぽつりと落ちた言葉。
「あ……」
風太郎が固まる。
一瞬、空気が止まった。
「……」
沈黙。
だが──
「まあ、どの家庭にも事情はあるものです」
静かに口を開いたのは聖奈だった。
「深く詮索するのは無粋でしょう」
その言葉に、五月ははっとしたように頷く。
「……はい。失礼しました」
空気が、少しだけ和らいだ。
「ま、細かいことは気にすんな!金は力だ!」
風太郎が無理やり明るくまとめる。
場の空気はぎこちないながらも、徐々に元へ戻っていった。
──和樹がいない。
それだけで、どこか静かな空気になるのが不思議だった。
~総合病院・院長室前~
消毒液の匂いが静かに漂うフロア。
外来とは違う、張り詰めた空気。
人の気配は少なく、足音だけがやけに響く。
「……ここか」
視線の先。
──院長室。
軽く息を整え、僕は扉の前に立った。
コンコン。
「樋口和樹です」
「入りたまえ」
短く、低い声。
「失礼します」
扉を開けた瞬間──
空気が変わった。
広すぎず、狭すぎない室内。
整えられた机。無駄のない配置。
そして、その奥に座る男。
短い黒髪。鋭い視線。
白衣の下のスーツ姿に乱れはなく、隙がない。
……この人が。
中野マルオ。
五つ子の父親。
なるほど……
一目で分かる。
“仕事人間”だ。
感情を排し、必要なことだけを積み上げてきたタイプ。
「呼び立ててすまないね」
声は淡々としている。
だが、その奥にある圧は軽くない。
「いえ」
向かいの椅子に座る。
視線がぶつかる。
逸らす理由はない。
「単刀直入に聞こう」
前置きはない。
「娘たちの中間試験。赤点は回避できそうかい?」
……やはり、それか。
「正直に言います」
一拍置く。
「全員を全教科で赤点回避させるのは、現時点では現実的ではありません」
沈黙。
空気がわずかに張り詰める。
だが──
マルオの表情は一切動かない。
「……理由は」
「基礎が不足しています。それに対して時間が足りていません」
簡潔に答える。
「短期間で全体を底上げするには、リソースが不足しています」
無駄は省く。
必要な情報だけ。
「……では、不可能と言うことか」
試すような問い。
「いいえ」
即答する。
「一人一教科に絞るのであれば、赤点回避は可能です」
わずかに、空気が動く。
「……ほう」
マルオの目が細くなる。
「根拠は」
「個々の適性と現状の理解度です」
迷いなく続ける。
「得意分野の強化であれば、短期間でも結果が出せます」
一拍。
「全員合格ではなく、“落とさないライン”を確保する。それが現実的です」
沈黙。
今度は、圧ではない。
“見極め”の時間。
「……合理的だね」
短く、しかし確かな評価。
「では、その方針で進めたまえ」
判断は早い。
「承知しました」
頷く。
だが──
「……一つ聞く」
マルオが視線を外さずに言う。
「なぜ、そこまで関わる」
冷たい問い。
だが、それはただの疑問ではない。
“意図”を見ている。
「……理由ですか」
少しだけ考える。
そして──
「放っておけないからです」
それだけを答える。
「……」
沈黙。
だが、視線は逸れない。
「それと」
もう一つ。
「やると決めた以上、中途半端は性に合わないので」
言葉を置く。
飾らない。
取り繕わない。
「……なるほど」
小さく、息を吐くように。
「話は終わりだ。下がりたまえ」
「失礼します」
立ち上がる。
扉へ向かう。
その時──
「和樹君」
呼び止められる。
振り返る。
「期待している」
それだけ。
だが、十分だった。
「……応えます」
短く返す。
部屋を出る。
扉が閉まると同時に、張り詰めていた空気がほどけた。
「……初対面でこれは、なかなかだな」
小さく息を吐く。
でも……悪くない。
むしろ──
「やりやすいタイプだ」
ポケットに手を入れる。
「一人一教科、ね」
難易度は高い。
だが、不可能じゃない。
「面白くなってきたな」
小さく呟き、歩き出す。
その先に待つのは──
試される時間と、それぞれの想いだった。
~中野家・リビング~
夕方。
窓の外は、昼と夜の境目みたいな色をしていた。
オレンジがゆっくりと溶けて、夜に変わろうとしている。
その空気の中で――
「……どれにするか、まだ迷ってるの?」
呆れたように腕を組む二乃。
その視線の先には、浴衣を前にして固まっている三玖の姿があった。
「……うん」
小さく頷く。
手にしているのは、深い青の浴衣。
夜に溶けるような色。
「別にいいじゃない、それで。三玖っぽいわよ」
二乃はそう言いながら、自分の浴衣の帯を軽く締め直した。
黒。
迷いのない色。
強くて、揺るがない。
「……でも」
三玖は、ほんの少しだけ視線を落とす。
「……見える、かな」
ぽつりと。
「ちゃんと」
誰に、とは言わない。
けれど──
「見えるわよ」
即答だった。
「むしろ、そういうのが一番残るのよ」
視線を外したまま言う。
それが照れ隠しだと、三玖はなんとなく分かっていた。
「……ありがと」
小さく微笑む。
その様子を、少し離れた場所から一花が眺めていた。
(いいねぇ)
黄色の浴衣の袖を揺らしながら、くすっと笑う。
明るい色。
でも、その目は冷静だった。
(分かりやすくて助かる)
「ねえ、四葉はもう決まったの?」
「うん!」
元気な声。
くるっと一回転して見せたのは、鮮やかな緑の浴衣。
「これにした!」
「似合ってるじゃない」
二乃が即座に評価する。
「元気しかないけど」
「えへへ、それが取り柄だから!」
胸を張る四葉。
迷いのない笑顔。
……だけど。
その奥に、ほんの少しだけ。
(……変わった?)
一花は、ほんの一瞬だけ違和感を覚える。
(まあ、いいか)
すぐに思考を切り替える。
「五月ちゃんは?」
「私はこれにしました」
静かに答える五月。
赤。
はっきりとした色。
でも派手すぎない、整った印象。
「へえ、いいじゃない」
一花が頷く。
「似合うと思うよ」
「ありがとうございます」
少しだけ照れたように視線を逸らす五月。
「聖奈は?」
「私はこれで」
淡い紫。
落ち着いた色。
一歩引いた位置にいるような、そんな印象。
「……似合ってる」
三玖がぽつりと呟く。
「ありがとうございます」
短く返す。
変わらないトーン。
けれど、その目はちゃんと全員を見ていた。
「らいはちゃんはー?」
「これー!」
ぱっと掲げられたのはピンクの浴衣。
柔らかくて、可愛らしい色。
「かわいいー!」
四葉が即座に反応する。
「えへへ!」
嬉しそうに笑うらいは。
その空気に、場が少しだけ軽くなる。
──けれど。
「で?」
一花が、ゆっくりと口を開く。
「誰に一番見せたいの?」
静かに。
でも、確実に核心を突く言葉。
「は?」
「な、何それ」
「……」
反応はそれぞれ。
けれど──
否定は、誰もできない。
一花は、そんな空気を楽しむように目を細めた。
(さあ。始めようか)
夕焼けが、ゆっくりと夜に変わっていく。
同時刻。
うちのリビングにはいつもの男子四人で集まっていた。
「……で、何時集合だっけ?」
軽く肩を回しながら聞く。
「十八時半だ」
即答。
風太郎は参考書から目を離さない。
「遅れるなよ。時間は有限だ」
「分かってるって」
適当に返す。
その横で政樹がスマホを見ながら笑っていた。
「屋上貸し切りってマジかよ。金持ちやべえな」
「二乃さんだぞ」
苦笑しながら答える。
「やる時はやるタイプだ」
「楽しみだな!」
「お前はいつもそれだな」
清治が淡々と突っ込む。
「いやでもよ、浴衣だろ?」
「……まあね」
少しだけ間。
「……」
風太郎はページをめくる。
だが。
「人混みは効率が悪い」
そう言いながらも──
「はぐれるなよ」
ぽつりと付け加える。
「ま、頭の片隅には入れとくよ」
軽く笑って返す。
「お前が一番怪しい」
「失礼な」
いつものような風太郎と政樹の軽口の応酬。
いつも通り。
──のはずなのに。
どこか、少しだけ浮ついていた。
誰も言わないだけで。
~中野家・玄関前~
「よし、行こ!」
四葉が元気よく声を上げる。
並ぶ浴衣姿。
色が、夜に映える。
黒、青、緑、赤、黄色、淡紫、ピンク。
それぞれ違う。
それぞれ、想いがある。
「……」
三玖はそっと袖を握る。
(……大丈夫)
小さく息を吐く。
「行くわよ」
二乃が一歩踏み出す。
迷いのない足取り。
「……うん」
続く三玖。
その後ろで、一花が小さく笑う。
(さて。誰が一番、近づくかな)
誰にも見えない場所で、静かに火が灯る。
「楽しみだね!」
四葉が振り返る。
その笑顔は、いつも通り。
でも──
ほんの少しだけ、違って見えた。
夕暮れが終わる。
夜が始まる。
花火の前の、最後の静けさ。
その中でそれぞれの想いが、確かに動き始めていた。
「やっぱ人多いっすねぇ」
確かに、人の波は想像以上だった。
この人数だ、少し気を抜けば簡単にはぐれる。
流石は花火大会。大勢の人で賑わっていた。
「こちらがしっかり見ておかねばならんな」
帽子に度がない眼鏡で変装している清治。
そのままの状態では、どこでファンクラブの子達に捕まるか分かったもんじゃないしな。
「はぁ…」
そんな中いまだにどんよりとした空気を醸し出している者がいた。勿論、風太郎である。
「なんですか、その祭に相応しくない顔は」
「仕方ないだろ──て、誰だ」
風太郎に声をかけたのは五月。
両手は既にイカ焼きとフランクフルトで塞がっており、どう見ても花火より屋台を先に攻略している。
風太郎が五つ子の判別がつかないのは、五月が後ろ髪をお団子の様に纏めていて判別が出来ないからだろう。
……いや、それは流石にないだろ。
「五月です!」
ほら怒らせた。
「流石にあり得ませんよ、風太郎さん」
冷徹な声で風太郎を注意する聖奈。
「仕方ないだろ。ただでさえ同じ顔が五つもあるんだ!髪型を変えられては判別がつかん!」
「はぁぁ…五月、今日のお団子ヘア可愛いね。そういうスタイルもいいんじゃない」
「あ…ありがとうございます…」
一応風太郎のフォローのつもりで本音で話すと、照れ隠しの顔が返ってきた。
「あれが女性に対する正しい行動です。勉強になりましたか?」
「……その、なんだ。悪くない」
風太郎がぼそっと言う。
「え?」
聖奈が一瞬だけ目を見開く。
「淡い紫……似合ってる」
言い終えた瞬間、風太郎は視線を逸らした。
「……ありがとうございます」
小さく微笑む聖奈。
「おいおい、風太郎やるじゃねえか!」
政樹がニヤニヤしながら肩を叩く。
「俺も思ってたっすよ?
「……確かに」
清治も静かに頷く。
「色合いと雰囲気が一致している。良い選択だ」
「うるさい」
風太郎が顔をしかめる。
──そのやり取りを見て。
「……」
僕は一歩引いた位置で、全員を見渡していた。
黒、青、緑、赤、黄色、淡紫、ピンク。
それぞれ違う。
それぞれ、ちゃんと似合っている。
「……いいな」
ぽつりと呟く。
「全員、似合ってる」
その一言で──
空気が、止まった。
「は?」
「……」
「え?」
反応はバラバラ。
「な、何よいきなり!」
二乃が顔を赤くして視線を逸らす。
「……ありがと」
三玖は小さく呟き、袖をぎゅっと握る。
「えへへ!ほんとですか!?」
四葉は嬉しそうに笑うが、少しだけ頬が赤い。
「……」
一花は一瞬だけ、動きを止めた。
「ふーん?カズキ君って、そういうこと平気で言うタイプなんだ?」
いつもの調子で笑う。
けれど──
「……顔、赤いぞ」
さらっと言う。
「え」
一花の動きが止まる。
「……気のせいじゃない?」
「いや、普通に分かる」
「ちょっと!」
珍しく声を荒げる一花。
その頬は、確かに少しだけ赤かった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回は「準備回」という位置付けではありますが、
それぞれの想いや距離が少しずつ動き始めた回でもあります。
特に浴衣のシーンでは、
見た目だけでなく“誰に見せたいのか”という部分を意識して書いてみました。
キャラごとの反応や違い、楽しんでいただけていたら嬉しいです。
そして最後の合流シーン。
男子側の“いつも通り”と、
女子側の“少しだけ特別な空気”が重なる瞬間は、
個人的にもお気に入りの場面です。
次回はいよいよ花火本番。
それぞれの想いが、もう一歩踏み込む予定です。
もし少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、
お気に入りや感想をいただけると、とても励みになります。
それでは、また次回もよろしくお願いします。