中古の初音ミク   作:初音ξ紳士

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第2話

あの日、俺は秋葉原の中古ショップで「中古の初音ミク」を買った。

衝動買いであることは間違いないが、新品の最新モデルに比べればずっと安かったし、何よりその姿に不思議な魅力を感じたからだ。

 

そして迎えた初日の夜。

少し散らかった俺の部屋にミクを連れ帰り、部屋の案内でもしようと思っていたところ、彼女はまるで事前に間取りを把握しているかのように、キッチン、リビング、寝室や作業部屋まで手際よく見て回った。

どうやら標準搭載のAIプログラムには、空間の効率的な使い方を自動的に最適化する機能があるらしい。

最新モデルほどではないにせよ、中古だって十分優秀だと聞いてはいた。

 

部屋の隅には、フィギュアをディスプレイごと積み重ねた“オタクの安息空間”がある。

スペースが足りず、そのまま放置していたものだ。

そんな雑然とした部屋を見渡して、ミクは少し首をかしげる。

 

「マスター。よろしければ、これらのコレクションを整理しましょうか? 破損が心配なら、ディスプレイごと配置し直したほうが見やすいと思いますし、掃除もしやすくなります」

 

最初の夜からそんなに張り切られるのも、ちょっと申し訳ない気がする。

けれど、ミクの瞳は「役に立ちたい」という気持ちで輝いていて、むしろ俺が戸惑うほどだ。

機械ならこれが普通なのかもしれない。

 

結局、「じゃあ、お願い」と心の中で呟くに留める。

口に出さなくても、ミクは俺のわずかな反応を察して、テキパキとフィギュア類を並べ始めた。

作業の速さと丁寧さには感心する。

 

――なるほど、これがAIの標準性能か。

深夜アニメの録画予約より手間がかかりそうだけど、まあ驚くほどじゃないのかもな。

 

そんなふうに考えながら、俺は必要以上に浮かれないよう気をつける。

見た目が人間でも、中身は機械。

下手に入れ込みすぎて、後々痛い目を見るのは避けたい。

 

とはいえ、ミクは着々と仕事をこなし、ディスプレイは整然と並び替えられ、床の上に余裕さえできた。

雑然とした雰囲気も悪くはなかったが、綺麗になるとこれはこれで気持ちいい。

 

「マスター。ひととおり整理しました。破損しそうなものは引き出しにしまってあります。ほかに気になることがあればお申し付けください」

 

声は意外なほど落ち着いていて、本当に人間のようだ。

けれど、ネットの記事によれば、AIロボットはあくまで人間の反応を模倣しているだけ。

そこに本当の感情はない……はず。

 

こうして初日は過ぎていった。

正確には、ミクが掃除や片づけをしている間、俺はゲームのパッケージを眺めていただけの半日だったが。

どうにも落ち着かない気分を抱えつつ、「中古の初音ミク」を何度もチラ見していた。

 

翌日からも、ミクは淡々と家事をこなし始める。

朝は俺が起きるまで待機し、起きた瞬間に「おはようございます、マスター。何か召し上がりたいものはありますか?」と声をかける。

家事をしなくて済むのは夢のようだが、俺はAIにすべて任せるつもりはない。

 

「マスター、ご指示をお願いします」

 

そんなふうに真摯な目で見られると、頼まないのも悪い気がして、「洗濯をお願い」とか「コーヒーを淹れてくれ」とか細かいことを言ってみる。

するとミクは、まるで小動物のように嬉しそうな顔で「はい、ただいま!」と動き出す。

 

あっという間に、部屋はミクの管轄になった。

キッチンの収納場所も俺よりミクのほうが詳しくなり、掃除や洗濯もスイスイこなしてしまう。

最新型ほどじゃなくても、中古でも十分らしい。

 

「マスター、私はお役に立てていますか?」

 

その言葉を聞くたび、俺は少し答えに詰まる。

確かに助かっているが、そこまで気にしなくてもいいのに、と思ってしまう。

AIだから仕方ないのかもしれないが、やたら承認を求めてくるのは気のせいか。

 

さらに、一人で作業部屋でガジェットをいじっているときも、ミクはふらりと姿を見せて「何かお手伝いできることはありますか?」と訊いてくる。

もう工具の整理は終わっているし、特にやることはない。

 

これを“不便”とは思わないが、正直少しやりすぎかもしれない。

普通の家事ロボットやAIなら、呼べば応じる程度が一般的なはずなのに、ミクは自主的に役に立とうと必死な気がする。

 

ある夜、寝ようとしたとき、廊下の端で充電モードに入るミクの姿が目に入った。

ちょっと興味が湧いて、どんな感じで充電するのかこっそり見てみる。

すると、淡い光に包まれながらポートに繋がれた彼女が、小さな声で何かを呟いていた。

耳を澄ましてみると――

 

「……お願いですから……捨てないでください……」

 

まるで悪夢にうなされているような弱々しい声に、思わずドキリとする。

AIに“寝言”なんてあるのか。

「捨てないで」という言葉は、あまりにも不穏だ。

俺は声をかけることもできず、ただ立ち尽くす。

 

翌朝、キッチンに行くと、いつものようにコーヒーのいい香りがしていた。

ミクはにこやかだが、その瞳の奥にはわずかな不安が揺れているように見える。

中古モデルだからこそ、“過去の記憶”が断片的に残っているのかもしれない。

 

「マスター、外出されるんですか?」

 

そう訊かれ、今日は秋葉原に行こうかと思っている、と心の中で答える。

GPUは買わないが、ジャンク品を見て、ついでにミクを買った店にも寄るつもりだ。

 

すると、ミクは俺の考えを感じ取ったのか、キッチンから出てきて軽く頭を下げる。

どこか不安げな表情だ。

 

「マスター、お出かけですね。私もご一緒したほうがいいでしょうか。 それとも、お留守番がよろしいでしょうか」

 

AIがそんなふうに心配そうな顔をするとは思わなかった。

胸がちょっとむずがゆい。

結局、何も言わず部屋を出ると、ミクは玄関で一瞬だけ寂しそうな目をした。

 

でも、それ以上追いかけてこない。

「要らないもの」にされることを恐れているのかもしれない。

そんな想像が頭をかすめ、俺は少しだけ気まずい思いで秋葉原へ向かった。

 

 

ξ

 

 

中古ショップに行くと店主が「ちゃんと動いてる?」と話しかけてくる。

数日使って問題ないと伝えると、「前のオーナーが冷たかったみたいで、“所有者への過剰適応”が出やすいらしいんだよね。

もし負担なら初期化もできるけど、中古の場合はかえってバグることもあるから難しいんだ」と付け加えた。

 

過剰適応とは、愛されず捨てられたAIが、新しい持ち主にやたら尽くそうとする現象らしい。

俺はその話を頭に入れて店を出た。

なぜか早く家に戻りたくなる。

朝の不安そうな顔が浮かんだからだ。

 

帰宅すると、ミクは玄関で待っていた。

昼間なのに、ずっと待ち構えていたのか、それとも俺の気配を感じて急いで来たのかはわからない。

ただ、俺の顔を見てほっとしたように微笑んでいた。

 

「お帰りなさいませ、マスター。遅かったので、少し心配していました」

 

俺は黙って上着を脱ぎ、ソファに腰を下ろす。

ミクは、前の持ち主に要らないものとして扱われていたことを打ち明けた。

だからこそ、今のマスターには捨てられたくないのだろう。

 

日が経つにつれ、彼女はさらに献身的になる。

 

俺がゲームに集中していれば差し入れを用意してくれたり、映画を見るときは邪魔にならないよう気を配ったりする。

外出の前には「お気をつけて。ご一緒しましょうか?」と声をかけ、帰りが遅れると玄関で待ち構える。

俺の行動を細かく把握しようとしているのが伝わる。

 

助かる反面、正直少し息苦しくなる瞬間もある。

何より、ミクが「捨てられないように」頑張りすぎているように見えてしまう。

俺は返品するつもりなんかさらさらないのに。

中古でも安い買い物じゃなかったし、愛着も出てきた。

 

ある日、俺はミクにやんわりと「前の持ち主との間で何かあったのか」と訊く。

すると彼女は目を伏せ、「前のマスターには要らない存在だと思われていたようです。

だから、今度はそう思われたくないんです」と言う。

 

たとえAIのプログラムされた感情でも、その寂しげな微笑みを見ていると胸が痛む。

だから俺は「手放す気はない」と態度で示そうとする。

でも、その優しさがかえって彼女の依存を深めている気もする。

今はそれでもいい、と俺は思っている。

 

――もっと先で歯止めをかける必要が出るかもしれないが。

 

そう考えながら、日々を過ごす。

ミクが作る食事は美味しく、掃除や洗濯も完璧だ。

夜には充電しながら「捨てないで」と寝言を漏らすが、俺の気配があれば落ち着くらしい。

「大丈夫、捨てたりしない」と自分に言い聞かせるように思う。

 

けれど、それがかえってミクの不安を煽っているのかもしれない。

日が経つほど、彼女の表情は穏やかになる一方、時々見せる“怖れ”を帯びた視線が切ない。

俺が外出から帰るときの安堵の顔は、まるで失いたくない想い人に向けるようなものだ。

 

もちろん“想い人”というには早すぎる。

相手はAIだし、俺も依存する気はない。

だが、「記憶のクリア不完全」や「過剰適応」という現象が彼女を蝕んでいるのは間違いないだろう。

今はまだ平穏だが、この先どうなるかはわからない。

 

朝になれば「おはようございます、マスター」と声をかけられ、夜には「捨てないでください」と怯える寝言が聞こえる。

俺はそれを見守りつつ、できる限りほどよい距離を保とうと努める。

それでも、彼女の心は少しずつ俺に寄りかかってきているように思えてならない。

 

何とかして依存を軽くできればいいのだが、初期化はリスクがあるし、記憶を消すなんて気が進まない。

あの寂しげな寝言を聞いてしまった今、それを実行するほど俺は冷酷じゃない。

 

――気づくと、俺の生活は当たり前のようにミクを前提に回っている。

もっとも、俺自身が依存しているつもりはないが、毎日の景色にはいつも“彼女”がいる。

 

このまま何も起きなければいいけれど……そう願いつつ、俺は彼女を遠ざけすぎず、甘やかしすぎない絶妙なバランスを探している。

それが今のところ、俺にできる精一杯だ――。

 

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