導星の錬金術師 作:星見錬
総合評価がとうとう1000を超えてひっくり返っています。
お気に入りの数もしおりの数もえらいこっちゃ……(戦慄)。
こうして多くのご期待を寄せていただいている中で大変申し訳ないのですが、今回は諸事情により一話のみの投稿となります。
ご了承ください。
これからも『導星の錬金術師』をよろしくお願いします。
うつらうつらと舟を漕ぐ。
食わずとも、寝ずとも死なぬ身ではあるが、それでも人間としての欲求には抗えない。
まず集中力が途切れ、次に視界が霞み、そのうち気が遠くなって──
ボウ、と炎が燃え上がる音で目を覚ました。
「ん……」
目を擦って見ると、小さなテーブルの上でカンテラが灯っていた。
炎に照らされ、部屋の様子が浮かび上がる。
切り出された石で造られた壁と床。床に積まれた書物。古典的な蒸留器。
独特な装飾が施された脚を持つテーブルと、その上にあるフラスコや試薬の数々。
そこは、いつかの──クセルクセスの時の研究室だった。
しかし、未だ眠気に囚われた頭が疑問に思うことはない。
ただ、僅かな違和感とそれ以上の郷愁を覚えただけ。
「おっと」
いつの間にか手に持っていた書物を落としかけて、咄嗟に持ち直す。
どうやら己は、研究書を読むうちに居眠りしていたらしい。
これ以上は無理をしたところで効率が落ちるだけだろう。故に寝床へと行こうとして──
『ようやく目が覚めたようだね、ホーエンハイム』
その声で意識を覚醒させた。
老若男女の判別すら付かぬ、どこか不気味な──されど懐かしい声。
声の主はテーブルの上。一つずつある目と口が、それぞれ三日月のような弧を描いている。
「な、おまえ……ッ!!」
椅子から立ち上がり、憎々しげに『そいつ』を睨みつけた。
だが、己の憎悪すら愉悦と言わんばかりに、フラスコの中のそいつは笑みを深めるばかりだ。
『そう睨むなよ、久方ぶりの再会だと言うのに』
「あれだけのことをしておいて、よくもそんな……!」
『クセルクセスを滅ぼしたことか? あれは仕方のないことだった』
悪びれもせず、言葉を重ねる。
『それに、あの耄碌した王の元では遅かれ早かれ国は滅んでいただろうさ。
そうなる前に、
君だってその恩恵に与れている。だと言うのに、何故そこまで怒る必要があるんだ?』
改めて、眼前の存在が不条理な……人間とは全く違う価値観を持つモノであると認識する。
己が血を分けた家族であり、友であり、相棒であり、──決定的に相容れないモノ。
そいつが元の姿で──即ち、その名の通りフラスコの中にいる状態で、己と向かい合っていた。
『それにしても……私が与えた知識で奴隷を脱した君が、よりにもよって私の同存在の師匠になるなんてね。随分と皮肉めいているじゃないか』
「おい、おまえと彼女を一緒にするな。あの子は──」
『
単純に、フラスコの形が違うだけなのだと』
反論に被せる形でそう言われ、言葉に詰まる。……その発言が、的を射ていたから。
彼女は明らかに、
その存在を知っているのは、クセルクセスの高官や王、そして生き残った己だけだろう。
現代のアメストリスに生きる彼女が知っているはずがない。
──それこそ、彼女もまた
己の煩悶する姿を嘲笑うように、
『その様子だと、あれに相当入れ込んでるらしい。正直に言うと驚きだよ。
私に一度裏切られたくせに、よくもまあ信用できるね? いや、それとも──』
曖昧だった輪郭がフラスコを侵食し、ぐにゃりと形を変えていく。
細く、しなやかに、可憐に──とびきりおぞましい感触を伴って。
変形が終わり、黒一色から色を変えた
「──私もこのような姿を取れば、君に邪険にされることもなかったのかな?」
そこにいたのは、弟子の姿をした
外見こそ彼女そのものだが、浮かべる嘲笑は彼女がするはずもない表情だ。
フラスコが置いてあった机の上で足を組み、こちらを見透かすように目を覗かれる。
「君もまた、他者の美貌に靡くような男だった……なんて、単純な話ではないだろう?
その程度の欲で君が目を曇らせるはずがない。……ならば何故、君はあれを信じられるのか?」
「……何が言いたい」
「分かっているはずだ。己の本心を誤魔化すのは良くない。
君があれを側に置く理由など、ただひとつ」
「──いつでも殺せるから、だろう?」
「……っ! バカなことを言うな!!」
弟子の姿でありもしないことを嘯く
胸倉を掴みかかる勢いで身を乗り出し、こちらを見下すそいつと対峙する。
「俺はそんなつもりで、彼女を受け入れたわけじゃない!!」
「図星を突かれた人間は総じて激高するものだよ。『語るに落ちる』とはこのことかな?
──君は、本当にそう自信を持って言えるのかい? ヴァン・ホーエンハイム」
彼女の姿で、彼女がしない嘲りの表情のまま、そいつは続けてまくし立てる。
「見るがいい、この細い体を。脅威など感じようもない、あまりにも華奢な体躯を!
君の力があれば、こんな細い首など一瞬で折ってしまえるだろうね。
腕を奪って錬金術を封じることも、足を奪って移動を封じるのも容易いはずだ。
この体では、どう足掻いても君に敵うはずがない。……それで、安心してしまったんだろう?」
「違う、俺は……」
「違わないさ。いい加減認めたらどうだ? ……なに、そう恥じることはない。
弱者を見下し、警戒しないのは生物として当然の本能だ。それに……よく考えてみろ。
もしもあれが──」
再び
今度は己の似姿──あの日見た姿だ。王の装束を身にまとい、そいつは不遜に微笑む。
「こんな姿をしていれば、君は未だに警戒を解かなかったはずだ。
むしろ、どう排除するか頭を悩ませていたんじゃないかね?」
そして、呆然と見ているだけの己をせせら笑った。それこそ、無力な人間を嗤う神の如く。
「今も、ずっと考えているんだろう?
クセルクセスが滅亡する前に、私のフラスコを叩き割ってしまうべきだったと。
──ああ、そうさ! その通り!」
笑みは歪み、追及は激しさを増していく。
「私のことを何も疑わず、無防備に信じた結果こそがその体だ──奴隷23号!
あの日祖国が滅びたのも、永遠の命に苦しむ羽目になったのも、全部自業自得なんだよ!!」
「やめろ……それ以上言うな……」
「人ではないあれがこの先、君を裏切らない証拠はあるか? ずっと人間の味方でいる保証は?
……ほら、ないだろう? だからこそ君は、こう思っているんだ」
「俺は、俺はただ……」
「『次こそは、手遅れになる前に殺してしまおう』と!」
研究室に
天使のような姿とは正反対の、悪魔の如き嘲笑が己を苛む。
──ああ、もしも。眼前の細首をこの手でへし折ってしまえたのなら。
あの声は、止むのだろうか?
震える手が伸びる。
この首をそのまま折ってしまうのならば、別に構わない。
それこそが、ヴァン・ホーエンハイムという男の弱さの証明となるのだから。
「……きっと、そう考えているんだろうな。おまえは」
「何?」
嘲笑から一転、怪訝な顔をする
俯いていた顔を上げ、どこからともなく現れた眼鏡をかけた。
服装はクセルクセスの伝統的な衣装から、現在の物へ。
かつて奴隷23号だった男は、リゼンブールのヴァン・ホーエンハイムとして背筋を伸ばす。
「やっぱり、おまえと彼女は違うよ。生まれた年代が、じゃない。生み出した術師が、でもない。
在り方が……視点の根底にある物が違う。だからこそ、俺はあの子を信じられる」
「根底にある物、だと?」
「ああ。おまえの根底が人間に対する軽蔑と嘲笑なら、彼女のそれは人間に対する信頼と愛情だ。
彼女はずっと、俺達人間を信じ、愛している。──そんな彼女が、人間を裏切るはずがない」
「……流石に呆れたぞ、ホーエンハイム。何が『愛』だ、馬鹿馬鹿しい。
人知を遥かに凌ぐ知識を持つ
れっきとした証拠があるなら話は別だが、そんなものあるはずが──」
「あるとも」
「なっ!?」
初めて
「信じられない」「そんなはずがない」と、その瞳がありありと語っている。
だから、こちらから教えてやることにした。
「おまえは、命の重さを感じたことがあるか? 賢者の石のような魂のエネルギーじゃない。
ただ、純真無垢な赤ん坊を抱いて──その温もりに、涙したことはあるか?」
「……くだらんな。赤子も老人も、皆等しく一人分のエネルギーしか持たぬ存在だろう。
それならば等価だ。命の重さなどあるはずがない」
「ほら、そういうところが違うんだよ」
思わず笑うと、
「あの子は違う。あの子は泣いたんだよ。小さな俺の息子を抱きしめて泣いた。
……あの涙の意味が、愛じゃないはずがない」
今も、鮮明に思い浮かべることができる。
それは彼女と出会ってすぐのこと。妻と息子との邂逅を、こっそり覗いていた時のことだ。
彼女が少しでも不審な行動を取ろうとしたら、即座に家族を守るために動くつもりでいた。
……そして、その涙を見た。
何がきっかけだったのかは分からない。彼女が息子に、何を見出したのかも分からない。
だが、それでもあの涙の意味だけは分かった。
何故なら、かつて己も同じ涙を流したことがあったからだ。
目の前の小さな命に対する愛しさ。初めて命の重みを、温もりを知った衝撃。
──
きっとそれは、己と彼女にしか共有できないものだ。だから信じられる。
「信じるに値する」と、断言できるのだ。
「……仮にも錬金術師だろう、君。もう少しまともな理屈はないのか?」
「理屈じゃないんだよ、こういうのは。……おまえから見たら、バカバカしいかもしれないけど。
そういった感情にこそ、価値を見出すものなんだよ。──俺達、人間は」
あえて、昔に語らった時と似た言葉を返せば、
呆れ果てたような、軽蔑するような、非論理的結論に憤怒するような──
あるいは。ひどく眩しいものを見たような。
「……全く、これだから人間は」
小さく息を吐いて、
「やはり私には、君達のことが理解できないよ」
「それはお互い様だ。俺もまだ、おまえを理解できてない。
せめて……もっとまともな形で腹を割って話さなきゃ、相互理解なんかできるはずがない」
ぽかん、と
眉間の皺も、嘲笑も何もない。ただ、意外なことを言われたから驚いただけらしい。
「……ふ、ははははははは! それは流石に無理な相談だよ。
私達はどう足掻いても、最終的には敵対する定めだろう。腹を割って話すなど」
「……だとしても、昔みたいに話したいと思ってるよ。俺は」
「『馬鹿は死んでも治らない』とはよく言ったものだね。……やめておけ。
「その口振り、やっぱりここは──」
「何だ、最初から気付いていたはずだろう? そうとも、ここは夢の中。
君が記憶の破片と彼女への罪悪感で作り上げた、泡沫の世界に過ぎないさ。
──さあ、目覚めの時だ。ヴァン・ホーエンハイム」
その星を指差し、そいつは穏やかに微笑む。
「振り返らず、真っ直ぐにあの星を目指すといい。君が、
「ああ。分かったよ」
別れの言葉も告げずに歩き出す。夢の世界なら、頭上にある星へも歩いて行けるから。
あの
起きればすぐに消え去る幻影。これ以上話したところで、それは自問自答にしかならない。
だから振り返らない。最早そこには何もない。後はただ、星の元に辿り着いて目覚めるだけ──
「私を信じてくれて、ありがとうございます」
「……────!!」
聞こえるはずのない声が、背後から聞こえた。
いや、それは先程まで聞いていた声と同一だ。だが、
「どうか、その気持ちをお忘れなく」
優しい声だった。尊敬の念がこもった声だった。──とても、聞き馴染みのある声だった。
「私は絶対に、この世界を裏切らないから」
「……そうか。なら、安心だ」
自然と笑みが零れる。後ろ髪を引かれながら、それでも最後まで振り返らなかった。
それこそが、彼女に示せる最大の敬意だと感じたから。
だから、だろうか。
星に触れる刹那、彼女が満足そうに笑っているのが見えた気がした。
「む……」
微睡から目覚める。どうやら研究に没頭した結果、そのまま書斎で寝落ちしていたらしい。
体を起こすと、肩から毛布が滑り落ちた。……おそらく、妻の気遣いだろう。
毛布を拾い上げ、畳んでテーブルの上に置く。そして、
「……ああ。だから、あんな夢を見たのかもしれないな」
それは地図。アメストリス国土に、とある錬成陣を重ねたもの。
その手段を知っている。何故なら、己が祖国を滅ぼしたものなのだから。
故に、阻むことができるのも己しかいないのだろう。
その手段、神をも恐れぬ禁忌の名こそ、
国土錬成陣。
──旅立ちの時は、近い。