導星の錬金術師 作:星見錬
それでも待っていてくださった読者の皆様に、心から感謝します。
話は変わりますが、総合評価3000突破&お気に入り登録数2000突破しました!
本当に、本当にありがとうございます!!
いただいた評価や感想は、全てが執筆の糧になっています。
どうか、これからよろしくお願いします。
──数時間前
クリスとの話し合いが決裂してから、私はずっとリビングで一人項垂れていた。
……私は、眠ることができない。目を閉じても意識は途切れず、夢を見ることもない。
それがこんなにも辛いものだったのだと、ようやく本当の意味で理解できた。
何せ、普通の人間のように寝て忘れることも、気分を切り替えることさえできないのだ。
そのせいで持ち前のマイナス思考に責め立てられ、気はどんどん滅入るばかり。
意味のない「たられば」が浮かんでは消えていく。
更に、「羅針協会に行くか行かないか」という大きな決断にも迫られている。
せっかく
ああもう、悩みに対する脳のキャパシティが足りなさすぎる!
『禍福は糾える縄の如し』じゃなかったのか? 想定外の事態がいっぺんに来るんじゃないよ。
「はあ……」
何度目かも分からない大きなため息を吐く。すると、窓から強い光が少しずつ差し込んできた。
外を見ると、地平線から太陽が顔を出そうとしている。……ああ、朝になっちゃったのか。
いつもなら清々しく感じるはずの朝日も、今の私には時間切れの合図にしか見えなかった。
眩しさに目を細めつつ、固まった体をほぐすために背筋を伸ばす。
気分は未だに沈み切ったまま。……でも、そろそろ動かないと。
「朝ご飯は……一応、作っとくか」
気分と連動して重たくなってしまった体を引きずって、キッチンに立つ。
いつものように、黙々と二人分の朝食を作る。……時間は少し早いけど。
だからか、朝食が完成してもクリスが二階から降りてくることはなかった。
「……寝てるだけなら、良いんだけど」
あんなことがあれば、私と顔を合わせたくないと思ってもおかしくないだろう。
仕方なく、一人で朝食を食べる。──いつもと同じ味のはずなのに、美味しくない。
ただの栄養補給と割り切って、淡々と皿の上の食べ物を平らげる。
その後はいつものモーニングルーティン。
食器を片付けて、身支度を整えて……緩みのない髪型と包帯はそのまま。
寝たふりをしなかったおかげで、この二か所を整えなくても良いのは不幸中の幸いだった。
もう一度確認のために髪を触る。緩みなし。大きな房のような、結び目付近のたゆみも健在だ。
「……なんだ、そういうことだったのか」
ふと、今更になってクリスの優しさに気付く。
いつも彼女が結ってくれた二つ結びはちょうど──たゆみの部分が首元を隠す位置にある。
おそらくは、万が一包帯が解けた時に首の後ろを見られないようにするため。
そう言えば、目覚めてから数日経った頃に、髪型のことで彼女を困らせたことがあったっけ。
「長すぎて動きづらいから、せめてまとめるか切りたい」って言っちゃったんだよな。
あの時のクリス、相当悩んでたよなあ……。悪いことをした。
そしてその結果が、今の私の髪型だった……と。
「……ごめんね」
届かない謝罪の言葉と一緒に、心に罪悪感の棘が刺さる。
……もしも、このまま進むのなら。彼女の願いはどうやっても叶えられない。
私は私の目的のために、リゼンブールに留まり続けることはできないのだから。
ああ、でも。だけど。それでも──本当に、このままで良いのか?
今まで私を助け、支えてくれたクリスへの恩返しと、
この二つは、本当に両立できないことなんだろうか?
答えは、エルリック家の前に辿り着く時になっても出なかった。
春先の朝の、少し冷え込んだ空気を吸う。少しだけ鼻がツンと痛んだ。
普段なら軽やかに登れたはずの緩やかな上り坂も、今は一歩一歩が重い。
いつの間にか背筋が丸まり、歩幅も自然と小さくなっていく。
そのせいでまた足取りが重くなり、つい立ち止まりそうになる。負の循環だ。
本音を言えば、ずっと部屋に引きこもっていたい。
……ほんと、どんな顔して
しかし、返事を先延ばしにしても良いことなんか一つもないわけで。
相談も兼ねて、しっかり話し合うべきだろう。
そう思って家を出たのはいいものの、少し早すぎたかもしれない。
具体的に言うと、いつもより三時間は早い。……こんな時間に来たら迷惑かな?
でも、今更家に戻るのもなあ……。
悩みながら足を動かして、どうにかこうにかエルリック家の前に到着すると、
「……あれ、
その顔はどこか清々しく、決意に満ち溢れているように見える。
金髪が朝日を反射して輝き、同じ色をした瞳は、眼鏡越しに遠くを見つめていた。
背筋をピンと伸ばし堂々と立つ姿は、今の私と正反対で……少し、眩しすぎる。
思わず目を細めると、こちらに気付いた
「──ステラか。おはよう、今日は随分と早いな」
「はい。……すみません、こんな早くに」
軽く頭を下げる。どうにか笑顔を作ろうとしたものの、上手く笑うことはできなかった。
「……何か、あったのか?」
ああ、心配をかけてしまった。申し訳なさで更に頭が下がる。
「外は冷えるから、書斎で話そうか。俺は飲み物を用意するから、先に行っていなさい。
……ココアでいいかな?」
「あ、はい……いえ! 自分の分は自分で用意します。
「なに、遠慮することはないさ。少しは師匠として、頼りがいのあるところを見せないとな」
どこか茶目っ気のある言い方をして、
あれは多分、元気のない私を気遣ってわざと明るく振舞ってくれたのだろう。
「やっぱり、
お言葉に甘えて先に書斎で座って待っていると、
二つとも淹れたての湯気が出ている。そのうちの一つを受け取ると、甘い香りを感じた。
「熱いから火傷に気を付けて。……するよな?」
「したことないので、ちょっと分からないですね……。一応気を付けます」
ふーふーと少し冷ましてから、「いただきます」と呟いてココアを一口。
……うん、美味しい。優しい甘さと暖かさが、冷えて凝り固まった体と心を溶かしていく。
「……実は、クリスに遊学を反対されて」
知らず知らずのうちに、そう口に出していた。マグカップの中には、暗く沈んだ顔。
カップを握りしめながら、震える声で言葉を継ぐ。
「その上、錬金術をやめて
「……そうか。それで?」
「でも、私はそんなことしたくないんです。
遊学を反対されるのまでは良くても、錬金術をやめることはできないし、したくない。
だけど、もしかしたらそれはクリスを更に傷付けてしまうことかもしれなくて……っ」
落ちた雫が、黒い水面を揺らす。
「私には、どちらかを選ぶかなんてできなくて……っ、それが、苦しくて……!」
もう、泣くのを我慢することさえできなかった。
私の背中を、
「話してくれてありがとう。……好きなことを否定されるのは、辛いよな。
それが家族からとなれば、なおさらだ。……だけどな、ステラ。
無理にどちらかを選ぶ必要はないんじゃないか?」
「え……?」
予想外の言葉に顔を上げると、
「難しい道かもしれないが、クリスを説得できる可能性をまだ捨てるべきじゃない。
……完全に分かってもらえなくても、二人が納得できる部分は必ずあるはずだ。
遊学については……もう少し先の方がいいかもしれないな。
俺も、どこかで焦っていた部分があったかもしれない。すまない、ステラ。
──今はまず、クリスと仲直りすることを優先しよう」
「そう、ですね。……ありがとうございます、
涙を拭ってお礼を言う。……本当に、この人を師匠にして良かった。心からそう思う。
やっぱり、彼と縁を切るわけにはいかない。
決意を新たにココアを飲み干して、机に置いた瞬間。
「ん?」
机に広げられた、
それは──アメストリス全土を覆うように錬成陣が描き込まれた、一枚の地図。
「……──ッ!!」
「あっ! ……その、ステラ。これはだな……」
私の目線に気付いた
……そう、手遅れ。「まだ一年あるから」と、油断していた私のミス。
エドとアルの喧嘩の件から、そんな指標は役に立たないと知っていたはずなのに。
「
恐る恐る尋ねると、
そして、渋々と言った様子で口を開く。
「そうだよな、誤魔化せないよな……。本当なら、君に話すつもりはなかったんだが……。
下手したら国すら敵に回しかねない話だからな。──それでも、聞きたいか?」
聞かなくても、全て
それを仕組んだ黒幕も、その目的も、──結末さえ。
「……はい。聞かせてください」
しかし、そのことを気取られるわけにはいかない。
いくら何でも、そこまで知っている相手を信用できるような人じゃないだろう。
だからあえて、何も知らないふりをした。
本当はただ、異物だと拒絶されるのが怖かっただけのくせに。
頷く私に、
「こ、国土錬成陣……!?」
アメストリス全土と全国民を利用する、国土錬成陣の情報だった。
それに驚く私の反応は、半分──いや、七割くらいは演技だ。
残りの三割は、「ただの弟子にそこまで話しちゃうんだ」という本物の驚愕。
……いや、本当に包み隠さず教えてくれるじゃん……。
多少はぼかされると思ったんだけどな。賢者の石の話とか、黒幕の話とか。
ただ、ここまで聞いたからには、流石にこれを尋ねないと不自然だろう。
「……どうして、
まるで──」
「……一度見たことがあるように、だろう?」
「…………はい」
「簡単な話だよ。俺が
「えっ……」
あの、ちょっと? ……嘘でしょ、いくらなんでもそのことすら話すのは──
「君なら、前から疑問に思っていたんじゃないか?
何故、君の正体を考察できたのか。君をあそこまで疑っていたのか。
……君を信じて、全てを打ち明けよう。聞いてくれ」
それは奴隷23号と、彼の血から生まれた
王を利用しフラスコから脱したモノと、巻き込まれて望まぬ不老不死を得た元奴隷だった男。
その当人から語られる、古代に栄えた王国が一夜にして滅んだという伝説の真実だった。
……一言だけ、言わせてほしい。
一介の弟子に語るような過去じゃねえって!!
いや、コミックス19巻に載ってるから知ってたけどさぁ!!
実の息子達が20巻と21巻でようやく知るような話を、今私が聞いてどうすんだ!
クリスに拒絶されただけでメソメソしてた私がメンタル弱者みたいじゃん!!
……いや、実際そうかもしれないけど。そうじゃなくて。
「……ステラ? 大丈夫?」
「あーー……はい、一応。その、あまりにも突飛な話だったので……」
「だよなぁ……」
「あの……何と言うか、私と同じ存在がすみません……」
「いや、奴と君は完全に違うものだ。君が責任を感じる必要はないよ」
ここまで信用してもらえる理由が分からん……こわ……。
私はこんなにも嘘まみれなのに。
ああ、でも。これだけの信頼を受けておいて、返さないわけにはいかない。
私も覚悟を決める時だ。
「……
「お願い? ……分かった、聞かせてくれ」
「はい。まず一つ、国土錬成陣に対するカウンターを設置するための旅についてですが……。
この出発を、一年延長してもらえないでしょうか?」
「なっ……!?」
まさかそう言われるとは思っていなかったのだろう。
……そう、原作よりも早く。
原作において、彼の旅立ちがいつだったかは明言されていないものの、鋼の錬金術師CHRONICLEにある年表では「約10年前」と記されていた。
本編開始が1914年なので、およそ1904年である。
それに対して現在は1903年。つまり一年早まっているのだ。
そしてそこから、エルリック兄弟の悲劇と受難が始まる。
もしも、その運命の旅立ちが一年早まった場合。どのような影響が考えられるだろうか?
考えられる可能性の中で、特に最悪なのは以下の二つ。
まず一つは、トリシャさんの死去も同じように一年早まること。
もう一つは……死去のタイミングが変わらず、その分エドの憎しみが増えてしまうことだ。
ただでさえ原作でも拗れまくっていた親子仲が、下手したら完全に断裂しかねない。
そうなったら最悪を超えた最悪だ。
だからこそ、
「この問題には、早い内から対処しなければならないんだ。
……それでも、そんなことを言うのなら……何か、考えがあるんだろう?」
弟子の予想外の言葉から立ち直った
それに頷いて、私はもう一つの願いを告げた。
「ええ。……この一年間で、私はクリスを説得してみせます。
その説得が上手く行ったら──私を、
「………………」
今度は、驚きすぎて声すら出なかったらしい。
カチコチに固まってしまった
「……っ、いや、それは危険だ。最初に言った通り、この件には国すら絡んでいる。
奴は裏から国を操って、アメストリスを国土錬成陣に適した形にしているんだ。
国土錬成陣に対するカウンターを仕掛けるのは、奴を──国を敵に回すことになる。
君をそんな危険なことに巻き込むわけには……」
「だったら今すぐリゼンブール中を駆け回って、国土錬成陣の話を喧伝しまくります!!」
「!?」
「私だって、生半可な覚悟でこんなことを言ったわけじゃありません!
国を敵に回す? 上等! 元から国家錬金法に違反してるような体で、怯むとお思いで!?」
「そう言ってもだな……」
なおも食い下がる
「私は貴方についていくと決めたんです! 私を信じて、全てを打ち明けてくれた貴方に!」
それは私にはできないことだから。
「この国を救わんとする貴方の役に立ちたいんです!」
それは私の望みとも一致するから。
「足を引っ張らないと約束します! どんなに使い潰していただいても構いません!
だからどうか、どうかっ──」
本当は、分かっている。私なんかが役に立つ場面はほとんどないだろうと。
だとしても、望まずにはいられなかった。
「私にも、あの子達の未来を守らせてください!!」
「……ステラ……」
「……俺からも、一つだけ言わせてくれ。──『自分の命を簡単に投げ出そうとしないこと』。
『使い潰しても構わない』、なんて言わないでくれ。
君の命がどのようなものだったとしても、粗末にしていい理由にはならないんだから」
「
「それさえ誓ってくれるのなら。君に、その覚悟があるのなら──」
「来年、共に行こう。……君を、頼りにしている」
「…………っっ! はいっ、はい!」
目尻に滲んだ涙を拭って、
「絶対に誓います! 一緒にこの国を救いましょう!!」
「……結局、あの勢いに押されてしまったな」
弟子が去った後、一人書斎で目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、彼女の嬉しそうな顔と小さな手の平。
純真な姿に、胸が痛む。
今から、その信頼を裏切るのだから。
……元々は家族同様、弟子を今回の件に巻き込むつもりはなかった。
しかし、国土錬成陣の存在を話してしまった以上、遅かれ早かれこうなっていただろう。
「……だが、すまないな。ステラ」
取り出したのは、一通の手紙。宛先は羅針協会だ。
「君を騙す形になってしまうが……やはり、巻き込むわけにはいかないんだ」
奴を野放しにしてしまったのは己の罪だ。
その償いに、無関係の彼女を付き合わせるわけにはいかない。
──共に旅立った後、羅針協会に彼女を預ける。これが最良の選択だろう。
同胞達もほとんどが納得している。それが一番、彼女のために違いないと。
……彼女は、恨むだろうか? 憎むだろうか? 裏切られたことに、悲しむだろうか?
「だとしても、俺は……」
その苦悩を知るのは、己と己の中にいるかつてクセルクセスの民だった魂達のみ。
かくして、運命を変えるための一年が始まる。