導星の錬金術師 作:星見錬
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──1903年、某所
豪華な調度品が揃う、書斎の如き部屋の中。
執務用のデスクに肘をつきながら、男は一通の手紙を眺めて眉をひそめた。
ダークブラウンの瞳が、差出人の名前を見て猜疑に染まる。
「兄さん? ……どうしたんだ?」
デスクの前、来客用のソファーに座っていたもう一人の男が問いかける。
彼らはまとう雰囲気こそ異なるが、その顔は鏡映しのように酷似していた。──双子である。
手紙を持つ兄は、長髪を束ねた人を惹きつけそうな優男。
問いかけた弟は、オールバックに黒縁眼鏡をかけた、いかにも堅実そうな人物だった。
弟の疑問に、兄は呆れ顔で手紙を摘まんで答える。
「また悪ふざけだよ。しかも、今度はリゼンブールとかいう田舎から。
大方、古い錬金術書から名前を引っ張ってきたんだろうさ。
……それで借りた名前が、よりにもよって『ヴァン・ホーエンハイム』とはね。
まったく。初代の手記に出てくるような名前の奴が、今も生きているわけないだろうに」
「ああ……前回の議題にあった、『協会の威信欲しさに著名な錬金術師の名を騙る』事例か。
まだそんなことをやる人間がいるなんてな。……処分しておこうか?」
弟が立ち上がって手を伸ばすが、手紙はついとその手をすり抜けた。
怪訝な顔をする弟を他所に、兄は渋々という表情を隠さないまま手紙の封を切る。
「いや、捨てる前に今回の馬鹿の言い分に目を通そうじゃないか。
前の奴が住所を変えただけかもしれないが、リゼンブールからの手紙は初めてだしね。
ま、誰だろうと……結局は、俺の羅針協会に縋りつきたいだけのクズ……だろう──……」
文面を追う目の動きが緩慢になるにつれ、言葉が途切れていく。
「ははっ」と軽く漏れた笑い声には、皮肉などではなく、驚きと興奮の色が滲んでいた。
「……まさか、こんなタイミングで見つかるなんてね」
「……兄さん?」
再び尋ねる弟に、兄はにやりと笑って答えた。
「──喜べ、アルバート。父上の
──1903年、リゼンブール
時間は風のように過ぎ、
秋が終わり、目覚めてから三度目の冬が近付いてくる。
このままうかうかしていると、すぐに年が明けてしまうだろう。
そんな中で、私が果たすべき目標の進捗はというと──
「駄目だこりゃ……」
進捗駄目です。もう全然駄目。進捗の「し」の字もない駄目っぷり。
三年ぶり二度目、己の不甲斐なさに再び溶けるステラちゃんであったとさ。
……ただまあ、何もせず落ち込むのは時間の浪費にしかならない。
ここはとりあえず、振り返りも兼ねて旅に出る前にやるべきことをまとめてみよう。
その一。クリスと和解して、旅立ちの許可を得ること。
その二。トリシャさんの病死を回避するための予防法か解決策を探すこと。
その三。エルリック兄弟に託す知識ノートの作成。
あの日──
このうち、順調に終わったのは最後のノート作成だけだった。とはいえ、これは当たり前。
万が一原作通りに事が進んだ場合に必要になりそうな知識を、記憶引用を用いてまとめるだけだからね。
内容は基本的なサバイバル技術、罠の作り方、食べるための獣の捌き方、革製品を食べる方法にモールス信号などなど。……こうして見ると、無人島対策にかなり偏っちゃったなあ。
あと前世の私は、マジでどこでそんな知識仕入れてきてんの? こわ……。
ま、これも一つの伏線ってことで。いつか役に立てば御の字だ。
それはそうとして、進捗がダメダメなのは残りの二つである。
そのうちトリシャさんの件については……正直、少し諦めかけている。
そもそも、私はこの三年間ずっと、彼女を助ける手段を探し続けてきたんだ。
既に手は尽くしたと言える。それでもなお、流行り病の正体すら掴めていない。
……まるで、
誰かに殺されてしまうのなら、現場に居合わせて守ればいい。
事故死してしまうのなら、その事故に遭わないように守ればいい。
自殺してしまうのなら、それを止めて寄り添い守ればいい。
──だけど、病死はどうやって回避して、どう守ればいいの?
ああ、自分の無力さに腹が立つ。
最悪の場合は、ロックベル夫妻に全てを託すしかないのかもしれない。
もしかしたら彼女が病気にならない場合もあるかもしれないけど──楽観視だけは、どうしてもできなかった。
そして、最初にして最後の一つ。旅立つための最低条件。
クリスとの和解と旅立ちの許可についてだが……こちらはもっと悲惨だ。
何せ、あれから私とクリスは顔を合わせていない。
同じ家に住んでいるのにも関わらず、だ。
朝は相変わらず部屋から出ないし、夜もリビングに一人分の夕食が用意されているだけ。
私が作った朝食はちゃんと食べているみたいだけど、食器はいつの間にか片付けられている。
外で見かけることはあるものの、声をかけようとするとすぐにどこかへと行ってしまう。
そのせいで、リゼンブール中に私達の不仲が広まってしまった。
何度か直接部屋を訪ねたこともあるけど、完全に応答なし。
鍵までかけられている徹底っぷりだ。
何が彼女の逆鱗に触れたのか? ……おそらくは、羅針協会の件。
彼女にとって、羅針協会は──私がそこに行くのは、それほどまでに受け入れがたいものだったのだろう。
せめて、羅針協会に行くつもりはないことだけでも伝えられたらなあ……。
最終手段として、鍵を分解して部屋に無理やり押し入ることも考えているけど……。
これはあくまでも、本当にどうしようもない時にしよう。
錬金術を嫌う彼女の前でそんなことをしたら、きっと私達は完全に断絶するに違いない。
今日も日が落ちる。真っ赤な夕焼けが、たった一人しかいないリビングを染め上げる。
その赤さはまるで、旅立ちの日に燃やされてしまったエルリック家のようだった。
──1903年、オルティーズ家
あの子が家を出た音を聞いてから、一時間後。わたしはそっと部屋を出た。
……自分が意固地になっていることくらい、自分が一番分かっている。
だけど、次に顔を合わせた時……何を言ってしまうのか。それが分からないのが怖い。
より強く拒絶してしまうかもしれないし、──手を上げてしまうこともあるかもしれない。
自分の衝動をコントロールできないことが、今のわたしには何よりも怖かった。
一人であの子が作った朝食を食べてから、食器を片付ける。
最後に、一緒にご飯を食べたのはいつだっただろう。もう思い出せなくなってしまった。
リビングには沈黙が満ちている。明るいあの子はいない。
「……何してるんだろう、わたし」
あの子を拒み続けたところで、何かが変わるわけでもないだろうに。
きっと、わたしのことなんて無視して、いつかあの子は旅立つでしょう。
わたしでは、あの子をここに縛り付けることなんてできないのだから。
……もしも、もしも
ジリリリリリリン!
沈黙を裂くように電話のベルが鳴って、思わずびくりと肩が跳ねた。
この家の電話番号は、
でも、電話をかけるのはいつもわたしからだった。彼からかけてくるなんて……。
嫌な予感に、汗が流れるのを感じる。体の震えは寒さではなく、恐怖から。
おそるおそる受話器をとって、「もしもし?」と相手に呼びかける。
『突然すまない、クリス。時間はあるか?』
彼はいつも、実直な物言いをする。
彼の生真面目さがそうさせるんだろうけど、冷たく聞こえてしまうのが玉に瑕だ。
「……ええ。どうかしたの? アルバート」
訊ねると、彼──アルバートが珍しく言葉に迷っているような吐息が聞こえた。
その様子に、嫌な予感が加速していく。
『本当はもっと早く電話したかったんだが……こちらも色々と忙しくてね。
ただ、もう時間がない。だから簡潔に伝えよう』
焦りを感じる言い方に、わたしの心臓の鼓動もつられて早くなる。
お願い、それ以上何も言わないで。そう懇願したくなる。
けれども、わたしの口から言葉が出ることはなく。
アルバートはそのまま、続けて話した。
『半年前に、ホーエンハイムという男から協会に手紙が来たんだ。
……『来年の春から、自分の弟子を協会に預けたい』という申し出が。
そのせいで、彼女の存在が協会に──兄さんにバレてしまった』
「────っ!!」
考える限りでも特に最悪な事実に、わたしは息を呑んだ。
汗が止まらない。目の前が滲んでいく。
協会に、あの子の存在がバレた? あの子の居場所も?
ああ、あの男──忌々しい錬金術師! よくも手紙なんて余計な真似を……!!
思わず歯噛みする。だけど、これはわたしのミス。
こんなことになるなら、最初から弟子入りなんてさせるべきじゃなかった。
徹底的に、錬金術から遠ざけるべきだったんだ。
『……クリス、大丈夫か?』
「っ、ええ。……手紙が半年前に来ていたのなら、どうして今になって電話したの?」
半年前……あの子が「協会に行きたい」なんて言いだした時と一致する。
きっと、その時にあの男が協会へ手紙を出したに違いない。
『しばらくは『向こうから来るのだから待てばいい』と、説得できていたんだがな。
……最近、父上の容体が悪くなっていてね。兄さんは彼女を身代わりにしたいらしい。
曰く、『人柱を用意するのは一族の急務だ』と。
「人柱だなんて、そんな……」
彼らが何をしようとしているのか、わたしは知らない。『上』が何を指すのかも分からない。
でも、『人柱』という穏やかじゃない言葉からして、まともなものじゃないことは感じた。
『時間稼ぎができるのは、おそらく今年が限度。
来年の春を待たずに、協会はリゼンブールへ迎えを寄越すだろう。
……どうにか私が行けるように立候補しておくから、今のうちに次の潜伏場所を考えよう。
君には彼女の説得を──』
「無理よ」
『……クリス?』
説得? あの子から──妹とは違うバケモノから逃げ回っている私が?
できるわけがない。……いいえ、こう言うのが正しいのでしょうね。
したくない、と。
「……わたし、もう限界なのよ。あの子はどう考えてもステラじゃない。
なのに、これ以上逃げ続けて、隠し続けることに何の意味があるっていうの?
協会があの子を欲しがるのなら勝手にすればいい。わたしは関与しないわ」
『なっ……そんなわけにはいかないだろう!? 君は彼女を見捨てるつもりなのか!?』
「ええ、そうよ! 悪い!? ……あなたには分からないでしょうね。
妹とは似ても似つかない化物が、我が物顔で妹として生きている悪夢なんて!!
何が『彼女にステラの魂が宿っているかもしれない』よ……全然違うじゃない……!
あの子はあんなに活発には動けなかった! わたしを蔑ろにはしなかった!
あんなものを──錬金術を好きになることさえなかったのに……!!」
今も覚えているわ。あの子の全てを。
愛しい妹。
わたしの妹は、あんな人間離れした不気味なモノじゃない。
『……分かった。君にそこまで負担をかけてしまって、すまない。
せめて、君だけでも逃げられるように手配するから……考えていてくれ。
私は──僕だけは君の味方でいるから』
「……ありがとう、アルバート」
嘘つき。その言葉を飲み込む。
あなたはただ、憐憫からわたし達を拾って、罪悪感からわたし達を逃がしたくせに。
今もどうせ、自分が協会を裏切ったと知られるのが怖いから、そう提案しただけでしょう?
「今更、どこへ逃げろって言うのよ……」
電話を切って、そう呟く。
協会はわたしのことなんて眼中にはないでしょう。
お金につられて騙されて、まんまと妹を差し出した愚か者なんて。
自分の愚かさにめまいがする。今すぐ消えて、あの子の──ステラの元に行けたなら。
そんな叶わない願いが、浮かんで消えた。
──1904年、リゼンブール
とうとう年が明けてしまったぜ! あけおめ*1!!
……ま、アメストリスにはお正月を祝う文化なんてないんですけどね。
新年を祝うちょっとしたパーティーなどはあるものの、それだけだ。
あくまでも家族間でこじんまりと祝う程度というか。
未だに初詣がないことにムズムズしてしまう元日本人からすると、かなりシンプルに見える。
そんな中、私は今年もエルリック家とロックベル家共同のパーティーにお邪魔させてもらった。
……だけど、そこにクリスの姿はない。毎年、一緒にお呼ばれしていたはずなのに。
私達の間にある溝は、未だに埋まるきっかけすらない。
彼女はずっと私を避け続けているし、私も彼女と話せずにいる。
第三者を挟む方法も考えたけど、最近はリゼンブールの人々と話すことさえないらしい。
しかし、刻一刻と旅立ちの時は迫っている。
こうなったら一か八か、縁切り覚悟で部屋に突貫するしかないかと思い始めた頃。
今度は、エドの五歳の誕生日パーティーに呼ばれた。
新年パーティーからそんなに経っていないものの、CHRONICLEの年表によるとエドの誕生は1899年の初頭とされている。つまりエドは早生まれなんだよね。
……え、正確な日付はいつかって? それはちょっと……*2。
何はともあれ、お祝いの場に負のオーラを持ち込むのはNGだ。
いつものように悩み事を隅に置いて、明るく元気な『
今回用意した誕生日プレゼントは二つ。
初心者向けの錬金術書と、私
錬金術書を選んだ理由は、最近エドが錬金術に興味を示し始めたから。
今は使ってないけど、昔はよくお世話になった物をチョイスした。要するにお下がりだ。
……
ま、まだその段階には至ってないかもだし? うん、多分大丈夫。きっと。メイビー。
万年筆については、「勉強頑張ってね」の念を込めた渾身の一本だ。
錬成痕はできるかぎり消し、デザインはシンプルイズベスト。色は暗めの赤にした。
五歳児へのプレゼントには少し渋いかもしれないけど、大人になっても使ってほしいからね。
耐久性もかなりこだわったし、余程乱暴な使い方をしなければ五十年はもつだろう。
……あれ、もしかしてこのプレゼントって重いのでは? いや、まさかね。
喧嘩しないようにアルの分も色違いで用意してあるし、これもお姉さんの気遣いってことで。
丁寧にプレゼントをラッピングして、エルリック家へ。
呼ばれた時間よりかなり早いけど、トリシャさんのお手伝いをしないとね。
今頃、パーティーの準備にてんてこ舞いだろう。
早歩きでエルリック家へと向かう。
ちらほらと雪が降っているものの、多分積もるまではいかないはずだ。
とはいえ、リゼンブールじゃ雪が降ること自体が珍しいんだけど。
FA版33話でも、ノースシティへ辿り着いたエドがそんなことを言っていたっけ。
空気は冷たいものの、期待感で心はかなり温まっていた。
楽しいパーティーになるといいな。プレゼント、喜んでもらえるといいな。
私はお祝いの空気にすっかり浮かれていた。
──数時間後に恐れていた悲劇が起こることなど、微塵も想定しなかったくらいに。