導星の錬金術師   作:星見錬

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大変お待たせしました。やっと続きをお届けできて、私自身も少し肩の力が抜けました。
なお、親の件ですが無事に退院しましたので、どうぞご安心ください。

前回お約束した通り、今回は二話投稿です。お楽しみいただければ幸いです。


第15話『託されし星』

 その日も、何事もなく過ぎていく──はずだった。

 トリシャさんの発病が前倒しになるイレギュラーはあったけど、今はそれを帳消しにできる程の希望が待っている。

 

 ホーエンハイムさんは母子を置いて旅に出ることはなく、親子の確執もない。

 トリシャさんの病には治療薬が存在し、もうじき届く予定だ。

 

 どちらも私が何かしたわけじゃないけど、だとしても嬉しかった。

 だって、エルリック家が崩壊してしまう未来は、もう来ないと思っていたから。

 

 

 ……ああ、なんて愚かな楽観視だろうか。

 私は何の根拠もなく、そう信じ込んでいた。

 

 

 私がホーエンハイムさんの旅立ちを知ったのは、今朝のことだ。

 

 

 いつもはホーエンハイムさんが出迎えてくれるはずの、エルリック家の玄関。

 そこで私を迎えたのは、どこか焦燥を滲ませたピナコばっちゃんだった。

 

 ばっちゃんの顔には困惑と怒りがあって、ただならぬ気配に心が少しざわつく。

 私の腕をぐいっと掴んで引き寄せると、ばっちゃんは怒鳴るように問いかけた。

 

「ステラ! あのバカの行き先に心当たりはないかい!?」

 

「ば、ばっちゃん……? どうしたの、そんなに怒って……」

 

 思わず戸惑いの声が漏れる。

 その時、私の脳裏に浮かんだのは、ホーエンハイムさんではなくエルリック兄弟だった。

 

 例の話以来、二人は元気が戻るどころか、更にやんちゃさを増していた。

 錬金術を使ったイタズラまで始めて、「そろそろガツンと叱っておくべきか」なんて考えていたくらいだ。

 だから私は、「また兄弟が何かやらかしたのかな?」なんて的外れな予想をしていた。

 

 そんな私の目を覚ますように、ばっちゃんの声が鋭く突き刺さる。

 

 

「ホーエンハイムの野郎! よりにもよって今、あいつが姿を消したんだよ!

 大バカ者が……。病気の妻と小さい子供を置いて旅に出る奴があるか!!」

 

 

「…………は?」

 

 ばっちゃんの発言が理解できず、その一音しか出てこなかった。

 ばっちゃんは他にも色々と言っていたものの、耳鳴りにかき消されて何も聞こえない。

 

 ──旅立った? ホーエンハイムさんが? ……今、このタイミングで?

 私も、兄弟も、トリシャさんさえ置いて……たった、一人で?

 

 一緒に旅をしてくれるって、約束したのに?

 

 置いていかれた。

 

 ようやく届いた実感に、さあっと血の気が引いた。

 ただ突っ立っているだけなのに、心がどんどん奥底へ沈み込んでいく。

 

「な、んで……だって、師匠(せんせい)が約束を破るなんて……。

 え? うそ、嘘だよねばっちゃん? あの人がそんなことするわけ──」

 

 思った以上に声は震えていた。まとまりのない思考が、そのまま言葉として零れ落ちる。

 どこか遠くで別の私が「動揺しすぎだ」とたしなめるものの、それを聞く余裕さえなかった。

 

「……その様子だと、弟子のあんたにさえ何も言わずに行っちまったんだね。あいつは」

 

 狼狽える私とは反対に、ばっちゃんは冷静になったらしい。

 深くため息を吐くと、舌打ちをしながら呟いた。

 

「まったく、置手紙の一つくらい残しとけってんだ。本当に甲斐性のない男だよ」

 

 ばっちゃんの呟きに含まれていたのは、呆れや怒りだけではないだろう。

 ……きっとそれは、長年の友に対する寂しさだ。

 

 付き合いの長さからして、私以上にホーエンハイムさんへ思う所があるに違いない。

 ばっちゃんの眉間のしわが、彼女の苦悩を語っているように見えた。

 

 ──だけど、本当にあの人はそんな無責任な人間なのか?

 

 ふと、一つの疑問が湧き上がる。

 むしろ、『ヴァン・ホーエンハイム』という人間は自身の責任を重んじる人だったはずだ。

 そうでなければ、原作での彼の行いに説明が付かない。

 

 例えば、賢者の石となった五十三万人を超えるクセルクセス人達との対話。

 彼らと協力して敷いた、国土錬成陣へのカウンター。

 そして、自身の命を使わせようとしてまで息子達を救おうとしたこと。

 

 彼が原作で無責任な父親のように見えたのは、あくまでも妻の予想外の死と、行き違いのせいだった。

 

 なら、この世界のホーエンハイムさんは?

 

 私というイレギュラーな弟子こそいるものの、基本的な性格は変わらないはず。

 だからこそ、私も「今のトリシャさんを置いて旅に出るはずがない」と思っていたわけだし。

 

 そんな彼が、「どうしても今、旅立たねばならない」と思ったのなら……そのきっかけは?

 

 ……多分、きっかけになったのは──

 

「……ばっちゃん。本当に……本当に師匠(せんせい)は、誰にも何も言わずに消えたの?」

 

 ばっちゃんは一瞬目を丸くして、すぐに考える素振りを見せた。

 おそらく、私の疑問の意図に気付いたのだろう。

 

「……そうだね、()()()()何も聞いちゃいない。あんたもそれは同じだろう?

 だが──トリシャだけは、何か知っている風だった。……何も言っちゃくれなかったけどね」

 

 ああ、やっぱり。

 

「だったら、私がトリシャさんと話してきてもいい?」

 

 そう聞けば、ばっちゃんも「あんたになら何か話すかもしれないね」と頷いてくれた。

 

「今ならまだ起きているはずだよ。……何か分かったら、教えてくれ」

 

「うん、任せて」

 

 ばっちゃんの横をすり抜けて、トリシャさんの部屋へと向かう。

 

 私の予想が正しいなら、ホーエンハイムさんへ旅立ちを促したのは彼女だ。

 しかし理由が分からなかった。だって、下手したら今生の別れになりかねない。

 

 治療薬の存在はまだ秘密だから、彼女がそれを知っているはずがない。

 ……いや、エルリック兄弟が漏らした可能性はあるか。だとしたら私のせいでもあるな……。

 

 と、それはともかく。全ては彼女に話を聞いてから考えよう。

 

 

 ノックの後、そっとドアを開ける。視線の先で、ベッドに座るトリシャさんと目が合った。

 顔色はやや悪いものの、表情は穏やかだ。その姿に少しだけ肩の力が抜ける。

 

「いらっしゃい、ステラ。今日もよろしくね」

 

「はい。……その前に一つ、お聞きしてもいいですか?」

 

「ええ」

 

 緊張で手のひらがじっとりと湿る。喉の奥がカラカラに乾く。

 ……人間じゃないくせに、こういう反応だけは変わらないのが煩わしい。

 

 一回だけ深呼吸をしてから、私は彼女に問うた。

 

「──師匠(せんせい)の旅立ちを後押ししたのは、貴女ですね?」

 

 私の問いを予想していたのか、トリシャさんは微笑みながら首を縦に振った。

 

「そうよ。……流石、あの人の弟子ね。貴女なら気付くと思っていたわ」

 

 イタズラがバレた子供のようにくすくすと笑う姿は兄弟にそっくりで、親子の血縁を感じる。

 でも、今の本題はそこじゃない。

 

「もう一つ、聞かせてください。……どうして、そんなことを?」

 

「貴女なら、その理由にもとっくに気づいていると思っていたわ。

 ……だけど。あえて、言葉にするのなら──」

 

 


 

 

 分かっていたの。あの人は優しいけれど、同じくらいに臆病なひと。

 

 人の営みを慈しみながら、自分をその外へと置いてしまう。

 眠る子供達の頭を撫でることさえ、「化物が伝染(うつ)ってしまう」と躊躇ってしまう。

 

 ……「そんなに怖がらなくてもいいのに」って、私は思っているのだけど。

 だから、なのでしょうね。あの人が未だに、ここに留まろうとしていたのは。

 

「駄目だ。君や子供達を置いていけない。……行けるはずがない」

 

 「まだ旅立たないの?」と訊ねた私に、あの人は目を伏せてそう答えた。

 辛そうな顔に、私の心も痛みだす。──でもね、あなた。

 

「『間に合わなくなる前に早く行かないと』って、最初に言い出したのはあなたでしょう?」

 

「それは……そうだが。だからって、今の君を放っておけるわけがないだろう。

 ……それにまだ、あの子との約束が果たされていない」

 

「クリスチナさんを説得できたら──って、あの?」

 

「ああ」

 

 もう、弟子のせいにするなんて悪いひと。その約束を守る気なんてないくせに。

 

「……この前、もう少ししたら羅針協会から迎えの人が来るって言っていたじゃない。

 本当は、最初から一緒に連れて行く気なんてなかったんでしょう?

 協会に任せるつもりだったのなら、期待だけさせるのはちょっとひどいと思うわ」

 

「いや、それは……危険な旅にあの子を付き合わせるわけには……」

 

 ふふ、少しいじめすぎたかしら?

 ばつの悪い子供のように目を逸らすあの人の顔に片手を添えて、こちらに振り向かせる。

 きょとんとした顔がエドにそっくりで、思わず笑みが零れた。

 

「あなた、もう分かっているでしょう? ──これ以上、立ち止まってはいられないって」

 

「トリシャ……」

 

「私のことを案じてくれるのは嬉しいわ。子供達やステラを心配する気持ちも分かる。

 ……だからこそ。私は今、あなたに行ってほしいの」

 

 私はあなたの足枷になりたくないの。

 子供達があなたを理解するのは、まだまだ先のことになるでしょう。

 最悪の場合、いらない確執を生んでしまうかも。

 

 だとしても、あなたしか止める人がいないと言うのなら。

 私はあなたの背中を押すわ。

 

 ……例え、どんなに寂しかったとしても。

 

 

 それに心配しなくても、ステラならきっと分かってくれるはずよ。

 あの子は、すべてを知っている子だから。

 

 あなたの苦しみも、悲しみも、過去も、何もかも。

 

 ──もしかしたら、私が知らないことまで。

 

 

「お願い、あなた。──あの子達の未来を、守って」

 

 

 私の願いに、あの人は顔をくしゃくしゃにして、とても長い時間悩んでいたけど。

 やがて……泣きだしそうな顔で、ゆっくりと頷いてくれた。

 

 辛い決断をさせてしまってごめんなさい。

 ……嘘を吐いてしまって、ごめんなさい。

 

 子供達の未来を守ってほしいのは本当よ。

 だけど、それだけじゃなかったの。

 

 ……こんなことじゃ、あなたのことを責められないわ。

 

 だって、私はただ──

 

 


 

 

「愛する人には、最期まで綺麗な姿だけを覚えてほしかっただけなの」

 

「────」

 

 トリシャさんの独白に、私は何も言えなかった。

 

 近々羅針協会から迎えが来ること。

 師匠(せんせい)が最初から私を連れて行く気がなかったこと。

 ……トリシャさんは、多分──いや、この件は今考えることじゃない。

 

 もちろんこれらのこともショックだったけれど。

 私が一番許せなかったのは、彼女の最後の言葉だ。

 「最期まで」だなんて、縁起でもない。そんなことあってたまるか!

 

「……弱気にならないでください。トリシャさんの病気は絶対に治ります。

 師匠(せんせい)だって、それを信じているから旅に出たはずです!」

 

 うっかり声を荒げかけて、落ち着くために咳ばらいをひとつ。

 「とにかく」と話を続ける。

 

「きっちり病気を治して、いつか帰ってくる師匠(せんせい)に二人で文句言ってやりましょう。

 ま、兄弟やばっちゃんからもガミガミ言われるでしょうけど。

 でも、弟子を騙そうとする師匠には針のムシロくらいが丁度いいのです」

 

 わざとらしく拗ねたように言えば、トリシャさんはくすくすと笑ってくれた。

 

「そうね。それくらいなら、しても罰は当たらないかしら?」

 

「そーですとも!」

 

 トリシャさんは絶対に死なせない。死なせてたまるか。

 笑い合いながら、心の奥では何度目か分からないほどの決意を静かに噛み締めていた。

 

 ……ばっちゃんに事情を説明したら、ユーリ先生に治療薬はどうなったか聞きに行こう。

 あれから一週間は経ったんだし、そろそろ届いてもおかしくないはずだ。

 

 また皆で笑える日が来るように。師匠(せんせい)の居場所は私が守ってみせる。

 

 


 

 

──1904年、オルティーズ家

 

 日に日に、見えない何かによって命を削られている気がする。

 部屋を出る体力すらまともに残っていない。体は重く、ベッドに横たわるので精一杯。

 今のわたしは、シーツの中に沈み込む死骸だった。

 ……まるで、あの日の(ステラ)のような。

 

 「これは罰なのかもしれない」と、ぼんやり思った。

 安易な救いに縋った罰。あの子の苦しみに気付けなかった罰。

 まだ──()()の中に妹の魂があるんじゃないかと、希望を見出そうとする罰。

 

「アレは……ステラ(いもうと)じゃない。分かっているでしょう、わたし」

 

 自分に言い聞かせるように呟く。

 苦痛を憎悪に変換して、アレを憎もうと足掻く。

 

 あの怒りを思い出せ。外に出るたび、偽善者どもに群がられる屈辱を。

 

『何があったか知らないけど……、邪険にしたらステラちゃんが可哀想だよ』

 

『お姉ちゃんなら、少しは譲歩してやりな。ステラは良い子じゃないか』

 

『いい加減、仲直りしたらいいのに』

 

 誰も彼もが、そんな意見をわたしに投げかけてきた。

 アレの味方面して、無責任にこちらを責め立てる彼ら。……ああ、冗談じゃない。

 

 何も知らないくせに。

 アレの正体も──どうやって造られたのかも知らないくせに!!

 

「ううっ……はあッ……」

 

 臓腑を焼くような苦しみを、息を吐いて逃がそうとする。

 外に出なくなって、既に半月。それでも、彼らへの怒りは新鮮なままだ。

 

 けれど。それ以上に腹立たしいことがあるとするのなら。

 

 意図的に憎まなければならないくらいに、アレ──()()()を想ってしまうことだろう。

 

 アレは間違いなく、人間の振りをしている化物だ。

 永遠に成長しない人形みたいなもので、もしかしたら生物ですらないのかもしれない。

 大好きだった妹とは、似ても似つかない真っ赤な偽物。

 

 だから、わたしはアレを憎む正当な理由がある。

 

 ……はず、なのに。

 

 アレ(あの子)と過ごした日々が、燃え盛ろうとする憎悪を否定してしまう。

 もっと生意気で、悪辣で、冷徹であってくれたのなら……わたしも遠慮なく嫌えたのに。

 

 その成り立ちから信じられないほどに──いや、優しい妹が元になったからか。

 あの子は紛れもなく、善性の塊だった。

 

 例えば、毎日欠かさずに部屋の前に用意されている食事だったり。

 ──わざわざ、わたしの分まで用意しなくてもいいのに。

 ドア越しに語りかける声だったり。

 ──ドアを無理やり壊すことだってできるくせに。

 

 拒み、逃げ続けるわたしとは反対に、まだ手を差し伸べることを諦めていない。

 

『別に、無理強いはしないけどさ。……たまには、クリスの顔が見たいよ。

 それに……最近外に出てないみたいだけど、大丈夫? 具合が悪いなら言ってね。

 ロックベル先生を呼んでくるから』

 

 気遣うような声は、最近はどこか沈んでいるようで──

 

「っ、違う! 違う違う違う……!!」

 

 よりにもよってアレを心配しそうになってしまったのを、頭を搔きむしって否定する。

 

 アレは確かに、わたしから大切な妹を奪って生まれた存在だ。だから恨んでもいい。

 あの子は確かに、わたしの大切な妹の片鱗がある。だから愛しく思ってしまう。

 憎しみと愛しさという相反する感情で、心が二つに張り裂けそうだった。

 

 このままだと、きっとわたしは狂ってしまう。

 いや、もう既に狂っているのかもしれない。

 

 そうでもなければ、あの子(アレ)愛する(憎む)はずがない。

 

 

『とうとう、彼女を迎えに行く日が決定した。……君は、どうするんだ?』

 

 先日の電話で、アルバートが告げた日まであと少し。

 羅針協会によって、またわたしの全てが奪われる。

 

「そうなる前に……わたしは……」

 

 羅針協会に奪われる前に、わたしの手で直接

 

 

 復讐、を──

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