導星の錬金術師 作:星見錬
────■■■■年、某所
「はっ、はっ、はっ、は……」
今度は荒い息と共に意識が浮上した。苦しくて、まるでずっと呼吸さえしてなかったようだ。
しかし、その苦しさも長くは続かなかった。呼吸を整えると、ようやく視界がクリアになる。
最初に見えたのは、見知らぬ天井と細く白い左腕だった。
まさかと思いつつ、軽く握る動作を試みる。……動いた。どうやらこの左腕は私のものらしい。
細すぎて折れないか心配になりつつも、そっと体の横に下ろす。
……
と、それはともかく。今の状況を整理しよう。
体勢的に、どうやら私はベッドか何かに横たわっているらしい。そして腕は妙にガリガリ。
少なくとも、こんなに痩せ細っていた記憶はない。……そもそも私は死んだはずでは?
「起きるか……」
釈然としない気分のまま上半身を起こす。
案の定、私が寝ていたのはベッドの上だった。だが、そのベッドにも見覚えはない。
いや、ベッドだけではない。今いる部屋自体、見たことのない場所だった。
茶色いフローリングに白い壁と天井、真正面にはドア。
右側には机と椅子、左側には姿見がある。……いや、家具少なっ。
しかもデザインはアンティーク調なのに、どれもこれも妙な新品らしさがある。
病室にしては設備がないし、こんな生活感皆無な部屋に住んでいた記憶もないので、自室というわけでもないのだろう。
「どんな部屋で暮らしてたかなんて、全然思い出せないけど……」
残念ながら、私の記憶は欠落したままだ。確実に覚えているのはハガレンの記憶ばかり。
自分のことも、極限まで頭を捻って思い出せたのが「ハガレンオタクの日本人」くらいである。
だからこそ違和感があった。
この如何にも洋風全開な部屋と、さっきからチラ見えする自分の物と思わしき金髪に。
これは──もしかして、今時流行りの
「……いやいや、そんなまさかねー」
ワッハッハと突拍子もない妄想を笑い飛ばす。
……まあでも、一応ここがどこなのかの確認はしないとな。
外を見るためにベッドの右横──今の体勢だと背後にある窓へ目を向ける。
薄手のレースカーテンを引いた途端に、日光が部屋へ差し込んできた。
その眩しさに目を細めながら、まずは空を見上げる。
天気は晴天で太陽の位置はほぼ真上。つまり今の時刻は正午くらい。
次に地面を見下ろせば、そこそこ遠く見える。となると、この部屋は二階か。
空を見上げた時に見えた屋根や外壁の様子からして、ここは二階建ての民家なのだろう。
他にもヒントを求めて、今度は全体的な光景を観察する。
光景のほとんどを占めるのは、だだっ広い草原と連なる小さな丘の数々。
それらの合間を縫うように、未舗装と思わしき道や白い柵、低い石垣がちらほらと見える。
……少なくとも、現代日本の線は薄そうだ。あんな細道じゃ車さえ走れないだろう。
人間は──いた。遠くに一人だけ。
服装までは分からないが、白くてモコモコな……羊だな。羊を何匹も連れ歩いている。
ということは、あの人は羊飼いなのだろう。
ついでに金髪と言い、肌の白さと言い、あの人が日本人である可能性は限りなく低い。
……何故か、さっきから凄まじい既視感を感じる。
いや、この光景自体は初見なはずなのだが、似た
そう、例えば単行本や、日曜日の午後五時にテレビの前で正座しながら見た記憶が──
「…………もしかしてここ、リゼンブールなのでは?」
疑念を呟いた瞬間に、ドッと冷や汗が噴き出した。
ええいっ、もはやこんな気取ったモノローグを脳内で垂れ流してる場合じゃねえ!
どーすんだよこれ!? よりにもよってハガレン世界に転生だとぅ!?
「私に都合良すぎて草」とか「テンションブチ上がっておかしくなりそう」とか色々思い浮かぶことはあるけども!
年代次第では即国土錬成陣発動からの賢者の石ルートだぞ!?
そんなのどーしろって言うんだよーーーーーっっっ!!!!!!
……落ち着け、落ち着くんだ私。まだそうだと決まったわけじゃない。
私が超ハガレンオタクで、何故かハガレンの記憶だけ持ち越してて、転生前に真理の扉らしき所にいて、ここがかなりリゼンブールっぽくても……
まだ偶然の一致という可能性もある。だって『「ありえない」なんて事はありえない』からね。
うん、そうと決まれば気を取り直して。今の私の外見を確認してみよう。
流石にそれはないと思うけど、万が一原作キャラに成り代わっていたら対策必須だもんな。
だからこれは決して現実逃避じゃなくて、行動指針を決める重要イベントなのだ。
──などと脳内で言い訳をつらつらと重ねつつ、ベッドから裸足のまま立ち上がる。
そして意を決して、姿見に自分を映した。
「ほう……」
一目見た私の口から、感嘆のため息が漏れる。
何故なら、鏡の中にはまごうことなき美少女がいたからだ。
真っ先に目に入るのは、腰まであるロングヘア。淡い金髪は絹糸のようにさらりとしている。
整った顔立ちだが、
目付きは若干悪、もとい鋭いものの、そこもまたチャームポイント。魅力は損なわれていない。
瞳の色は濃い金色だった。例えるならべっこう飴辺りか。
首には包帯が巻かれている。
若干窮屈な感じもするが、何となく外さない方がいい気がしたので放置。
肌は雪のように白く、体躯は細い。少し躓いただけでも、あちこち骨折してしまいそう。
私と同じハガレンオタクに分かりやすく説明するなら、真理の空間にいたアルの肉体より、少しだけ肉が付いている程度──といった具合か。ギリギリ頬はこけてないって感じ。
要するに、荒川先生の
服装は白いキャミソールワンピース。これがまた、鏡の中の少女によく似合っている。
調子に乗ってくるりと一回転すれば、金髪と白い裾がふわりと舞った。うーん、ナイス美少女。
ちなみに先程から『美少女』と称しているが、外見年齢はおよそ十五から十七歳くらい。
お酒はギリギリ買えなさそうだ。多分買わないけど。
……と、一通り観察して分かったことだが。
今の私は、どこからどう見ても立派な
──って、
「悩みが増えやがったァ!!」
私はその場にうずくまって絶叫した。どうしてこうなった。
この際、百歩譲ってハガレン世界に転生したのは受け入れよう。
でも金髪金目だけは駄目だ。流石にそれは話が違ってくる。
金髪金目と言えば、作中年代から何百年も前に滅んだ国家、クセルクセスの民の特徴だ。
作中でその特徴を持つのは、第一に当時の生き残りである人間賢者の石・ホーエンハイムさん。
次に彼の血を引く、『鋼の錬金術師』の主人公たるエルリック兄弟。
そして最後が、ホーエンハイムさんの血から生まれ、彼の姿を真似るラスボスの
要するに、金髪金目とはそういう主要人物にのみ許された、重要なカラーリングなのである。
それを、こんなポッと出の転生者ごときがっ、持っていていいわけがねえだろうがよぉ!!
話が超ややこしくなるわ! ホーエンハイムさんが浮気したみたいになっちゃうでしょ!!!
……え。浮気、してないよね?
2003年版のアニメ*1に登場する
恐ろしい可能性に混乱しつつ、念のために頬をつねってみる。……
なんてこった。残酷なことに全ては現実らしい。嘘でしょ。
「ああもう、こんな状態で私にどうしろと……」
頭を抱え、完全に途方に暮れる。
今の私にあるのは、クセルクセス人的美少女ボディにハガレンの記憶のみ。
他に目立った特殊能力やチートはない。せめて一つくらいはあってくれよ。
脳内をざっと洗ってみても、
「真理通ったしワンチャンできんか!?」と試してみた手パン錬成も当然のように駄目だった。
……まあ、真理そのものは見てないもんなあ……。根性で少しでも見とくべきだった。無念。
「手詰まり──いや」
諦めるにはまだ早い。今はとにかく情報収集のターンだ。
とりあえず、ここが本当にハガレン世界かどうかくらいは確認しないとな。
「この部屋を出てみよう」
こんな何もない部屋で分かることなど、たかが知れている。
一階に降りればリビングなり何なりがあるだろうし、もしかしたら新聞とかあるかも。
そうと決まれば善は急げ。意気揚々とドアノブに手をかける。そのまま開けようとして──
だが、私がドアを開けることはなかった。
何故なら、向こうから開いたからだ。
「えっ──ス、ステラ!?」
「あっ……」
ドアの向こう側にいたのは、大きく目を見開いた女性。
彼女は私を見るなり震える手で口を押え、ズルズルと後ずさった。
まるで私を恐れるような──あるいは、何かの奇跡に感動したような仕草だ。
……ああ、これは
彼女の反応を見て、私は奥歯を噛む。
おそらく彼女は
もしもそうだとすれば、私の病的な痩身にも納得が行く。そして、彼女の反応にも。
でも、それは。私の予想が正しいのならば。
「ああっ、そんな……!」
女性は涙を流しながら、とうとう座り込んでしまった。
私はどうしていいか分からずに、ただ立ち尽くしていた。
手なんか伸ばせるはずがない。
だって私は、彼女の大切な家族を──
あれから数分後、一階のリビングにて。
二人暮らしには広いダイニングテーブルを挟んで、私と先程の女性は向かい合って座っていた。
落ち着いた女性の自己紹介によると、彼女の名前はクリスチナ・オルティーズ。愛称はクリス。
若干癖のあるショートカットの金髪と穏やかな青い目をした、典型的なアメストリス人だ。
今も時折ハンカチで涙を拭っているが、表情は清々しい程の笑顔になっている。
続いて、彼女が教えてくれた私の名前はエステル・オルティーズ。愛称はステラ。
クリスの養子にして──
「もしもあなたが良ければ、なんだけど……。わたしのことは『お姉さん』だと思ってほしいの。
あなたには気軽に接してほしいし、頼ってほしいから。お互いの呼び方も愛称にして、ね?」
──とのことだ。
ざっくりと互いの名前や関係を説明した後、クリスはそう言った。
……記憶がないことを怪しまれなかったか? そこは拍子抜けする程に問題なかった。
何しろ、彼女と私は実質的には
どうやら、クリスは私が──ステラが記憶喪失になることを予見していたらしい。
彼女が事細かに教えてくれた、こうなる前のステラの半生は以下の通りである。
『ステラ』は生まれつき病弱だった。おそらく実家より、病院にいた年月が長いくらいには。
クリスとの出会いも、同じ病院で病室が隣だったのが縁だったという。
二人は読んでいた本から意気投合して、やがて周囲から姉妹と間違われる程に仲良くなった。
そしてある日、「もしも次に退院できたら、一緒にピクニックへ行こう」と約束した。
ステラが昏睡状態になったのと、ステラの両親が失踪したのは約束した次の日のことだ。
元々ステラの両親は金銭的に困窮しており、入院費もかなり滞納していたらしい。
「お見舞いにも全然来てなかったし、あの人達は娘のことなんて何とも思ってなかったのよ」
クリスが苦々しい面持ちでそう吐き捨てる。……ステラの両親を探すのは無理そうかな。
話を戻して。
先に退院していたクリスは、人づてにステラの境遇を知ると即座に彼女の後見人となった。
しかし、クリスにできたのは入院費の滞納分を支払うことまで。
ステラの入院を続けさせることはできなかった。
かくして、彼女は眠り続けるステラを連れて一年前、この田舎へと引っ越した。
空気が澄んだ、誰も彼女達を知らず、責め立てもしないであろう土地へ。
──そう。全ては妹のように大切な、ひとりの友達を助けるために。
……クリスはそれ以上、多くを語らなかった。でも、どれだけ大変だったかは想像に難くない。
なのに彼女はそんな苦労や疲れを微塵も見せず、ただ「あなたと家族になれて本当に嬉しいわ」と微笑んだ。
しかしその微笑みすら、今の私には自分を責め立てているようにしか見えない。
クリスとステラの話は、間違いなく美談だろう。
──
現実は違う。私という死人が、彼女の人生を奪ってしまった。
先程から何度も内心へ呼びかけているが、誰の返事も気配もない。
私が目覚めた時点、……あるいは、彼女が昏睡状態になった時点で。
本来の『ステラ』は跡形もなく消えてしまったのだろう。
呑気に浮かれていた自分に腹が立つ。罪悪感と嫌悪感で吐き気がこみ上げる。
私は、この世界で一番の罪人だ。
項垂れる私の手を、クリスがそっと握る。
優しげな手つきはきっと、私を安心させるためだろう。
……またひとつ、罪悪感が棘になって刺さるだけだったが。
そんなことはつゆ知らず、彼女は私へ語りかける。
「ロックベルさん──この村のお医者様には、最初から言われていたの。
『もしも奇跡的に目覚められたとしても、何らかの後遺症は残るはずだ』って。
きっと、あなたの記憶喪失がそうなのでしょうね」
そう、『記憶喪失』なんていう都合のいい筋書きのせいで、私はステラになれてしまっ──
……ん? 今なんて?
「でも、わたしはあなたが目を覚ましてくれただけで、もう十分嬉しいの」
ロックベル……医者……おいおい嘘だろ……?
「思い出なら、この先いくらでも作れるわ」
口を挟む間もなくクリスの話は続く。
「ここ、リゼンブールで……ね。これからよろしくね! ステラ!」
ロックベルにリゼンブール。これは確定ですね。
……ああ、なんてこった。途方に暮れるってレベルじゃねえぞ。
おのれ真理野郎、お前は私をどうしたいんだよマジでよ。
エルリック兄弟と同郷確定じゃねーか!!!!
「…………う、うん。よろしくね……クリス……」
混乱する脳みそに鞭打って、どうにか笑顔と握手を出力した。
これで動揺は誤魔化せたと信じたい。
あと真理野郎はいつか絶対殴る。
次話からは毎週日曜午後五時投稿予定です。
書き貯めが尽きないよう頑張ります……。