導星の錬金術師   作:星見錬

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そして大変お待たせしました。

本来なら一話だけの予定だったのですが、また予想以上に筆が乗ってしまったので、今回は前後編の二話投稿になります。

お楽しみいただければ幸いです。


第18話『メリッサ・前編』

 あれから、私はエルリック家への足が遠のいていた。

 分かっている。私が被害者面していいはずがない。これはただの逃げだ。

 だけど、自分でも思った以上にエドに責め立てられたのが堪えていた。

 

 だからと言って、何もしていないわけじゃない。

 今はロックベル夫妻の助手のような立場で、二人を手伝っている。

 

 何か心境の変化があったのか、夫妻が「私達も最後まで諦めない」と言ってくれたから。

 あくまでも法に触れない範囲で、やり方を学びながら診察の補助をするようになった。

 

 他の患者の処置が早く終われば、その分トリシャさんにかけられる時間が増える。

 その時間を積み重ねれば、次の薬が届くまでの猶予を作れるかもしれない。

 今の原動力はそれだけだった。

 

 ……それでも、本題から目を逸らし続けていることに変わりはない。

 今日こそ、ちゃんとエルリック兄弟に謝ろう。トリシャさんにも謝って、介護を──

 

 私がそう考えていると、

 

「……少し、話しましょう」

 

 突然、部屋からクリスが出てきた。

 

 瘦せ細った体とは裏腹に、クリスの言葉は有無を言わせない強さがある。

 肌はすっかり青白くなって、頬もこけてしまっていた。

 

 なのに、ぼさぼさの金髪の隙間から覗く瞳だけが光っていて、独特の存在感を放っていた。

 冷たい視線に射抜かれ、思わず身が竦んでしまう。

 

「分かった。……お茶、淹れてくるね。リビングまで降りられそう?」

 

「ええ。お願い」

 

 少し駆け足で階段を降りる。背後から少し遅れて、彼女が降りてくる音も聞こえた。

 ただ、その音はあまりにも軽い。姿も相まって、まるで幽霊みたいだ。

 

 キッチンに立ってお湯を沸かす。

 茶葉をすくった手は少し震えていた。不安を拭うために、何度か深呼吸を繰り返す。

 

 ──どうして、今になって「話しましょう」なんて言い出したの?

 今までずっと、何を考えていたの? ……私のこと、どう思っているの?

 

 数々の疑問が、頭の中で渦巻いていた。

 けれど、今のクリスからは近付くのも躊躇うほどの緊張感が漂っていて、どれも尋ねられそうにない。

 

 窓を見ると、いつの間にか雨が降り始めていた。

 雨は瞬く間に勢いを増し、ざあざあと雨粒が窓を叩いている。

 

 「酷い嵐になりそうだ」と、どこか他人事のように思った。

 

 


 

 

「…………」

 

 ちらりと向かいに座るクリスを見る。彼女はじっと、カップの中の紅茶を見つめていた。

 もう数分は経つのに、一向に話を切り出そうとしない。

 

 痺れを切らし、こちらから何か切り出そうとして──まともな話題がないことに気付いた。

 何を話しても彼女を怒らせるか、あるいは私の一方的な弱音になってしまいそうで。

 

 ……こんなの、家族と呼べるはずもない。

 

 思えば、私はクリスのことをほとんど知らない。いや、積極的に知ろうともしていなかった。

 

 私はいつも、エルリック家やロックベル家にばかり通っていたから。

 好きな作品に転生したことに有頂天になって、原作キャラや展開(未来)のことばかり考えて。

 

 同居人である彼女のことなんて、ほとんど気にしていなかった。

 むしろ、錬金術を学ぶことや、リゼンブールの外へ出ることを邪魔する厄介者とすら思っていたくらいだ。

 

 そんな私が、彼女をどうこう言えるわけがない。……悪いのは私だ。

 

 ずきりと胸に痛みが走る。自分のどうしようもなさに、どんどん打ちのめされていく。

 

「……あなたは、知らないでしょうけど」

 

 俯いたまま、クリスがようやく口を開いた。

 

()()()はね、とても優しい子だったのよ。

 自分だって病気で苦しいはずなのに、わたしのことばかり気遣ってくれた。

 奴らの実験で命の危険に晒されていた時も、そのことを悟らせまいと頑張ってくれた。

 ……だから、わたしは最期まで気付けなかったの。あの子が、どんな目に遭っていたか」

 

 カップを握る手に力が入り、指先が白くなっているのが見える。

 彼女の話は、まるで懺悔のようだ。

 

「……クリス?」

 

 問いかけを挟んだものの、こちらを少し睨んだだけで、彼女が答えることはなかった。

 窓の外は最早嵐になっていて、雷の光が何度もリビングを照らす。

 

「──あの時の、わたしの絶望が分かる? 分かるわけないでしょうね。

 一度も、わたしを省みないあなたなんかに……!」

 

 突然、クリスが勢いよく顔を上げた。雷光に照らされ、般若のような顔が浮かぶ。

 勢いのまま、クリスは叫んだ。

 

「十四歳の誕生日にあの子(いもうと)を喪った、わたしの気持ちが!!」

 

 彼女の手が私に迫る。

 「ぶたれる!」──そう思って咄嗟に身構えると、その手は顔ではなく、胸を強く突いた。

 

ドンッ!

 

 予想以上に強い力で押されて、椅子ごと後ろに倒れ込む。

 

「ぐうっ!?」

 

 後頭部と背中を強かに打って呻き声が出た。

 まともに息ができない。体のあちこちが痛み出す。

 

 混乱の最中、それでも「逃げなきゃ」という脳内の警告に従ってずりずりと後退る。

 

「まっ……て、クリ、ス、落ち着い」

 

「何逃げようとしてるの?」

 

 いつの間にかこちら側に回り込んでいたクリスが、私の上に馬乗りになった。

 ぎらぎらと光る瞳に背筋が凍る。

 

 後から気付いたけど、あれは間違いなく殺意だった。

 人は殺意を向けられただけで動けなくなる──そんな当たり前のことを、私はこの時知った。

 

「わたしにだって、あなたと家族になろうと頑張った時があったわ。だけど、あなたはどう?

 一度でも私を家族だと思ってくれた? わたしの妹であろうとしてくれた?」

 

「そ、れは……」

 

「……しなかったわよね。そんな努力なんて。わたし達ずっと、上辺だけの関係だったもの。

 あなたを、あの子だと信じようとしたわたしが馬鹿みたい」

 

 一方的にまくし立てると、クリスは私の襟元を掴んで持ち上げた。

 首にだけ力がかかって気道が絞まる。苦し紛れに彼女の腕に手を伸ばす前に、

 

 

「──どうでもよかったんでしょう、わたしのことなんか!!」

 

 

 頭を床に叩きつけられた。

 割れるような衝撃と共に視界が明滅する。

 

「──ッ!?」

 

「おまえなんか!」

 

 再び持ち上げられて、もう一度。

 

「おまえみたいな化物なんか!」

 

 更にもう一度。

 衝撃は耳鳴りに変わっていた。口の中に鉄の味が広がる。

 

「おまえさえ、造られなければ……!!」

 

「や、め」

 

 静止の言葉を言い切る暇すらない。視界が揺れて吐き気がする。

 どうにか抵抗として彼女の腕を掴んだものの、何の効果もなかった。

 

 あの瘦せ細った体のどこに、そこまでの力が残っていたのか。

 何度も力任せに私を揺さぶるクリスの頬を、涙とも汗ともつかない雫が伝う。

 

「はあっ、はあっ……!!」

 

 もう何度目かも分からなくなった時。

 とうとう体力が尽きたのか、クリスが私の襟元を手放した。

 

 「今逃げないと本当に殺される」──そう思って、脱出するために腕に力を籠める。

 しかし、一足遅かった。

 

「あいつらに奪われる前に……わたしの手で……!!」

 

 今度は直接、首を絞められた。

 喉が潰れて声すら出せない。彼女の爪が食い込んで、肌を裂く感触がする。

 首の後ろは未だに無事なものの、血印が破損するのも時間の問題だろう。

 

「……っ、ぅ、…………?」

 

 どうにか息をしようと藻掻く中で、不意に──

 

「────ッッ!!」

 

 今の状況よりも、私を殺そうとするクリスの狂気よりも、外の嵐の轟音よりも。

 他の何よりも恐ろしい事実に気が付いてしまった。

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()

 

 

 今の私は間違いなく呼吸ができない状況にあるのに、思考は変わらずクリアなままだ。

 身体は痛みを訴えているものの、それもどこか遠く感じてしまう。

 多分麻痺じゃない。鈍化でもない。……まるで、夢のような非現実感だった。

 

「私のっ……私の妹を返してよ!」

 

 クリスの言葉さえ、今はただの雑音にしか感じない。

 本格的な命の危機を前にして、心が急速に凍り付いていく。

 痛覚を閉じて、目の前の人物を冷静に観察する私がいる。

 

 ……これはきっと、()()()()の機能だ。

 魂と身体が真に繋がっていない、造り物だからこそできること。

 

 ああ、「人間じゃない」ってこういうことか。

 所詮私は、自分を人間だと思い込んでいただけの──

 

 

「この、化物ぉッ!!」

 

 

 ──フラスコの中の小人(ばけもの)、だったんだ。

 

 


 

 

「ひでー目にあった……」

 

 オルティーズ家の軒下で、濡れ鼠のエドワードはそうぼやいた。

 

「まさか、いきなり土砂降りになるとはな。……リゼンブールではよくあることなのか?」

 

「うーん、めずらしい……というか、ボクたちも初めてです」

 

 同じく全身ずぶ濡れのアルバートの問いに、アルフォンスが服の裾を絞りながら答える。

 三人は道中雨に降られ、慌てて目的地に駆け込んだのだ。

 

 各々で服の水気を切り、「ステラにタオルでも借りよう」と話す最中。

 

「……ん?」

 

 ノックしても反応がない玄関のドアに耳を押し当て、中を窺っていたエドワードが怪訝そうな声を上げた。

 

「なんか……ケンカか? 大きな声が聞こえる」

 

 雨音にほとんどかき消され、発言者も分からなければ、内容もまともに聞き取れない。

 ただ、声の大きさからして尋常ではない物事の気配があった。

 

「何だと?」

 

 アルバートは眉をひそめ、エドワードと共にドアに耳を寄せる。

 無言で目を閉じ、声に集中すること数秒。

 

「────っ!」

 

 突然血相を変えたアルバートが、乱暴に玄関を開け放った。

 

「ちょっ……」

 

「アルバートさん!?」

 

「待て、やめろ!!」

 

 兄弟が静止する間もなく、彼は迷いなく家の中へ駆け込む。

 二人は一瞬だけ顔を見合わせ、何を言う間もなく彼の後を追った。

 彼の様子からして、何か異常事態が起こっていると理解したからだ。

 

 家の中に入った兄弟が対面したのは──

 

 電気が付いているはずなのに、どこか薄暗いリビング。

 男女の言い争う声。雷光。ざあざあという雨音に混ざる、何かが落ちる鈍い音。

 

 エルリック兄弟は、その光景を一生涯忘れることはないだろう。

 

 幼い少年達が目撃したのは、

 

「離して、離しなさいよ! 私は今すぐそこの化物を殺さないといけないの!!」

 

「クリスチナ頼む、やめてくれ……!」

 

 人間が、狂乱する姿だった。

 

「え? ……え?」

 

「に、兄ちゃ……なに、あれ……」

 

 混乱するエドワードの腕に、怯えたアルフォンスが縋りつく。

 どうにか弟を背後に庇いつつ、エドワードも恐怖で立ち尽くしていた。

 

 兄弟の視線の先では、アルバートが必死に()()を羽交い絞めにしている。

 その何かは細い体躯で暴れ、髪を振り乱していた。

 泣き喚く声はキンキンと耳をつんざき、何を言っているのかさえ分からない。

 あれは悪魔だ。二人の目には、どうしてもそうとしか映らなかった。

 

「殺しっ……殺させてよ、そいつを! この悪魔! 化物ぉ!!」

 

 叫びすぎて掠れた声が、リビングにこだまする。

 そこでようやく、何かの正体が悪魔などではなく、ただの人間だと兄弟が理解した辺りで。

 

 とびきり大きな雷光に照らされた顔を見て、二人は再び驚愕した。

 

「……クリス、お姉さん……?」

 

 呆然とアルフォンスが呟く。

 

 悪魔の正体は、ステラの姉であるクリスチナだった。

 瘦せ衰えてこそいるが、癖のある金髪と青い目が確かに彼女だと証明している。

 

 足元から日常が崩れ落ちるような恐怖が、幼心を支配する。

 アルフォンスの震えを背に感じながら、エドワードは自分の呼吸が短くなるのを感じた。

 

 今すぐ逃げ出したい。誰かに助けを求めないと。一体何があった? ──ステラは、どこに?

 

 ぐるぐると思考が巡る。激しさを増す嵐が兄弟の答えを急かす。

 

 エドワードはクリスチナを直視したくない一心から、床に視線を移した。

 

「ぇ、あ……」

 

 そこにあったのは、更なる絶望だった。

 

「…………」

 

 無言で床に倒れる誰か。全身がぐったりと弛緩していて、動く気配は微塵もない。

 ──呼吸による、微かな胸の上下すらも。

 

 一瞬だけ幻と見間違う。

 だが、床に広がる長い金髪と細い体躯には、あまりにも見覚えがあった。

 

「ステラ……?」

 

 名前を呼んでも反応がない。エドワードの頭に、最悪の想像が過る。

 遅れてステラの存在に気付いたアルフォンスの、すすり泣く声が雨音に紛れて聞こえる。

 

 それにつられて、エドワードの視界もじわじわと滲んできた。

 溢れた涙が、目から零れ落ちる刹那。

 

 

 ゆらりと、特に予備動作もなく。

 電源を入れられた機械の如く、ステラが起き上がった。

 

「…………」

 

 何も言わず俯く彼女の額から、一筋の血が流れる。

 ぽたりと垂れた血は、床にひとつの赤黒い染みを作った。しかし、流れたのはその一筋だけ。

 

 一連の光景に人間らしさはなく、全てが造り物のようだった。

 

 ギシ、と震えるエドワードの足が床を鳴らす。

 その小さな音に弾かれるように、ステラが顔を上げた。

 

「ひっ……」

 

 アルフォンスがステラの瞳を見て、兄の背中にしがみつく。

 自分達と同じ黄金の瞳が、見たことがないほどにどろりと濁っていたからだ。

 

「……エド? アル……?」

 

 微かに兄弟の名を呼ぶ彼女の瞳に、ようやく人間らしい光が戻る。

 だが、同時にその顔が苦悶に歪んだ。

 

「……っごめん……ごめんね……ごめんなさい……」

 

 それは、本来ならエドワードが言わなければならない言葉だったはずなのに。

 どれだけ絞り出そうとしても、声は微塵も出てくれなかった。

 

 大人達の喧騒も、嵐の轟音も遠く、まるで別の世界のようで。

 壊れたオルゴールのように繰り返されるステラの謝罪だけが、リビングに虚しく響いていた。

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