導星の錬金術師 作:星見錬
次の日。
あれほどの嵐が嘘のように、空は雲一つなく晴れ渡っていた。
けれど、私の心はまだ暗いままだった。
私は今、ロックベル家の病室にいる。
本来なら大部屋にいてもおかしくないはずなのに、わざわざ個室を用意してくれたらしい。
窓の外を眺めながら、そっと頭の包帯に触れる。
「クリス……」
呟いても、一人しかいない病室で返事があるはずもなく。
ただ、静けさだけが残った。
あの後、クリスは憲兵に連れて行かれたらしい。
留置所のある町へ、今日の明朝に移送される予定だとか。今はもう馬車の中だろうか。
一体、どうしてこうなったのか。私とクリスの間に何があったのか。
事情聴取くらいはあると思っていたものの、誰も何も聞いてこなかった。
怪我の処置をしてくれたユーリ先生も、「今はゆっくり休みなさい」としか言わなかった。
そんな皆の気遣いに、どこか居心地の悪さを感じてしまう。
頭の包帯こそ先生に任せたものの、首元の包帯は適当に理由を付けて自分で巻き直した。
……血印を、見られるわけにはいかないから。
「本当、隠しごとばかりだな……」
クリス相手でもそうだった。
彼女に全てを明かすのは怖かったし、彼女に何を知っているのか聞くのも怖かった。
もしも、ちゃんとクリスと向き合っていれば。彼女と家族になろうと努力していれば……。
──いや、しようとはしていたんだ。ただそれが、足りなかっただけで。
「私は……」
コンコン
控えめなノック音が聞こえて、「どうぞ」と入室を促す。
「失礼する」
入ってきたのは、昨日私を助けてくれた人だった。
彼はコートを脱ぐと、丁寧に畳んでベッド脇のキャビネットの上に置き、椅子に腰かける。
「……その、怪我は大丈夫か?」
「はい。特に命に別状はないと。……えっと……」
「ああ、そうだよな。昨日はまともに会話できなかったものな。
……改めて、自己紹介をしてもいいか?」
「お願いします」
軽く頭を下げると、彼は背筋を伸ばして襟元を正した。
「私の名は、アルバート・フォルカー・ファウスト。アルバートとでも呼んでくれ。
今回は羅針協会の使者として、君を迎えに来た」
少しだけ、気まずそうに視線を逸らされる。
「クリスチナとは、何と言うか……、古い知り合いでね。
だからこそ、私が選ばれたんだが──まさか、こんなことになるとは思わなかったよ」
……アルバート・フォルカー・ファウスト。脳内で彼の名を復唱する。
私の中にある『鋼の錬金術師の記憶』に、該当する名前はなかった。
彼もクリスのように本来なら存在しないか、描かれなかった人物に違いない。
一つだけ、気になる点があるとするのなら。
彼の姓である『ファウスト』は、前世でも有名な錬金術師の名前だった。
つまり、メタ的に考えるのなら彼も重要な立場にいる可能性が高い。
気を引き締めて、改めて彼と対面する。
自己紹介を終えたアルバートは、どこか落ち着かない様子で座り直していた。
場にしばしの間、沈黙が流れる。
その沈黙に痺れを切らして、今度はこちらから話しかけた。
「……あの。羅針協会って、どんな所ですか?」
私の問いかけに、彼は優しく微笑んだ。
「羅針協会は、大衆に錬金術を伝えることを目的に作られた、この国唯一の錬金術師育成所だ。
協会の中では貧富も、性別も、年齢も関係ない。全ての者に門戸が開かれているんだ。
錬金術師にとって……いや。きっと君にとって、必ずや素晴らしい場所になると保証しよう」
アルバートが、そっと私に手を差し出す。
「もちろん、決めるのは君自身だ。だが、もしも行く気になってくれるなら。
「…………」
すぐに、その手を取ることはできなかった。
彼の語る理想は素晴らしい。本当にそんな場所があるのなら、喜んで行きたい。
……でも。
『あそこがどんな場所か……どんな奴らがいるのか分からないから、そんなことが言えるのよ!
慈善団体なんてただの建前、あいつらはただの人でなしだわ!!
あいつらのせいでっ、わたしが……
いつかの、クリスの言葉が蘇る。
もし、本当に彼女の言う通りだったら?
本来のステラの血を搾取して、
そう考えると、アルバートの手を取るのが躊躇われた。
けれども、これ以上停滞もできない。
この機会を逃せば、私は一生、前に進めない気がする。
悩んで、悩んで、悩み抜いて。
やがて、私は意を決して口を開いた。
「分かりました。私を羅針協会に連れていってください。
……だけど、二つ条件があります」
「条件?」
どうせなら、この状況を利用してやろう。
祈るように私は次の言葉を告げる。
「まず一つ目。旅立つ前に、どうしても話したい人がいます。
その人と話す時間をください」
「もちろん構わない。むしろこちらから勧めるつもりだったよ。
……もう一つは?」
「あと一つは、貴方なら可能だと見込んでのお願いです。
今、この国で流行している流行り病──その治療薬をリゼンブールまで用意してください。
どうしても薬が必要な人がいるんです。……お願いします」
床に頭を付ける勢いで頭を下げる。言い切った途端、心臓がひどく脈打った。
……『条件』と銘打ったものの、断られる可能性もある。もしもそうなったら──
そんな私の杞憂を吹き飛ばすように、アルバートは迷わず頷いた。
「……分かった。できる限り尽力しよう。それで、君が来てくれると言うのなら」
「──っ! ありがとうっ、ありがとうございます……!!」
アルバートの両手を握り締め、私はもう一度深く頭を下げた。
今度こそ、この希望が途切れないでほしいと願いながら。
こうして、二日後。
私はリゼンブールを発つことになったのだった。
次の日の朝。
私は一人、エルリック家へと向かっていた。──トリシャさんと、話すためだ。
アルバートはああ言ってくれたけど、薬が間に合わない可能性も十分にある。
もしもそうなってしまったら、彼女と話せるのはこれが最後になるかもしれない。
彼女とだけは、ちゃんと面と向かって話しておきたかった。
トリシャさんの部屋の前で、ノックしようとした瞬間。
「どうぞ」と中から声がして、思わず肩が跳ねた。
「お、お邪魔します……」
おそるおそるドアを開けると、トリシャさんは起き上がった姿勢で私を待っていた。
……きっと、起きているだけでも辛いだろうに。彼女の顔に、そんな素振りは少しもない。
「……トリシャさん、お久しぶりです」
「久しぶり、って言うほどの間じゃないでしょう? ……だけど、そうね。
ずっと一緒にいたもの。たった数日会わないだけでも、そう感じてしまうわよね」
くすりと笑う声が、弱々しくも温かい。
私もつられて苦笑しながら、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。
一息ついて、本題に入ろうとすると
「……あら? ステラ、その包帯はどうしたの? ……怪我?」
トリシャさんに、頭の包帯を指摘された。
「あっ、これは──」
「しまった」と咄嗟に目を逸らす。もう治っているだろうし、外して来ればよかった……。
しかし後悔しても後の祭り。……彼女に、どう説明しようか?
少し考えて、「余計な心労をかけてしまうのも良くない」と誤魔化すことに決める。
安心させるように作り笑いを浮かべると、私は当たり障りのないカバーストーリーを語った。
「最近、派手に転んじゃって……思いっきり頭を打ったんです。
あ、大怪我じゃないので大丈夫ですよ? 場所のせいで少し大げさに見えるだけですから。
だから、心配しないでください」
ちゃんと笑顔を作ったつもりだったけれど。
トリシャさんは逆に、顔を曇らせてしまった。
……これは、誤魔化せなかったな。勘のいい人だ。
少しの間、無言で見つめ合う。
目を逸らそうとしても、彼女の視線がそれを許してはくれない。
やがて、私が真実を話すつもりがないと悟ったのか。
「……そう。貴女が
「すみません。……ありがとう、ございます」
諦めたように笑う彼女に、私はそっと頭を下げた。
──少しだけ、胸に棘のような痛みが走る。
俯く私に、今度はトリシャさんさんの方から問いかけてきた。
「これから、どうするの?」
「そのことなんですが……。実は先日、羅針協会の人が来まして。
話し合った結果、協会に行くことにしたんです。
……その、色々と投げ出すことになってしまって、申し訳ないんですけど──」
「いいえ」
強く握りしめた私の拳の上に、彼女の白い手が重なる。
「貴女は投げ出すんじゃない。今、ようやく踏み出すのよ。
新しい場所に行くのは、きっと怖いでしょう。不安だっていっぱいあるでしょう。
でも──ずっと、一つの場所に縛られることはないの」
目頭がじわじわと熱くなる。視界が揺らぐ。
「貴女には、たくさんの可能性がある。……気付いていないのは、貴女だけ。
必要以上に責任を背負い込んで、自分を責めたりしないで。
自分の限界を決めつけて、足を止めたりしないで。
──どうか、旅立つことを恐れないで。貴女は、最初から自由なのだから」
ああ、この人は。どれくらい私のことを察して──いや、分かってくれているんだろう。
彼女の言葉は、ずっと私が欲しかったものだった。
零れ落ちた涙が私達の手を濡らす。
「泣かないで」とトリシャさんが、もう片方の手で私の目元をそっと拭ってくれた。
その優しい仕草が、心の奥まで沁みていく。
「……どうして、トリシャさんはそこまで分かってくれるんですか」
震える声で尋ねる。
「だって、あの人にそっくりなんだもの。師弟というより、親子みたい。
……ふふ。実は娘も欲しかったのよ、私」
いたずらっぽく笑う彼女の笑顔には、隠しようのない寂寥感が滲んでいた。
溢れる気持ちを抑えきれずに、彼女の細い体に抱き着く。
そして、私は小さな子供みたいにわんわんと声を上げて泣いた。
泣きじゃくる私を、トリシャさんは静かに……けれど、しっかりと抱き返してくれた。
あやすように、ゆっくりと私の背をさする。
「いってらっしゃい、ステラ。……元気でね」
「っ、はい。はい……!」
涙が止まるまで、私はずっと彼女に縋っていた。
──きっとこれが、とうの昔に忘れてしまった、母の温もりなのだろうと思いながら。
トリシャさんと話した次の日、出発の朝。
ユーリ先生に貰ったトランクに荷物を詰める。中身は必要最低限の着替えと研究ノート。
トランクひとつで準備が済んだことに、安心と共に少しの寂しさを感じた。
いつもの服に着替えて、病室を後にする。
アルバートの待つ玄関に行こうとすると、「待ちな」とピナコばっちゃんに呼び止められた。
「ばっちゃん?」
「朝飯も食わずに行く気かい? 用意してやるから食べて行きな」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
相変わらず空腹はない。でも、ばっちゃんの厚意を無駄にしないために頷いた。
いい匂いが漂うリビングで、私はばっちゃんの作った朝食を食べた。
ベーコンとスクランブルエッグに、パンと牛乳のシンプルなメニューだ。
だけど、どうしてかいつもより美味しく感じた。……これも、名残惜しいってやつかな。
「ごちそうさまでした。……ありがとう、ばっちゃん」
食べ終わってお礼を言うと、ばっちゃんはいつものように「かっかっか」と笑った。
「別にいいってことさ。向こうでも元気でな。
……チビどもに、何か言っておくことはないかい?」
ばっちゃんに問われて、「ふむ」と考え込む。
事件以来エルリック兄弟とは顔を合わせていない。
……多分、酷いトラウマになっただろうから。顔を出すのは憚られた。
それでも、何か残すとするのなら──。
「そうだな…………あ」
一つ思い付いたので、ばっちゃんに伝言を頼むことにした。
「エドとアルに、『私の住んでいた家は自由に使っていいよ』って伝えといて。
……あんなことがあったから、あまり近付きたくないだろうけど。
でも、私の部屋にある本や器具は、あの子達にも必要だと思うから」
「ああ、分かった。ちゃんと伝えとくさ。……なら、ついでに掃除も教えなきゃなんないねえ」
「……必要?」
「当たり前だ。あんただって、ガキどもに荒らされた家に帰りたくなんかないだろう?」
「ああ、確かに」
冗談めかした言葉に笑うと、ばっちゃんは安心したように微笑んだ。
「やっと笑ったね。……肩の力は抜けたかい?」
「ばっちゃん……」
言われて初めて、ちゃんと笑えていないことに気が付いた。
……まいったな。旅立つ時くらい、ちゃんと笑って行くつもりだったのに。
それだけ緊張してたのかもしれない。
「うん。……今まで、お世話になりました」
立ち上がって深々と頭を下げると、ばっちゃんは小さく鼻を鳴らした。
「まったく、変に律儀なところは変わらないねぇ。あんたは。
……辛くなったら、いつでも帰ってきな」
「そうする。──本当に、ありがとう」
ばっちゃんに見送られながら玄関へ。
扉を開けると、外のひんやりとした空気が頬を撫でた。
まだ少し白い空は澄み渡っていて、雲一つない。絶好の旅立ち日和だ。
「うわっ」
ひときわ強い風に煽られた髪を押さえて、少し目を閉じる。
風が止んで目を開けると、階段下でアルバートが待っていた。
「おはよう、エステル。……もう、思い残すことはないか?」
そう問う彼に、自信を持って答える。
「はい。お待たせしました。──もう、大丈夫です」
一歩踏み出す。足取りに迷いはなかった。
トントンと階段を降りて、彼の隣に立つ。
歩き出す前に、少しだけ振り返って大きく手を振った。
見ているかどうか分からないけど、皆に届くように。
「いってきます!」
そして私は、アルバートと共に歩き出した。
──同時刻。羅針協会本部の執務室にて。
高級デスクに足を乗せ、ワイングラスを回しながら、一人の男が電話越しに話していた。
その語り口は軽快で、喜色を隠しきれていない。
「ええ。先程弟から連絡がありましてね。例の
汽車がない分、少し時間はかかってしまいますが……こちらに来ることは間違いありません」
男は上機嫌に話を続ける。
もしも電話していなければ、鼻歌のひとつでも歌い出しそうな気配すらあった。
「ええ、もちろん。どんな手を使ってでも、奴を立派な『人柱』に仕立ててみせますよ」
にやりと口元に弧を描き、彼は自信満々に言い切った。
「ご安心を、大総統閣下。貴方様からお寄せいただいた信頼には、必ずお答えしますとも」
受話器を置く。すると、男は愉快で仕方ないと言うように高笑いを響かせた。
彼の笑みは欲望に醜く歪み、最早他人に見せられないものになっている。
「──ああ。ようやくだ」
「これで俺も、不老不死になれる!!」
ちなみにサブタイトルですが、展開や好きな曲を優先するので全ては使わない予定です。
予めご了承ください。