雪女、白野硯女の苦悩   作:マチュピチュ

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第四話 月波駅2

「あら、墨之助(すみのすけ)さん。其方の方は学校の御友人ですの?」

 

意識して微笑みを浮かべる。慣れ親しんだ淑やかな振る舞いは強固な仮面か殻のように私を覆い隠してくれた。

にっこりと柔らかく表情を崩して、それから可愛らしく首を傾げる。

身長が高く、大抵の相手には必然的に見下ろす形になってしまうので何よりも先ず威圧感を消す術を身に付けねばならなかった。

 

“弟”の表情が固まる一方で、一緒に歩いていた弟と同年代と見受けられる女子がパチパチとアーモンドのような目を瞬かせる。

鬱陶しいと思うような感情ではない。恐らく多分の驚きと少しの好奇。弟が何かを口にする前に印象を固定すべく口を開く。

 

知らない不審者です、なんて言われたら通報されかねない。

 

 

「こんばんは。私は白野(しらの)硯女(すずりめ)と申しますわ。そこの墨之助の姉です。少々遠方の女学院に通っているせいで、日頃はお話出来ないのですけれども…………まさかこんなに可愛らしい御方と連れ添って歩いているなんて、と驚いてつい声をかけてしまいましたの。

御無礼、どうかお許し下さいませ。ウチの墨之助がいつもお世話になっているでしょう?」

「あっ、いえいえそんな…………寧ろ私の方が助けられちゃうくらいでして。そんな御礼される程じゃないですよ、私の方が御礼しなきゃって思うぐらいです!」

「そうなのですわね?いえ、だとしても誠実な友人がいるだけで幸せというもの。何事も助け合いなのですから……………これからも墨之助と仲良くして下さると嬉しいですわ」

 

微笑みの形を変えずに、如何にも「らしい」言葉を吐いて会話する。

このような“擬態”は既に慣れた振る舞いだ。眼前の女性──鈴原さん、という名前らしい──が肩を震わせたのを見て、外の空気が冷たいと理解してから眉を下げて困ったような表情を作った。

 

 

「あら、ごめんなさいね。ついつい楽しくて話し込んじゃってしまったけど外は寒いですわよね。配慮に欠けていてごめんなさい、鈴原さんのお家は何処かしら?」

「そんなに遠くじゃないですよ!だけど白野君が………あっ、お姉さんの方じゃなくてですね。夜は危ないから送るって言ってて」

「ふふっ、鈴原さんには悪いかもだけど私も気持ちは分かってしまいますわね。だって、こんなに可愛らしいんですもの。夜に一人で歩いていたら心配になってドキドキしてしまいますわ」

 

弟の酷く薄気味悪い化け物を見るような視線が私に突き刺さるが、口にはしない。私も弟も、私の体質が知れ渡るのを良しとはしていないからだ。

一緒に家まで送ろうかと提案しようとして、しかし「常識的な姉」として振る舞うだけなら不必要だろうと思い直す。

 

無理に同伴するのも弟から疑惑を持たれるだろう。護身能力という面では私の“秘密”を明らかにしなければ一般的な女子高生に劣る程度であるし、合理的に同伴するに足る理由も見つからない。

 

 

「では墨之助、ちゃんと鈴原さんを送り届けて差し上げるのよ?寄り道してはいけませんからね?」

「……………あぁ、分かったよ。(ねえ)さん」

 

私に対して素っ気なく弟が返答をするのを見て鈴原さんがきょとんとした顔をする。

恐らくは疑問だろうと想像して、私は困ったように手を頬に当てて呟いた。

 

 

「…………反抗期なのかしらね?結構良い姉を務めているつもりなのだけれど、やっぱり私に言えない不満があるのでしょうか…………」

 

 

当然の帰結だろう。そもそも私は彼と五年しか一緒に暮らしていないのだから。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「ただいま帰りましたわ、お父様。お母様。今日の晩御飯は焼き鮭でしょうか?とっても香ばしい匂いが玄関からでも分かりますわ」

 

にこにこと微笑みながら靴を脱ぐ。

飾り気のない黒一色の靴下が玄関前のふわふわもこもこの白いスリッパに差し込まれて、つるりとした木目の綺麗な床の上を歩いた。

 

────リビングでは私と良く似た造形の、しかし硯のように静かな黒色の髪を軽く流した妙齢の女性が配膳をしている。

その側に立つのは壮年の若々しい男性だ。こちらもまた黒い髪を短くオールバックにしており、仲睦まじく隣の女性の配膳を手伝っている。

 

今世での血縁上の父と母だ。そもそも血が流れていないのでそう言えるかは怪しいけれど、戸籍の上ではそういうことになっている。

 

家族全員が座れる程の大きさの四角いテーブルには椅子が四つ並んでいた。

私の隣には母が座り、私の前には父が座るのが定位置だった。その位置に、私が彼らを殺そうとした際に弟だけでも逃がそうとする意図が秘められていると知ったのは三年前だ。

 

 

「もし良ければ配膳をお手伝いしましょうか?人手が多い方がきっと早く終わりますもの………………あぁ、でも墨之助さんは遅くなるでしょうからもう少し保管した方が良いのかしら?」

「俺達の息子をどうした?」

「どうしたも何も、部活の後輩を家まで送り届けると言っておりましたの。ですから少し遅くなるだろうと推測しただけですわ」

 

そもそも私だって娘じゃないですか、と口にしようとして止める。

ずっと一緒に暮らしてきた弟と違ってある程度育ってから同居するようになった私には隔意があるのも当然だろう。

 

 

(…………でも、もう少し仲良くしてくれたら良いのに)

 

気を張り詰めてこうして教えられた通りお淑やかに振る舞って、何とか歩み寄ろうとはしているものの効果は五年が経った今もまだ現れていない。

 

産んでくれたことには大いに感謝しているし、何処かの研究所に差し出すでもなく体質を隠してくれたことにも感謝しているのだ。

だからせめて彼らにとって「望ましい家族」として振る舞えないかと試行錯誤しているが、何かを間違えているのか上手く行かない。

 

 

私の言葉に胸を撫で下ろして、言葉を返すでもなく配膳に戻ったお父様の姿を恨めしそうに見てから、嘆息して鞄と制服を自室に戻しに行く。

お母様は一度も私を見ることなく味噌汁を静かに覗き込んでいた。

 

パタリ、と戸を閉めて暗い自室で独りきりになる。闇の中でも部屋の風景が鮮明に見えた。

鞄を棚の横のフックに掛けてリボンを外す。制服のブラウスを脱ぎ捨てて折り畳み、踵まで伸びる長いスカートも着替える。

 

まだ私が死産であると医者に告げられる前、お母様が産まれてくる我が子が女の子だと喜んで将来の為に買った白いワンピースを着込む。

出来るならズボンでも履きたい所だが、しかし家族との関係と私自身の嗜好を比較すれば当たり障りのないレディースを着ざるを得ない。

 

コレだけが口すらも利いてくれないお母様との唯一の繋がりのようなもので、私の大切な宝物だった。

 

 

ガチャリ、と玄関から音が響く。

廊下に出て、お淑やかな振る舞いを意識しながら微笑む。弟が靴を脱ぐ前に廊下に置いた鞄を拾い上げて、私は口を開いた。

 

 

「さっき振りですね、墨之助さん。

お母様がとても美味しそうな焼き鮭と味噌汁をもう作ってくれておりますので、食べにいきましょう。

それとも、先に制服を脱いで着替えるのを手伝った方が良いでしょうか?」

「…………姉さんって、ドキドキするの?」

「しませんよ。でも普通の人はドキドキできるものでしょう?」

「そうだな。普通の人はドキドキできるよ」

 

はぁ、と小さく息を吐いてから弟は私を見上げた。

 

「着替えは手伝わなくて良いよ。そこまでして貰うのも悪いし…………ちょっと恥ずかしいしさ」

「えぇ?普通思春期なら美人なお姉さんに着替えを手伝って貰うのってご褒美じゃないんですの?」

「仕入れる知識絶妙に間違ってるなァ!?!?いやいや、そりゃ確かにあるかもだけど実の姉にそんな感性な訳ないだろ!?!?」

「ちょっと、もう少し声抑えてくれませんか?またお父様に殺されちゃいますよ私」

「だっ…………誰のせいだと思ってる…………!」

「私でしょうね。ごめんなさい、許して頂けませんかしら?」

 

頭痛を堪えるようにして眉間を揉み始めた弟を他所に、鞄を弟の自室に戻しながら考える。

前世では特に兄弟姉妹もいなかったから仕方なくない?

 

 

些かの間を挟んで、制服を着たままの弟が椅子に座ってから手を合わせて「いただきます」をする。

お母様達が黙々と食事をする中で意図的にペースを調整しながら食べ進めるのが日常だったが、今日は途中で箸を置いて背筋を伸ばして、それから微笑みつつ口を開いた。

 

 

「そう言えばですが、お父様。明日は少々午後に外出をしたいと思っているのですけれど、許可を頂けないでしょうか?」

「…………構わない。遊興費は必要か?」

「ふふっ、友達と遊びに行くのではなくアルバイトなんですよ。ちょっとしたプレゼントでもお母様とお父様に贈りましょうか?」

「不必要だ。金銭面についてお前が気兼ねする必要はない」

「あら、そうですの?でも確かにまだまだ養って頂いている身でプレゼント、というのも烏滸がましいですわね。独り立ちした後の方が良さそうです」

 

お父様は何も言わずに食事に戻って、それきりで私とお父様の会話は終わった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

用意されていた分の食事を完食して、お皿を洗い場に戻してから逃げ去るように自室へと戻る。

美味しかったよ、とお父様の優しげな声が聞こえてお母様の柔らかく笑う声が静かな廊下越しに響く。

 

暗い寝台の上で横になりながら、私の前では見せてくれないお母様とお父様の声を聞くのはどうしようもなく心が冷たくなる。

雪人形が、お父様とお母様と墨之助、そして私の姿を象って空中で踊る。コレが現実になれば良いのにと思うのに、私の力不足のせいで現実に出来ない。

 

 

「…………あっ」

 

音から意識を逸らす為にスマートフォンを開けば、メッセージが一件届いていた。

『明日ちょっとしたプレゼントがある』。差出人は六条彰光。

 

少し心が軽くなって、布団の下へと潜り込む。

明日が待ち遠しいのに、眠らない私は少しずつ時が経つのを待つしかなくて、一秒一秒数えながら目を瞑る。

 

 

 

いつものようにお母様が私の首を縊り締めても、今だけは泣かずにいられた。

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