雪女、白野硯女の苦悩 作:マチュピチュ
月曜日。
私は
彼女に訊ねたい事があったからだ。残念ながら学校での私は置物のようなものなので、人脈などないに等しい。だから色々と詳しい彼女に聞くのが最適解だろうと。
週末の間に浅沼警部と連絡して前科者のリストとの照合を行なって頂いたけれど誰一人として該当する容疑者はいなかった。
だから私が判別したあの先輩がコンタクトの取れる唯一の容疑者という事であり、必然的に接触が求められた。
六条探偵は心配してくれたけれども、大した問題にはならないだろうと私は踏んでいる。
学校という場所で暴挙は行えないだろう。何せ殺人の証拠を隠せないのだから。
────と、いう訳で。私は女子高生の顔写真を手に五月雨さんに訊ねるという前世ならば疾うに通報されているであろう行為に及んでいるのだ。
「この方の御名前って、五月雨さんは知っていますかしら?」
「あっ、2年C組の
「凄い流暢に個人情報垂れ流しますわね……………えっ、どうやってそんな事知り得ていますの?実は有名人でしたりするのかしら………?」
余りにポロポロと求めていた情報が手に入って、私は喜びよりも先に驚愕してしまった。
もう少し情報収集に時間を要するかもしれないとさえ思っていたので拍子抜けですらある。
だがそれよりもどんな情報網を五月雨さんが持っているかの方が興味を惹かれてしまう。普通、余程仲良くなければ顔写真だけでフルネームとクラスまで出てこないのではないだろうか?
五月雨さんは朗らかに笑って、自慢気な表情をした。
「────頑張って一人一人覚えたんだよ!僕ってあんまり頭良くないけどこういう地道な作業は得意だからね!
スズちゃんも僕を便利に使っちゃって良いんだよ〜?」
「えっ。い、いえ、大切な友人をそのようには扱えませ」
「
気付けば、目の前に五月雨さんの顔がある。いつもの朗らかな笑みとは違って、何処となく暗い色を帯びた表情で私を上目遣いで見上げる。
身長は優っている筈なのに思わず肩が竦んでしまう。
後ろ手のスマートフォンの鍵盤が高速で叩かれる。探偵が犯人を追い詰めるように、一枚の写真が目の前に突き出された。
写っているのは私と六条探偵だ。
「実は僕もスズちゃんに聞きたい事があったんだよね〜!一緒に団地にいるけど、お家を探しているのかな?」
「ち、がいますわ。あくまでも事件調査の為の証拠集めでして………そ、そもそも買うにしても何の為に買うんですの?」
「同棲とかじゃない?家から学校まで遠いな、ってスズちゃんが愚痴ったの覚えてるよ僕。いつも行く前にスーパーのチラシとかも確認してるしね!」
「あ、あぁ〜…………………?」
にこにこと笑っているが、しかし眼が笑っていない気がする。
考えてみればそもそもウチの学校の近くだ。休日であっても生徒の目はあるだろうし、私の外見は殊更に目立つ。油断していた。
体質のせいで冷や汗は流れないけれど、焦りでいつもの微笑みがぎこちなくなる。過去の自分の発言が刺してきていた。裏切り者だ。
もう少し周囲に気を配っておけば良かったと思うが、後悔先に立たずだ。
「ですが、その、まだお付き合いもしていない殿方と同棲はしませんわよ。私はまだまだお母様とお父様に養って貰っている立場ですもの、非常識なことは致しませんわ」
「そっか。そうだね、スズちゃんに限ってそんなことはしないっか」
背中に這い上がってきていた厭な予感が消える。張り詰めた緊張の糸が切れて、やっと胸を撫で下ろした。
中学の頃は誰からも遠巻きにされていたが、しかし友人が増えるとそれはそれで予想だにしていなかった問題も増える。
若い女子同士ならこのような関係も当たり前なのだろうか?そう考えると前世の彼女たちに対して尊敬の念が湧いてくる。
「…………僕、スズちゃんが声をかけてくれて嬉しかったからさ。同じ駅から登校するのも嬉しかったんだけど、実は内緒で引越ししようとするくらい僕が嫌いだったのかなって思っちゃって」
「そのようなことは、決してありませんわ。いつも助けられておりますもの、五月雨さんを蔑ろにする筈がないでしょう?」
コレは本音だ。最初は偶々席が近くて、偶々同じ駅から通ってるから話しかけただけだったけれど。
そんな私を友人と呼んでくれて、そのお陰で女子としての積み重ねを一切持たなかった私がクラスの輪に溶け込めたのだから。
五月雨さんが顔を綻ばせて快活に笑った。
「じゃ、これからも僕のことは便利に使っちゃって良いからねー!お友達料金で無料だよ!」
「冗談でもそんなこと言わない方が良いですわよ…………!?これで私が遠慮なくアレコレ指図し始めるような悪役令嬢だったらどうするんですの!?」
「凄い狼狽えようじゃない?」
「いえ、これは割と本気で心配していると申しますか………」
私が悪い男だったらどうするのだろう、という心配が先立つ。
私の前世は男性なのだ。当然感性も一部引き継いでいる。だから、まだ未成年の子がそんな発言をしているとついつい慌ててしまう。
そんな私の様子が余程面白かったのか、五月雨さんは暫く笑ってから笑い過ぎて浮かんで涙を拭いながら問いかけてきた。
「────それで、夕張さんには何の用事なの?」
「“コレ”を下駄箱に忍ばせておこうかと思いまして」
私は胸ポケットから綺麗に折り畳んだ手紙を取り出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ラブレターだとクラスメイトに大層騒がれた。
違うと弁解したが、では何の為に呼び出したのかと聞かれれば迂闊には話せない。
素直に事情聴取の為だ、なんて言ってもしも夕張さんに聞かれたら逃走される恐れがある。それでは背後関係も掴めない。
警察の手を借りるのが一番簡単であるのだが、残念なことに全ての都道府県で同時多発人質立て篭もり事件が発生して警察も大忙しだ。
その隙を突いた強盗事件やら放火事件の対処などもあって手が足りない。
だから怪しまれないように、頑張って追求を濁して躱してを続ける他に選択肢はなかった。
その結果がコレだ。
「えっ、思ってたよりもずっと美人な子が出てきたじゃない。マジで告白するの?もっと良い人とか見つかりそうだけど………」
「そうそう、お金持ちのイケメンとかいくらでも見つかるって!エリサなんかに告白するのは勿体ないよ!」
「えっと、あの…………………申し訳ありません。告白したかった訳ではなく、お話がしたかっただけでして…………」
「そもそもこの娘自体が実家お金持ちじゃん。一年の間だと結構有名だよ〜?」
わぁ、と先輩たちの勢いに押されてしまう。
身長は私の方が高い筈なのに、洪水を前にした木にも満たない程度しか持ち堪えられない。
のらりくらりと追求を躱す内にいつの間にか話は膨らんでいて、私が夕張さんに告白するということになっていた。
コレ、もしかして私がタジタジになってるのも録音されてしまうのだろうか。
映像ではなく肉眼で見る夕張さんは、何処か無気力そうな女子高生だった。
長い髪はゴムで纏められてはいるものの、手入れが行き届いておらず、少し眠たげな顔に常に薄い笑みを浮かべている。
制服は程々に着崩してはいるし、声の調子も軽いがその程度だ。大きな校則違反を犯すような不良とは結び付かなさそうな見た目。
─────チラリ、と他の先輩たちの様子を伺ってみれば、強い好奇の視線が私に突き刺さっているのが分かる。コレならば問題はなさそうだ。
「では、行きましょうか。夕張さん」
「はいはい。別にアタシに同性愛趣味とかないから期待しないでねー?」
「本当にそういう話ではないのです…………!」
屋上まで続く階段を2人で上がる。扉を開ければ冬の寒風が流れ込んできて、風に白銀の髪を靡かせながら出入り口の横に立つ。
軽く息を吸ってから、私は話を切り出した。
「如月ヶ丘団地で殺人をしましたね?」
「……………参ったわね。アタシをここまで連れてきといて、“そういう話”をするの?」
「配慮ですわよ。アナタの友人方の前でこんなお話をする訳にはいきませんから」
「それは素晴らしい道徳心ねぇ?惚れ惚れするよ。つまりは司法取引の後のアタシの社会復帰を手助けしようってワケだ」
「動機を教えて下さいませ。それによって対応が変わります」
「アタシが奴らを裏切れそうな動機ならさっさと吐かせて
夕張さんは眠たげな目のまま肩を竦め、諦めたようにため息を漏らした。
「ネイルとリップが欲しかったの。アンタみたいなお金持ちには理解できない庶民の感覚かもしれないけどね。アタシたちみたいな学生の中には生活が大変で、そういった嗜好品すら満足に買えない人たちもいるの。覚えなきゃダメよ」
「…………えっ。今、私もしかして殺人犯にお説教されてます?」
「嘘よ」
思わず唖然としてしまって、その一瞬の硬直の隙を突いて夕張さんが私に足払いをかけた。
元より痛覚が存在しない躰だ。しかし重心が崩れたせいで躰が前のめりになり、直ぐに伸ばされた手が強く私の首を握り締める。
「けっ、」
「させないわ。叫ばれたらアタシの友人に聞こえて教職員が駆け付けちゃうもの。残念だけど、静かに死になさい」
決断が早い。舌回しで私の意識を弛緩させ、その隙に躊躇なく暴力行為に踏み切っている。
爪が私の首の皮膚を裂いて肉へと食い込む。何とか手を伸ばして抵抗をしようとして、直ぐに頭突きが行われて夕張さんの額が私の鼻の骨を砕く。
何処か恍惚とした表情で、彼女は私という人体を破壊している。
「馬鹿な娘。えぇ、確かにアナタの情けはアタシの助けになったわ。そこは感謝してあげる……………ふふっ、金持ちをこんな風に痛め付けられるなんて望外の幸運ね」
「………………!」
「足掻いても無駄。腕力も鍛えてない、そんなにか細い腕じゃアタシには勝てないわ。司法取引って事はまだ背後組織には辿り着いていないんでしょう?それならまだやりようはあるわ」
骨が軋む。窒息死するか、或いは頸動脈を裂かれて失血死するか。夕張さんにとってはどちらでも構わないのだろう。
当たり前だ。普通の人間はそれで死ぬ。
「アタシが一人だけで出ても、アンタに“一人にして欲しい”ってお願いされたって言えば話は通るでしょう?5時限目が始まるまでの猶予だけど、それだけあれば逃げるには十分─────自分がどう思われるかに頓着しなかった者の、自業自得の最後ね」
致死傷を受けたのに生きていると判断されたら、私の体質を隠せなくなるから。
軽く念じる。眼前の彼女の肺器官を凍結させるまで1秒も要らない。
私の首を絞める指先の血液も全て凍結させる。彼女はもう私を殺せない。
「…………ゲホッ、コホッ!」
肺が凍結しても、実際に胴体を切り開かない限りはバレないだろう。
そしてそうなる前には氷も溶ける。私の仕業だと気付く者はいない。
今、私が実行したことも教えない。解説する意味がない。バラされたら困る情報を、何故敵対的な者に与えてあげねばならないのか。
私は自由になった口で彼女に語りかけた。
「自分がどう思われるかに頓着しなかった者の自業自得の最後。まさしくですわね」
─────私の上に跨っていた夕張さんが、横合いから蹴り出されて屋上を転がった。
猛獣が襲いかかるかのように彼女を蹴り出した影が彼女の上に跨がって拳を何度か顔面に叩き込む。
あの細い腕では、到底勝てないだろう。
影が太陽の光に照らされて正体を現す。感情の読めない冷たい表情。濡羽色の髪は邪魔にならない程度に肩まで伸ばされ、目つきは鋭く服装も規律正しい。私は“彼女”を知っている。
「ありがとうございます、
「生徒からの通報があったからな。命に別状はないようで良かった、白野」
夕張さんは恐らくは私のアルバイト先が探偵事務所であることを知っていた。だから私にどう対処するかで焦って見失っていたのだ。
だって、彼女たちは私が告白すると思っていたのだから。
当然好奇心で聞き耳を立てるくらいはするだろう。わざと壁の近くに立って誘導した甲斐があった。不自然な怪異によってではなく、自然な暴力によって夕張さんは無力化されるだろう。
「…………や、違いますよ。アタシはちょっと我慢ならないことを言われたんで反撃しただけで」
「ならば双方共に拘束して生徒指導室まで連れて行こう。各々の主張については後で警察を交えて話し合う。良いな?」
「あぁ、一つだけお願いがありますわね。実はお昼休みが始まってからずっと録音を続けていたので、そろそろ録音終了ボタンを押したいなと」
「洗いざらい背後組織について吐くわ。アタシが闇バイトに辿り着いた経緯まで含めて提供する用意があるわよ」
「本当に決断が早いですわね…………いえ、助かりますけれども」
私は六条探偵に、事件の解決祝いに一緒に焼肉行きませんか?とメッセージを送った。