雪女、白野硯女の苦悩 作:マチュピチュ
肉の焼かれる香ばしい匂いが漂う中、私はスマートフォンを片手に六条探偵の到着を待っていた。
ネオンが眩しく光る繁華街。
六条探偵事務所は規模に反して駅に酷く近い。であるのに到着が遅れている、となると何か別の用事で出かけていたのだろうか?
(────まあ、構いませんわ。まだ約束の時間ではありませんもの)
15分程度の時間が残っている。遅れたら遅れたで予約を後ろ倒しにすれば良い。
六条探偵の事だ。何処かを遊び歩いているなんて事もあるまい。
もしかしたら、私の方の配慮が足りていなかったのかも。なんて考えて、スマートフォンを胸ポケットに仕舞う。
再び手を鞄へと戻し、両手で鞄を持ちながら立つ。
少し
ピッタリと背筋を伸ばして一歩も動かない。そんな芸当を負担なく行える時点でやはり今世の私は人でなしなのだろう。
静かに時を刻みながら駅の雑踏を眺めて、
「お嬢ちゃん、ちょっと一緒に遊ばないかい?勿論コッチが奢るからさ」
「ずっと待ってるけど寒いでしょ?待ち合わせならカフェの中でも出来るしね」
「……………わぁ」
思わず声を上げてしまう。
遊び慣れていそうな薄いシャツ一枚の男性が2人。ズボンも何処にでも売っていそうな品だが、清潔感があって着慣れた雰囲気がある。
ゆっくりと左右を見渡す。待っている女性は私だけだ。そうなると私が話しかけられているということになるのだろうか。
「ごめんなさいませ。私だとは思わず、少し反応が遅れてしまいましたわ。ご配慮は嬉しいのですが、もう10分程待ち合わせまで時間があるのでカフェは少し…………」
「あぁ、確かに。5分前行動の人だと後5分しかないもんね。そりゃキツイ。
注文してから届くまで、それから飲み終えるまでを考えたらちょっとギリギリになっちゃいそうな時間だ」
「もうちょっと早く誘った方が良かったかもなぁ。お友達の子?」
あちゃー、と顔を見合わせて彼らは苦笑した。
彼らの発言を総合すれば、暫く私が待っているのを見ていたのだろう。寒さを感じないのが災いした。
この格好で立ったらどれだけ寒いのか、身近にサンプルがいないので合わせられない。
とは言え、まだ少し時間もある。ずっと待つのも暇なので私は返事をした。
「いえ、アルバイト先の上司です。案件が終わったので私からお祝いパーティーに誘ったのですわ」
「そりゃスゴイ。部下に誘われるとか相当人望ないと無理なんじゃないか?普通、仕事の上司と食事とか疲れそうだしさ」
「俺達も後輩に中々誘われないからな………………なんて行動力とコミュ力だ。それはそれとして焼肉屋のチョイスが男らしいけど」
「あら、そうなんですの?私が好きなので選んだのですが、世の女子高生はもっと違うチョイスなのでしょうか…………」
「いや、しかし他と違うことが悪いということでもないだろう。寧ろお得なんじゃないか?」
「お肉なら10人前でも食べられますわね」
「経済的にはお得じゃなさそうだな…………」
「おいこら、面と向かって失礼なことを言うんじゃない。すみませんねこのクソボケ馬鹿が。でも俺はいっぱい食べる女の子好きっすよ!」
「ふふっ、ありがとうございますわ」
横から鳩尾に拳を突っ込まれた片割れが膝から崩れ落ちて、その片割れが力が抜けた右腕を肩に回して立ち上がらせる。
何故立ち上がらせたのだろうと思ったが、スカートを覗こうとするんじゃないともう一度拳を叩き込まれる姿を見て納得した。冤罪だと思います。
────ふと、近くに黒色の車が止まっているのが見えた。
「わざわざ送らせてしまって申し訳ないな。今日じゃなければ歩いて帰ったんだが…………」
「気にしなくて良いぜ、兄貴。何ならウチの最寄りからコッチの駅まで線路でも敷くか?」
「お前のお母さんに聞かれたら私がボコボコにされそうで怖いなぁ!今度御礼するから楽しみにしててくれ」
「おっ、それなら一緒にゲームしてくれたら良いぜ!FPSとか知ってる?」
「知っている。今度会う時までに基本的な操作方法を覚えておこう」
運転手だと思われる金髪の若い男と会話を交わしてから、黒髪の男が車から降りてこちらに向かってくる。
目つきの鋭い鴉めいた神経質そうな容貌にオールバックに整えられた髪。
「待たせたかね、白野助手。少し別件で席を外していてな」
「いえ、まだまだ5分前なのでお気になさらずとも大丈夫ですわよ。………………あら、煙草の匂い。もしかして吸いました?」
「……………良く気付くな?」
「いつもとは違う匂いがしましたので」
気付く。先程まで会話を交わしていた2人が硬直していた。
「…………仕事先の上司?」
「えっ。あぁ、はい」
「お嬢ちゃんから誘った?」
「はい。そうなりますわね」
2人は顔を見合わせてから、滝のように汗を流しながら焦るような笑みを浮かべて急速に遠ざかっていった。
「いやぁー!すいませんねウチの連れの察しが悪くって!ちょっとお話してただけで何も疚しいこともないんで…………おいなんで最初に聞いとかなかったんだオメェ!?」
「そうっすよ!俺ら何も怪しい者じゃなくって通りすがりの大学生なんで本当気にしなくて良いっすよ!後はもう仲良くして貰って………………だって普通に会話してくれたから特に“そういう”理由じゃなさそうだったじゃん!」
人混みに紛れて消え去っていった大学生たちを見て、分かり易く困惑の色を貌に浮かべた六条探偵が私に問いかけた。
「彼らは何者だったんだ…………?」
「外で待つのも寒そうだからとカフェに誘われましたの。流石に奢られるのも悪いですし、時間も中途半端だったので暇潰しに一緒に雑談してましたわ」
「なんと。では私の方から御礼申し上げた方が良かったかな…………今度会った時にはそうしよう」
「そう言えば浅沼警部は来られなくなったのでしたかしら?」
「あぁ、そうだな。同時多発立て篭もり事件は陽動だった、今は本命の刑務所襲撃に対応中だ」
「世に悪人の種は尽きまじ、とは言いますけれども…………凄まじいものですわね」
はぁ、と嘆息する。
結局私が山寺を離れざるを得なくなった理由も犯罪者が原因だった。私よりも悪人の方が妖怪らしいと言ったが、それも間違いではないだろう。
「では、2人で食べましょうか」
「そうだな。今日は私に奢らせてくれよ?」
「私も結構お金持ちなの、忘れてませんか?今日は私から誘ったのですから私の奢りで構いませんわ」
────結局、勢いに押されて割り勘になってしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「あら、食べ放題じゃなくて良いんですの?」
「君の食事量で食べ放題は店が潰れかねんだろ」
「ふふっ、流石にセーブくらいはしますわよ。別にお腹が空く訳でもありませんもの」
「だとしてもだ。折角のお祝いなら景気良く行ってしまえ。食べるの好きだろう?」
「…………では、遠慮なく」
乾杯、とグラスをぶつけ合う。六条探偵はビールで私はオレンジジュース。格好が付かないが、未成年なので仕方ない。
予約したのは個室制の焼肉屋だったから誰かに盗聴される心配もないだろう。私の体質についても口に出せる。
グイッ、とグラスを煽って六条探偵がビールを喉に流し込む。
注文されて届いた山盛りの肉を忙しなく焼きながら────面倒になったので雪人形に焼かせることにする。
この店は品を届ける2分前に個室に連絡をするし、届ける以外の目的では決して個室に近付かないから問題ない。
雑談するのに十分な余裕を手に入れて、私は首を傾げた。
「まあ、随分と豪快に飲みますわね。そんなに一気に飲んでしまって大丈夫なんですの?」
「父と
「では明日はしじみのお味噌汁でも作って差し上げますわね」
「助かるよ。期待しておく。あぁ、それから」
些か言葉にするのを躊躇いながら、しかし六条探偵は口を開いた。
「春休みの期間中は、また別件で暫く東京を離れるだろう。だから、その間は事務所の鍵は君に預けておきたい」
「あぁ、お見合いか縁談ですのね」
「えっ何で分かった?」
「話の流れ。状況判断ですわ」
焼き上がった肉をタレに漬けてから頬張る。
のっぺらぼうの雪人形がご飯のお椀を私の側に持ち寄って、私の食べたいと思ったタイミングでお箸でご飯を掬って食べさせてくれる。
その間にも、もう一体の雪人形が淡々と肉を焼いてくれている。
人類が何もせずとも良くなった未来世界という単語がふと頭に思い浮かぶが、原理的にはオカルトもオカルトだ。
「そんなに気を遣わずとも大丈夫ですよ。そも、私は寧ろ六条探偵にお世話になってるような立場ですので。今回の事件だって私がいなくても解決したでしょう?」
「そんなことはない。十分役に立っているさ。犯人に暴行を振るわれたと聞いた時は肝を冷やしたが、もし白野助手がいなければ
「それに?」
「君のご飯は美味しい」
「…………………………ふふっ、外食してる最中に言う台詞じゃないのではないでしょうか?」
少し気恥ずかしくなってしまって、緩みそうになる口元を抑える。
焼肉を食べようかとも思ったものの、ご飯を見る度に先程の言葉が頭の中で響いてしまうので、やはり真正面から六条探偵に向き直った。
「もう、お見合いを控えていますのに私なんかにそんなこと言ってしまって良いんですの?」
「どうせ断るから問題ないとも。私に他人の人生を背負える力なんかないさ」
「自己評価が低いですわね。もっと自己肯定感とか気軽に上げていきません?」
顔の赤みを誤魔化すように、私は乾杯と再び口にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ただいま帰りましたわ、お父様。お母様─────あら」
「待っていたぞ」
既に家族全員寝静まった頃だろうと声を小さくしていたけれど、リビングの椅子にお父様が座っているのを見て首を傾げる。
今までとは違う行動だ。いつもは無視が基本だったから、両親が私の帰りを待っていてくれることはなかった。
「何かご用事でしょうか?お父様…………!」
弾みそうになる声を努めて抑えて、楚々とした振る舞いを意識しながら足を踏み出す。
匂いは残っていないだろうか?髪が跳ねていたりは?六条探偵で梳いて貰えば良かったかも、なんて不安と期待が胸の奥から沸々と湧き出る。
「お
「お
それだけ言い終わって、お父様は椅子から立った。
私の顔を見もせずに寝室に向かう。横切った刹那に見えたお父様の表情は何処までも冷ややかで、つい思わず振り向いて声をかけてしまう。
「あのっ…………他には、何かありますかしら?」
「ない」
それだけ言い残して、扉が閉められた。
一枚の扉が私以外の何もかもから私を隔絶しているかのようだった。
(……………京都)
“儂は、御主の為などではなく、儂の俗欲の為にのみ穢れたのだ”
寺を離れる最後の冬の日。雪の降る黄昏時だった。
“故に感謝する必要はない。気に病む必要もない。
立ち去れ、
私は、目の前で人が殺される瞬間を見ていた。