雪女、白野硯女の苦悩 作:マチュピチュ
第八話 過去。明蓮寺
「また雪を降らせたな?」
低く唸るような声がして、
ふらふらと空中で遊ぶ雪結晶の狭間から小さな人影が姿を現していた。石造りの階段を一歩ずつ降りて近付いてくる。
皺に塗れた、今にもポッキリと折れてしまいそうな骨張って萎えた四肢の老人である。
落ち窪んだ目蓋によって目は開いているのかさえも曖昧で、唇も乾いて黄色い皮膚と何ら違いが見受けられない。
歩くのにさえ難儀して杖を手放せない有様なのに、その声だけは明瞭で大きかった。
彼はその明蓮寺の和尚で、名を
「………街の方にまで降らせなかったのは、偉い。列車が止まれば困る者もおろう。彼らを考えられるようになったのは素晴らしい成長だ」
「ちょっと、おじいちゃん!薄着で来たら風邪引いちゃうよ!?」
トンッ、と枝から飛び降りる。雪結晶が翼のように僕を優しく抱き締めて、ふんわりと僕も雪の一部であるかの如くゆっくりと着地する。
五条袈裟を羽織った蓮鷹和尚は老齢とは到底思えぬ程の威厳を醸し出していたが、しかし身体の衰えには抗えないだろうと僕は焦った。
何か上に羽織るものを、それか直ぐ
「話を逸らすでない。儂は健康じゃ、御主なんぞに心配される謂れはないわ。帰れというのならば先ずは御主についての話をしてからよ」
「また殺生の罪の話?それなら今は冬だし雪が降るのも自然だから別に良くない?」
「天が雪を降らすのと、“人”が雪を降らすのは別という話じゃ。
眉間を揉みながら、蓮鷹和尚は杖で石段を叩いた。
それが苛立ちではなく、言葉を探していると分かるまで3年は必要だった。何というか、外見で結構な損をしている人だなと思う。
それでも、躊躇いなく僕を“人”と呼んでくれるから好きだった。
「文明社会の恩恵が好きじゃろ」
「うん。インターネットって最高に便利」
「ネット回線を寺まで繋ぐの、相当に苦労したからの。まァ殺生の罪やら何やらは後付けよ、そもそも御主って仏門の徒じゃあるまいし」
我ながらでも中々に無理を言ったと思う。
それでも慣れない業者との遣り取りまで含めて和尚が全て熟してくれたお陰でこの世界について調べ物をする土台が整ったのだが。
結果から言えば、僕が期待したような著しい結果は何もなかった。
陰陽術や魔法、妖怪や悪魔と言った超常の存在は僕を除いては何一つとして実在していなかった。
治安が悪いだけだ。全ての町に名探偵がいるのではないかと思わされるだけの犯罪件数と猟奇的な事件の数々。
財閥のお嬢様、という真っ先に被害者になりそうな身分から解放されたのはもしかしたら幸運なのかもしれなかった。
何の理由があるかは分からないが今でも祖父が資金援助をしてくれているし、食い詰めることもないだろう。
「慣れてしまってはいかん、という話をしておるのじゃ。儂からすれば大して価値のない力だが、巷には悪意を持って御主を利用しようとする者も現れるだろう」
「……………僕が大事なの?」
「そうじゃな。御主の祖父と両親に託されたのだ。万が一があっては申し開きができぬ。
そうでなくとも、御仏に仕える者として恥ずかしくない行いをせねばならん」
「まあまあ。偶には良いんじゃないんですか?」
穏やかな声が石階段の上段から響いた。
暖かそうな毛布を手にした妙齢の女性だ。声の印象に違わずおっとりとした綺麗な貌をしており、無言で気遣うように蓮鷹和尚に毛布を勧めている。
尼僧ではなく祖父の邸宅の使用人らしいが、僕が寺に移されてからは僕の世話を和尚と共にしてくれている。
近頃は僕の髪を編むのに嵌っていて、様々な髪型を試している。我ながら芸術品のように素晴らしい仕上がりになるので大層眼福なのだろう。
「お嬢様も、どうですか?」
「僕が降らせたんだもの。寒くないし大丈夫だよ。ありがとうね」
「いえいえ、お気になさらず。ちょっと私が個人的に着飾りたいなと思っただけなので」
「空衣。そう何度も甘やかすものではない。時にはハッキリ言わねば伝わらぬこともあるのだ」
「そうは言ってもですねぇ…………」
困ったように微笑みを浮かべて、空衣さんは和尚に毛布を掛けた。
「雪が降ったらお友達の方と一緒に皆んなで雪遊びをする約束をしていたんですよ。ねぇ?お嬢様」
「……………うん」
和尚は保護者という感じが強くって、空衣さんも僕よりも下の立場という立ち位置を崩してくれない。
だから遠慮せずに一緒に遊べる友達というのは貴重だった。
子供だから隔意が薄いというのも有り難い。人ならざる身となった僕にとって、未だ人であった前世の感覚を思い起こさせてくれる。
和尚は苦い顔をしながら、しかし背中を向けた。
「…………過ぎたことを責め続けるのも無意味か。仕方あるまい。次からは気を付けなさい。ほうれ、夕食には儂がピザを作ってやるからさっさと遊びに行くがよい」
「ありがとう!でも仏教の戒律的にはピザ作っても大丈夫?」
「儂が食わなければ問題ないじゃろ。美味しそうな料理を前に精進料理を食べるのに耐えるのも修行の一つじゃ」
「和尚様は生臭ですからねぇ」
「ハッ」
コツ、コツと杖が石段を叩く音がする。
空から墜落する白雪が静謐を形作る中で、老いた僧は振り返りもせずに答えた。
「宗教とは人の為にこそ開かれたものだ。ならば、誰も不幸にならないのならこれくらいは良いわい」
石階段の下方から子供たちの騒ぐ音が聴こえる。僕は顔を綻ばせて駆け出していった。
「
◇◆◇◆◇◆◇◆
「
「…………良いぜ。2人だし適当に1人10枚くらいで良いか?」
京都行きの新幹線の車内で、髪を人目から隠すようにとお父様から渡されたつばの広い麦わら帽子───キャプリン、と言うらしい。それを被りながら私は隣に座る弟をゲームに誘った。
普段の態度からして嫌がられるかもとも思ったが、想定に反してアッサリと承諾されて少し驚く。
カードの束を私から受け取って、それから慣れた手つきでシャッフルする。家にいる時よりも柔らかい態度に首を傾げた。
「あの、持ち掛けた私が言うのも何なのですけれども、本当に大丈夫なんですの?」
「別に。親父とお袋の目もねェんだからこれくらいはしても良いだろ。
「いえ、それはそうなのですが…………アッサリと頷いてくれたので、少し驚いてしまって」
「あぁ、ソレは分かる。姉さんがあんまり器用な方じゃねェってコトくらいは」
さっさとカードが手元に配られて、慌てて役の揃い方を確認する。
悪くはないが、極端に良くもない。中途半端な揃い方。どうやって勝つべきか考えている間に、弟は次の言葉を口にしている。
「丁寧過ぎなんだって。所詮親なんて血が繋がってるだけで絶対に仲良くしなきゃいけないとか、絶対に服従しなきゃいけないってモンでもねェだろ。
親父もお袋も、それを知ってるからこそ姉さんの態度が怖いんだ。程々に適当に扱った方が良いぜ」
「…………そうなのでしょうか?本当に?」
「俺の見立てではな。つっても、俺だって青二才だから信用できるモンじゃねェが」
「どうして、教えてくれるのですか?」
「俺はこれでも姉さんに感謝してるんだよ」
配った時と同じように、さっさと役を確認し終えた弟は脚を組みながら不敵に笑った。
「俺が生まれた理由、“普通の子供を産んで安心したかった”だからな。姉さんがいなきゃそもそも産まれてねェんだ────さあ、始めようぜ。ポーカーフェイスは得意でな、年季が違う」