小さい頃から走るのが好きだった。ううん、好きじゃすまされない。大好き、超好き、神好きだった。
暇さえあればずっと走っているような、そんなウマ娘。それが私、ハレヒノカイザー。
「ハッ、ハッ、ハッ……!」
風を切って走る感覚が好きだ。アスファルトで舗装された道を走るのが好きだ。広い草原を駆け抜けるのはもっと好きだ。
他の子は別のことに興味を持つ子が多い。漫画とか、ゲームとか。
けれど私には、走ることに勝る喜びはない。走ることこそが至上であり、他のことにはあまり興味がない。誘われたらまぁやるくらい。
「気持ちいいなぁ……!」
走れればそれでいい。それが私にとっての生きがいだ。
けれど、どうも私は身体が強くないみたいで。あまり走り回ることはできない。
「カイザー! 大丈夫だった!?」
「うん、お母さん。だいじょ「ケガはない? 息苦しくない? 脚も大丈夫!?」うん、大丈夫だよ」
こうしてお母さんが毎日のように心配する。ちょっとこっちが申し訳なくなるくらい。
この心配する気持ちは分かる。私だって、友達がケガをしたら心配はする。
けれど。
「……ごめんね、カイザー。もっと思いっきり走りたいのに、身体がそれを許さないだなんて」
「そんなことないよ、お母さん。私は今でも十分幸せ」
これだけは、本当に理解ができない。私が思いっきり走れないことを嘆くお母さんのことが、私には理解できない。
生まれつき身体が弱いらしい。お医者様からそういわれた。
本気を出したらどうなるか分からない、下手したら一生走れなくなる可能性すらもある。そんな風に。
そのことを知った両親は、ずっと私に謝り続けていた。
「ごめん、ごめんねカイザー! 丈夫な子に産んであげられなくて、本当にごめんね……!」
ウマ娘にとって走ることは生存本能に等しい。レースで走り、切磋琢磨する。
その中で、本気で走れないというのはあまりにも大きな枷。ほぼ全てのウマ娘が目指し憧れる舞台、トゥインクル・シリーズで勝つのは厳しい。
だからこそ、両親も友達もみんな私を憐れんだ。
「カイザーちゃん、身体が弱いからあまり走れないんだって」
「それって可哀想……思いっきり走れないの、私だったら耐えられないな」
本気で走ることができない私を憐れんだ。全力を出せば壊れてしまう虚弱な体を慮った。
けれど、私にはそれが理解できない。ううん、理屈としては理解できるけど、完全に理解することができない。
(私は走れるだけで幸せなのに。他のみんなはそうじゃないのかな?)
極論、私はレースで走ることは重要視していない。私にとって何よりも大事なのは、今この時を走れるということ。
別に全力を出せなくても構わない。だって走れるんだもの。走れるのに、どうして憐れまれているのか分からない。
走れればよくないだろうか? きっと、よくないから私を心配してるんだろうけど。
私には理解できない。でもまぁ、そういうものだとして受け入れることにした。
「大丈夫だよ、お母さん。今日は何とさらに長く走れた!」
「ッ! そ、そうね、偉いわね。よく頑張ったわね」
笑顔じゃないのは嫌だ。どうしてかは分からないけれど、悲しい顔を見ると心が凄くきゅうってなる。
みんなには笑っていてほしい。だから私は。
(今日も走る。私は大丈夫だよって、みんなが心配するようなことは何もないよって)
走るの好きだし、これはとってもWin-Win。喜びの永久機関だね。
◇
そんな私も、トレセン学園に入学することができた。日本で一番有名な、ウマ娘の養成機関。トゥインクル・シリーズで走る子達はみんな、この中央と呼ばれる場所にくるんだとか。
どうも私はかなりの才能があるらしい。筆記・実技共にトップで通過したことを後日知った。
「いやはや、凄い子と同室になったものだね。あたしはダンスインザムード、ルームメイトとしてよろしくね?」
「うん! よろしくねムードちゃん!」
「距離の詰め方えぐいね。ま、よろしく」
私以外にもたくさんの子達がいる。みんな地域では名を馳せた子達らしく、凄くギラギラしていた。
学園に通う子達はみんな負けず嫌い。
「私の方が多く食べる!」
「あたしの方が勉強できるんだから!」
食事に勉強、果てには遊びにも全力。負けることが許せないのか、絶対に勝とうって気持ちを感じた。
レースでもそう。授業だろうとなんだろうと、全力を出して勝ちに行く。
「いざ! バクシンバクシーーンッ!」
ギラついてて、うん、凄いな。
(やっぱり、
私には分からないけど。
「それじゃあ次! ハレヒノカイザー、前に」
「はーい!」
でも、走ることができる。それだけで幸せなのだから、このトレセン学園は私にとって天国だ。
今回の授業では8人1グループのレース形式。1000mの距離を、一番に通過することが目標だ。
「私が勝つんだから!」
みんな気合いを入れている。勝ちたいって気持ちがあふれている。
私? 私は。
「みんな、楽しく走ろうね!」
「「「は?」」」
楽しく走れたら、それでいいな。
スタートラインについて、先生の合図で一斉に駆け出す。
真っ先に飛び出したのは私。なんとなく、このタイミングだと思ったらばっちりその通りだった。
「は、速い!?」
「でも、まだスタートだもの!」
みんなも後ろから追いかけてくる。熱が伝わってくる。
本気の熱、勝ちたいという気持ちが分かる。授業でも変わらない、勝ちに行く姿勢。
そんな熱をあてられると……楽しくて笑っちゃう。
(楽しいな、楽しいな)
みんなと走るの楽しいな。凄く凄く楽しいな!
「あはは」
「な、何笑って……!?」
小学校では、気づいたらみんな一緒に走ってくれなくなった。
みんなみんな、私とは走りたくないって敬遠していった。
別に寂しくはないかな? だって、別に走ることはできるし。
けど、うん。
(みんなで走るとさらに楽しい! 楽しいに楽しいが上乗せされて、幸せいっぱい笑顔たくさん!)
みんな勝ちたいって気持ちはあっても、走るのが大好きなはず。だからきっと、今この瞬間が楽しいに違いない。
「アハハ!」
「は、速すぎ……!」
楽しいな、楽しいな。みんなと走るの楽しいな!
授業は私の勝利で終わった。気づいたら勝ってた。
息が整わない。凄く息苦しい。
けれど、楽しい。やっぱり走るのは楽しい!
「みんな!」
「「「っ」」」
「楽しかったね!」
そう言ったら、本気で理解できないような、そんな表情をされた。
うん、どうやら私は、またやってしまったらしい。
◇
ハレヒノカイザーのクラスメイトは、目の前で言われたことが分からなかった。
「楽しかったね!」
屈託のない笑顔。心の底からそう思っているハレヒノカイザーの表情に、クラスメイトはただ恐怖を覚えそうになった。
先の模擬レース形式の1000m。ハレヒノカイザーの独り舞台だった。
勢いよく飛び出したかと思えばそのままハナを譲ることなく先頭で走り抜ける。圧勝とはまさにこのことだろう、と誰もが思った。
だが、クラスメイトが震えたのはそこではない。
(なんで、笑いながらあんだけの走りができるのよっ!)
ハレヒノカイザーは笑いながら走っていたというのに、クラスメイトを楽勝で千切っていた。その事実は、彼女たちを恐怖させるには十分すぎる理由だった。
元々ハレヒノカイザーというウマ娘は有名だ。
筆記・実技共に成績トップで入学してきた優等生。誰にでも笑顔で話しかけ、みんなを照らすような、まさしく太陽と呼べるウマ娘。
そんな彼女が人気者になるのは、ある種必然だった。彼女の周りは笑顔で溢れ、楽しく過ごすことができる。彼女を慕うウマ娘も少なくない。
ただ、ここはトレセン学園。実技成績トップの走りがどんなものか、気にならないはずがない。今回の授業で初めて走る姿を見るクラスメイトからしたら、実力を知る良い機会だった。
そこで見せられたのは──圧倒的蹂躙。彼女以外の7人は、笑いながら走る彼女に一度たりとも追いつけなかった。
(か、格が違う……!)
(本当に自分たちと同じなわけ!?)
たった一回の走りで格を見せられた。他を圧倒する走りに、羨望にも似た感情を覚えた。
だが、走り終わった後の言葉が楽しかったね、である。
勝って喜ぶのではない、クラスメイトの実力を讃えるのではない。ただ彼女は、楽しかったねとだけ言った。
勝ち負けなど初めからどうでもよかったかのように。勝ったことに少しも喜んでいないかのような姿。
「な、なに、言ってんの?」
思わずそう呟いてしまったクラスメイト。彼女を責める子はいない。なぜなら、全員が同じ気持ちだったから。
当然だ。蹂躙された側だというのに、どうして楽しいという気持ちが湧いてくるのか? 彼女の考えていることが心底理解できない。
ハレヒノカイザーは、少しも疑問に思っていない表情をしている。
「だって、一人で走るよりみんなで走る方が楽しいでしょ? だからみんなも楽しかったんじゃないかって!」
笑みを絶やさない。学園の生徒会長、シンボリルドルフに似た容姿をした彼女は、トレードマークでもある三日月の白い前髪を揺らしながら、
恐怖で震える。いったい何を考えているのか、理解が追い付かない。
(負けたら悔しい、勝ったら嬉しい。普通、そっちの方が先に来るでしょ)
(楽しいなんて二の次。授業であっても、勝ち負けを考えるのは当然)
負けたくない、彼女達にとっての当たり前。
授業であっても勝ちたいし、遊びならともかく勝負の場において楽しいという感情は持ち込まない。それが
けれど、ハレヒノカイザーは明確に違う。このレースを、心の底から楽しんでいると理解できる。
なぜなら彼女は笑っていたから。屈託のない笑顔に裏はないと分かっているから。
分かっているからこそ怖いのだ。勝負の鉄火場で笑う彼女のことが、クラスメイトは理解できなかった。
「と、とりあえず次のグループ。名前を呼ばれたものは前へ……」
いち早く正気に戻った先生は、授業を進める。ハレヒノカイザー達には他の子と同様に自由行動であることを伝えて、普通の授業へと戻っていった。
そして、このレース以降ハレヒノカイザーを取り巻く状況は変わる。
傍目には何も変わらない。変わらず笑みを絶やさない彼女は、みんなの人気者だ。
「カイザー、今日も元気だね!」
「ん~? あ、おはよー!」
彼女の周りは笑顔で溢れている。みんなを照らす太陽は、今日も元気に輝いている。
明確に変わった点は──彼女と走る人物があまりにも少なくなったということ。
「ね、ね。今日こそは走ろう!」
「あ、あ~……ちょっと別の用事があって」
「なんですと!?」
目に見えて落胆する彼女に悪いとは思いつつ、彼女達の頭によぎるのはハレヒノカイザーの蹂躙。
「ねぇ、なんで断るの? カイザーの走りってちょっと気になるくない?」
「バカあんた、聞いてないの? カイザーの噂!」
「あ~、アレね。本当なのかな?」
噂はすぐに広まった。ハレヒノカイザーが授業で、他のクラスメイトを圧倒する強さを見せつけたと。
最初は血気盛んに挑むウマ娘もいた。噂を聞き付けた彼女達は、ハレヒノカイザーにレースを挑んだ。
結果は──ハレヒノカイザーの全戦全勝。しかも、明らかに遊ばれているのに、全力を出していないのにである。
勝負が終われば、決まって彼女はこう言う。
「楽しかったね!」
嘘偽りのない笑顔。信じられないような言葉を笑顔で言い放つ彼女に、挑んだ少女たちが恐怖を覚えるのも無理はなかった。
「それに、下手したらこっちが折られちゃうわよ。あの子、とんでもなく強いもの」
「こっちは必死なのに、向こうは笑いながらだもんね~。私だったら耐えられないよ」
「いったい何考えて走ってんだろ……」
勝負など関係ないという笑顔。その笑顔が、彼女達を余計に困惑させていた。
これはレースだけではない。他の分野においてもそうだった。
ゲームでも、球技でも、カードゲームでも、果てにはじゃんけんでさえ。彼女はどんな時でも笑う。
「ありゃ、負けちゃった。でも楽しいね!」
負けても笑う。勝っても笑う。楽しくて仕方がないかのように、彼女は笑みを絶やさない。
理解ができない。ハレヒノカイザーというウマ娘を、理解することができない。
その結果、彼女達が思い至った結論は。
「ま、いつも通りにこの距離間でいいでしょ」
「走りには絡まず、ただ楽しそうなカイザーを眺めるだけ」
「この距離感が適切ってね」
近すぎず、かといって遠すぎず。程よい距離間で接することが大事だと悟った。
遠すぎるとどこか物足りない。だが近づけば太陽のような彼女の熱に焼かれてしまう。
だからこそ、程よい距離間で接するのが大事。そう決めた。
今日も彼女達はハレヒノカイザーとともに笑う。
「楽しいね、みんな!」
その心を理解することは、諦めた。
カイザーの恐ろしさはまだ一片。ここから先、さらに彼女の恐ろしさが浮き彫りに……なるかもしれない。