公安特捜班 走る大捜査線-会津路殺人捜査行- 作:新庄雄太郎
次の日、南と高山と小海は10時00分発の東北新幹線「Maxやまびこ43号」に乗って郡山へ向かった。
「東北新幹線の場合はね、盛岡では「はつかり」の他に郡山ではね「ビバあいづ」と連絡しているんだよ。」
「へぇー。」
「ほう、最近郡山でも新幹線と連絡しているんだな。」
と、南は言った。
10時00分、南と高山と小海が乗った新幹線「やまびこ43号」は郡山駅に到着した。
「やっと、郡山か。」
「そこからは特急「ビバあいづ」に乗って会津若松へ行くんだよ。」
「へぇー、高山は詳しいんだよね。」
「うん、何しろ乗った事あるんですよ。」
と、高山は言った。
「あっ、あれだよ。」
「乗りましょうか。」
「うん。」
11時31分、南と高山と小海は11時31分発の特急「ビバあいづ」に乗って会津若松へ向かった。
1993年(平成5年)12月1日より郡山駅 - 会津若松駅間を運行する特急「ビバあいづ」運転開始。土休日や多客期には一部列車が会津若松駅 - 喜多方駅間を延長運転。
運転時間1時間、走行距離64.6kmと短距離短時間の特急列車であったことから、編成には様々な特色が設けられた。3号車に組み込まれたモハ485-1008は「インビテーションカー」と称し、フリースペースを設け、会津の物産の展示などが行われた。同車には会津若松市観光協会の職員が1名乗務していた。
特急列車の車内放送冒頭で使用する車内チャイムのオルゴールは汎用される鉄道唱歌ではなく、会津地方の民謡「会津磐梯山」のオルゴールを使用。専用編成が仙台電車区配置の1編成のみであったことから、月1回帰区する際は運休・代替快速列車を運転したほか、長期検査時には後述する他区所の485系で代走するケースもあった。
1998年12月:「インビテーションカー」運用を終了。普通座席車に復元するとともに全検入場したため、11月10日 - 12月15日の間は勝田電車区から「ひたち」塗装の485系6両編成(K5編成)で代替運転された。郡山と会津若松を結ぶ特急「ビバあいづ」は郡山を11時31分に発車し、磐梯熱海、猪苗代駅、執着会津若松へは12時30分に到着する。
「うわー、磐越西線って郡山から始発するんだ。」
「うん、そこから喜多方へも行けれるんだよ。」
「へぇー。」
「見て、会津磐梯山だわ。」
「本当だわ。」
「ほかにも、只見線と一緒なんだよ。」
「そうなんだ。」
「なかなかいい車窓だな。」
12時30分、特急「ビバあいづ1号」は会津若松に到着した。
「やっと、会津か。」
「どうも、ご苦労様です私は会津署の村下です。」
「どうも、鉄道公安隊の南です。」
「同じく高山です。」
「小海です。」
そう言って、南と高山たちは福島県警のパトカーに乗って現場へ向かった。
「こちらが現場です。」
「ほう。」
「やはり、沙織の死因は絞殺ですね。」
「ええ。」
「何かロープみたいなもののようなもので殺害したと考えられます。」
「やはり、東京で起きた殺人と同じ手口だ。」
と、南は言った。
「えっ、それはどういう事なんですか?。」
「はい、実は東京都内のマンションで殺人事件がおきまして、犯人は同一人物ではないかと思うんです。」
「ほう、その可能性が高いな。」
と、村下刑事は言った。
「どうも、福島県警・警部の土井です。」
「どうも。」
「そうか、東京と会津若松で起きた殺人は同じ手口なのか?。」
「ええ。」
「ほう、なるほどね。」
東京で起きた殺人と会津若松で起きた殺人、犯人は誰なのか?。