野上武志先生『はるかリセット』(秋田書店チャンピオンRED/チャンピオンクロス)から
エッセイ風二次創作
お酒の種類が様々にあるように、お酒との向き合い方、そして酔っぱらい方にも千差万別ある。人間もまた、アルコールによって醸されるのだ。
陽気になって普段言わないことを口にするようになったり、涙もろくなったり、攻撃的になったり。お酒による酩酊感は感情のタガを緩め、隠されていた本性を引き出す。あるいは、当人が本当はこうありたいという姿の一部をあらわにする、のかもしれない。
わたしの周囲には、こうした自らの殻を破るような酔っぱらいはあまり多く見られない。彼女らの場合、平時の個性が増幅される傾向にある。
はるか先生は場を煽るタイプで、放っておくと気焔を上げて自分の世界をどんどんと広げ始める。その世界に入り込んで一緒に騒げば楽しいことこの上ないけれど、巻き込まれた人や素面の店員はたまったものではないだろう。
ユイ・アラモード先生は自らが広げた世界に没頭するタイプで、ひとたびアルコールが入れば辞書をひっくり返したように次から次へとヨタ話、もとい蘊蓄が口から流れ出す。閾値を超えると、相手が聞いていようがいまいが関わらず話を続けるのが玉に瑕だ。
観音さんは飲兵衛たちという具がごった返す鍋を仕切る奉行であり、議長であり、大統領で、とにかく場を制御しようとする。もちろん、料理の取り分けだって率先する。といっても単に独善的なわけではなく、どういうわけか全体が一番楽しくなる流れを心得ているようで、観音さんがいる酒席はいつも笑いに満ちている。
お酒が入った場にも関わらず、同席した人々の会話を聞き漏らすことのないその様は聖徳太子とも称されるけれど、請願者の数は10を平気で超えることも多々あるため、アイアンドームとかミサイル迎撃システムの方が近いのではないかと思う。
同期である沖野まひろは観音さんの変形だ。彼女は面倒をきらう性格だから場を自ら仕切ろうとはしないものの、しかし人心を掌握する手段には精通していて、はるか先生やわたしのような普段は大人しい人間が腕まくりして啖呵を切ろうとすると、急に「でも以前はこう言ってましたよね」などと痛撃を加えてくる。
その場は一気に沸き立つ。彼女は思いもよらぬ不意打ちにしどろもどろになった被害者を笑いながら、また息を潜めて機を窺うのだ。観音さんがミサイル迎撃システムであれば、まひろは原子力潜水艦であり、その手腕は瞬間風速的には観音さんを上回ることさえある。
わたしはもう何回も彼女にこてんぱんにされているので、長い付き合いにも関わず、席が近い時は気が気でなかった。先日にもこのようなことがあった。
ビアホールで宴もたけなわ、気持ちよくなっているところに
「ところで広瀬ちゃんはいつプロになるの?」
急に振ってきたのだ。驚いたわたしが返事をする間もなく
「この間書いてたあれ、すごく良かったよね。次は何書くの?」
「いまは色々と準備しているところだから…」
端から雲行きが怪しいと気付いたのだけれど、既に場は彼女のペースにあり、わたしは彼女を止める手段を持ち合わせていなかった。
「え、じゃあいつまでに書くの?」
「毎週書こうよ、金曜日とかにさ」
観音さんも得心した顔ですかさず続けてくる。この時点でわたしはもう話の終着点が見えて過呼吸になりかけていた。
「ちょっと、待ってください」
「書かないの?」まひろは容赦なく追い打ちを続ける。
「どうせやらないよ、広瀬君は。どうせ毎週金曜に更新なんて絶対にしない。どうせやってくれない。ああ、残念だなあ」
観音さんも調子づいて挑発的な声を上げる。
こいつら~!何が毎週更新だよ!とわたしが叫べるはずもなく。
「わか、わかりました」
「おっ」
「わかりました。毎週、金曜日に、何かを更新します」
「おお~」
記者会見で追い詰められた政治家のように、わたしは自縄自縛の宣言を強要させられたのだった。
後になってわかったことだけれど、この様子を動画で残した輩がいたせいで、言った言わないの有耶無耶に帰することさえできなくなった。大変なことになったと青くなっているわたしと満足げに頷く観音さんがうまいこと同じカットに収められていて、二重に腹が立ったものだ。
『毎週金曜日に何かしらを更新する』、この一文だけでも解釈の余地は広い。特に、更新日に直面するようになってから実に様々な疑問と実務上の言い訳が湧いて来た。
毎週金曜日としか指定されていないのだから、金曜日のいつであっても構わないのだろうか?金曜日は、拡大解釈すれば土曜日の午前6時くらいまでは金曜日と言ってもいいのではないだろうか?
毎週金曜日の更新は、金曜日の更新だけに限るのだろうか?例えば、月曜日や火曜日に先に更新した場合には金曜日の更新は免除されるのだろうか?
それにしても、この約束はいつになったら満期終了を迎えるのだろうか?
聞き返すのも野暮だし、聞いたら聞いたでわたしが不利になる返事しか貰えないとわかりきっていたので、ただただ黙して、更新を続けてはいる。
実力をつけるためにはとにかく書き続けるしかないわけだから、理にかなっている。それくらい、わかっている。でも毎週〆切に追われる焦燥感はたまったもんじゃない。これを書いている今だってそうなのだ。
まひろが悪い。それもこれも、まひろが観音さんを焚きつけたせいだ。彼女の原潜しぐさが恨めしくて仕方がなかった。
つくづくわたしとお酒の関係は、後悔によって彩られている。先生たちのお酒に対する愛に相当するほど、わたしは特段お酒が好きというわけではない。ひとりではほとんど飲まないし、気付くと一か月以上、お酒を口にしていなかったということもある。
ただ何かを決心したり伝えたりするためには、お酒の力を借りて「ええいままよ」の心理状態を得るしかなく、そうした状態では必ず下手な口約束をするものだから、醒めないうちに後悔するといった体たらくなわけだ。
酒癖も、特筆すべき点はおそらく、見当たらない。わたしは自分を信用しない臆病者であり、心の根から小心者であるので、お店や周囲に眉をひそめられるような飲み方ができないのだ。
特に学生時代にエラい飲み方を繰り返してからは、記憶を失くしたり吐くまで飲むようなことはなくなった。ここ数年は吐いた記憶もない、いや、数年前にあった気がする。確かあの時は観音さんと慶子さんと、いや、まあ、この話はよしましょう。
とにかく、わたしは基本的に酒量をかなり調整するようになったので、深酔いすることがなく、酒席での会話や出来事をよく覚えている。
言ってしまった後悔と言えなかった後悔が思考を塗り潰し、繰り返し襲ってくるわけで、これを覆すにはまた飲んで新しい記憶で上書きするしかない。わたしは酒席を恐れながらも切望しているのだ。
―――
3月のある日、観音さんが主宰する食事会があった。
蕎麦の会と称されるそれは、観音さん行きつけの蕎麦屋を貸切って蕎麦前のフルコースを楽しむ催しであり、今回はユイ先生や芳倉篤美さん、雨露しずくさん、高田ヨーコさんなど大勢が参加するにぎやかなものだった。
わたしはといえば、かねてから飲んで話しながら食べるというのが大の苦手で、今年に入ってから苦手なあまり好物のアイスバインを食べ損ねた一件から、ここのところ酒席では食事に集中しようと決めていた。着物もきっちりとしたものではなくルーズなものを選んでくる始末。
お酒を飲んで注いで食べて話すというのはマルチタスクにもほどがあり、シングルタスク専用に組まれたわたしの頭ではどうにも処理しきれない。特に話すという動作は事前の入念な準備が必要であるのに、食べていると口を占有されるものだから余計に混乱する。もともと両立させるのはわたしにとって無理な話なのだ。
食べる動作に専念するようになってすぐに気付いたのは、食べ物に集中するのは素晴らしいということだ。ひとりではあれもこれも頼むことは難しいけれど、酒席であれば色々なものに手を出せる。
しかも、大抵の人は話に夢中で手元がおろそかであるから、美味しいものを先に取られても気付かない。帰りがけの空腹感となんとなく損した気持ちとも無縁になった。卑しさ全開であるが、なんの、卑しくて結構。わたしは卑しいことを実践する楽しさを知ってしまったのだった。
蕎麦の会の当日、蕎麦屋さんが大賑わいになる中で、幸いなことにわたしは観音さんの対面に座ることとなった。人間ミサイル迎撃システムである観音さんと同じテーブルに着いている以上、わたしが口を挟む隙は微塵もない。むしろ軽率に何かを言えば報復措置が待っているのだから、蕎麦前が楽しみだったわたしは、これで違和感なく食事に集中できると喜んだ。
お店が貸切なものだから参加者のお喋りは開幕からフルスロットルで大盛り上がり。観音さんが各テーブルの会話をさばく様子を眺めながら、先付けを味わう。
湯葉の刺身、なすの煮浸し、鯨のベーコンにマカロニのサラダ。シンプルでありながら、わたしのような料理素人でも、丁寧な仕事がされていると気付く。どれもお酒が進む。
行きつけのお店、ましてや「僕が育てた」と呼べるお店など皆無なわたしは、そのようなお店を持っていること、そこに人を呼び集めることの事実に戦慄する。
お店と懇意になるためにはただ通うだけではなく、継続的な関係構築が必要だ。わたしは、いわゆる顔を覚えられたら行き辛くなるタイプであるので、とうてい真似できない。そして行きつけに人を呼ぶということは関係性を強化する行為であり、また呼ばれた人に手の内を明かして包摂し引き込むことを意味する。
これらはすべて相応の自信、自分に対する自信とお店や呼ぶ人との関係性が確固なものであるという自信が必要だ。わたしは羨ましいという気持ちよりも、自信を得るために必要な努力を見積もって、嘆息するしかなかった。
続いて出てきたのは楽しみだったお刺身。しっかりした蕎麦屋さんのお刺身は、寿司の専門店に勝るとも聞いたことがある。天ぷらのことだったかもしれないけれど、この際どちらでもいい。美味しいのが正義なのだ。どれも美味しかったけれど、泳ぐ魚よりも頭足類や貝類に目がないわたしにとって、特に生のたこが絶品だった。
生のたこは、ボイルされたものとは違う、得も言われぬ滋味がある。その噛み切れそうで噛み切れない食感といい、くちどけといい、お刺身の中でも代えがきかない特徴的なネタだ。それでいて、水っぽくなってしまっていることも多く、美味しいものには巡り会うのは難しい。蕎麦屋さんのお刺身は美味しいという定説はわたしの中で更に強化されたのだった。
お刺身は二人で一枚のお皿に提供された。いくら食事に集中しようとも、さすがに大皿ではない人のものに手を付けるほど食い意地は張っていないし、そう見られるのも避けたいので、ついつい手が出そうになるのを我慢する。しかし残ったら平らげようと目を離さなかった。
そうやってひたすら食事と聞き手に集中していると、だしぬけに観音さんが何かを言い出した。何か先に話していたのかもしれないけれど、わたしはお刺身に夢中で聞いていなかったのだと思う。とにかく、わたしが藪を突いたわけではないのは確かだった。
「広瀬君はね、僕をナメてるんだよ」
聖徳太子が聞いてあきれる口の悪さ。おまけに迎撃でもない、先制攻撃だった。
「僕の言うことはこれっぽっちも聞かないんだから。創作や執筆に関して、僕があれこれ色々なアドバイスをしてきたのにまるで手を付けない。なのにはるか君が言ったら、翌日すぐに書き始めたんだから」
また始まった、と言いそうになるのをこらえる。予期せぬ攻撃にわたしはたじろいでいた。
「いやいやいや、そんなことないですよ!あの時、はるか先生たちに明日までと言われた時は、本当にお二人からの最後通牒だと思ったわけですから、この次は無いと必死で」
「はるか君が言ったから書いたことに変わりはないじゃないか」
「そうですよね、着物もはるか先生譲りですし」
「ちょっとヨーコさんまで!」
「私もお店に着いた時、後ろ姿を見て春河童先生がいらっしゃるのかと思いました」
しずくさんまで!嬉しいけれど髪の色とか色々違うでしょう!嬉しいけれど!
「ミニはるか先生だ」
皆口々にそう言い出した。嬉しくないわけがないし、はるか先生の真似をしているのは事実だし、何より否定することも憚られた。顔がほころんで、困って、渋滞を起こしている。
「僕はね、ナメられてるんだよ」
観音さんは繰り返す。ああ、また手を付けられないパターンだ。
「そんなわけないです!お二人のことは比べるものではありませんが同じくらい尊敬していますし、観音さんのご指導あってこその今のわたしなのです」
「またまた、僕の言ったことは全然聞いてくれないじゃないないか」
聞いていないのはあなたの方でしょうが!
「でも先月した約束は、まだ一か月しか経っていないですけど、一応続けていますよ」
「なんだったっけ?」
あ。わたしは確信した。
「ああ、ネットに掲載するものはフォーマットに合わせて形式を整えるとかの話かい?それはすぐできることだし、基本中の基本だよ」
ちーがーう!ちがうだろ!こんちくしょう!ムカつく!
やっぱり忘れてた!忘れられてた!うんうん、わかってたもんね。
ああ、わかっていたとも。飲みの席での約束なんて忘れているって。ちゃんと覚えてるわけがないって。なんなら覚えている義理さえないんだから。
でもわたしは忘れたフリをしたり、忘れられていることを見起こして約束を反故にできるような胆力は持ち合わせていないんだ。自分が情けなくて、はらわたが煮えくり返る。
まだ一カ月だけとはいえ、〆切に焼かれた感覚はわたしにとって本物だった。この〆切は金銭ではなくて、わたしの進退と尊厳に関わるのだからなおのことタチが悪い。しかも、これからもいつまで続くかわからないのだ。
本当に覚えてなさそうな様子だけれど、観音さんは覚えていないフリをしているだけかもしれない。いや、その手には乗らない。これ以上、乗るものか。
その後も何か色々話していた記憶はあるけれど、「でも、こう約束したじゃないですか」とも言えなかった。だって墓穴を掘ることになるから。
そんなことを指摘すれば、じゃあ今週からは2本ねとか、月曜と金曜に投稿しようとか、またどうせ忘れるのに何をふっかけられるかわかったもんじゃない。
ああムカつく。ムカつく!もう四の五の言ってられない。この際、作品で見返すとかでなくてもいいから、なんでもいいから仕返ししてやりたい。怒りの炎に駆られる。
あんまりにムカつくのに、いつも通り、わたしは言われるがまま以外にどうしようもなかった。相手は目の前にいるのに、できることは見つからなかった。
と、テーブルを見渡すと観音さん側のお刺身の皿に、たこが残っているのに気付く。これしかないとわたしは思った。単に食欲を満たしたかったわけではない、そのたこの運命がわたしを待っていたのだ。
復讐するはたこにあり。何するものぞ月ノ瀬観音!
観音さんが別のテーブルとのお喋りに夢中になり始めた隙に、わたしはそのたこをそっと奪い取った。正確には観音さんとヨーコさん二人のお皿にあったわけだけど、これぐらい構いやしないさ。気付かれていても、構わなかった。
盗んだたこの味は格別だった。いつか果たすであろう大いなる仕返しを思い描きながら、わたしは小さな復讐心を噛み締めた。
(たこの味 終)
追記:
後から教えてもらったのだけれど、そもそも観音さんはたこが好きではなかったそうな。
わたしはひとりで小さな復讐だと盛り上がって、観音さんの苦手なものを喜んでもぐもぐしていたのだ。あんまりにも馬鹿らしくなってしまって、悔しいという気持ちさえ突き抜けてしまった。
ただただ次の機会には、観音さんの好物を何が何でも奪い取ってみせよう。わたしは固く誓うのだった。