「はい、こちらが依頼されていたバイクだよ」
島に数える程度しかないバイク屋のおじさんがトラックの荷台に固定されていた深緑色のバイクを庭先に降ろす。
一週間前にボアアップと点検を頼んでいた私の愛車だ。
代金の支払いを終え簡単な説明を受けた私は早速相棒の大きめなサドルに跨ってエンジンをかけた。
キーを回しオレンジ色のランプがきちんと消えたことを確認してからセルボタンを押す。間を置かず足元から以前より少しだけ大きくなった気がするエンジン音が聞こえてきた。でもマフラーは純正から弄ってはいないから特別うるさくはない。人々に慣れ親しまれた配達員の音だ。
「ありがとうございました!」
「どうも、しかし引っ越すなんて寂しくなるねえ。お得意様だったのに」
バイク屋のおじさんが人の気配が消えがらんとした我が家を見ながら言う。
生まれ育った我が家、古民家と言っていいそれは家具一式が無くなると妙に広く感じる。でも私の顔にネガティブな色はない。
「本土に行くんだろう?どの辺だい」
「山梨だって、富士山が見えるとこらしいですよ」
「おぉ、ツーリング甲斐がありそうな場所だね」
確かに幼いころからの友達連中と離れるのは悲しい。でも私は住み慣れた故郷を離れる寂しさよりも新天地への期待が大きかった。
島の外に出たことがない私は動画サイトで北海道ツーリングや日本縦断企画を見るたびに海の見えない大地に想いを馳せていた。
行きたい。このバイクと2人でこの狭い島の外へ。
その想いが通じたのか父の仕事の関係で富士山の麓の街に転校になった。今日はここで過ごす最後の日。家族は一足先に家財道具と共に新居へ向かっている。私もそれに続かなければいけない。
おじさんは次の仕事があるらしく一言二言言葉を交わした後店に帰っていき私はエンジンの音をしばらく楽しんでから明日の準備をすることにした。
翌日、二枚組のポンチョと寝袋を入れたサイドバッグをバイクのリアキャリアに、調理器具を入れたバッグをセンターキャリアに固定し空気入れをフロントバッグに入れ、着替えなどを詰め込んだ登山バッグを背負った私は相棒『CC50』のエンジンを掛ける。
心地よい振動がサドルから伝わりマフラーが震える。うん今日も良い音。
発動機が温まるのを待ち左足のステップの前後に伸びた特徴的なシフトペダルの前側を踏みギアを一速に入れる。
「いざ行かん富士山へ!」
クン、と右手を捻りアクセルを吹かす。大きなバイクみたいな重低音は鳴らないけれどこの子はこれでいい。これが良い。
全身の積載をものともせず深緑のクロスカブは力強く走り出す。アクセルを戻し1速から2速にギアを上げアクセルをまた捻る。
加速しギアを上げまた加速。4速で巡航しながらひたすら北へ港を目指す。
50ccから81ccに排気量を増やしたことで加速の伸びが格段に良くなりきつい坂道でも失速せずに走ることが出来た。
種子島と県本土を繋ぐフェリーはいびすかすで鹿児島市内に渡りそこから陸路で志布志(鹿児島県本土の先っぽ)まで行く。
国道を2時間くらい走って志布志港に着くとフェリーさんふらわあが私を待っている。巨大な船体に伸びるスロープを走り車両甲板へ。
バイクの固定を終わらせ予約していた個室に入ると荷物を降ろしてベッドにごろんと横になる。これから大阪に着くまでの15時間はゆっくりと船の旅だ。今のうちに目一杯眠っておこう。
船内のディナーを堪能し汗を洗い流して限界まで寝た私は次の日の朝、船酔いもせず前日の疲労も解消して出発準備を終わらせた。
船が大阪の港に入港し車両甲板のランプドアが開かれる。
「さあもうひと踏ん張り。頑張ってこう」
薄暗い車両甲板から眩しい外へ私を乗せたクロスカブは躍り出る。冷たい風で波打つ海面が朝日できらきらと輝いていた。
海風がバイクを揺らす。10月の終わりともなると本州は寒い。防寒のためにジャンバーとグローブを新調していてよかった。
大阪から山梨まで原付で自走なんて今まで南国の島に引きこもっていた私からすると世紀の大冒険だけれど旅ができる高揚感からか不思議と恐怖は無かった。
ここからは大体1週間で大阪から山梨を踏破する予定だ。高速道路に乗れない原付だと時間がかかるのは仕方がない。その時に活躍するのが家から積んできた現金でパンパンの財布と最後の手段である野営装備だ。とりあえずビジネスホテルを転々としながら東を目指すことにする。
道中、
「うわー!広い道路怖い!」
「自動車専用道路?よく分からんから近寄らんどこ」
などと慌てふためきながら山梨の県境を越えたときには暦はもう11月に差し掛かっていた。
「あの…ここ予約要りますか?」
ホテル代が尽きた私は今夜の宿を探して湖が見えるキャンプ場に立ち寄っていた。もうすぐ日没だ。これ以上知らない場所を走るのは危なすぎる。
「ううん大丈夫だよ。薪も自由に採って良いから。ところでお嬢ちゃんどこから来たの?」
「種子島からです」
「へ?」
私の答えに素っ頓狂な声を上げる管理人さん。それはそうだろう。この寒い中日本を半分縦断したなんて自分でも信じられない。新居に着いたらカブを目一杯ほめてあげよう。
とりあえず1泊の手続きを終わらせた私はバイクからセンターバッグとサイドバッグを取り外しキャンプ場へと足を踏み入れた。
「綺麗なとこだなぁ」
湖は山の緑が映えていて実に優美だ。今日は生憎の空模様だが快晴ならこの湖の向こうに富士山も見えるとのことだった。
南国とは似ても似つかない光景に少しノスタルジックな気持ちになる山梨入り1日目だった。