うら若きクリステルの悩み~LostTechnologyクーニッツ騎士団編前日譚 作:アツ氏
午前中の講義を終えて、大学構内の緑地で幾人かの学友同士でランチをとっていたとき、一つのうわさが話題に持ち上がった。クリステルと同じ社会学専攻のナタリーという学生が、士官学校のエリートと交際しはじめたのだという。彼女が休講日に、ケクロピアの繁華街を歩いていたら、少し子供っぽいが、身なりのいい若い男に声をかけられ、そのまま二人で連れ立って、カフェで話をしたというのが事の発端だった。
ナタリーは、すれた感じがあるものの頭の切れる女性で、どんな風に話せば、 相手に自分を価値ある女だと思わせることができるかを、心得ていた。例えば、現在ケクロピアで流行しているコーヒーは騎士団長ジギスヴァルトの好物で、あまりに飲みすぎるため副団長の女騎士フィリーネに分量を管理されているとかいう何気ないゴシップから発して、クーニッツ騎士団の掲げる男女平等主義に理解を示しながらも、結局は女性は男性を支えるものだという、甲斐甲斐しい意見をアピールしてみたり、ジギスヴァルトを尊敬していると熱弁を振るう若き騎士候補の言葉に、熱心に耳を傾け、応援するようなことを口にしてみたり、要するに、頭が良く、しかも献身的な女性の役を演じて見せたのである。
育ちのいい、かの士官学校のエリートはこれに参ってしまったらしく、その日が過ぎてからも、もう一度会いたいとナタリーに対してせがんだという。しかし、 ナタリーは大学の講義が忙しいからとなかなか時間をとらず、そのくせ、本当は会いたい、などと言って期待を持たせることも怠らず、いまや士官候補生は自分が弄ばれていると薄々感じながらも、そんな状態にすら快感を覚えているといった体なのだった。要するにエリート意識を笠に着て少し遊んでやろうと声をかけた若い女に、すっかり手玉にとられてしまったわけだ。
ちなみにナタリーは確かに機転は利くが、講義は良くさぼるし、男性を支えるどころか、料理も 家事も一切出来ない怠け者だということは、クリステルたちのあいだでは周知の事実であり、その場に集まった女友達は、いつ彼女が馬脚を現すか、それとも本性がばれる前に生活を改めて逃げ切るか、などの予想を立てるのに余念がなかった。どちらかといえば、ナタリーが失敗することを期待しているのであり、端的にいえばやっかみなのであった。
しかし、クリステルはそういう場においても、ただぼんやりと話を聞いているだけのことが多く、意見を求められても、ナタリーにもいいところはあるよ、などという当たり障りのない返答しかしなかったので、仲間達から愛されることはあっても、嫌われることはなかった。 誰もがクリステルが恋愛に疎いことを知っていて、見くびっていたというところもある。もしクリステルに素敵な恋人でもいれば、ナタリーにするのと同じように、陰口を叩いているのかもしれない。
ところで、一連の話題を聞き流していて、クリステルの脳裏に思い浮かんだのは、図書館で古代の兵法書を探していた、あの金髪の若者のことだった。
あれから一週間ほど経っていたが、少なくともクリステルが働いている時間に、若者が再び姿を見せたことはなかった。もしかすると、クリステルのいないあいだに図書館に足を運び、すでに目的のものを手に入れてしまったのかもしれない。そう思うと少し残念だった。ロストテクノロジーに分類される古文書の類は、 正職員でなければ取り扱えないので、どちらにせよクリステルに出来ることはなかったが、せめて顔を見たら、このあいだはお役に立てなくてごめんなさい、ぐらいは言いたかった。声をかけられたときに気が動転して、妙な受け答えをしてしまったことを、一週間経ったいまでも後悔しているのだった。
そして願わくば、実際のところ士官学校の学生なのか、という点も確かめてみたかった。勝手に思い浮かべたイメージ、つまりあの若者が金髪をなびかせて馬を駆る姿が、現実のものであることを期待していたのかもしれない。
ただ、こんなクリステルの心情を、父親に知られたとしたら、どんな面倒なことが起こるか分からない。娘に男を近づけたくない、という反応があるのはもちろんだが、フランツは、クリステル以上に、騎兵に対して明確なコンプレックスを持っていたからだ。
それはクーニッツ騎士団領の成り立ちとも少し関係があるが、フランツの父、つまりクリステルの祖父に当たる人物はケクロピアの南西の街、騎士団の統治以前は独立自治区だったヘラスの人で、その自警団の一員だったが、ライナルト帝国近衛騎士団から分離したばかりのルードルフ・クーニッツ率いる軍隊とかつて交戦し、蹂躙されてしまったのである。
治安がよくなったいまでも、ヘラスにはクーニッツ騎士団に対して不満を持つ人々が多いが、それは最初が侵略同然で領地とされてしまったからであり、フランツの上の世代で、当時のことを知る人間は、善政をしく二代目のジギスヴァルトに対しても、いまだに逆賊の息子という烙印をもってしか、評価しようとしない。
副団長のフィリーネからして、そもそもはヘラスの自警団長の孫であり、当時騎士団長に就任したばかりでヘラスの視察に来ていたジギスヴァルトを襲撃して決闘を申し込み、侵略時に殺害された祖父と、領地から追放された父の怨恨を晴らそうとした過去を持つ、という話がある。そんなフィリーネが、なぜジギスヴァルトの一存で副団長に就任できたかについては、表向きには女性にも重要な役職を与えることで、男女平等思想のプロパガンダとする意図があったといわれているが、実はハーレムを作ろうとしているとか、女性を傍に置くことで、幼馴染でもう一人の副官である騎士ディルクとの同性愛をカモフラージュするためだとか、様々な憶測が飛びかってもいた。しかし、それはまた別の話である。
フランツのことに話を戻すと、フィリーネの場合と違い、肉親を失うことはなかったが、ヘラス自警団が騎士団に吸収され、兵卒として従うことになった際には、元自警団員は大変冷遇された。フランツの父もその中にあって、きわめて実直に兵士の務めを果たしたが、ルードルフの息のかかった騎士たちから屈辱を受けることは日常的で、演習中に馬に蹴られたり、行軍とはまったく関係のない沼地を歩かされたり、伝達事項をわざと止められたりと、それはそれは陰湿なものであったという。しかし、フランツの父は真面目一徹の人であったので、数々の嫌がらせに屈することなく任期を勤め上げ、治安のよくなった街で穏やかな老後を過ごし、つい先日天寿を全うしたのだった。
フランツ同様に、孫を溺愛していた祖父からは、会うたびに様々な贈り物を受け取り、一緒にヘラスの郊外を散歩し、クリステルが途中で疲れて眠れば、そのたばこ臭い背中におぶってもらったものだった。クリステルの記憶では、怒った顔など一度も見たことがないほど穏やかな人だったが、実は現役の兵士だったころ、騎士から嫌がらせを受けた日には 酒を浴びるほど飲んで帰り、怒鳴ったかと思えば、泣きべそをかいたりと、乱れに乱れて家族もずいぶん苦労したそうである。フランツはそんな祖父の愚痴を聞きながら育ち、自分は決して兵士にはなるまいと誓ったそうだが、学業の成績が振るわなかったせいで良い職に就けず、気がつけば祖父のコネで歩兵隊にねじ込まれていた、という体たらくであった。
幸い歩兵隊の仕事はフランツの天職であったらしく、常に仲間と打ち解け、部下の悩みに辛抱強く耳を傾け、つらい任務の時も笑顔を絶やさないため、いつも隊員たちから慕われていた。三十を過ぎたころに、部下からも上層からも望まれて、歩兵隊司令官に就任したが、これは異例の人事であった。ルードルフが隠居し、ジギスヴァルトが団長の座に着くのと、ほぼ同時期のことである。
歩兵は戦闘では最も死にやすい兵科であるため、有事の際には不安や恐怖からナーバスになってしまうことがある。どうせ自分は使い捨ての雑兵だと卑屈になると、自暴自棄になる者も出る。そんな時、馬に乗ったエリート士官が上から叱咤激励しても、士気をあげることは出来ない。あくまで同じ目線を持ち、隊員たちの身近な信頼を得ている者が指揮官となるべきだ、そんな考えが、ジギスヴァルトにはあった。そして腕っ節の強さや、家柄のよさではなく、人望によって選んだ結果、フランツに白羽の矢が立ったというわけである。
クーニッツ騎士団の発足以来、良家の子息でもなく、士官学校を出てもいない者が、司令官に就任したのは初めてのことだった。隊員たちは、頑張れば自分も士官になれるかもしれない、という希望と自信とを持つようになり、歩兵隊のムードは明るくなった。フランツは、自分のような取柄のない人間が、司令官に任ぜられたことに、最初は戸惑いと重圧を感じたそうだが、晩学ながら必死で戦術論や用兵論を学び、部下たちの助けもあって、すぐに立派に指揮を取れるようになった。そして、歩兵という職業に対して、誇りを持つようになっていったのである。
それはそれとして、ジギスヴァルト就任前の騎士団では、元ヘラス自警団員の息子として、フランツもエリート達から相当ないじめにあったらしく、騎士たちに苦手意識を持っていた。クリステルも一緒に街を歩いていて、馬が近くを通りかかったりすると、父の表情が少し固くなるのを感じる。これは反射的なもので、治そうと思ってもなかなか治らないらしく、司令官抜擢の件でジギスヴァルトに感謝しながらも、親しみが持てずにいるのは、親子二代に渡って、騎兵から屈辱を受けた、という意識が抜けないからだと思われる。
もう一つ。クリステルが大学に入学してからのことだが、フランツが、酔っ払いながらこう言ったことがある。
「ジギスヴァルト様が団長になってから、この国は確かに住みやすくなった。大学も、大きな図書館も出来た。俺達が受けられなかったような高度な教育をクリスたちが受けて、この国はもっと豊かになっていくんだろう。だが、俺の親父たちはそうでなくても、もともとヘラスで平和に暮らしていたんだ。そこにルードルフ 様の率いる騎兵の蹄の音が迫って、あっという間に街を飲み込んだ。俺はまだ小さかったが、あの恐ろしい地響きだけは忘れられないよ。副団長のおじい様をはじめ、たくさんの人が死んだ。ヘラスに里帰りすると、いまだに親父どもの騎士団に対する愚痴を聞かされるが、あの日にもう少し物心ついていれば、俺もそうなっただろうよ」
そのときクリステルは意を決して訊いてみた。
「おとうさん、ひょっとして、蹄の音がこわいの?」
フランツはクリステルの言葉を吟味してから、ありのままを答えた。
「いまでも、少しな。が、戦場ではそれを忘れなきゃならん。……なあに、パパには若くて勇敢な部下がたくさんいる。あいつらのためにも、クリスのためにも、俺が震えているわけにはいかんよ。心配するな。これでもパパは軍人だ。戦いのプロなんだ。やるときゃやるさ」
フランツは笑ったが、その笑顔はどこか頼りなげであった。
こうした事情があるので、クリステルが騎兵に対してほのかに憧れを抱いているなんてことは、口が裂けても言えないことである。知れば父はいじけるか、不機嫌になってしまうだろう。別にかまわないのだが、フォローするのが面倒だった。
「ねえ、クリス。 あなたはどう?」
突然、友人の一人から水を向けられて、クリステルは現実に引き戻される。
「どうって?」
「そんな風に、街で男の人に声をかけられて、そのまま付き合ったりできる?」
クリステルは実際に男の人から声をかけられただけで、自分がいかに情けなく動転してしまうか、身をもって知ったばかりだったので、この質問は少し心が痛かった。だから普段なら、ありえない、と言ってしまうところを、つい意地を張り、
「優しい人だったら……」
などと答えてしまった。友人たちはクリステルの反応を意外に思ったらしく、口々にやかましく言った。
「クリステル! どうしたの! なにか変わったことでもあった?」
「別になにもないよ……」
なくはなかったが、わざわざ言うほどのことではなかった。クリステル個人の話なら、一週間ものあいだ、一人の男性のことを考えているというのは、確かにこれまでにないことだったが、あの日以来、若者の姿を見ておらず、言葉を交わすチャンスもないのだから、単に妄想を膨らませただけで終わっているのであり、何の変化も訪れないまま、忘れていってしまう可能性もあった。図書館で見かけた若者が少し感じが良かった、なんて言ったところで、きっと笑われてしまうか、変に冷やかされてしまうかのどちらかに違いなかった。あの若者のことは自分の心の中で、たまに取り出して眺めるだけの、秘密にしておきたかった。
「でも、気をつけなよ、クリス。あなたはかわいいけど、暗いのに好かれそうだから」
友人うちで、いつでも口さがないシンシアが、ほめているのかけなしているのか良くわからないことを言う。しかし、他の友人もそれに納得したのか、頷きながら笑っている。クリステルは少し気を悪くして言い返す。
「なに、そんな言い方、嬉しくない」
「ごめんごめん。でもね、こないだもクリスのこと、遠くからじっと眺めてる男の人がいたんだ。大学の中でね。いまもどっかで見てるかも」
それを聞いて、クリステルは興味を引かれた。
「どんな人?」
シンシアが記憶をたどりながら答える。
「……うーん、金髪で、色白で、背が高くて、顔も悪くなかったけど、なんていうか、冷たい感じのする人だったわね」
それを聞くなりクリステルは、胸のうちを見透かされたように思い、息を呑んだ。そして心臓が高鳴るのを感じた。図書館で見た若者とまったく同じ特徴である。いまもどっかで見てるかも、というシンシアの言葉を真に受けて、つい辺りを見回してしまう。残念ながら、それらしい人影は見当たらないようであるが、このクリステルの反応を友人たちは見逃さなかった。
「心当たりがあるみたい」
クリステルは慌てて言いつくろった。
「ううん、こないだ図書館でバイトしてるときに、声をかけられた人と似てるから……」
「ナンパされたの?」
「ちがう! 本の場所を聞かれただけ!」
「それだけなのに、覚えてるってことは、かなり気になってるんだね……」
シンシアをはじめ、その場にいる友人達全員が、じっとりとした目つきで、クリステルを見た。クリステルは自分に集中する視線に耐えられず、顔を赤らめてうつむくしかなかった。
そんな彼女を見ながら、シンシアが急に神妙な口調になって、言った。
「まあ、好みは人それぞれだけど、あたしが見た限りじゃ、あんまり感じはよくなかったな。なに考えてるかわからないじゃない。遠くから眺めてるくらいなら、声を掛ければいいのに」
シンシアの印象には、また多少なりやっかみが含まれていると思われた。自分を見つめてくれる誰かがいる、ということはそれだけで喜びや、自信につながるものだ。それがうらやましいのだろう。クリステルは、シンシアの言葉はあまりに気にしないようにした。
(士官学校じゃなくて、うちの大学の人だったんだ)
イメージから少し外れてしまったが、また会えるかもしれないと思うと、そんなことは小さなことだった。見かけたら声をかけてみよう、でも、なんて? 本は見つかった? で良いか。相手はどんな反応をするのだろうか、などと想像し始めると、止まらなくなりそうだった。気になっていた相手が身近にいることを知って、クリステルの心は、急激に昂ぶっていった。
それから先、友人達の続けるうわさ話は、昼休みが終わるまで、まったくクリステルの耳に入らなかった。妄想が、五感の全てを邪魔していたのだった。