うら若きクリステルの悩み~LostTechnologyクーニッツ騎士団編前日譚 作:アツ氏
玄関先で、フランツは二、三言葉を交わしながら、予定外の来客に対応しているらしかった。といっても、クリステルが様子を見に行った時には、その人物は帰ったあとで、代わりにフランツの腕には、これも飾り紐で括られた大きな木箱が抱えられていた。
フランツはクリステルの姿を見とめると、箱を持ち上げながら言った。
「宅配屋だったみたいだ。誕生日のプレゼントらしいが、差出人が分からん」
彼はリビングまで箱を持って戻ってきた。招待客たちが、物見高そうに、その箱の周りに集まる。それは決して粗末ではない、中に包まれているものをしっかり守れるよう、かなり丈夫なつくりをしている。中身もそれなりに貴重なものであると予想できるが、クリステルは、この差出人不明のプレゼントに対し、少なからず困惑していた。思い当たるふしがないわけではない。ヘラスに住む親戚の誰かが、彼女を驚かせようとして、あえて名前を伏せて送ったものかもしれない。しかし、仮にそうだとして、なぜ驚かせる必要があるのか、意図が汲み取れないが。クリステルは、不安げな視線を、フランツに対して投げかけた。それを受けて彼は肩をすくめ、
「とにかく、開けてみなきゃなんとも言えん。心当たりはないが、危険なものかもしれないから、みんな少し下がっていなさい」
と言って、箱を開けるための工具を持ち出してきた。フランツが手際よく、蓋を封じている金具を次々に外していく。その様子を、隣の者とひそひそ話したり、黙って見守ったりしている来客たち。クリステルの不安が伝播したのか、パーティー会場はやや不穏な空気に包まれていた。
「よし、開けるぞ」
全ての金具を外し終え、意を決してフランツが蓋に手をかける。その場にいる誰もが、もしもの場合に備えて身構える。鬼が出るか、蛇が出るか。
蓋をはずしたフランツが、中を覗き込んで、拍子抜けしたような声を上げる。
「なんだこりゃ。おもちゃかな」
そう言って彼が箱の中から取り出したのは、家をかたどった木製のミニチュアだった。といっても小さいものではなく、床に置けばひざぐらいの高さはあるだろう。全体のフォルムは丸みを帯びていて、一見かわいらしいが、良く見ると、部屋の中まで細かく作りこまれており、家具や調度品もしっかり設置されていた。小人になれば、そこで寝泊りできると思えるほどの精巧さだ。それまで箱の中身を怪しんでいた人々も、その出来の良さに感心し、代わる代わる中を覗き込んでいる。
「危険なものではなさそうだが、やっぱり誰の仕業かわからんな……。おや?」
言いながらミニチュアの屋根の部分に手を置いたフランツが、怪訝な表情をする。
「屋根が取り外せるみたいだぞ。中をもっと良く見れば、何か分かるかも知れん」
そうして、屋根の接合部をいじって、あっという間に取り外してしまった。みんなが一斉に、その中を覗く。そこには二体の人形が置かれていた。片方はかわいらしい女の子の人形で、翠の色つきガラスの瞳を光らせ、頭には赤い頭巾を被っている。顔には無垢な笑みを浮かべ、もう一体の人形に相対しているが、そのもう一体というのは、口を大きく開けて女の子に襲い掛からんとする、狼の姿だった。もちろん、女の子の人形同様にかわいらしく、親しみやすいようにデフォルメされてはいたが、口の中に並ぶ牙だけは妙にぎらぎらと尖っていて、どこかまがまがしいものを感じさせた。
「狼と、女の子ね。こりゃ謎かけかな。苦手なんだ、こういうの」
眉をひそめて言うフランツの言葉に続くように、女友達の一人、ハンスと同じ文学部のフェリシティが声を上げた。
「これは『赤ずきん』だわ」
「何それ?」
シンシアがあっけらかんとして訊く。危険なものではないと分かったので、野次馬気質の彼女は、興味を半減しているらしい。フェリシティが少し熱気のこもった口調で答える。
「ロストテクノロジーに伝わる童話の一つよ」
「どんな話?」
シンシアの問いを受けて、フェリシティが話し始める。
「赤いずきんを被った女の子が、お使いをして、森の中に入るの。森の奥に住んでいる病気のおばあさんに、ケーキとぶどう酒を持っていくためよ。そこに狼が現れて赤ずきんの女の子に言うの。
『赤ずきんちゃん。たった一人でどこへ行くの?』
赤ずきんは答える。
『病気のおばあさんのお見舞いに行くのよ』
悪い狼は、赤ずきんを罠にはめようとして言うわけ。
『それは結構なことだ。だけど周りを見てごらん。綺麗なお花が咲いたり、かわいい小鳥がさえずったりしているよ。遊んでいかないのはもったいない。少し道草をしながら、ゆっくり行ったらどうかな』
赤ずきんはとっても素直な子だったから
『うん、それもそうね。お花を摘んでおばあさんに持っていったら、喜んでくれるかもしれないし』
と、悪い狼の言葉にも笑顔で言うことを聞いたのね」
すると突然フランツが、
「クリスも小さいころは素直で、優しくて、いい子だったなあ。今でも本当はいい子だけど、悪い狼に騙されてるのかなあ」
と当てつけがましいことを口走る。クリステルはすかさず、
「おとうさん、黙って」
と鋭く釘を刺した。フランツは黙り、フェリシティは話を続ける。
「狼はまんまと引っかかったとほくそ笑んで、先回りして、家で寝ていたおばあさんを食べてしまったの。そして、おばあさんのスカーフと、服を身に付けて、ベッドに寝て赤ずきんを待ち伏せした。程なくして、赤ずきんはお花を手に持って、森の奥の家までたどり着いたわ。扉に鍵がかかっていないのをおかしいと思いながらも、中に入って言ったの。
『おばあさん、こんにちは。お見舞いに、ケーキとぶどう酒と、お花を持ってきたわ』
返事がないので、ベッドに近づくと、どうもおばあさんの様子がおかしい。
『おばあさん、どうしてそんなにお耳が大きいの?』
赤ずきんが訊くと、おばあさんに化けた狼は答える。
『お前の、かわいい声を良く聞くためさ』
赤ずきんは、続けて尋ねる。
『おばあさん、なんだかおめめが大きくて、光っているわ』
『そうさ、おまえのかわいい顔をよく見るためだよ』
『……ねえ、おばあさん、おばあさんのお口はどうしてそんなに大きいの?』
『……お前を、食べてしまうためさ!』」
そこで急にフェリシティが大声を出したので、会場にいた全員が驚きで凍りついた。しばし間をおいて、フェリシティは人々を得意げに見回したあと、涼しい顔をしながら、
「そのあと狼は猟師に見つかって、おなかを引き裂かれ、中にいた赤ずきんとおばあさんは、無事に助かりましたとさ。めでたし、めでたし」
と話を締めくくった。
「めでたいか?」
というシンシアのもっともな問いかけを、フェリシティは黙殺した。
会場にいた中で、フェリシティの話に耳を傾けていた者は、童話と聞いて気を緩めていたのか、最後に助けられるとはいえ、女の子が狼に食べられてしまうという物語の顛末に、慄然としたようだった。そこにフェリシティの大声の効果が加味されて、クラレンスなどは耳をふさいで涙目になっていた。
カールハインツが落ち着き払った口調で、ある疑問を口にする。
「赤ずきんの話は良くわかったが、それだけでは贈り主が誰だかわからないな」
すると、それに対してフェリシティがこともなげに答える。
「あら、ハンスに決まっているじゃない」
クリステルが驚いて聞き返す。
「ハンスがこれを?」
「そうよ。この童話を知っているのは、ロストテクノロジー文学を研究分野にしているごく一部の学生だけ。その中で、クリステルの知り合いといったら、ハンスしかいないわ」
「フェリシティ、あんたの研究分野って?」
シンシアが鋭く口を挟む。
「近代だけど」
「じゃあ、なぜフェリシティがこの童話を知っているのよ」
「そ、それは、ハンスが教えてくれたからよ」
「ずいぶん詳しく教えてもらったのね」
「う、そうね……」
シンシアの容赦ない追及に、愛想笑いを浮かべながら口ごもるフェリシティ。フェリシティとハンスの関係についてはどうでもいいが、クリステルには引っかかるところがある。それは、ハンスに自分の誕生日を教えたことがあったか、記憶に定かではないということだ。もちろん、共通の友人に聞けば簡単に分かることだが、彼がわざわざそれを尋ねたというのだろうか。
「まったく、何を考えているのかしらねえ、あの文学オタク。女の子の誕生日に、こんな不吉なものをよこしたりして。まるでクリスが狼に食べられるって、言ってるみたいじゃない」
シンシアが呆れたようにそう言うと、フェリシティが憤然として反論する。
「狼には何も悪い意味ばかり、ついて回るわけではないのよ。古代には狼を神様として崇めてた国もあったそうだし、家紋に狼をあしらった貴族もいたっていうし。それにね、狼の口は、ある古代語では『がんばれ』って意味になるそうよ。『勇気を出して、狼の口に飛び込みなさい』って。エレクトリスに住んでる一部の人は、いまだにこれを隠語として使っているらしいわ」
「だから、その知識はどこで手に入れたのよ、フェリシティ」
「い、いや、その……」
語るに落ちたという風に、シンシアがため息をついた。
「まあ、あたしは文学オタクの趣味には付き合ってられないけど、がんばれって意味だったら、分からないでもないわね。ねえ、クリス」
「え? ええ……」
突然水を向けられて、生返事をするクリステル。確かにハンスは、クリステルの恋愛について、ある程度の事情を知ってはいる。しかし、フェリシティが何といおうと、どうしてもハンスが送って寄こしたようには思えなかったのである。クリステルと同じ、翠の瞳をした女の子が、狼の待ち伏せする家に迷い込んでいる、このミニチュアの意味すること。
(……狼の家、か)
クリステルは、その言葉に不吉なものを感じていたが、その感覚が自分のどの記憶に由来しているのか、即座に思い出すことが出来なかった。そうして、物思いに沈んでいるクリステルを見て、カールハインツが近寄って、言う。
「気分を変えに、外に出ませんか。日が傾いてきて、風が涼しくなっているでしょう」
窓の外を見ると、彼の言うとおり、時刻は夕暮れどきに差し掛かっていた。いつの間にこんなに時間が経ったのだろう。朝からあれこれと働き詰めだったし、パーティーが始まってからも、喜びや、焦りや、不安、いろんな感情を一気に味わったせいで、クリステルは少し混乱していた。カールハインツの誘いに応じるつもりで返事をしようとして、ひとつのことを思いつく。
「せっかくだから、頂いた弓、試し撃ちしてみようかな」
カールハインツは一瞬嬉しそうに微笑み、
「しかし、その格好では」
と言いかけるが、クリステルは笑顔でそれをさえぎる。
「ちょっと弓を引くだけなら、さほど汚れませんよ。すぐに練習用の矢を持ってきます」
シンシアがそれを聞きつけて、
「なに? クリス、弓撃つの? あたしも見たい!」
と叫んだので、すぐに周りにも伝播して、留守番に残ったフランツを除いて、結局その場にいた友人たち全員が、ぞろぞろと外に出ることになった。もちろんクラレンスも、女性たちに手を引かれて付いてきていた。
クリステルの家は、ケクロピア市街地からかなり郊外にある農地のなかに位置していたので、隣の家に行くまでには相当に距離がある。逆に言えば、そこまでの土地はクリステルにとっては庭のようなもので、まばらに木の立つ草原が広がり、暖かい日には、ここで散歩をしたり、寝転がって本を読んだりすることがよくあった。
草木が風にそよぎ、それにあわせて、クリステルの髪も柔らかく揺れた。風は日に日に暖かくなる。ドレスのつくりの関係で、クリステルは両肩から腕までをすっかりあらわにしていたが、ショールをかけていなくても、肌寒さを感じることはなかった。その後ろを、彼女の代わりに弓と矢とを携えて、カールハインツが付き従う。そのまた後ろには、かしましいシンシアたちに囲まれたクラレンス。すっかり彼女達のおもちゃにされて、疲弊しきっている。
「あの木の幹を狙おうかな」
と言ってクリステルが立ち止まったのに合わせて、カールハインツが弓矢を彼女に受け渡す。クラレンスたちも立ち止まり、防護用の皮の手袋をはめているクリステルのやや後方に、お手並み拝見といった体で並ぶ。彼らの目線の先には、白樺の若木がある。まだ幹は細く、離れた距離からそこに命中させるには、かなりの腕が必要と思われた。おまけに木の幹は丸いので、中心を正確に射抜かなければ、矢が逸れてしまう。あえてそれを狙うというクリステルの言葉には、無意識の自信が表れていた。
左手に弓身を握り、人差し指と中指ではさんだ矢を、弦にあてがう。普段は華奢に見える彼女の肩と腕に力がみなぎるのを、誰もが見て取った。その目が鋭く一点を見つめ、狙いを定めた。と、思うや否や、クリステルの右掌が開き、矢が風を切って、木の幹に向かって飛ぶ。そして弦の揺れる音が響くとほとんど同時に、矢は見事に白樺の幹に突き立っていた。周囲から拍手が起こり、クリステルは微笑みながらひとつ息をつく。
「おみごとです」
とカールハインツが言うと、クリステルは照れ隠しに舌を出しながら、言い訳した。
「まだまだです。狙ってから、矢を放つまでが遅すぎるって、先生に言われますから」
「そんなことはない。騎士団の弓兵隊でも、これほどの腕を持つ者はそういないでしょう」
そう言って、カールハインツは次の矢を撃つよう、さりげなく目配せした。それを受けてクリステルは、
「じゃあ、何本か、連続で撃ってみますね」
と言って再び矢をあてがった。果たして、先に照れ隠しに彼女がした言い訳は、単なる謙遜に過ぎなかった。一本の矢が指から離れるとほとんど同時に矢筒に手が伸び、瞬間的に次の矢があてがわれ、また離れる。ほとんど狙いをつける時間を感じさせずに、それが三回行なわれた。そうして放たれた矢は全て、最初の矢とほとんど同じ場所に、見事に突き立った。クリステルの技は、達人の域に達してすらいた。カールハインツが目を輝かせ、彼女の技量を絶賛する。
「熟練の弓兵は、騎馬が突撃をかけるまでに五本の矢を放つという。あなたはそれ以上だ。もし戦場で相対すれば、私ではとても敵いません。まったくすばらしい腕前です」
彼はクリステルの傍に歩み寄り、その両手を握ってまじまじと見つめる。クリステルは急に手を触れられて、嬉しいやら、恥ずかしいやらで、居心地悪そうにシンシアたちを見る。彼女たちはというと、お互いに横を向いて何か相談しあっている。そして突然、クラレンスの両脇にいた女友達二人が、彼のその腕をがっしりと掴んだ。クラレンスは驚愕に震え、勢いよく首を振って左右を交互に見る。女たちは冷酷な笑みを浮かべながら、何が何でも離さないといった風に、彼の腕をすっかり抱え込んでいた。それを確認してシンシアが笑顔で言う。
「クリス、あたしたちはもう帰るわ。今日は楽しかった。また学校で会いましょう」
「え、でも、まだお料理もあるし、ゆっくりしてったら……」
と言い掛けて、シンシアが何か目配せしたので、全てを理解してクリステルは口をつぐんだ。そして、顔を赤らめる。ところがカールハインツは、あろうことか、
「それなら、私も送ってまいりましょう」
などと無慈悲な反応をする。クリステルの表情に一瞬絶望の影がよぎる。しかし、そこは流石のシンシアである。それを阻止するために、すかさず彼に近づいて言った。
「いいの、私たちはクラレンスくんに守ってもらうから、あなたはごゆっくり。……カールハインツさん。あなた、礼儀正しくていい男だけど、もう少し女心を分かったほうがいいわ」
最後のほうは低い声で耳打ちして、シンシアはその場を離れていった。女友達たちは、それぞれ別れの挨拶を口にしながら、朗らかな表情で帰っていった。ただ、クラレンスだけは、おろおろして、最後までカールハインツに助けを求めていた。
「さあ、これから夜通し飲むわよ。クラレンスくん、今日は帰さないからね」
「そ、そんな。俺、門限あるし、酒も飲めないし、困ります。謹慎が解けたばっかりなんです。勘弁してください。……いやだ。先輩! 助けてください! せんぱああああああい!」
クラレンスの絶叫は、春の夕空にむなしく吸い込まれて消えた。
草原には、クリステルとカールハインツの、二人だけが残された。日が刻々と傾き、あたりはどんどん薄暗くなってゆく。クリステルは、シンシアの目配せの意味するところを、もちろん理解してはいたが、具体的にこの状況でどう行動すればよいか、分からなかった。ただ、意識すればするほどに緊張が広がり、子犬のように身を震わすばかりであった。
それを、クリステルが寒がっていると勘違いしたのだろう。カールハインツが正装の上着を脱いで、彼女のむき出しの肩にかけた。男性的だが、日なたのような良いにおいが、クリステルの鼻をくすぐる。
「あ、ありがとう」
クリステルの感謝の言葉に、カールハインツは微笑みを返す。
「少し冷え込んできたようです。戻りましょうか」
「……はい」
そう返事はしたものの、戻ってしまえばフランツがいるのだから、そこでチャンスは失われてしまう。クリステルは考えようとするのだが、場慣れしていないことと、感情の昂ぶりによって、思考がまともに働かなかった。何か、背中を押してくれるようなことが、起こってくれれば、と他力本願なことまで思ってしまう。しかし、それはここまでお膳立てしてくれたシンシアに悪いというものだ。ここで、がんばらなくちゃ、とクリステルは自分の胸に言い聞かせた。
「あ、あの、カールハインツさん」
クリステルの呼びかけに、カールハインツが応じる。
「はい」
何度か深呼吸して、クリステルは心を決めた。決して、この場から逃げ出さないと。顔を上げてカールハインツの目を見つめる。その吸い込まれそうな目の輝きは、次の言葉を待ちながら、じっとクリステルに注がれている。伝えるのは今しかない。クリステルは口を開き、少しずつ、自分の気持ちを、たどたどしくだが、正直に吐露し始める。
「……私、あのとき貰ったばらの花を、今でも大切に飾っています。見るたびにあなたのことを思い出して、とても幸せな気分になるんです。……でも、それと同じくらい悩んでしまいます。あの花を渡してくれた同僚が言いました。『この花を渡せば、気持ちは伝わるはずだろう』って、あなたがそう言ったって、言ってたんです。私は最初、お花を受け取って、自分の都合のいいようにあなたの気持ちを想像して、舞い上がっていました。でも、だんだん自信が無くなっていきます。だって、はっきりと言葉で言われたわけじゃないから。私は、知りたいです。あなたの気持ちが、私の想像しているとおりなのか。それとも違うのか。……今ここで聞かせてください」
不安におののきながらも、これだけの言葉をしっかりと口にした彼女の勇気を、誰が誉めずにいられよう。しかし、その場にいるのはただ二人だけであり、クリステルの言葉を聞いているのは、カールハインツだけであった。彼はただ静かに、耳を傾けていた。そして、その眼差しは、胸のうちにある想いを懸命に吐露する一人の女性の姿を、しっかりと焼き付けていた。か弱く震える肩を、心細げに揺れる髪を、みずみずしい果実のように赤く染まった頬を、かすかに濡れ輝きながらも情熱に燃える翠の瞳を、そして、その想いの源に通じる小さな唇を。今、目の前にあるこの瞬間において、何よりも可憐で、美しい、それら一つ一つの持つ魔性ともいうべき引力。決してそれに抗える彼ではなかった。彼は女性を守る騎士である以前に、一人の男であったからだ。
そして、まるで激情に弾かれたように交わされた、抱擁。クリステルはその目を大きく見開いて、頭一つ分は背の高い彼の体を受け止める。一瞬息が止まり、脚の力が抜けて、立っていられなくなりそうだった。クリステルはカールハインツの胸にしがみついて、倒れてしまわぬよう、なんとか堪えていた。
耳元にある彼の口が動き、何かを伝える。クリステルは、その言葉が己の感情の奔流に押し流されてしまわぬよう、しっかりと耳を澄ます。
「私はとても口下手な男です。騎士になろうとする身でありながら、それだからこそ臆病なのです。この想いを、一心に軍人になるためにのみ励んできた私の拙い言葉では、とうてい形にすることができない。ですから、まず花を贈りました。あの花は、あなたをはじめて見たときの気持ちそのものです。それまで花になど目もくれなかった私が、あなたを一輪の可憐な花のように思った。すぐにでもひざまずいて、この手で触れたいと思いました。ですから、適当な理由をつけて、どうしても声をかけずにいられなかったのです」
その言葉を聞いて、クリステルが思い出したのは、図書館で初めて出会ったとき、彼が古代の兵法書を探していたことだった。しかし、次に会ったときには、彼はその本のことをすっかり忘れていた。それもそのはずである。カールハインツは最初から古代の兵法書など求めておらず、求めていたのは他でもないクリステルだったのだ。それを理解したとき、クリステルの胸のうちで、不安と悩みとが波を引くように消えてゆき、あとにはぽかぽかとした温かい感情だけが残った。私は、この人を好きでいていいのだ、と。そう思ったとき、体の震えも止まり、脚にも力が戻った。ばらばらだった二人の想いがようやく結ばれ、確かなものとなった、その安堵がクリステルを強めたのだった。
クリステルは、しがみついていたそのたくましい胸から身を離し、カールハインツを見上げた。表情はいつもとさほど変わりがなかったが、その目の輝きは、彼の言葉が全て真実であることを物語っていた。クリステルはゆっくりと目を閉じた。そのあとで、何が起ころうとも、怖くはなかった。
閉じたまぶたの向こうで、カールハインツが再び彼女の身を引き寄せ、その息が、唇にかかるのを感じた。クリステルは、その瞬間を待った。
そのとき、さほど遠くない場所から、乾いた破裂音が響いた。攻撃的で、殺伐とした、何か不吉な音。クリステルが目を開けると、カールハインツもただ事ならぬ気配を感じたらしく、険しい表情をして、家のほうを見ている。
「あの音は?」
誰へともないカールハインツの問いに、クリステルは自分の印象を伝える。
「……火薬でしょうか」
「何かおかしい。私はお父上の様子を見に行きます。クリス、あなたはここで待っていてください」
そう言って駆け出していくカールハインツ。草原に一人残されたクリステルだったが、ある忌まわしい記憶と共に、悪い予感が頭をよぎった。あのプレゼントの差出人は、やはりハンスではない。『狼の家』の指ししめすもの。その言葉の通りだ。狂気の光をその瞳に湛えた、もう一人の金髪の若者。彼の名は、ヨハン=ヴェルター・ヴォルフハウゼン。
クリステルはすぐさま足元に落ちた長弓を拾い、矢筒を肩に担いで、父の待っているはずである家へ、急いで駆け出した。