うら若きクリステルの悩み~LostTechnologyクーニッツ騎士団編前日譚   作:アツ氏

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8.エピローグ

 平和の世にあっても、戦乱の世にあっても、日は沈み、また日は昇る。文明の進んだ都市、草木も生えぬ荒野、雪深き極寒の地、乾いた砂の一面に広がる砂漠、人里はなれた森の奥深く、険しい山の頂。世界のどの場所においても、人はそれを見ることができる。

 春の朝のうららかな光の中、草原を駆け回る二人の子供の姿。年端も行かぬ男の子と、女の子が、代わる代わる追いかけあい、笑い声を上げる。温かい風が吹く。幾度となくめぐってきた、いつかの春と同じような風。豊かな髪をなびかせ、その翠の瞳で、子供たちを見守る一人の女性の姿がある。その頬には優しく、幸福に満ち満ちた笑顔が広がっている。

「フリーデマン! アンナ! そろそろ遊ぶのをやめなさい。ご飯にするわよ」

 そう呼びかけられて、二人の子供は女性の元へ目一杯に走っていく。アンナと呼ばれた女の子が、まだ駆け終らぬうちに叫んだ。

「おかあさん、最後、フリーダーが鬼だったよ。だからアンナの勝ち!」

 その後ろに続く男の子の名は、戦乱の終わりを祝福して、彼の祖父が付けたものだ。父親譲りの金髪をなびかせ、少し口悪く毒づく。

「うるせえや! おかあさんが呼ばなかったら、もう少しで捕まえられたんだい!」

 屈みこんで子供たちの小さな体を抱きとめた女性が、二人に諭すように言う。

「はいはい、また今度決着をつけましょう。さあ、おうちに入って」

 そうして左右それぞれの手で子供たちの頭を撫でる。子供たちは母親の言葉に大人しく従い、彼女のあとに続いて家に入った。

 リビングでは朝刊に目を通す恰幅のいい中年男性の姿がある。戦争が終わって騎士団が解散し、軍を退役してからは、ろくに運動をしないので彼はすっかり太ってしまった。孫たちが廊下をかけてくる足音を聞きつけて、目を上げる。次の瞬間、フリーデマンとアンナは口々に意味不明の叫び声をあげながら、祖父の巨体に突進した。しかし、さすがに現役時代は隊長を務め上げただけのことはある。二人の幼児がぶつかった程度では、びくともしない。彼が孫たちの体を両手に抱きかかえて言う。

「おお、なかなか元気があるようだが、そんな突撃では、まだまだおじいちゃんを殺れんぞ」

「おとうさん、子供たちに変なこと吹き込まないで」

 子供たちの後ろからリビングに姿を現した、先の女性が鋭く釘を刺す。元軍人の父は、退役して肥えたとしても、思考回路がほとんど変わっていない。戦争が終わってから、家の裏庭に作った畑を耕す時でも、まるで戦闘で剣を振るうときのように、

「こん畜生、くたばれ、くたばりやがれ」

 と物騒な掛け声を上げるときがある。子供たちに悪影響だからやめてくれと頼むのだが、彼は決して改めることがなく、そのせいかフリーデマンの話し方が祖父に似て、いささか粗野になってきたように感ぜられる。

「おう、クリス。今度の選挙、アグネス様が勝ったようだぞ。ジギスヴァルト様にも、すっかりヤキがまわったな。エリート育ちの騎兵の坊ちゃんには、いい薬だ」

 娘の愛称を呼びながら、二人の孫の祖父となったフランツが、無理やり話題を変えるようにして言う。しかし、そこにも失言がある。

「この子たちの父親も騎兵だったでしょうが……」

「うはは、そうだった。すっかり忘れていたぜ。どうも最近、平和ボケしていかん」

 そう言ってフランツは再び朝刊に目を落とす。クリステルはため息をついた。平和になったら平和になったで悩みは尽きないものである。

 クリステルは戦争が終わってすぐ、ちゃんと父の許しも得た上で意中の男性と結婚したが、ろくに家事も出来ず、伴侶のいないフランツを一人残して家を出るわけにもいかず、夫と共にケクロピアの実家で暮らすことになった。物静かで、忍耐強い夫は、それを嫌がりはしなかったが、結婚して人妻になった娘を、それまでと同じように溺愛し続ける義父と生活するのは、さぞやりにくさを感じていたことだろう。孫が出来たことによって、その愛情は分散されたものの、フランツは今度は育児にも口を出してくるようになった。

 クリステルは、戦争が終わって平和な世の中になったのだから、子供たちには学業に専念させることだけを望んだが、フランツは、クリステルにそうさせたように、フリーデマンには剣を、アンナには弓を習わせたがった。どちらにしても家庭内に良い教師がいるのだから、不経済ではないし、厳しく反対するほどのこともないのだが、クリステルは、武芸が実際に戦場で使われるような世の中が二度と来ないことを願っていたので、あまり良い気持ちはしなかった。それは自分自身が戦場に立った上での、結論であった。的に向かって矢を撃つのと、人に向かって矢を撃つのとは、あまりにも重みが違いすぎる。

 クリステルはかつての戦乱の折、クーニッツ騎士団がライナルト帝国に宣戦布告するに際して、弓兵として従軍することを志願したのだった。当然、父の猛反対にあい、当時恋人であった騎兵のカールハインツも、このクリステルの行動を受け入れがたく思ったようだった。それまで一介の学生に過ぎなかった若い女性が、兵士として戦場に赴こうとするなど、無謀のきわみであったし、彼女を守らなければならない立場の者が、あえて危険へ飛び込もうとするその考えに、賛成できるはずもなかった。このときばかりは、フランツもカールハインツも共に結託して、クリステルの説得に当たった。

 しかし、クリステルには、クリステルの言い分があった。

「それじゃあ何。私はたった一人でこの家に残って、あなたたち二人が生きて帰るのを待ってろって言うの。そっちのほうがよっぽど心細いわ。前と比べればずいぶんましになったけど、あの事件のことは、まだ夢に見るんだから。戦争が始まれば、おとうさんも、カールハインツも戦場へ行ってしまう。ケクロピアが平和な街だなんてもう言っていられなくなる。あなたたちは軍人として国を守るかもしれないけど、私のことは誰が守ってくれるというの。そんな思いをして震えてるぐらいだったら、私はいっそ戦場に行くわ。私があなたたちを守ってあげるくらいになってあげるわよ」

 これに対してフランツは、

「お前がプロの軍人を守るだなんて、思い上がるのもいい加減にしなさい。戦争は俺たちに任せて、おまえは今までどおり、ケクロピアで学生をやってれば良いんだ」

 と言ったが、

「プロの軍人が何よ。おとうさんなんて、私が夜道で襲われた時もいなかったし、事件の時も真っ先に撃たれてうめいてただけじゃないの」

 クリステルにそう言い返されて、ぐうの音も出なかった。少し厳しい言い草だったが、こうでもなければフランツを黙らせることはできなかったろう。カールハインツはというと、いつものようにクリステルの言葉にじっと耳を傾け、何を言うべきか吟味しているようだった。彼は自分のことを口下手と言うが、それは言葉を大切にしているが故であって、ひとたび何かを口にするなら、その意見はきわめて誠実なものであった。やがて、カールハインツはクリステルに言った。もう以前のような、騎士然とした他人行儀な口調ではない。

「クリス。俺は君の弓の腕がすばらしいことを良く知っている。騎士団に君ほどの達人がそういないということも、嘘ではない。ただ、戦場で兵士が撃つのは的じゃない。人だ。俺も今度の戦が初めてだから、正直、人を殺して正気でいられるか、分からない。ただ、軍人になることを幼い頃から志してきたから、覚悟はできている。国を守るためならば、俺は戦鬼にでもなろう。これは士官候補生たちのあいだでも、互いに言い合っていることだ。……恐れに負けぬよう、己自身を鼓舞するためにな。兵士になる訓練を受けてきたものでさえ、そんな風に言い聞かせながら戦に赴くんだ。そんな覚悟を、クリス、君がするというのか。これまで、普通の街娘だった君が、人殺しをしなければならなくなるんだ。俺は、はっきり言って、君にそうなってほしくない。お父上も、同じ気持ちでいておられるだろう」

 そうだ、俺が言いたかったのはそういうことだ、とでも言うようにフランツが頷く。すると、クリステルは小さな声で次のように言った。

「別に、人ならもう、殺したようなものよ」

 その言葉に、フランツとカールハインツは、はっとしたように彼女の顔を見る。

「まさか、ヨハンのことを……」

 言いかけたフランツの言葉を、クリステルがかぶりを振ることで、さえぎる。

「私は、あの人のことを救うことができたとは思っていない。あの人は自分で思い込んで、自分で死んだの。他にももっと善い生き方があるのに、それに目を向けようとしなかっただけ。……でも、彼が自殺した原因に、私が関わっているのは変わりないわ。考えたくもないことだけど、やっぱり考えてしまうの。あのとき私が、大人しく従っていたら、彼は死ななかったんだろうか、って。カールハインツを愛していると言わなければ、彼は絶望しなかったんだろうかって」

 あまりにも正直な告白であった。自分のために自殺した男を想うようなこの発言は、相手によっては誤解を招きかねない。だが、カールハインツは彼女の真意を汲み取ろうとして、黙ってその言葉を聞いていた。クリステルも、そんな彼のことを信じていた。

「でも、あの時の私に、カールハインツを愛している、と言う以外の選択肢はなかったわ。それを心からはっきりと言えたことを、私は後悔していない。言葉に込めた気持ちの丈も、まったく変わっていない。きっとあの人の命がどうなろうと、私はそれを口にしたんだとおもう。だから、私が言葉によって彼を殺したと言っても、まんざら間違いではないのよ……」

 いささか罪の意識を背負いすぎている感もあるが、クリステルが事件後に苦しんできた事実には、そうした心理が少なからず影響していたことは間違いない。その悩みの中から這い上がるにあたって、彼女の人格にも変化が現れつつあった。以前のように、争いごとから目を背けて生きる、内気なだけの女性ではなく、己の大切なもののためには戦うこともいとわない、強い女性へと、クリステルは成長しようとしていた。

「だから、人を殺して平気だってわけじゃないけど、カールハインツ、私はあなたを守るためだったら、戦場へ行くのを厭わないわ。私の目の届かないところで、あなたが死ぬようなことだけは嫌。それぐらいなら、死ぬ時までそばにいるわ。駄目だといっても、私はついていく。あなたが危ない時は、私が弓を射て、その敵をきっと倒してみせるわ」

 彼女の決意に満ちた眼差しを受けて、カールハインツは、もはやこれ以上反対しても無駄だということを悟った。そして、頬を緩ませて、言った。

「それならば、俺は君の剣となり、盾となって、君のことを命を賭して守ろう。敵の刃が決して君に及ぶことがないように。共に戦おう、クリス」

 クリステルは顔を輝かせて、カールハインツに飛びついた。

「ありがとう、カールハインツ」

 カールハインツは彼女の体を抱きとめながら、言った。

「ただし、絶対に生きて帰ろう。戦争が終わったら、俺たちは一緒に暮らすんだから」

「……うん」

 クリステルは、カールハインツのどさくさ紛れのプロポーズを、しっかりと受けた。クリステルに言い負かされて、ただ手をこまねいていたフランツは、このときになってようやく口を開いた。

「ちょっとまて、俺のことを忘れてもらっちゃ困る」

 クリステルはカールハインツに抱きついたまま、父親に顔を向けてとぼけたように言う。

「せっかくだから、おとうさんのことも守ってあげるわね」

「そうじゃない。一緒に暮らすって、どういうことだ」

 するといつもは生真面目なカールハインツが、珍しく冗談めかして言った。

「おとうさん、このあいだ私に、娘のことを頼むって、言ってくれたではないですか」

「お前が俺をおとうさんと呼ぶな!」

 フランツは怒鳴ったが、それはもはやポーズに過ぎなかった。彼もまた、娘の婿にするには、カールハインツ以外の選択肢を考えることができなかったのだから。

 その後、三人はクーニッツ騎士団の兵士として、祖国のために戦乱を戦い抜いた。カールハインツと、クリステルは、それぞれに配属された隊で頭角を現し、次々と戦功を上げて、最終的には司令官に任命されるまでになった。カールハインツはもともと軍人としての能力を認められていたので、順当といえば順当だったが、クリステルの場合は、いくら弓の腕がずば抜けていたといっても、元は一般市民に過ぎなかったので、破格の処遇であるといえた。これはまた、ジギスヴァルトお決まりの男女平等を笠に着た独断人事であるといわれ、団長とのいかがわしい関係を疑われもしたが、この件に関しては、すでに副団長の女騎士フィリーネが先んじていたので、彼女を手本にして軍務にあたっていれば、ほとんど間違いはなかった。ちなみにフィリーネ自身は、実は団長とちゃっかりそういう関係になっていたらしく、戦後間もなくしてその夫人の座に収まってしまったが。

 クーニッツ騎士団は、まずは宣戦布告の相手であるライナルト帝国と交戦した。名将ディートハルト率いる近衛騎士団を筆頭に、精強な兵たちを擁し、帝国は決して弱い相手ではなかったが、アポイタカラを含めた多数の国の侵攻を同時に受けたうえ、ディートハルト以外にはまともな指揮官がおらず、宰相のホラーツが立てたケクロピア上陸作戦の失敗が決定的なほころびとなって、あえなく滅亡に追いやられた。

 その後、帝国滅亡に際して行方不明となっていた元皇帝アグネスが、元近衛騎士団長ディートハルトを伴って、ケクロピアへ亡命してくるという、驚くべき事件が起こった。もちろん亡命当初は素性を隠し、アグネスは一般の平民と同じく生活し、ディートハルトはその軍才を買われて、兵として戦線に加わった。かつて帝国一の名将と呼ばれたディートハルトを擁したクーニッツ騎士団の勢いは、もはや獅子奮迅といえるもので、あらゆる勢力を次々と制圧し、終わりなき戦乱にあるといわれた大陸をあっけなく平定してしまった。それには、たった四年の歳月を要しただけであった。

 そのあいだ、平民として暮らしていた年若き元皇帝アグネスは、その監視を任じられていた副団長フィリーネの勧めによって学業に勤しんでおり、ケクロピア一の名門校を首席で卒業するという快挙を成し遂げた。帝国滅亡後ほどなくして、宰相ホラーツと、副宰相ゲレオンの悪事が全て明るみに出たことによって、アグネスは暗君の汚名を返上し、その素性を隠す必要もなくなっていた。大陸平定後の国家民主化の波に乗って、彼女は政界へ打って出、ジギスヴァルトと代表の座を争うことになる。そして、三度目の選挙で、見事、代表の座を勝ち取ったのであった。フランツが朝刊を見て口にしたニュースは、まさしくそれだったのである。

 クリステルたちはといえば、ジギスヴァルトに大恩があった手前、彼に投票したものの、政治家アグネスの掲げる公約にも一目置いてはいた。特にクリステルは、戦後、カールハインツとのあいだに二人の子供をもうけたあとであったので、代表のアグネスが女性としてどんな政治を行なうか楽しみでもあった。亡命してきた当時は幼かったアグネスも、現在は妙齢の女性であり、ことあるごとに交際中の男性がいるとかいないとか囁かれてはいたが、そんなゴシップをよそに、いかなる思いがあってか、彼女は現在まで独身を貫き続けている。クリステルもまた、女性ながら男性と同じように戦乱を戦い抜いてきた経験から、政界という戦場で戦うアグネスが、いつか幸せになってくれることをひそかに願っていた。そして、幸せになればアグネスもいずれもうけるであろう子供たちが、平和に暮らせる世界を作り上げてゆくことを望んでいた。

 ドアベルが鳴る。朝食の準備をしていたクリステルが玄関に目をやる。騎士団の解散後、街の治安を守る警察官へと身を転じた夫が、夜勤をあけて帰ってきたのだろう。子供たちが廊下を走っていく。そして、聞こえる声。

「おとうさん! おかえりなさい!」

 クリステルも料理の手を止め、キッチンを離れて出迎えに走る。玄関には、出会った頃とまったく変わりなく背が高く、色白で、金髪の男が立っている。しかし、無邪気に飛びつく子供たちを、代わる代わるあやすその姿は、すっかり父親そのものであった。

 クリステルは穏やかな愛を胸に抱きながら、彼に呼びかけた。

「おかえりなさい、あなた」

 カールハインツは、愛する妻、クリステルの姿を見て、いつものように頬を緩めた。

 

 

「ただいま、クリス」

 

 

 

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