第百十六話
「ではこれより会議を始める。議長は……私で異論はないな?」
ラウラの確認に全員が静かに頷く中、ただ一人怯えた小鹿のようにガタガタと体を震わせている簪はこの異様な空気に満ちている部屋に恐怖していた。
彼女の目の前には腕を組み、こちらを鋭い眼光で睨みつけるドイツ代表候補生のラウラ・ボーデヴィッヒが座っており、その両サイドにそれぞれセシリア、鈴と箒、シャルロットの二人ずつが座っている。
それはまるでどこかのマンガに出てくるような敵組織の会議の様相だ。
「では被告人」
(ひ、被告人……わ、私何かした……かな?)
「貴様が……旦那様と映画館デートをしたのは本当か?」
どこから情報が漏れたのだろうか、とも思ったが今はこの後に答える言葉を考えなければいけない。
正直、どんな言葉を発しようがとんでもないことになる気はするがとりあえず簪が出した結論は―――
「は、はい……見に……行きました」
正直に答えることだった。
「ほぅ……その素直さは認めるとしよう……で、どうだった」
「ど、どう?」
「そうだ。旦那様と映画館デートをした感想を聞いているのだ」
「う、うん……楽しかった……そのあとの感想を言い合う時間もよかった……」
「ほぅ……ディベート必須と」
何やらこそこそとラウラがメモをしているような気がするがとりあえず放っておく。
「ねえ、ラウラ。もういいんじゃない? 別に何かしでかしたわけじゃないし」
「うむ。これからの参考にと思って話を聞きたかったのだ」
「は、はぁ」
ならなぜ、こんな重苦しい雰囲気を出しているんだと突っ込みたくなった簪だったがグッとこらえてオレンジジュースを飲み干す。
カラカラの喉に甘酸っぱいオレンジジュースがよく伝わる。
「仲間も増えたことですし、これからは簪さんも一緒に放課後の訓練はいかがですか?」
「う、うん……ぜひ」
「あ、ところで箒」
「どうした? シャルロット」
「一夏とのディナーはどうだった?」
ニコッと悪魔のような笑顔を振りまきながらそう尋ねられた箒は二重の意味で何も言えなくなってしまう。
正直、あの夜のことはディナーの記憶など微塵も残っておらず、楯無からかん口令を敷かれている最悪の出来事の記憶しかない。
「ほぅ。どおりで休みの日に旦那様と箒がいなかったわけだ」
「まあまあ、ディナーくらいいいじゃない」
その発言に思わずセシリアやラウラは驚きながら鈴の方を見るがどこか鈴は余裕の表情を浮かべており、一歩先を行っているかのような態度だ。
しかし、そんな鈴にもシャルロットは悪魔の笑みを浮かべ、こう言い放つ。
「鈴は……遊園地デート楽しそうだったね」
「っっっ!」
鈴、箒ともに動けなくなってしまい、主題が簪だったはずがいつのまにか箒と鈴の二人が主題となってしまい、全員の視線が二人に注がれる。
「その様子だと……その先にも」
「ほぅ……ディナーはともかく遊園地デート、さらにはその先もか……是非とも詳しく聞きたいものだ」
「あ、あははははっ……そ、そういえばさあ! 一夏の姿が朝から見えないけどなにかあったのかしらねー!」
「そ、そうだなー! 一夏の姿が朝礼の時から見えないなー!」
「むっ、それもそうだ。教官……織斑先生も知らない様子だったな」
「そうですわね。我々にも連絡はありませんでしたし……簪さんは何かご存じで?」
セシリアの質問に簪は首を左右に小さく振る―――心当たりがないわけではないがこの場でそれを言えば無意味に騒ぎを広げてしまう危険性があり、簪は黙っておくことにした。
朝からいない人物がもう一人いないことを。
――――――☆――――――
「いい? 周りの子たちからなんて言われたら反応するんだった?」
「え、えっと……お…おいうち?」
「止めを刺してどうするのよ。―――君って言われたら反応するの」
楯無さんの会話の中で一か所だけ音が消えたかのように聞こえず、自分は怪訝そうな表情をしていると楯無さんは一枚の白紙の紙に大きくボールペンで文字を書き始める。
そして書き終わるとそれを自分に見せてくる。
「いい? 私の後に続いて発音して」
「はい」
「お」
「お」
「り」
「り」
「む」
「む」
「ら」
「ら」
「―――君」
一文字一文字、独立した文字であればしっかりと認識できるのにそれらが繋がって一つの単語になると全く認識できない。
口に出そうとしても何かに引っ掛かるかのように詰まり、言葉として発語できない。
「お…お……おい…うあ君」
「うん、母音だけでも発音できるようになったわね」
「はい……なんとか」
「じゃあ、少し休憩しましょう。虚ちゃん」
「はい、ただいま」
楯無さんの言葉とともに虚さんが自分と楯無さんの分の紅茶セットの用意を始める。
本来であればこの時間は余裕で授業時間であり、教室に居なければいけないが自分は今、生徒会室で楯無さんと虚さんと一緒にあるリハビリをしていた。
虚さんと楯無さんがいる時点で裏関係だ。
「すみません」
「ん? なにが?」
「自分なんかのために……授業を欠席してもらって」
「良いの良いの。あなたは気にせずにしっかりリハビリに励むこと」
今、自分がしているのは周囲からの問いかけに反応するリハビリだ。
あの日の夜、自分は自分を構成するアイデンティティーのすべてをやつに奪われ、
だから自分の名前を言えないし、自分を現す一人称も言えないし、他者から呼ばれても他人を呼んでいると認識してしまって反応できない。
だから日常生活に戻る前にこうやって楯無さんと一緒にどんな言葉をかけられたら反応すればいいのかを徹底的に叩き込んでいる。
みんなにバレないのは当然として何より感づかれたくないのは姉さんだ。
「じゃあ次は……―――先生を呼ぶときの単語よ」
「……誰先生ですか?」
「えっと……あなたのお姉さんよ」
「あ、あぁ……よろしくお願いします」
このリハビリの中で最も難易度が高いのはここだ。
いつもの呼び方はあいつに盗られ、発語することができないし、かといって急に呼び方を変えれば確実に怪しまれてしまう。
「とはいってもさっきのように母音だけの発音で切り抜けるしかないわ。それも早口で」
「で、できますかね」
「できると信じるしかないわ。試しに言ってみて」
「ふぅ……おいうあ先生」
「もっと早く」
「おいうあ先生」
自分がIS学園で気を付けないといけないのは自分を呼んでいる声に反応すること、そして姉さんを呼ぶときの呼び方、この二つには細心の注意を払わないといけない。
「お嬢様」
虚さんからタブレット端末を受け取った楯無さんは画面を見るや否や表情を曇らせる。
横から俺も顔を入れて画面を見るとなんと監視カメラの映像が映し出されており、そこには生徒会室にまっすぐ向かってくる姉さんの姿があった。
「……早速、ラスボスとご対面のようね」
「やばい……いきなりラスボスはやばいですって」
突然のラスボスとのエンカウントに心臓はドキドキと強く鼓動を打ち始め、額から変な汗が流れ始めてしまい、落ち着けなくなってしまう。
そもそも授業を欠席して生徒会室にいる時点でおかしな話なのにそれに加えて呼び方までおかしくなっていればもうゲームオーバーだ。
「く、来るわよ」
楯無さんの一言の直後、ガラッと勢いよく生徒会室の扉が開かれ、スーツ姿の姉さんの姿が自分の視界に入り、思わず目をそらしてしまう。
一応、今日の欠席理由は亡国機業との戦闘で怪我を負ったから大事を取って、にしてある。
「―――先生、おはようございます」
「……なぜ、布仏まで生徒会室にいる」
「生徒会長の補助、です」
虚さんは淡々と姉さんの質問に返答するが表面上は普段通りを装っているが内心、焦っているはず―――その証拠に指が少しだけ震えている。
「更識……お前はなぜ、欠席している」
「彼からこの前の亡国機業の襲撃に関する聞き取りをしています。何分、周りに聞こえるとまずい話ですので誰も近寄らない授業中がいいと判断しました」
「特別指導室では録画されているからか」
「はい」
「……で、お前はなぜだ…―――」
「こ、この前の襲撃の件で……楯無さんと話し合いを」
「なんのだ」
「こ、これからの外出の仕方について」
「そうだな。こうもプライベート時に襲撃に遇っているのだから外出は考えないといけないな」
ここまでは順調に進んでいるように思える。
いつもであれば時間の許す限り話をしたいものだが今となっては一秒でも一分でもいいから早く、生徒会室から離れてほしいと願っている。
「いっそのことIS学園から出ずに私と同室に戻し、私がお前の傍に二十四時間三百六十五日いてやろうか?」
「そ、それは流石に気が滅入るというか」
「それもそうだな……ところで―――、休校期間中の課題は終わっているのか?」
途中の言葉が認識できず、返答に困り、わざと視線を逸らす。
すると姉さんは数歩歩いて近づいてくる。
「ほぅ……その様子だと課題は一枚も終わっていないと見た」
「そ、そ、そんなことありませんよ!? か、簪に手伝ってもらって…あ」
「「あ」」
「ふん!」
「げぅぅん!」
姉さんのげんこつが頭頂部に突き刺さった瞬間、鈍痛が頭頂部から足の先をなんと四往復した。
きっと今の自分の様子を傍から見れば頭の周りにヒヨコがピヨピヨと可愛いなき声を上げながら周囲を飛び回っていることだろう。
「―――、小学生の時に言ったことを言ってみろ」
「しゅ、宿題は自分でやってこそ力になる……です」
「そうだ。喜べ……もうワンセット、追加してやろう」
「ひ、ひぇぇ」
「明日からは登校するように」
そう言って姉さんは生徒会室から去っていった。
ショックのあまり項垂れていると肩を軽く叩かれ、楯無さんが笑みを浮かべながら親指を立ててくる―――多分、その仕草には二重の意味が込められているだろう。
――――――☆―――――
放課後、生徒たちが課題や自主練習に励んでいる中、千冬は一人、会議室に着席しており、目の前に置いてあるマル秘の資料を持つとパラパラとめくる。
それは生徒会長の更識楯無ではなく対暗部用暗部の更識家当主として彼女が作成した資料であり、あの日の夜に起きたことがまとめられていた。
「……」
しかし千冬はその資料をテーブルに適当に投げ捨てると大きくため息をつく。
「……不運が重なったというべきか」
最高戦力の楯無が傷を負っていなければ今回の襲撃は防ぐことができただろう。
資料による報告と楯無からの実際の報告、そして生徒会室で垣間見た一夏の不自然な点を総合すれば千冬が想定する最悪の事態が幕開けたことに気付くのはそう難しくはなかった。
「一夏……お前はどこまで知ってしまったんだ」
自分の人生を賭してでも絶対に隠しとおすと覚悟を決めて今まで生きてきた―――だが、もうそれも限界が近づいてきているのかもしれない。
彼が―――愛する一夏がISを動かした時点からもう計画は破綻していたのかもしれない。
あの時、生徒会室で千冬は“一夏”と言葉を投げかけた。
仕事モードの彼女が決して投げかけることのない言葉にいつもであればそれにつられて“千冬姉”や、普段のため口が出るなど家族モードの言葉が出てくる。
そう思っていたがあの時はそれが出てこなかった。
この数か月で住みわけがきちんとできたと思いたかったが直感的にいつもの彼とは何かが決定的に違うと千冬は感じた。
「私は……お前すら……守れないのか」
千冬は誰もいない会議室で一人、涙を流した。