「―――……」
頬のあたりに仄かな温もりを感じ、徐々に意識が上がってくるのを感じながらゆっくりと目を開けるとそこはもう常連と化した医務室のベッドだった。
枕だと思っていたのは膝枕だとすぐにわかり、まだぼやけている視界のまま上を見るとそこにいたのは―――
「…ラウラ」
「むっ? 起きたか、旦那様」
ラウラだった。
壁の時計を確認してみるとすでに授業は始まっている時間帯。つまりラウラは授業を抜け出して自分の傍にいるということになる。
自分だけが欠席するならまだしもラウラを巻き込んでまで欠席するのは申し訳なさすぎる。
「お前、授業は」
「1年生の座学などすでに軍で履修済みだ。それよりも旦那様が心配だったんだ」
「何言ってんだよ……自分なんか放っておけよ。ラウラの評価が下がるだろ」
「評価? 何の評価だ?」
「なんのって……授業評価とか先生からの評価とか」
そう言うとラウラは呆れ気味にため息をつくとなぜか自分の頭を優しくなではじめる。
「評価などどうでもいい……私は旦那様が心配なんだ」
「自分の心配よりも自分のことを」
起き上がって抗議しようとした時、ぎゅっと頭を膝に押し付けられるように力を入れられてしまい、体調も回復していないのでまともに抵抗できず、しぶしぶ膝枕に戻る。
自分のせいで仲間たちの評価が下げられるのは絶対に嫌だ。
あれだけリハビリを積んでもなお、自分はまともな日常生活が送れないのかと自分に嫌気がさしてくるし、何より皆に申し訳ない。
(やっぱり……事態が解決するまで欠席するべきだったか)
「旦那様……私たちはそんなに信用ならないか?」
「何を言って」
「私たちに何を隠しているのだ」
「……」
とてもじゃないが言えない。
自分と同じ顔を持つ人間がもう一人いて、そいつに自分のアイデンティティーを全て奪われ、自分という存在が崩れ去っているなど誰が信じてくれるものか。
姉さんにすら話せていないことだ―――仲間に話せるはずもない。
「今日の旦那様はおかしい……玄関での様子もそうだし、なにより……喋り方からしておかしい。なぜ、一人称が“自分”になっているのだ? なぜ、―――と言わない」
「……」
さすがは軍の隊長を務めるラウラだ。
弱っているやつの弱っている部分を的確に見抜く力がある。
でも言えない―――言えないんだ。これ以上、自分のことで迷惑をかけたくないし、何より皆を自分のことでまきこみたくないんだ。
もし、巻き込んでしまったら蘭の時のように傷つけてしまうかもしれない。
自分が束さんに命を狙われているからこの前の襲撃も発生したし、そこでシャルは大やけどを負って痕が残るかもしれない状態になった。
セシリアだって頭に傷を負ったし、ラウラだって内臓を損傷した。
これ以上みんなを巻き込みたくない。
「旦那様」
「……どうした?」
「少し散歩しよう」
「……は?」
――――――☆――――――
「お、お、織斑先生ー!」
空き時間中に次の授業準備を行っていた千冬のもとに大きな声を上げ、慌てふためいた真耶が駆け寄ってくるが全力で走ってきたためか肩で息をしており、続きの言葉を紡げない。
ため息をつきながら千冬はデスクのペットボトルを手渡すと真耶はそれを受け取り、ゴクゴクと喉を鳴らしながらすさまじい勢いで飲み干していく。
「ぷはっー! ふぅ……じゃなくて! 織斑君とボーデヴィッヒさんが敷地内を手を繋いで散歩してますぅ!」
「そうか」
「……な、何も言わないんですか?」
「教師としては言いたいがな……今のあいつには教師よりも……仲間の言葉が必要なんだ」
「……?」
「それよりも山田先生。例の準備は?」
「は、はい! 8割がた終えています!」
「よし……期待しているぞ、元日本代表候補生」
――――――☆――――――
「うむ、いい散歩日和だな、旦那様」
「……やっぱり戻ろう、ラウラ」
「ダメだ」
教室へと戻ろうとラウラの手を引っ張ろうとするが細い腕のどこにそんな力があるんだと言いたくなるほどに強い力で逆に引っ張られてしまい、ぐいぐいと歩き進んでしまう。
自分の評価が下がるのは全然構わないけど自分なんかのためにラウラの評価が下げられるのは耐えられない。
「旦那様。蝶々が飛んでるぞ。向こうだ」
蝶々を追いかけていくラウラに引っ張られながら歩いていると授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響くのが聞こえ、止まろうとするがラウラは止まらない。
「ラウラ、本当に戻ろう。自分は大丈夫だから」
「むっ、こんなところに花が植えられているぞ。旦那様、この花はなんだ?」
「無視しないでくれよ、ラウラ。本当に戻らないとお前の評価が」
「この花はコスモスというらしいぞ。そうか、秋の花らしい。まだ暑い日が続くが」
「いい加減にしてくれラウラ!」
我慢の限界が来た自分はラウラの手を振りほどいて怒声を上げるとようやく彼女は立ち止まる。
「自分は大丈夫だから……無理に心配してくれなくて大丈夫だから戻ろう。2時間目が始まる」
「本当に大丈夫なのか?」
「あ、当たり前だろ」
「―――はなぜ自分のことを“自分”、というのだ? ―――と言わないのか?」
彼女の話の節々が全く認識できず、それにつられて彼女が言っている内容がうまく脳内で処理できず、渋滞を起こしてしまう。
何と答えていいのかわからず、固まってしまう。
中途半端な返答をすれば余計に怪しまれるし、何よりラウラが怪しめば確実に姉さんに情報が伝わり、さらに範囲が広がっていく。
「と、とにかく自分は大丈夫だから……」
「何が大丈夫なのだ?」
「な、何がって……」
「鈴から聞いたぞ……校舎に入るのも時間がかかったらしいじゃないか。何があった?」
「あ、あれは……」
必死に言い訳を考えるが候補が出てきてはラウラの鋭い眼光につぶされる。
今の彼女はいつものラウラとして自分に話しかけているのではなく、一人の軍人として自分に話しかけているのだと理解した。
勝てる気がしない―――何もせずとも直感してしまった。
「なぜ、朝礼の時にいなかった? 今日から登校すると聞いていたんだがな」
「……」
「なぜ、朝礼の時間帯にベンチで横になっていたのだ?」
「……」
「なぜ……何も言ってくれないんだ」
なぜ、の三連発に自分は何も言えず、全身が穴だらけになってしまう。
もうこれ以上、巻き込みたくないと正直に言えばきっと彼女は―――いいや、彼女だけじゃなくてシャルや箒、セシリア、簪も放っておけないと言ってもっと近づいてくるに違いない。
そうなればスコールや仮面の女、オータムなんかの亡国機業の面々からも標的として認定されてこれまで以上に危害を加えられてしまう。
この前の襲撃以上の被害だって被るかもしれないし、最悪死んでしまうかもしれない。
自分は白騎士の生体再生があるからゾンビみたいに復活できるけどみんなはできない。
「ベ、ベンチで横になってたのは眠たすぎて寝てたんだ……朝礼にいなかったのはめちゃくちゃ気持ち悪くてさ、ちょっとトイレで吐いてたんだ」
「ならば校舎に入れなかったのは?」
「あ、あれは……一日部屋に籠りっぱなしだったからさ、ちょっと緊張して……見ての通り、もう元気になったからさ。教室、戻ろう」
ラウラに手を差し伸べるが彼女は手を取らずに最後に、と付け足して質問を一つする。
「お前の名前はなんだ?」
一番してほしくない最悪の質問が飛んできて自分に心臓が飛び上がり、嫌な汗が分泌し始める。
こんな質問、普通であれば絶対にしないがしてきたということはもうラウラは自分の異変に完全に気付いているということの証拠だ。
「い、いきなり何言ってんだよ。じ、自分の名前は知っての通りだろ」
「改めて聞きたいんだ……名前はなんだ? 旦那様」
「……」
「なぜ、黙っているのだ?」
「ほ、本当に自分は大丈夫だから……教室に戻ろう」
「ダメだ。旦那様の名前を聞かないと」
「だから大丈夫だから……戻るぞ」
「ダメだと言ったらダメだ」
「頼むから……戻ってくれ」
「絶対に戻らない」
「もう頼むから戻ってくれ! 自分は大丈夫だって言ってるだろ!」
明らかに怒るのは間違っている。
そう理解はしているが自分が突いてほしくないところを突いてばかりいることで思わず声を荒げてしまい、ハッとなって顔を上げるとラウラは少し驚いた表情をするがすぐに表情を変える。
(あぁ……怒らせたな)
「そうか……ならいい」
そう言うとラウラは自分の手を離すとこちらを見向きもせずに校舎に向かって歩き始めていく。
その背中から見える空気はまさに悲しみそのものだった。
「……分かってるよ」
ラウラが小さくなるまで離れた時にぽつりとつぶやく懺悔の言葉。
この懺悔の言葉を彼女に向けて言うべきだとも理解してはいるが今の自分ではその言葉を彼女に向かって言うことなんてできない。
「巻き込みたくないんだよ……だからこれで……良いんだ……」
自分の考え方は間違っておらず、行った行為は彼女たちを守るのに最適解だと必死に自分に言い聞かせるがなぜか胸が酷く苦しく、締め付けられている感じがする。
自分が何を求めているのかわからない―――いや、理解したくない。
理解してしまえばすぐさま行動に移してしまうから、そしてみんなを地獄に引き込んでしまう。
「ぅぅっ……くそっ……くそっ」
情けないほどに大粒の涙を流しながら2時間目のチャイムが鳴り響くのが聞こえた。