ただ痛いだけの生意気な小娘だと思ったら、その正体は僕の想像を遥かに超えてきた。。。【貴族教師マリア、君との約束】 作:村上しんご
日課になっている避難者の状況報告で、江洲小原先生の執務室を尋ねると、彼女は魔導士たちと一緒にゲートの調査に出掛けていた。
タイムリミットが刻一刻と迫っているのか、最近の彼女は留守が多く、僕はその度に肩透かしを食らい、まるで取り残されたような気分だった。
出迎えた執事のセバスチャンが、そんな僕を哀れむように「美濃又様、今日は異国から珍しいお茶が手に入っています…御一緒に如何ですか?」とティータイムに誘ってきた。
彼と余り話すことも無かった僕は、この機会に江洲小原先生の話でも聞こうと、その誘いに乗って執務室の応接ソファーに腰を降ろしていった。
「メリー、お茶を頼みます…」
セバスチャンがそう言うと、奥に控えていたメイドが軽く会釈をして、執務室の奥に消えていく。
このメイドとも何度も顔を合わせてはいたが、殆ど会話する機会も無く、どこか遠い存在に感じていた。そう言えば江洲小原先生の、あちらの世界での暮らしぶりさえよく知らない。
改めて彼女の事など何も知らないのだと気付いた僕は、向こうの世界での話を聞こうと、唐突に言葉を切り出していった。
「あの…マリア先生って凄いですよね…先生が来てから、この学校も生徒たちも…僕だって変わってしまった気がします…」
そう言って彼の表情を伺うと、セバスチャンはメリーが注いだティーカップのお茶に、さりげなく口を付けていった。
穏やかな表情で瞳を閉じたその姿は、過去を回想でもしてるのか、遠くフェルナス公国の日々を思い出しているようだった。
「マリア様は確かに特別な方ですが…ただ、美濃又様が思っている様な完璧な方ではございません…」
彼は僕の心を見透かしてるかのように、静かにそう呟きカップを置いた。
「これから話す閣下…いいえ、この場ではお嬢様とお呼びしましょう…これからするお嬢様についてのお話しは、私の独り言としてお聴きください…美濃又様の心に止め、決して口外なさらぬようお願い致します…」
セバスチャンは穏やかな口調で言ってはいるが、鋭い視線で釘をさすような圧力を放っていた。
これから語られる話が、抜き差しならない事だというのは、その場の重々しい雰囲気からも感じ取れている。
息を呑む僕は喉の渇きを潤そうと、差し出されたティーカップに口を付け、一息で紅茶を飲み干した。
するとセバスチャンは僕の目を見据えながら、膝に置いた手で祈る様に指を絡ませ、重々しい口調で話を切り出していった。
「お屋敷に連れられてきたお嬢様を初めて見た時、私は余りにみすぼらしいその身なりに、路地裏に捨てられた子犬を連想いたしました…」
少し含みのあるセバスチャンの話は、出だしとしては衝撃的で、僕は思わずその話を遮る様に口を挟んでいった。
「ちょっと待って下さい!江洲小原先生が捨てられた子犬って…!?」
今では想像もつかないその話に動転する僕は、声を上げずにはいられなかった。何故なら僕の頭の中では身寄りのない孤児というイメージしか浮かばなくて、あの優雅で気品の高い姿とはあまりにも掛け離れていたからだ。
「驚くのも無理はありません…今のお嬢様の姿は何者にも負けじと、血のにじむような努力を積み重ねた結果であって、本来の姿ではありません…お嬢様は前エスコバル家御当主の婚外子であり、5歳の頃にお屋敷へ連れてこられた孤児なのです…」
「えっ!それって…」
僕はセバスチャンの言ってる事が理解できずに、混乱するばかりだった。
今になってセバスチャンが最初に言っていた『マリア様は確かに特別な方ですが…ただ、美濃又様が思っている様な完璧な人ではございません…』という言葉が、頭の中で繰り返し響いている。
そう言えば江洲小原先生がよく言っていた『人は平等ではありません…』という言葉も、自分の体験を元に言っていた事なのであれば納得できる。
軽い世間話のつもりで、江洲小原先生の話を聞こうとした僕は、今になって少し後悔をし始めていた。
「フェルナス公国は4大公爵家が統治する国家であり、我が公国の皇帝は、その公爵家の当主たちの中から選ばれます…サビオン家、バスティオ家、ルシタスィラ家…そしてエスコバル家…」
セバスチャンの語る声はとても静かで、まるで古い書物のページをめくるような重みがあった。
彼の言葉が執務室の空気を一層重くし、僕はその場に座っているだけで息苦しさを感じていた。ティーカップを握る手が震えそうになるのを抑えながら、僕は思わず口を開いていった。
「エスコバル家って…それじゃあ、江洲小原先生も4大公爵家の血筋だってことですよね?」
セバスチャンは一瞬、目を細めて僕を見つめた。その視線は鋭くもあり、どこか慈しむような柔らかさも混じっていて、僕の質問が彼の心のどこかを揺さぶったように見えた。
「その通りです、美濃又様…お嬢様はエスコバル家の前当主、ガルシア・エスコバル公の血を引いております…しかし、いくら血の繋がりがあろうとも、路地裏で育った婚外子に家督を継がせる当主など居るはずもございません…」
彼はそこで言葉を切り、再びティーカップに手を伸ばした。ゆっくりと口をつけ、一息つくと、まるで過去の記憶を一つ一つ拾い上げるように話し始めた。
「お嬢様が屋敷に連れてこられた時、5歳の小さな少女でした…ボロボロの服を着て、髪は泥と埃で固まり、目は怯えと空腹で濁り、輝きすらありませんでした…御子息の王位継承の為に利用しようと連れてこられたお嬢様は、当時のエスコバル公爵家では厄介者でしかなかったのです…」
「厄介者…?」
僕の声は小さく、ほとんど呟きに近かった。江洲小原先生がそんな扱いを受けていたなんて、今の姿からは、まるで想像もつかなかった。
あの堂々とした姿、優雅な物腰、鋭い知性…それが「厄介者」と呼ばれる存在から生まれたものだなんて、とても思えなかった。
「当時のエスコバル公爵家は、かつての栄光を失い、4大公爵家の末席に追いやられていました…没落の淵に立たされ、過去の威光にしがみつくその家で、お嬢様はただの駒としか思われていなかったのです…そんなガルシア公の野心のために引きずり込まれた5歳の少女を、誰一人として顧みる者はいませんでした…」
セバスチャンの声は低く、どこか抑えた怒りを帯びていた。彼の言葉が執務室の空気を重く押し潰し、僕はその場に座っているだけで胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
ティーカップを握る手が冷たく汗ばみ、震えを抑えてはいるが、動揺は隠しきれてはいない。
「屋敷の隅に追いやられ、風が吹き抜ける物置のような部屋に閉じ込められたお嬢様は、残飯が皿に投げ込まれる食事だけで命を繋ぎました…暖を取る毛布すら与えられず、凍える冬の夜に壁に背を預けて震えながら眠る姿は、孤児として生き延びた日々と何も変わらなかったのです…」
セバスチャンの声には、抑えきれない感情が滲んでいた。彼は穏やかな表情を保とうとしているが、その瞳の奥に燃える何かを感じた。怒りか、悲しみか、あるいは両方かもしれない。
「じゃあ…先生はどうやって今みたいな人になったんですか?そんな環境で育ったら、普通は…」
僕の言葉を遮るように、セバスチャンは小さく笑った。それは苦笑とも取れる、複雑な響きだった。
「美濃又様、お嬢様が今のようになれたのは、彼女が特別だったからです…お嬢様はどんな困難な状況に置かれても、悲観することなくそれを受け入れ、どうすればそこから抜け出すことが出来るかを、落ち着いて考えられる子供でした…お嬢様のスキル『先見の明』が目覚める前のお話なので、それが持って生まれた資質なのは間違い御座いません…」
僕が先生の事を尊敬するようになったのは、彼女の持つ前向きな姿勢が僕には無いもので、どんな困難にでも立ち向かう勇気と強い信念が、キラキラと輝いて見えたからだ。
僕よりずっと年下の女の子なのに、彼女を見ていると、自分の弱さが恥ずかしくなるほどだった。
それが持って生まれた資質であるならば、僕はどんなことをしても、彼女には勝てないだろう。
「お嬢様は貴族のお屋敷に居るという事を利用して、こっそりと屋敷の図書室に忍び込み、様々な知識を身に着けていきました…最初は文字すらも分からなかったようですが、いつの間にか古代文字までも理解し、魔法までも身に着けていったのです…」
「魔法…?」
僕は思わず身を乗り出していた。江洲小原先生が魔法を使えるというのは、今では周知の事実だが、それがそんな過酷な幼少期から始まったとは思ってもいなかった。
「ええ、お嬢様はお屋敷に来てから、貴族なら2つの属性を習得するだけでも称賛される属性4大魔法を全て覚え、光と闇の魔法まで扱えるようになっていきました…しかもそれだけでは御座いません…【公国の叡智】と呼ばれるほどの知識までも身に着けたお嬢様に、もはやエスコバル家の御子息など敵ではありませんでした…」
セバスチャンはそこで初めて目を伏せ、膝に置いた手をぎゅっと握りしめた。まるでその時の感情が今も彼の中で生きているかのように。
「お嬢様は急速に力を付け、知恵と魔法で周囲を圧倒していきました…私はその姿に【王としての器】の片鱗を見たのです…敵だったはずの使用人たちを次々と味方に引き込み、屋敷を静かに掌握していくお嬢様は、もはやガルシア公すら無視できない存在となっていました…」
誇らしげにそう語るセバスチャンは、まるで過去を見つめているかのように、遠い目をしている。
「御子息の王位継承に取り憑かれたガルシア公は、お嬢様を恐れ、暗殺者まで差し向けました…ですが、知恵と魔法を極めたお嬢様に、そんな者たちが敵うはずもなかったのです…やがてお嬢様の噂は王宮にまで響きわたり、当時の皇帝、リチャード・バスティオに謁見する栄誉を授かったのです…」
セバスチャンの話は、僕の想像を超えるほど壮大だった。彼の言葉にのめり込むうちに、身体中が熱くなり、額から汗が滴り落ちていた。
「お嬢様は皇帝を前にしても物怖じせず、堂々と立っていました…【公国の叡智】と呼ばれる知恵を身に着けた彼女は、その時すでに、皇帝リチャード・バスティオをも凌駕していたのです…そして、お嬢様は堂々とこう言い放ったのです…『私がこの国を誰もが望む良い国にしてあげましょう』と…」
「この時のお嬢様はまだ10歳です…目の前のお嬢様の言葉に、皇帝は目を丸くしながら高笑いし、お嬢様の王位継承をその場で認めました…その後、直ぐに皇帝の命により、エスコバル家はお嬢様が当主となり、ガルシア公とその御子息は領地の隅に追いやられたのです…」
セバスチャンのその言葉の後に執務室が静寂に包まれた。メリーがそっと新しいお茶を運んできてテーブルに置いたが、その音さえも遠くに感じられた。
僕はセバスチャンの話を頭の中で反芻しながら、江洲小原先生の姿を思い浮かべていた。
あの自信に満ちた笑顔の裏に、こんな過酷な過去が隠れていたなんて、僕は胸が締め付けられる思いだった。
「それなら、先生はどうしてそんな過去を隠してるんですか?僕たちにはいつも『人は平等じゃない』って言うけど、自分のことは全然話さない…まるで、その過去をなかったことにしたいみたいに…」
セバスチャンは僕の言葉にゆっくりと顔を上げ、深い溜息をついた。
「美濃又様、お嬢様が過去を語らないのは、恥じているからではありません…彼女にとって過去は、ただの足跡に過ぎないのです…お嬢様は言いました。『私は過去に縛られるために生きているのではない。未来を切り開くために生きているのだ』と…未来には、あなたのような若者たちがいるからです…」
僕はその言葉に、更に身体中が熱くなった。その言葉は、尊敬する江洲小原先生が僕の事を認めてくれている様な気がして、嬉しかったからだ。
「最後に一つだけ…お嬢様はずっと気を張って生きていた為か、あまり感情を表に出す人間ではありませんでした…しかし、あなたや生徒たちと出会い、絆が深まるたびに、人としての心を取り戻し、少しずつお変わりになったように思えます…」
「これからお嬢様はフェルナス公国に戻り、ゲートが閉じられると、もう二度とあなたたちに会えなくなるでしょう…その時、悲しみに暮れるお嬢様を見るのが、私は心配でならないのです…」
セバスチャンはそう言うと一息つくように言葉を止め、涙ぐんだ目で僕を見据えた。
「お嬢様はあなたたちに深い信頼を寄せています…けれど、それと同じくらい、心配もしているのです…どうか私たちが去った後でも、自分たちの力で立ち、未来を切り開いていけることをお嬢様に見せてあげてください…そしてお嬢様が安心してフェルナス公国へ戻れるようにしてください…」
彼の切実な言葉とその重々しい雰囲気に、僕は何も言い返すこともできずに口を噤んでいた。
彼女の生き様を聞いて何かをしなければという、逸る気持ちはあったが、別れという言葉を突き付けられて、気持ちがどうしても落ち込んでいく。
江洲小原先生の背中を見て、どんな時でも希望を見出していたのに、その存在が居なくなってしまうのだ。
僕はどうしたら良いのかと少し途方に暮れながらも、もうじき訪れる江洲小原先生の別れを予感し、強い決意を固めていた。
~to be continued~