ただ痛いだけの生意気な小娘だと思ったら、その正体は僕の想像を遥かに超えてきた。。。【貴族教師マリア、君との約束】 作:村上しんご
別れの日が近付くのを肌で感じながら、僕は江洲小原先生のために何ができるのか、必死になって考えていた。
セバスチャンの言葉通り、先生がフェルナス公国に心置きなく帰るため、僕たちはどんな一歩を踏み出せばいいのか、彼女の背中を見送る覚悟とともに模索していた。
地震の後の見るも無残だった街の光景は、この国の人々とフェルナス公国からきた人たちの協力でほぼ復旧し、元通りの日常に戻りつつある。
しかし、江洲小原先生は被害を受けた人々を今も支えつつ、広がり続けるゲートを食い止めるため、昼夜を問わず全力を尽くしていた。
セバスチャンの話を聞いてから、僕は以前にも増して先生を尊敬するようになり、その背中をいつの間にか目で追い続けるようになっていた。
何も聞かされていないはずの生徒たちも、別れを予見しているのか、最近は先生の周りに集まる時間が長くなっていた。
先生の顔つきは普段通りの無表情で、何を考えているかさえ分からないのに、周りには生徒たちの楽しそうな笑い声が溢れている。
そんな時、穏やかだった昼下がりに影を落とすように、あの時の地震を思わせる低い唸り声のような音が響いてきた。
生徒たちがざわつき始めると、先生は鋭い目つきでゲートがある裏山の方を振り返り、まるで嵐の前の静寂のような緊張感を漂わせた。
「落ち着きなさい…結界は今も効いていますわ…」
まるで自分に言い聞かせるようにそう呟く先生は、言ってることとは裏腹に、どこか不安げな影をその表情に宿している。
僕は先生の言葉を聞きながら、胸の内で何かがざわめくのを感じていた。
結界が効いていると言いながらも、先生の視線は裏山のゲートに向けられたままで、その鋭い目つきからは、迫りくる危機に対する覚悟が滲み出ているようだった。
「先生、僕も一緒に行きます!」
先生が裏山に向かうと察した僕は、ここぞとばかりにそう言うと、生徒たちまで「僕たちも行きます!」と次々に声にしていった。
そんな僕たちの言葉に、先生は少し表情を綻ばせながらも「危険ですわ!あなたたちはここで出来る事をしなさい…」と厳しい事を口にした。
「マリア先生、危険なことは分かってます!でも、僕たちも先生の為に何かしたいんです!」
珍しく大きく声を上げる僕の様子に、江洲小原先生は不意を突かれた様に目を丸くしている。
先生の丸くなった目に僕は一瞬だけ希望を見た気がしたが、すぐにその表情がまた厳しさを取り戻し、胸が締め付けられるような思いが込み上げていた。
「危険ですわ」と言われた言葉が頭の中で反響する。でも、ここで引き下がったら、『セバスチャンとの約束』、先生を安心させることが果たせない――そう思うと、足が勝手に前に踏み出しそうになる。
「いつまでも先生に頼ってばかりじゃいられないんです…僕たちにも何かをさせてください」
決意を固めた僕の言葉に、先生の顔つきがまた綻んで、薄っすらと微笑みが見えていた。
傍から見たらいつもの素顔と変わらないだろうが、その表情には少しだけ優しさが見え隠れしていて、ほんのわずかな温かさまで宿っている。
「分かりました…せっかくの機会なので、あなたたちにもゲートを見せて差し上げましょう…」
そう言って僕たちにクルリと背を向ける先生は、学校の裏手にある小さな山に向かって歩き出していった。
どこか嬉しそうに見える先生の様子に、僕と生徒たちも少しホッとして、顔を見合わせて薄っすらと笑みを浮かべている。
「しかし、私からは絶対に離れないで下さい…良いですね!」
やはりゲートに何かが起こっているのか、先生の言葉には張り詰めた空気が漂っている。
その言葉に、僕たちは一斉に「はい!」と返事をし、その背中を追いかけるように歩き出した。
あれ以来、近寄ることさえ禁止されていた裏山は、立ち入り禁止のテープに囲われ、更に先生たちの結界まで張り巡らされている。
江洲小原先生は地表から立ち昇る結界の淡い光に手を伸ばすと、何かをブツブツと唱え始め、人が通れるくらいの空間が広がり、その中にスッと入り込んでいった。
「何をしてますの?私の後に続きなさい…」
学校の裏手にある小さな山は、普段ならただの木々と土の匂いがする静かな場所だ。でも、今はあの低い唸り声が時折響き、空気を重くしている。
そんな不気味な気配のする中を、先生は確かな足取りで前に進み、僕たちはその後ろを一列になってついていく。
山道を登り始めてしばらくすると、木々の隙間から何か異様な光が見え隠れし始めた。
緑の葉っぱに反射するそれは、まるで現実離れした色合いで、青とも紫ともつかない不思議な輝きを放っている。
大きなトンネルを思わせるほどのその空間は、何処か禍々しい雰囲気を醸し出し、僕たちを飲み込もうと蠢いているかのように見えた。
ゲートの不気味な唸り声が響くたび、足元の地面が微かに震え、淡い光が不安定に揺らめいているように感じる。
「先生…これ、本当に大丈夫なんですか?」
「やはり…また大きさを増していますわね…」
僕の声は思った以上に震えていて、後ろにいた生徒たちも不安そうに顔を見合わせている。
ゲートの前に立つ江洲小原先生は、鋭い目つきでその光を見つめ、そこに手をかざして、また何かをブツブツと呟いていった。
すると不安定な光の揺らめきと不気味な轟音はスーッと収まるものの、先生の顔つきはまだ険しくて、辺りに重苦しい空気が張り詰めていた。
「一時的に抑えましたが、こんなことが毎日続いているのです…ゲートを完全に塞がない限り、私たちは平穏に暮らすことはできないでしょう…」
先生のその言葉が、僕たちに深い衝撃を与えた。なぜなら、ゲートを完全に塞ぐということは、先生との永遠の別れを意味していたからだ。
生徒たちもその事実に薄々気付きながら、今まで声に出してこなかった。
それは、悲しみに暮れる姿を先生に見せたくないという気持ちと、一人ひとりが先生の教え通り、前を向こうとする決意の表れだった。
現実を突きつける先生の言葉に、誰もが口をつぐんだまま、ゲートの不気味な光をただ見つめていた。
ゲートを塞ぐことがこの世界を救う唯一の道だと分かっていても、それが僕たちと先生との別れに繋がるなんて、心が受け入れるのを拒んでいた。
生徒たちの中には瞳に涙を浮かべる子もいたが、みんな必死にそれをこらえていた。
前を向く事を教えてくれた先生に弱いところなど見せたくない――そんな気持ちが、みんなを奮い立たせているようだった。
「先生…ゲートを塞ぐってことは、先生がもうこの世界にいられなくなるってことですよね?」
そんな時、俯き加減の伊藤君が声を震わせながらも、その沈黙を破った。
唇を噛みしめて身体をブルブルと震わせるその姿は、それを言わずにはいられなかった彼の心の憤りが、まざまざと滲み出ていた。
「…そうですわね…このゲートが塞がれば、この世界とフェルナス公国との繋がりも完全に無くなります…しかし、私はあなたたちと過ごした日々を決して忘れることはないでしょう…」
そう言って少し遠くを見る江洲小原先生の瞳には、深い悲しみが宿っていた。
離れた子を思う母親のようなその温かい眼差しに、僕は胸が締め付けられるような思いが込み上げていた。
先生に僕たちの事など気にせず、安心して帰ってもらおうと思っていたのに、いざその現実を突きつけられると、どうにかならないかとまた考えてしまう。
「先生、何とかならないのでしょうか?」
僕が思わずそう口にすると、先生はフッと笑顔を見せて、僕の顔をマジマジと見つめていく。
「美濃又…あなたは教師でしょう?一時的な感情になど振り回されないで、きちんと生徒を導きなさい…曲りなりにもあなたは教師で、私はそのことを認めているのですよ…」
先生は穏やかな口調で言ってはいるが、どこか甘えた気持ちを持つ僕を、突き放すような厳しさがあった。
最初の頃はこんな事を言われるたびに、年下の癖に生意気だと憤慨してたのに、今ではすっかりそれを受け入れてしまう自分が居る。
「私はあなたたちの先生でもありますが、フェルナス公国を預かる一国の王です!感情に流されて国の民を見捨てる訳にはいきません!」
先生の言葉には揺るぎない決意が込められていた。それを聞いた僕たちは彼女の強い姿勢に圧倒され、何も言い返すことができなかった。
慌ただしかったゲートの前は、まるで時間が止まったかのような静寂に包まれていた。
その時、ゲートの奥から地を揺らすような轟音が響き、光が不規則に渦を巻いて脈打った。まるで生き物のように蠢くその渦に、江洲小原先生は『しまった』という顔で振り返り、慌てて生徒たちを庇うように前に飛び出した。
しかし、時は既に遅く、ゲートの光は一瞬にして膨張し、先生を渦潮のような勢いで飲み込んでいった。
僕は引きずり込まれていく先生の手を咄嗟に掴むが、その力は尋常ではなく、僕までその中に引きずり込もうとしている。
「美濃又!放しなさい!あなたまで引きずり込まれてしまうわ…」
江洲小原先生はそう言っているが、僕はその手を離す事などできなかった。彼女の顔には、フェルナス公国に帰る以上の切羽詰まった様子が浮かんでいたからだ。
このままでは先生が、どこに飛ばされてしまうか分からない。そんな嫌な予感がしてならなかった。
「嫌です!放せません!」
僕がそう言って先生の手を握り、渦に抗うように全身で踏ん張っていると、僕の腰に生徒たちの小さな手が、いつの間にか重なり合っていった。
「君たちは危ない!離れていなさい!」
僕がそう言って必死に叫んでも、生徒たちは目を潤ませた必死な形相で僕の腰にしがみ付き、誰も離れようとはしなかった。
「僕たちだって黙って見てられないよ!マリア先生を助けるんだ!」
そう言って団結する生徒たちの姿には、お世話になった先生を助けようとする、強い決意が滲み出ていた。
そんな時、木々の枝から身軽に飛び降りた先生のメイド、メリーまで加わった。その俊敏で迅速な動きは、彼女がただのメイドではない事を匂わせている。
その時、渦に引き込まれかけていた江洲小原先生が身を起こし、また何かをブツブツと唱え始めていた。渦の勢いは一瞬だけ弱まり、次第に収まり始めていく。
やがてゲートは、また静けさを取り戻し、生徒たちは崩れるようにその場にへたり込んでいった。
「…何とか…なったのか…」
生徒たちの疲れ切った声と震える息が響き合い、僕も力尽きたようにその場に膝をついた。
江洲小原先生も珍しく動揺していたのか、大きく息を乱し、額から滲み出る汗を拭い続けている。
しかし、一息つくと華麗にスッと立ち上がり、その場にへたり込んだ僕たちの前に立ち、姿を見下ろしていった。
「皆さん、ありがとう…私はあなたたちを教え子に持てた事を誇りに思います…」
そう言って深々と頭を下げる先生の姿に僕たちは唖然としていた。それは普段の威厳に満ちた彼女の姿からは考えられない事だった。
以前、僕たちに向けて土下座した時も感じたが、彼女はただ傲慢なだけの皇帝ではない。
どんな身分差があろうとも、自分に非があると感じたら頭を下げ、報いた恩には素直に感謝の出来る、そんな気高く温かい人間だった。
「あなたたちは、もう私の手を離れても、未来を切り開ける力を持っています…メリー、あれをここへ…」
「はっ、お嬢様!」
江洲小原先生がそう言うと、メイドのメリーが一瞬で先生の前に跪き、腰の鞄から取り出した小箱を差し出した。
「これは、あなた方一人一人へ綴った私からの思いと贈り物です…」
そう言って小箱から取り出したのは、生徒一人一人に宛てた直筆の手紙と、色とりどりの魔石が中央に嵌め込まれたペンダントだった。
生徒一人一人の名前を呼び、労いの言葉を掛けながら、それを手渡していく光景は、まるで時季外れの卒業式のようだった。
裏山の木々が静かに風に揺れ、ゲートの残響が遠くに消えていく中、先生の声だけが澄んだ音色となって響き渡っていた。
「自分を卑下する弱い心は捨てたようですね…貴方はもう、誰にも負けない立派な戦士です!」
「貴女の正義感と心の温かさは、何事にも代えがたいものです…誰に何と言われようと誇りを持ちなさい!」
「人に流されず自分の信念を貫きなさい…そうすれば貴方はきっと素晴らしいリーダーになれるはずです!」
彼女はそう言って生徒一人一人に言葉を贈り、手紙と共にその子たちに用意した、それぞれのペンダントを手渡していった。
それを受け取り、中の手紙を見た生徒たちは、その場に泣き崩れて嗚咽を漏らしていた。
それを少し離れて見ている僕も、大切なモノが失われていくような悲しみが込み上げて、ジッとしてなど居られなくなっている。
しかし、何もできないもどかしさは募るばかりなのに、僕はただその場に立ち尽くし涙で頬を濡らし続けていた。
ほとんどの生徒たちが名前を呼ばれ、手紙とペンダントを受け取った時、先生との別れの挨拶が終わりを迎えようとしていた。その瞬間、突然僕の名前が響いた。
「美濃又…あなたも来なさい…」
「へっ!?ぼ…僕も?」
僕は突然の呼び出しに驚きを隠せなかった。生徒たちの卒業式をイメージしてたのに、副担任の僕にまで、その順番が回ってくるなどとは思ってもいなかった。
驚きに目を見開いたまま震える足で一歩踏み出すと、江洲小原先生の僕を見据える瞳には、どこか優しさが宿っている。
「美濃又…あなたも私の背中を見て、教師としての自分を変えようとしてたでしょう?あなたの事も大切な一人の教え子だと、私は考えています…」
そう言って先生は僕に手紙を手渡すと、この世界に来た時から大事に持っている、トレードマークともいえる扇子を僕にスッと差し出していく。
「立派な教師になりなさい…私が居なくなっても、あなたがこの子たちを導いていくのです!」
その言葉に、僕は震える手で扇子を受け取り、涙が再び溢れて止まらなかった。彼女が僕に託した重さを噛み締めながら、ただ頷くことしかできなかった。
皆が泣き崩れて地べたに座り込んでいる中で、彼女は物悲しそうな顔で、それを見つめその場に凛と佇んでいる。
「人が生を授かり生まれてくる事など、ただの偶然の積み重ねであって、世界にとっては深い意味などありません…」
いつもの無表情な顔付きで、突然冷たくそう言い放つ、江洲小原先生の言葉に僕たちは呆気に取られていた。
今までの別れの雰囲気が、その瞬間に吹き飛んで、どうした事かと先生の顔を伺っていた。
「ですが………それを意味あるものに出来るかどうかは、自分自身の生き方次第だと私は思います…」
しかし、先生は薄っすらと笑みを浮かべながら、そう言って僕たちを見回していく。
「あなた方の思うがままに、悔いのない人生を歩みなさい!これが私から贈るあなたたちへの最後の言葉です…」
そう言って僕たちを見据える先生の瞳には、僕たちの幸せを願う母親のような愛情が溢れている。
生徒たちは嗚咽を漏らしながらも「先生!」と呼び掛けて、別れを惜しむように彼女の足元に縋り付いていった。
晴天の青空から木漏れ日が差し、生徒たちと先生を照らし続けている。
生徒たちの別れを惜しむ声が、広大な青空にいつまでも響き渡っていった。
僕はその光景を見つめながら、贈られた扇子が冷たく感じられ、強く握り締めた。彼女がもうすぐ去ってしまう予感に、込み上げてくる涙が止まらなかった。
~to be continued~