ただ痛いだけの生意気な小娘だと思ったら、その正体は僕の想像を遥かに超えてきた。。。【貴族教師マリア、君との約束】   作:村上しんご

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<episode14> メリーのひとり言

 帝国兵の目を掻い潜り、城から抜け出すことはできたが、僕たちを捕まえようとする警戒網は城の外にまで広がっていた。

 鉄壁の要塞と言われるディルファス城の裾に広がるこの街は、煌びやかに彩られてはいるものの、その輝きは虚飾にしか過ぎなかった。

 磨かれた石畳に映る松明の光も、冷たく薄暗い影を落とし、街を行き交う人々は魂を奪われたかのように淀んだ目で俯き、足を引きずっていた。

 

 帝国の旗が風に翻るたび、鋭い甲冑の音が通りを切り裂き、市場の隅では路地裏で暮らす物乞いがうめき声を上げていた。

 自由など夢物語に過ぎないこの街で、僕たちは息を殺し、薄暗い路地の奥に身を潜めていた。

 背後では兵士たちの足音が石畳を叩き、まるで街全体が帝国の冷たい手で締め上げられているかのように、希望を失くしたどんよりとした重い空気に包まれていた。

 

「この国ではこれが現実なのです…」

 

 そう言って悲しそうにするメリーの目には、首輪と鎖に繋がれ、裕福そうな男に引きずられる奴隷の少女が映っていた。

 薄汚れたその身なりに、幼少期の江洲小原先生を重ねているのか、その目には悲しさの中に怒りが満ちていた。

 だが、逃亡中の僕たちに今できることなど何もない。希望を失った目で道を裸足で歩く少女は、男に連れられるまま、どこかへ空しく消えていった。

 

「この人数で移動するのは無理があります…暗くなるまでここで待機しましょう…」

 

 そう言って気配を消すメリーの言葉に、僕たちは黙って頷いた。20人を超える生徒たちを連れて街を移動するのは目立ちすぎるし、城門を抜けることなどほぼ不可能だろう。

 路地の奥で息を殺していると、さっき見た少女の素足が石畳を擦る音が頭の中で何度も繰り返し響き、耳の奥にこびりついて離れない。

 生徒たちも同じ気持ちなのか、何もできなかったというやり切れない思いで、その場はお通夜のような重い空気に包まれていた。

 

 そんな重い空気の中、メリーが静かに口を開いた。

 

「私も奴隷だったのです…」

 

「!!!」

 

 突然のその告白に、誰もが衝撃を受けて目を見開いた。どこか影があるとは思っていたが、そんな過去があるとは想像もしていなかった。

 フード付きのコートを被り、路地の奥で蹲る僕たちは、独り言のように語られていくメリーの話に耳を傾けた。

 

「私はこの街で生まれ、物心ついた時には両親が誰なのかさえ分かりませんでした…一人路地裏で暮らす私は、奴隷商にとって格好の餌食だったのです…」

 

 メリーの声は小さく、過去を遠くから見つめるように淡々としていた。

 

「怪しい男たちに捕らわれた時も、特に何も感じませんでした…ただ、これで食事の心配をしなくて済むと、少しだけ安堵したのです…」

 

 日頃口数の少ないメリーの話に、僕たちは息を呑んでいた。辛い過去を語っているにもかかわらず、その顔は飄々としていて、何を考えているのかさえ分からない。

 

「競売にかけられた私を買い取ったのはアサシンギルドでした…彼らは幼い頃から殺人術を身につけさせるため、その時まだ5歳だった私の年齢が適していたのでしょう…」

 

 アサシンギルドや殺人術といった言葉に、僕たちは絶句した。平和な世界で暮らしていた僕たちにとって、まるで無縁の世界だったからだ。

 だが、メリーはそんな驚きを見せる僕たちを気にする様子もなく、独り言のように語り続けていく。

 

「5歳の私は、刃の扱い方を覚える前に、痛みと恐怖を叩き込まれました…次第に感情を失い、命令に従うだけの兵器になっていた時には、まだ10歳でした…」

 

 10歳といえば生徒たちと同じ年で、まだ世の中の事すら把握できていない年齢だ。

 そんな頃からアサシンギルドの兵器になっていたという過酷な話しに、僕らはどう反応して良いか分からなかった。

 

「そんな頃、私に初めての任務が与えられました…それは当時、急速に頭角を現してきたエスコバル家、御息女の殺害です…」

 

「それって!先生の事!?」

 

 エスコバル家の御息女という言葉に山下君が思わず口を開いた。江洲小原先生のメイドとして忠義を尽くす彼女が、先生の命を狙う刺客だったなんて信じられなかった。

 しかし僕の頭の中で以前、セバスチャンから聞いていた『御子息の王位継承に取り憑かれたガルシア公は、お嬢様を恐れ、暗殺者まで差し向けました…』と言った言葉が結びつく。

 

 暗殺者の彼女がいったいどういう経緯で、江洲小原先生に最も近いメイドになったのだろうか。

 メリーは一瞬目を伏せ、再び淡々と話し始めた。

 

「はい…私の初めての任務は、お嬢様の暗殺でした…同じ年頃の私は、メイドとしてお屋敷に入り、お嬢様の命を狙っていました…しかし、その頃のお嬢様は既に【公国の叡智】と呼ばれるほどの頭脳を持ち、剣や魔法まで極めていて、私になど到底太刀打ちできる存在ではなかったのです…」

 

 そう言って遠い目をするメリーの眼差しは、ただ過去を見つめるような静かな深さを持っていた。

 フードからチラリと覗く、そばかす塗れのその顔は、何故だか誇らしげに少しだけ微笑んでいる。

 

「ある夜、短剣を持って寝室に忍び込んだ私は、剣も魔法も使わない素手のお嬢様にあっさりと叩きのめされました…血のにじむ様な努力で身に着けた私の暗殺術は、お嬢様の前では何の役にも立たなかったのです…その時、お嬢様は窓辺に立っていて、月明かりが彼女のブロンドの髪を輝かせていました…私は短剣を握ったまま床に倒れ、彼女を見上げることしかできなかったのです…」

 

 遠くを見つめて失笑しているその顔は、深刻な話の内容とはちぐはぐに、清々しさまで現れていた。

 感情を殆ど表に出さないメリーが、楽しそうに話している様子が、僕たちには不思議に思えてならなかった。

 

「お嬢様は私を見下ろして、静かに言いました…『貴女、まるで死を覚悟した目をしてますのね…でもダメ…生きなさい』…私はその言葉に凍りつきました。殺される覚悟しかなかった私に、彼女は冷たい口調で続けるのです…『私が築く世界で、自分の価値を知りなさい…どんな人間にも価値があって、それは自分自身で勝ち取るものなのです…貴女にはまだ、その力があるはずですわ』と…」

 

 その話が本当なら江洲小原先生は、どれほどの器の大きさを持っているのだろうか。

 僅か10歳という年齢で未来を見通し、暗殺者でさえ救うほどの広い心を持っているなんて、余程の強者でなければあり得ない話だった。

 

「私は何も言えませんでした…ただ、冷たく突き放すその声が、なぜか温かくて…今まで優しさを知らなかった私には、お嬢様がまるで空から舞い降りた天使のように見えたのです…彼女は私に背を向けて、再び窓の外を見ながら呟きました…『次に会う時は、私の敵ではなく味方でいてくださいね』…その言葉が、私の心を貫いたのです…天使…そう、まさに天使でした…」

 

 メリーは完全に自分の世界に入り込んでいた。江洲小原先生との感動的な出会いを思い浮かべるあまり、その顔はうっとりとしていて、僕たちの事など完全に忘れている。

 日頃の寡黙な姿はそこには無く、心配する僕は「どういう経緯で貴女が僕たちを助けに来たのか?」と思わず聞いていた。

 すると僕の質問に訝しげな顔をして、一瞬舌打ちするメリーは、渋々といった感じで口を開いていった。

 

「お嬢様が『あなたたちに手を貸してあげて…』と言ったから来たのです…ここは独自の結界が張られていてお嬢様の転移魔法は使えませんでした…」

 

 僕の質問に答えるメリーはいつもの寡黙な姿に戻っていた。話を遮ったからか、その顔は少し不貞腐れていて、口数も少なくなっている。

 

「私たち元の世界に帰れますか?」

 

 そんな時、佐藤さんが我慢しきれず口を開いた。それは僕たち全員が心の中で抱えながらも、答えを知るのが怖くて誰も言えなかった質問だった。

 

「お嬢様は今その為に、フェルナス公国で動いておられます…今の時点では手だてがありませんが、お嬢様が動いている限り、必ず何とかしてくれるでしょう…」

 

 そう言いながらも、彼女は「何故そんなくだらないことを聞くんだ?」とばかりに、不思議そうな顔をしている。

 江洲小原先生に絶対の信頼を寄せる彼女には、僕たちの不安など取るに足らない事だったのだろう。

「本当に!?」と言って希望を目を輝かせる生徒たちを他所に、彼女はまた舌打ちをして深い溜め息を付いていく。

 

「あなた方は、お嬢様を御存じないのですか!?不可能を可能にする、あのマリア・エスコバル様ですよ!あなたたちはそれを間近で見てきたはずでしょう!」

 

 少しキレ気味に言ってる彼女の言葉はもっともだった。しかし、先生なら何とかしてくれる筈だと信じながらも、いきなりこの帝国に召喚された現実が、僕たちを不安な気持ちにさせていた。

 こんな世界でずっと暮らしていくなど冗談じゃない。僕たちには元の世界で心配してくれてる人が大勢いるのだ。

 僕はその言葉に少しだけ希望を見出しながらも、不安が消えないままだった。これからどうなるのか、メリーに聞かずにはいられなかった。

 

「ところで…これからどうするんですか?」

 

「とりあえず、お嬢様の言い付け通り、あなたたちをフェルナス公国に連れて行かなくてはなりません…しかし、この国は想像以上に大きく、追っ手も迫っているので簡単な事ではありません…まずは、あなた方それぞれが、この世界で生きていく為の力を磨いていくのです…」

 

「それは、この世界に召喚された時に身に付いた、ジョブとスキルの話でしょうか?」

 

 この世界に召喚されると異世界人はジョブとスキルが身に付くらしい。この世界の人々も、生まれた時からジョブとスキルを賜っているらしいが、召喚された人間はその恩恵が高いのだという。

 ディルファス帝国の人間が、僕たちを勇者などと呼んでいたのも、この世界の一般の人間より、それが高いからだ。

 

「そうです…特に、この帝国では力の無い者など、直ぐに淘汰されます…この国を抜ける為には、いくつもの難所に挑まなければなりません…その為に、自分たちの力を磨いていくのです!」

 

 まるでゲームのような話に、生徒たちの反応はそれぞれだった。新たな冒険に目を輝かせる者、自分に出来るだろうかと悲観し嘆く者、生徒たちはいろいろな反応を見せるが、メリーの「さあ、マリア様が待っておられますよ!」という言葉に、生徒たちは一丸となってヤル気を漲らせていく。

 その時、路地の外からかすかに響く金属の擦れる音が近づいてきた。街を巡回する4、5人の兵士たちが、松明の光をこちらに向け、僕たちの潜む路地の奥を照らし始めた。

 

「いたぞー!」

 

 兵士たちの叫び声が響いた瞬間、メリーが小さく舌打ちをし、鋭い視線で周囲を見回した。次の瞬間、彼女は羽織っていたフード付きのマントを脱ぎ捨て、まるで影が跳ねるように軽やかに跳躍し、路地の壁を蹴って高く舞い上がっていった。

 スカートがその勢いで翻り、太股に忍ばせたクナイがキラリと光る。彼女はそれを素早く手に取り、指先でクルッと回すと、一瞬の静寂を切り裂いて兵士たちに飛び込んでいった。

 

 次の瞬間、路地に響いたのは兵士たちの短い叫び声と、地面に崩れ落ちる鈍い音だけだった。メリーが着地した時には、松明を持っていた4、5人の兵士が全員倒れ、彼女の手の中でクナイが静かに光を反射していた。

 今まで舌打ちや軽い態度で誤魔化していた彼女が、暗殺者としての本性を剥き出しにしていた。その姿はあまりにも鮮烈で、僕たちの息を奪うほどだった。

 

 ——こんな彼女を軽く叩きのめした江洲小原先生は、一体どれほどの力を持っているのだろう。

 

「何!?速すぎる…!」

 

 宅間君が目を丸くして呟くと、他の生徒たちも息を呑んでメリーを見つめた。僕も扇子を握ったまま、呆然とその姿を見ることしかできなかった。彼女はクナイを太股のホルダーに戻し、振り返って鋭く言った。

 

「すぐに行きましょう!追っ手が迫っています!」

 

 その言葉に我に返った僕たちは、慌てて路地の奥から這うように動き出した。メリーが先頭に立ち、まるで夜の闇に溶けるように僕たちを導いていく。

 遠くの背後から新たな兵士の足音が聞こえ始め、松明の光が揺らめきながら近づいてきた。

 彼女は一瞬立ち止まり、クナイを手に持ったまま路地の暗闇を見据えた。追っ手の松明が路地の角を曲がった瞬間、彼女は再び動いた。スカートの裾が翻り、クナイが月光に閃く。

 

 一瞬にして兵士たちの叫びが途切れ、松明が地面に落ちて闇に消えた。

 メリーは振り返らず、静かに呟いた。

 

「お嬢様の敵は、私が全て切り捨てます…」

 

 その声は冷たく鋭く、暗殺者としての誇りが宿っていた。彼女はクナイを手に持ったまま、夜の闇へと歩き出す。

 その背中は、誰にも止められない強さと決意を放ち、僕たちを導く光のように見えた。

 

 

 

 

 

 

               ~to be continued~

 

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