ただ痛いだけの生意気な小娘だと思ったら、その正体は僕の想像を遥かに超えてきた。。。【貴族教師マリア、君との約束】 作:村上しんご
「我がフェルナス公国へ、ようこそ…」
迷宮を抜けると江洲小原先生は、そう言って手を大きく広げて見せた。澄み渡る青空の下、広大な大地には森林が広がり、野生の鳥たちが自由に羽ばたいている。
遠くにはなだらかな丘陵が連なり、その頂に白亜の城壁が陽光を浴びて輝いている。まるで絵画のような美しい風景に、僕たちは一瞬言葉を失い、その光景を呆然と眺めていた。
しかし、すぐに「うわっ…めっちゃきれい…!」と、佐藤さんが杖を握りながら目を輝かせ、伊藤君が「まるでゲームの世界だな!」と興奮気味に呟く。
宅間君は剣を肩に担ぎ、「やっと安全な場所に着いたって感じか?」と笑ったが、山下君は拳を握りながらどこか警戒するように周囲を見回していた。
だが、江洲小原先生の表情はいつものように無表情で、扇子を口に当てながら草むらの蔭を見据えている。
「浮かれるのはまだ早いです…ここにだって当然、魔物はいるのですよ…」
先生はそう言いながら突然、襲い掛かって来た狼のような魔物を、持っていた扇子で軽々と弾き飛ばしていった。
相変わらずの強さに、僕たちは言葉を失い目を丸くしていた。この強さはいったい、どこから来てるのだろうか。
僕たちが一丸となって戦っても、敵わなかった帝国の最高戦力と言われるあの3人を、まるで子ども扱いするその強さは底が見えなかった。
『あなたたち程度なら魔法を使う必要もありませんわ』という言葉からは、余力を残していることが感じられ、僕たちに見せていない力も隠し持っているのだろう。
初めて会った時に、ただ痛いだけの中二病を患った小娘だと思っていた僕は、そう思ったことを今更ながらに後悔していた。
狼のような魔物は、先生の扇子の一撃で草むらに叩きつけられ、キィンと甲高い音を立てて消滅し、残った魔石が地面でキラキラと輝いていた。
住民の子供たちが「すっごい!」と手を叩き、佐藤さんが「先生…やっぱり規格外だ…」と呟く中、伊藤君が「これ、僕らが束になっても勝てないね…?」と半笑いで言った。
「伊藤…人には出来ることと出来ない事が必ずあります…何かで負けたと感じたとして、それに勝る何かを人は必ず持っている…比べる必要などありません…」
先生はそう言って、いつも通りの冷たい表情を浮かべているが、その言葉にはどことなく温かさがあって、僕たちを思う優しさに溢れている。
そんな先生に、もう一度会えたことに僕は改めて感動し、胸にジーンとくる熱いものを感じていた。
この世界ではフェルナス公国の皇帝という立場でありながら、マリア・エスコバルはどこに居ても僕たちの先生のままなのだ。
そんな時、クラスの中でも余り目立たない白石さんが、おずおずとしながらも前に出て先生に話し掛けていく。
「マリア先生…私たち、元の世界に帰れますか?」
ヒーラーの彼女は佐藤さん、伊藤君、宅間君、山下君のように目立った活躍が出来てはいない。
生徒たちの間でもジョブとスキルに恵まれた子供たちばかりではなく、それに恵まれなかった子供たちが大勢いて、何となくではあるがこの世界での格差は出来ていた。
彼女も能力に恵まれなかった子供たちの1人で、活躍する生徒たちを見ながら、自分の不甲斐なさに悲観し、早く元の世界に帰る事を望んでいる。
「ええ…ちゃんと手は打っておりますわ…ところで白石…お前を含めて皆に見せたいものがあります…付いてきなさい…」
先生はそう言うと街道とも言えない小さな獣道を歩き出していった。迷宮へと続く道は、長年人の通らぬまま草木が乱雑に生い茂り、僕たちの行く手を塞いでいた。
整備もされていない荒れた道を歩く先生は、高価なドレスを纏っていながら、裾が汚れても気にする様子も見せない。
石ころが散らばるこの道を、ハイヒールで歩くのはさぞ難しいはずなのに、先生は無言でスタスタと進み続けた。
暫く歩き続けて獣道を抜けると、目の前にのどかな大地が果てしなく広がり、丘陵のふもとに小さな村が現れた。
木造の家々が寄り添うように並び、色あせた赤や青の瓦が陽光を柔らかく反射していた。
畑では農夫たちが笑い合い、子供たちが藁のボールを追いかけて走り回る。村の中央の広場では、磨かれた石の井戸から水がチョロチョロと流れ、草の匂いが鼻をくすぐった。
「ここはフェルナス公国、最果ての村、エンデルです…」
先生がそう言いながら村の中に入ると、村人たちは皇帝が来てるというのに、かしこまりもせず「あっ…マリア様、こんにちは!」と気兼ねなく挨拶をしていた。
江洲小原先生はいつもの表情の無い顔で、軽く手を振って応え、挨拶がてらに少し話し込んだりしていた。
村人が先生に接する態度も、先生が村人に対する態度も、いつも通りといった感じで、皇帝という立場などどこにも感じられない。
僕たちを連れて一通り村を回ると、先生は少し悲しそうな顔しながら、井戸の前で静かに口を開いた。
「かつて、この村は公国の『掃き溜め』と呼ばれていました…過ちを犯して街を追われた者、誰にも必要とされず生きることを諦めた者、戦争や事故で身体の一部を失い、希望を持てずに生まれ故郷を去った者…そんな過去を持つ人々が辿り着く所が、ここだったのです」
先生の言葉は、にわかには信じられない話だった。村を一通り見て回ったが、村人たちは希望に溢れていて、そんな暗い過去を持ち、人生を悲観するような人など見なかったからだ。
その話が本当ならこの村には活気など無く、荒れ果ててもっと悲惨な状況になっていることだろう。
「ここは当時10歳だった私が、初めて与えられた領地でした…当時の村は崩れた小屋と腐臭漂う水たまりばかりで、骨と皮の村人たちが空腹に蹲っていた…私が初めて見た時、ここは希望の欠片もない死の地だったのです…」
僕はその話を聞いてクラゴールの言っていた江洲小原先生の逸話を思い出していた。
『彼女が幼き日、荒れ果てた村に足を踏み入れ…』と言った、あの話が頭の中で重なっていく。
「絶望に打ちひしがれた人々が暮らすこの村に、希望などあるはずがありません…私がこの地を訪れた時には戦争の影響もあって、ここで暮らす人たちは『何も無い俺たちが何をすればいいんだ』と嘆くばかりでした…」
その話を聞いて周りを見渡すが、ここで暮らす人たちは誰もが意欲的で、そんな様子など微塵もない。
精一杯生きようとするその姿は、輝いて見えるほど生き生きとしていて、誰が見ても眩しくさえ思えた。
「しかし、彼らは自分たちに出来る事をしようと立ち上がり、この村を少しずつ変えていったのです…力のある者は剣を取って魔物や盗賊から村を守り、力が無くても身体の動かせる者は、畑を耕して村を豊かにし、どちらも出来ないものは知恵を使って、自分なりに出来る事を精一杯努力した…そして村は、ご覧の通り僅かな間に見違えるようになりました…」
そう言って大きく手を伸ばす江洲小原先生は、この村の今の有り様に誇りを持ってるようだった。
まだ発展途中の小さくな村だが、住民たちの輝く瞳には、様々な可能性が見えている。
「白石…私はお前に、同じようにしろと言っているのではありません…人と比べて自分の力のなさを悲観してるようですが、お前は自分の良い所を見失ってはいませんか?」
先生の言葉に白石さんは言葉を失い、先生を見つめたまま目を見開いていた。
「人の強さは襲い掛かってくる敵を、蹴散らすことだけではありません…お前には誰にも負けない人を思いやる気持ちがあるでしょう…己を犠牲にしてまで、人を助けようとする人間を、誰が弱者と言えるでしょうか?」
その言葉にハッとする白石さんの表情を先生は見逃さなかった。フッと笑みを浮かべながら更に口を開く。
「自分を犠牲にして他のために尽くすことの出来る人間を、私は誰よりも強いと思っています…ここに居る皆だって、お前の事を足手まといだと感じてる者など誰もいません…」
その言葉と同時に村に風が吹き、静かに草を揺らした。村の子供たちの笑い声が遠くで響き、畑の農夫が鍬を振る音が聞こえる。だが、生徒たちは一瞬、重い沈黙に包まれた。
「でも、俺たち何の役にも立ってないじゃん!」
そんな時、農民のジョブ持った三上君が突然声を上げた。三上君も白石さんと同様にジョブやスキルに恵まれない子供たちの1人だった。
彼は握りしめた拳を震わせ、地面を睨んでいる。迷宮を抜ける間、佐藤さんや伊藤君が魔物を倒す姿を見て、彼が押し黙っていたことを僕は今思い出した。
「そうだよ…俺たち、いつも足引っ張ってるだけだ!」
その時、鍛冶師のジョブを持った田中君が声を重ねた。続いて、裁縫師ジョブの林さんや商人ジョブの小林君が、ため息混じりに呟き始めた。
「戦えないジョブなんて、この世界じゃ意味ない…」
「元の世界に帰りたいよ…」
その声は、まるで溜め込んでいた不満が堰を切ったようだった。佐藤さんが何か言おうと口を開きかけたが、伊藤君が彼女の肩を叩いてそれを制した。
僕が思っていた以上に、クラスの溝は深まっていたのだ。恵まれたジョブの生徒と、そうでない生徒の間に、目に見えない壁ができていることを、今さらながらに強く感じた。
江洲小原先生は扇子をゆっくり閉じ、生徒たちを静かに見回した。その時、いつもの無表情な顔に、ほんの一瞬、悲しそうな表情が浮かんだ。
先生は迷宮で僕らを助けに来た時から、この溝に気づいていたのかもしれない。
「あなた方自身が自分の可能性を信じられなくて、誰が信じてくれるというのです?…陰ながら頑張っていた、あなたたちの姿は私には見えていたのですよ…」
その言葉に僕は先生のスキル【先見の明】を思い出し、思わずハッと息を呑んだ。先生は離れていても、僕たちの事をずっと見守っていたのだ。
迷宮で先生が助けに来た時に『美濃又…私、貴方に生徒たちをよろしく頼むと言いましたわよね?…』と言ったあの言葉は、ノビルネに負けた僕を責めるものじゃなかった。
生徒たちの溝を知っていながら、何もしようとしなかった事に対しての叱咤だったのだ。
「戦わなくても良いじゃないですか…?お前たちは、ただ怯えている訳じゃない…自分なりに皆の為に何かをしようと模索してるではありませんか…」
そう、先生の言葉通り、僕もひたむきに頑張る彼らの姿に気づいていた。
白石さんは戦闘中にエリアヒールを使って、生徒たちのケガを治し続け、三上君は皆の為にと食事の前に、食べられる野草や木の実を探し回っていた。
田中君は粗末ながらも、皆の為に石で作った武器を造りながらも、差し出すことが出来ずに隠し持っていて、林さんは皆が羽織るマントを夜な夜な作り続けている。
そして小林君は魔物を倒した後に残る魔石を集め、この世界で使えるお金に変えようとしてたのを僕は知っている。
彼らなりに頑張っていながらも、溝が出来てしまったのは僕の責任だ。江洲小原先生が居たら、人知れずに彼らにちゃんと労いの言葉を掛けていただろう。
僕がもっと早く彼らの頑張りに気づいて、声をかけていれば…僕はただ戦うことばかり考えて、彼らの事など考えていなかったのだ。
先生なら、きっと彼らの小さな努力を見つけて、さりげなく励ましていたはずだ。
「私が、あなたたちを必ず向こうの世界に帰してあげます…それまでは、この世界で何かを学びなさい…そして、思う存分楽しみなさい…才能がなくても努力をすれば、宅間のように剣を扱うことができるし、伊藤のように魔法を使えるようにもなれるのです…役に立たない人間などこの世に居ない!私だって【先見の明】のスキル以外、何も持っていないのだから…」
その言葉に生徒たちは言葉を失い、目を見開いていた。あれ程の強さを見せながら、【先見の明】以外のスキルしか持ってないとは信じられるはずもない。
僕だって【教えを説く者】で、先生のスキルツリーを見た時には信じられなかった。
しかし、先生には【先見の明】のスキルしか無いどころか、スキルツリーすら伸びていなかったのだ。
以前、学校の執務室でセバスチャンから聞いた話が頭を過る。
『お嬢様はどんな困難な状況に置かれても、悲観することなくそれを受け入れ、どうすればそこから抜け出すことが出来るかを、落ち着いて考えられる子供でした…』
先生はきっと今の今まで、どんな状況になっても未来を諦めず、ただひたすら努力してきたのだ。
先生の言葉を聞いて生徒たちの顔つきが変わった。驚きと動揺の入り混じったその顔は、分が悪そうではあるものの、彼らなりに何かを考えているようだった。
「こんな僕でも剣を使ったり、魔法が使えたりできるの…?」
小林君が控え目にそう尋ねると、他の生徒たちも期待に満ちた様子で先生の顔を伺う。
「当然です…努力は裏切りません!…この村の活気ある姿を見てごらんなさい!」
先生がそう言って大きく手を広げると、爽やかな風が舞った。遠くで僕たちを見つめる農民たちは、疲れた顔にも笑みを浮かべ、鍬を手にしながら手を振っていた。広場では泥だらけの子供たちが笑いながら遊び、手作りの遊具が陽光に輝いていた。
井戸の水がチョロチョロと流れ、陽光にキラキラと反射している。
「江洲小原先生…僕も努力をすれば、この子たちが自慢できるような先生になれますか?」
僕がそう問いかけると、先生は薄っすらと微笑みながら「当然です!」と力強く答えた。僕は改めて先生の偉大さを肌身で感じ、それに近付こうと強く誓う。
煌びやかなドレスを纏った彼女の背後から、夕暮時の日差しが立ち込めて、その姿が眩しいくらいに輝きを放っていた。
「さあ、私の城に向かいましょう…元の世界に帰るまで、お前たちを保護します…」
そう言って先生は扇子を軽く振り、静かに呪文を呟いた。次の瞬間、魔法陣が地面から浮かび上り、僕らの身体が転移魔法の光に包まれていく。
村人たちはその光に慣れた様子で笑顔を向け、声を揃えながら手を振った。
「マリア様ー!今度、来た時には、村の作物を御馳走しますから、また遊びに来てくださいねー!」
そう言って手を振る村人たちの顔には、江洲小原先生への信頼が溢れていて、疑う気持ちなど一切ない。
ふと見ると、先生は満面の笑みを浮かべながら、村人たちにいつまでも手を振り続けていた。
~to be continued~