ただ痛いだけの生意気な小娘だと思ったら、その正体は僕の想像を遥かに超えてきた。。。【貴族教師マリア、君との約束】   作:村上しんご

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<episode24> 夜明け

 しばらく歩き続けると、木々の隙間からディルファス城の黒曜石の城壁が霧に浮かんだ。その冷たく暗い輝きは、帝国の栄光と脆さを映しているようだった。

 だが、足を止める間もなく、近くで枝が折れる乾いた音が響き、鳥たちが声を上げながら一斉に飛び立っていく。僕たちは息を潜め、周囲の気配を探った。

 

「いたぞー!」

 

 そんな時、森を切り裂く甲高い叫びが背後から響き、木々の影から銀色の鎧をまとった兵士たちが現れた。

 帝国の紋章が刻まれた鎧が日差しを反射し、まるで刃のように鋭く光る。彼らは瞬く間に僕たちを取り囲み、不穏な目で僕たちを見つめた。

「くそっ、待ち伏せされてたの!」と佐藤さんが震える声で叫び、伊藤君は冷静に周囲を見回しながら「その紋章…帝国の部隊だ」と呟いた。

 

 先生は冷ややかな目で彼らを見つめ、僕は扇子を手にして彼らの前に立ちはだかった。しかし、イレーネはそんな彼らを前にして呆然と立ち尽くしていた。

 

「お…お前たち…」

 

 震える声でイレーネが呟くと、男の1人が泣きそうな顔で口を開いた。

 

「団長…国に謀反を働いた罪で、貴女を捕えろとの命令が下されました…」

 

 捕えに来たという割に、兵士たちには殺気が感じられない。むしろイレーネに向ける彼らの目は、儚げで、どこか躊躇う影を宿していた。

 僕は扇子を握る手に力を込め、佐藤さんの前に立ちはだかったまま、息を潜めて彼らを見据えた。

 

「近衛騎士団のお前たちが何故ここに?…私を捕えに来たのか?」

 

 イレーネの声は悲しげで、剣を握る手が小さく震えていた。彼女の瞳が一瞬揺れ、部下を見つめる目に複雑な光が宿る。

 しかし、団員たちも悲しげで、彼女と目を合わすことができずに、全員が俯き顔を背けていた。

 そんな中で、泣きそうな顔をした男が突如一歩前に出て、イレーネの目を鋭く見据えた。

 

「いいえ…逃げて下さい、団長!フェルナス公国なら、フローレス公爵の権力も届きません!」

 

 男は顔をしかめ、声を絞り出す。その言葉は彼女の身を案じる優しさに溢れていた。

 

「お前、自分が何を言ってるか分かってるのか?」

 

 イレーネは唇を噛み、瞳が一瞬潤んだ。男の言葉は帝国に背くことを意味し、僕たちを逃せば団員たちも罪に咎められるだろう。

 しかし、男の背後でそれを聞く団員たちは、誰もが感銘を受け、涙を堪えてイレーネを見守っていた。それは、近衛騎士団の団員として彼女に誓った忠誠が、まざまざと現れた瞬間でもあった。

 

「我々は反対する他の騎士団たちや、貴族を押し切ってここに来ました!これがここに居る全員の総意です!」

 

 そう言って声高らかに宣言する男を先頭に、団員たちは信頼の籠った眼差しでイレーネに目を向けた。

 僕は少し前にイレーネが言っていた『しかし、私は部下たちを信じている!』という言葉を思い出し、胸が熱くなっていた。

 イレーネと部下たちの思いは同じで、どんなに帝国が腐敗しようと、希望はこんな身近な所にあったのだ。

 

 それを冷静な眼差しで見つめていた先生が、フッと笑顔を見せた。

 

「全員、どんな罰が与えられるか分からないのだぞ!?それに逃げる訳にはいかない!私はこの国を変えたいのだ!」

 

 イレーネが震える声で叫ぶと、団員たちは顔を見合わせ、示し合わせたように跪く。銀色の鎧を纏った兵士たちが、忠誠を誓う姿は圧巻で、圧倒される僕は呆然とそれを眺めていた。

 

「貴女は今の帝国で唯一の希望です…ここで失う訳にはいかない!どうかお願いです!」

 

 必死に声を絞り出し、懇願する男の姿にイレーネはたじろいでいる。そんな時、冷静な目でそれを見ていた先生が、溜め息を付きながら口を開いた。

 

「イレーネはこの国を変えると言っています…部下のお前たちが、それを信じられないでどうするのですか?」

 

 イレーネ以外は見向きもしなかった団員たちが、威厳の籠ったその声に、一斉に顔を向ける。

 

「お前は、マリア・エスコバル!!」

 

 そう叫ぶ団員たちの驚きは、公国の皇帝がここに居るなどとは、思いもしていなかった様子がまざまざと現れていた。

 密偵から公国の者たちと一緒に居るという情報が伝わってはいても、それが公国の皇帝とは誰も考え付かなかったのだろう。

 一変して剣を手にする兵士たちに、イレーネが「やめろ!お前たち!」と叫ぶ。

 

 しかし、先生は動じることも無く、手にした扇子でパタパタと自分を扇ぎ始めた。

 

「私とイレーネ・フォン・エスターライヒは帝国を変える為に手を組みました…お前たちもこの国がこのままで良いとは思っていないでしょう?」

 

 剣を向ける兵士を前にしていながら、堂々として凛と佇むその貫禄は、公国の皇帝マリア・エスコバルそのもので、団員たちの方が動揺し始めていた。

 緊迫した重苦しい空気の中、先生はドリルの様なツインに束ねたブロンドの巻き髪をユラユラと風に靡かせながら、冷めた目で更に言葉を続けた。

 

「彼女がこの国を変えたいと願うのは、他でもなくお前たちの為でもあり、この国の未来に希望を託しているからです…そんなイレーネの決意を蔑ろにしてまで、お前たちは逃げろと言っているのですか?」

 

 先生の言葉に団員たちは更に動揺し、剣を握る手が震えていた。そして「公国と手を組んだ?」と顔を見合わせて、ざわめきだしていく。

 

「彼女はこの国の希望だからこそ、立ち上がり国を救う決意をしました…協力しろとまでは言いませんが、それを信じて待つことも、お前たちの勤めでしょう…」

 

 先生の言葉に団員たちは何も言い返すことが出来なかった。構えていた剣は、既に首を垂れたように地面に向けられ、団員たちは先生と目を合わせることも出来ずに顔を背けた。

 そんな中で、穏やかな目をしたイレーネが静かに口を開いた。

 

「私はマリア・エスコバルと共に、我が国の皇帝、リカルド・マルチネスを民の上に立つ皇帝として立ち上がらせる…そうなればこの国も変わる…私を信じてはくれないだろうか?」

 

 そう言って部下を見つめるイレーネの瞳は、信頼に溢れていた。その深い眼差しに団員たちは口を噤み、わかったとでも言いたげにゆっくりと頷いた。

 そんな中、イレーネが追われる身になったと伝えた男が、真っ直ぐな目で口を開いた。

 

「貴女はこの国を変えようとしてるのですね…詳しい事は聞きませんが、我々は貴女を信じています!…後のことは私たちにお任せください!」

 

 そう言って胸を張る男の姿には迷いなど無い。団員たちは剣を鞘に収め、銀色の鎧が霧の中で輝く。そして「団長を信じる!帝国の意志と共に!」と声を揃えた。

 

「やはり、近衛騎士団は帝国を裏切るか…」

 

 そんな時、背後から気配も感じさせずに声が響いた。霧の中からゆっくりと現れた男の姿にイレーネは息を呑み、「帝国諜報部長官、陽炎のバスタ…」と呟いた。

 長身で大柄なその男は、軍服に赤いマントを纏い、陽炎のように揺らぐ姿が霧に溶ける。年老いていながら禍々しい力が漲るその男こそ、帝国の最高戦力と謳われる5人の1人、陽炎のバスタだった。

 近付いてくるその男から漂う強者の貫禄は、周りに居た者全てを飲み込んでいった。イレーネやノビルネと同じ最高戦力の1人だが、今まで見てきた4人とは全く異質の怖さがあった。

 

 佐藤さんはその場に立ち尽くしながらブルブルと震え出し、伊藤君は動くことも出来ずに汗を流して目を見開いていた。

 イレーネの部下たちは瞳を曇らせ地面を見つめ、佐藤さんの前に立つ僕は、その男から彼女を庇うことが精一杯で、ただ呆然と彼を見ていた。

 そんな中でバスタは僕らを一瞥しながら、江洲小原先生にゆっくりと近付いていく。

 

 しかし、先生は冷めた目でバスタを見つめ、何事も無かったかのように、扇子でパタパタと自分を扇ぎ続けていた。

 そしてバスタの鋭い眼光が自分に向けられると、先生は静かな微笑を浮かべて口を開いた。

 

「お久しゅうございます…大公閣下…」

 

 その柔らかく穏やかな口調にバスタはニヤリと笑った。

 

「久しいのぉ~…儂が最初にお前に会ったのは、お前が王位継承をして間もない頃の、10歳の時だったか…?」

 

 先生は扇子をパタリと閉じて、鋭い視線でバスタを見つめた。

 

「いいえ、閣下…その時の私は11歳でした…」

 

 いつもは誰もを見くだす先生が、その男に敬意を現すその様子に、僕と佐藤さんと伊藤君は言葉も出なかった。

 まして、帝国の最高戦力と言われる5人の1人と、古くから顔なじみのような関係に、この場の誰もが声を出せなかった。

 

「そうか…帝国で戦場の鬼神とまで言われたこの儂が、お前に完膚なきまでに叩きのめされて、慈悲を掛けられたのは11歳の時だったか…」

 

 昔を思い出すように遠い目をしてそう話すバスタは、先生の近くにある切り株にドスッと腰を降ろした。

 警戒もせずに寛ぐその様子は、敵対する間柄には、まるで見えない。先生はそんなバスタを見下ろしながら、表情も変えずに佇んでいる。

 

「ところで…閣下は何故ここへ?」

 

 そう言ってバスタに鋭い目を向ける江洲小原先生は、今までの軽やかな笑みは消え、氷のような真顔に変わった。

 

「【帝国の守護者】太陽のイレーネと【公国の叡智】マリア・エスコバルが、手を組んだと小耳にはさんでなぁ…それを確かめに来た…」

 

 バスタの唇が歪み、冷たい笑みが霧に溶けるように広がった。佐藤さんが小さく息を飲み、僕の握る扇子の柄が汗で滑った。

 一時の和やかな雰囲気は一変し、周囲は瞬く間に凍り付いた。

 

「彼らは私の教え子にまで、手を出そうとしました…もう、見て見ぬふりなど出来ません…」

 

 先生の声は静かだったが、その奥には抑えきれない怒りが宿っていた。バスタの目が一瞬細まり、値踏みするように彼女を見据えた。

 

「マリア・エスコバル…お前が動くなら、帝国に勝ち目などない!…だが、お前の怖ろしさを知らぬ者たちが、どれだけ血を流すと思う? 大勢が犠牲になるぞ!」

 

 その言葉を聞いて先生の口元がフッと緩んだ。

 

「ご安心ください…私は犠牲を出すつもりは毛頭ございません…」

 

 バスタの目が見開き、時が止まったかのように彼女を見つめた。呆気に取られたその顔は、予想外とでも言いたげで、しばらくするとキリッと締まった口元が緩みだしていった。

 

「ほう…犠牲は出さずに今の帝国を救うと言うか…時に、マリア・エスコバル…お前がこの事態で描こうとしている未来は何だ?帝国の乗っ取りか!?」

 

 厳しい表情で問いかけるバスタの重圧に、周りは息を呑んでいた。しかし、先生は平然とした顔のまま、静かに口を開いた。

 

「まさか…私が望む未来は、生まれゆく子供たちが生まれてきて良かったと、心から言える国を作ることだけです…一つの思想に縛られていたら、面白味など無いではありませんか…それに、お互いに切磋琢磨してこそ、国は発展していくのです!」

 

 その答えを聞いてバスタは突然笑い出し、雄たけびのような「ガハハハッ!」という甲高い声が森全体に響いた。

 僕はその笑いに凍りつき、扇子を握る手が汗で滑った。佐藤さんが「何!?この人、怖すぎ!」と僕の腕を掴み、伊藤君が顔面蒼白になりながらも、静かに溜め息をついた。

 緊迫した空気は、その笑い声で一気に掻き消された。近衛騎士団員たちは顔を見合わせて、安堵の表情を浮かべ、イレーネは剣の鞘から手を離し、空を見つめて深い溜め息をついた。

 

「さすが【公国の叡智】と言ったところか…何やら考えがあるようじゃのぅ…」

 

 笑いが収まり、そう言って先生に目を向けるバスタは、再び厳しい顔をした。

 

「私は何もするつもりは御座いません…リカルド・マルチネスに皇帝として立って貰うだけです…」

 

 先生がそう言いながらバスタを見据えると、彼はニヤリと笑った。

 

「傀儡となった奴を立たせるか…よし、儂も手を貸そう!」

 

 その言葉に先生以外の誰もが愕然とした。近衛騎士団員たちが思わず「まさか…」と声を上げ、イレーネが瞳を大きく開いてバスタを眺めている。

 佐藤さんは「本当にぃ?」と言って僕の顔を見上げ、伊藤君は呆気に取られて、ポカーンと口を開いていた。

 敵として現れたと思っていたバスタが、僕たちの味方になるというのだ。諜報部長官という肩書を持つ彼は、大きな力となってくれるだろうが、僕はどうしても信じられずに、思わず口を開いていた。

 

「閣下はフローレス公爵側の味方ではないのですか?」

 

 僕が震える声でそう言うと、バスタが低く笑った。

 

「儂は元々中立派じゃよ…奴のやり方は前々から気に入らなかったが、儂が動けば国が分断する…それこそ大勢の人間が血を流すことになったじゃろう…国の取り決めだと思い、仕方なしに大人しくしていただけじゃ!」

 

 バスタはそう言うと一瞬言葉を止めて、先生をチラッと見つめた。

 

「何よりマリア・エスコバルには大きな借りがあるしの…」

 

 その言葉に、優雅に自分を扇いでいた先生の扇子が一瞬止まり、彼女は静かに微笑んだ。そんな中、佐藤さんが悪びれた様子も無く、直球的な質問で核心をついた。

 

「どんな借りなんですか?」

 

 全く空気を読まない佐藤さんの質問に、周りは慌てふためいた。伊藤君が分が悪そうに、それを止めようとしているが、本人は何が悪いのか全く分からない様子だった。

 右往左往している周りの様子などお構いなしに、キョトンとしている佐藤さんの様子を見て、バスタはまた高笑いをする。

 そして泣き笑いするバスタは、涙を拭いながら静かに口を開いた。

 

「命を救われたんじゃ…11歳のマリア・エスコバルに…」

 

 そう言って遠い目をするバスタは空を見つめた。そんな衝撃の事実を聞いて、僕は何があったのだろうと息を呑んだ。

 

「7年前の戦場で、儂の斧が血に染まり、敵が倒れゆく中、その場に似つかわしくない赤いドレスを着た少女が目の前にふらっと現れた…扇子を手にして、ブロンドの巻き髪を揺らす少女は、禍々しいほどの強者の風格を醸し出し、儂の本能が只者ではないと告げていた…」

 

 扇子を手にしたブロンドの巻き髪を揺らす少女――それは幼き日の先生で間違いなかった。

 

「儂は高ぶる気持ちを押せえきれずに、手にしていた斧で斬り掛っていった…だが、儂は11歳の小娘に完膚なきまで叩きのめされた…戦場で大の字に横たわる儂を見ても、そのガキはとどめも刺さなかった…それどころか手柄を取ろうと斬り掛る他の兵士から儂を守ってくれたのだ…」

 

 僕はその話を聞いて先生らしいと思った。敵とはいえ全力でぶつかった相手に、敬意を表す先生の態度は今も変わらない。

 自分の命を狙ったメリーさんですら、メイドとして側に置き心を入れ替えさせたのだ。そんな先生を身近に感じられる事に、僕は誇らしくさえ思った。

 

「しかもその時、そのガキは何て言ったと思う?『邪魔が入りましたね…この勝負は痛み分けですわ…』だとよ!」

 

 そう言ってバスタは、また「ガハハハッ…」と高らかに笑った。そして「それが公爵家当主だった頃のマリア・エスコバルだ!」と言ってニヤッと口元を歪めた。

 その話を聞いた佐藤さんは「先生、強すぎぃ~」と言って目をキラキラさせている。伊藤君は冷静を装いながらも、真っ赤になった顔を隠すように、俯き加減で拳を握り締めていた。

 イレーネや団員たちも、その武勇伝に目を細めて話しにのめり込んでいる。そんな中で表情一つ変えない先生は、扇子で口元を隠しながら、話を遮るように静かに口を開いた。

 

「閣下…話は程々にして、貴方にやって頂きたいことがあります…直ぐに帝都に向かい、私とイレーネが手を組んだとリカルドだけに伝えてください…」

 

 先生がそう言ってバスタを見つめると、彼が堂々と立ち上がった。その姿は途轍もなく大きく、年老いた気配など微塵も感じさせない強者の貫禄を放っていた。

 僕はスキル【教えを説く者】を発動し、彼のスキルツリーを覗いた。だが、その枝は果てしなく広がり、無数のスキルが紅蓮の星のように輝いて埋め尽くされている。その圧倒的な強さの根源に、僕は息を呑んだ。

 こんなバスタを凌駕する江洲小原先生の強さは、僕の想像を遥かに超えている。

 

「お前たちと近衛騎士団の事は儂の胸に留めておく…マリア・エスコバル、帝都で待ってるぞ!」

 

 そう言い放ち、赤いマントを翻して霧の中に消えていくバスタの背中は、先生に託した未来の希望に満ちていた。

 それを見守る先生の輝く瞳に、僕は帝国の新たな夜明けを感じていた。

 

 

 

 

 

               ~to be continued~

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