ただ痛いだけの生意気な小娘だと思ったら、その正体は僕の想像を遥かに超えてきた。。。【貴族教師マリア、君との約束】 作:村上しんご
バスタ大公が根回しでもしてくれたのか、僕たちは帝都へ呆気なく侵入することができた。ディルファス城の黒曜石の城壁が月明かりに輝く中、近衛騎士団員たちとは城壁間際で別れ、僕らはリカルドに会うため別行動を取っていた。
相変わらず物々しい感じがする街並みとは裏腹に、街を行き交う人々は魂を奪われたかのように淀んだ目で俯き、足を引きずっている。
磨かれた石畳に映る松明の光も、冷たく薄暗い影を落とし、市場の隅では路地裏で暮らす物乞いがうめき声を上げていた。
「こんな状況になっているとは…」
この悲惨な状況を見て、独り言のように呟く先生は、余りの酷さに唇を噛んでいた。
首輪と鎖に繋がれ、裕福そうな男に引きずられる奴隷の少女を見る眼差しは、怒りが滲んでいて今にも飛び掛かりそうな殺気まであった。
「先生、ちょっと待って!今、問題起こすとリカルドに会えなくなっちゃうよ!」
佐藤さんが手を振って慌てて宥めるが、先生の目はすでに獲物を捉えていた。
そして先生は怒りに燃える瞳で、裕福そうな男の背後に音も立てずに忍び寄り、扇子で後頭部に鋭い一撃を食らわした。
男が前のめりにドサッと倒れると、先生は魔法で奴隷の少女の首輪と鎖を一瞬で引きちぎった。そして怯える少女の手を優しく引き、月明かりの路地裏へと消えた。
一瞬の出来事に、僕と伊藤君は口を開けてポカーンとし、イレーネは目を丸くしていた。再び路地裏から現れた先生は、瑠璃色の瞳にスッキリとした光を宿していたが、そこに少女の姿はなかった。
伊藤君が首を傾げ、少し焦った声で「先生、女の子は?」と問いかけると、先生は得意げに口を開いた。
「クラゴールの村に預けてきました…帝都を覆う結界のせいで、公国までの転移魔法は使えないので…」
そう言って倒れた男を見下ろしながら、先生は扇子を優雅に振って自分を扇いだ。月明かりに映える瑠璃色の瞳は自信に満ち溢れ、僕らは言葉も出なかった。
「ところでイレーネ、リカルドとはどこで落ち合う予定ですか?」
先生がそう尋ねると、イレーネは剣の柄に手を当て、静かに答えた。
「私の実家だ…既に私の聖獣、瑠璃鳳を飛ばしてリカルドに来るようにと伝えてある…侯爵家の隠し部屋なら、フローレス公爵にも怪しまれまい…」
そう言って先を急ぐイレーネの後に続き、僕たちはイレーネの実家、エスターライヒ家へ向かった。
エスターライヒ家は、帝都の中心から少し離れた高台にそびえる壮麗な館だった。白大理石の柱とステンドグラスの窓が月光を浴び、まるで帝都の腐敗を拒む誇り高い存在のよう構えていた。
門には近衛騎士団の紋章が刻まれ、イレーネの家柄の威厳を静かに物語っていた。
内部は、歴代の侯爵が守ってきた騎士の甲冑や古い書物が並ぶ回廊が続き、リカルドを迎える隠し部屋は重厚な木製の扉の奥にあった。
「ここは代々、近衛騎士団を纏めてきたエスターライヒ家が、歴代の皇帝を守る為に作った隠し部屋だ…王宮とは地下通路で繋がっていて、謀反などが起こった時には避難経路としても使われる…」
イレーネがそう言って扉を開くと、燭台の揺れる光に照らされた部屋の奥に、くたびれた顔したリカルド・マルチネスが長椅子に腰を掛けていた。壁には聖獣『瑠璃鳳』の彫刻が、薄い光を放っていた。
彼は相変わらず生気を失ったような目で僕たちを見つめ、イレーネが視界に入ると、覇気のない顔に一瞬の希望を宿らせてニッコリと笑った。
「イレーネ…」と言って立ち上がる姿には、長年連れ添ってきた相棒のような親しみがあり、唯一心を許してきたという感情に溢れている。
誰にも見せられないその姿は、この隠し部屋だからこそ見せられたのであって、普段はその感情をひた隠しにしてきたのだろう。
しかし、イレーネはそんなリカルドを、厳しい目で見つめたまま口を開いた。
「リカルド…このままでは帝国は滅びてしまう…我々と共に立ち上がってくれ…」
イレーネがそう言うとリカルドは顔を曇らせ、少し黙り込んだ。
今更そんな事を言われても困ると言いたげなその顔には、全てを諦めてしまった困惑が浮かんでいた。燭台の揺れる光が、疲れた目に影を落とし、彼は静かに口を開いた。
「無駄だよ…私が何をしたところで帝国は変わらない…国の取り決めは議会の多数決で定められる…そこにはフローレス公爵の息の掛かった者が大多数を占めている…お前も、分かっているはずだ…」
低い声でそう話すリカルドの声には力はなかった。それは、散々努力を重ねていながら、報われなかった今までの虚しい思いが込められていた。
「だからと言って諦めるの?貴方はこの国の皇帝ではないの?」
リカルドの話を聞いて、正義感の強い佐藤さんが我慢できずに、身を乗り出して口を開いた。
江洲小原先生を間近で見てきた佐藤さんにしてみれば、リカルドの卑屈な態度がどうしても許せなかったのだろう。
突然、話に割り込んだ佐藤さんを見て、リカルドはキョトンとしている。そして、視界に入った江洲小原先生が扇子を軽く振る姿を見て、突然顔面蒼白になった。
「マリア・エスコバル…」と小声で呟き、額から汗を流しているが、先生は相手にもせず、涼しげな顔で自分を扇子で扇ぎ続けている。
しかし、佐藤さんは怒りが収まらないのか、更に物凄い剣幕で口を開いた。
「この国で苦しむ民たちの姿を見てください!希望の無いこの国で、貴方を信じて頑張って生きてる人が、たくさんいるんですよ!」
佐藤さんの声には、今まで見てきた民たちの声を、代弁してるような迫力があった。
テント村の民やクラゴールたち、そして帝都に来るまでに出会った村の人々は、苦しみながらも未来を信じて生きている。
そんな佐藤さんの言葉を聞いたリカルドの瞳が僅かに揺らいだ。
「江洲小原先生が治める公国と比べて見てください…帝国では弱い立場の人たちが苦しみ、その声は誰にも届かない…こんなに大きな帝都だって活気は失い、人々は淀んだ目をして生きている…公国は辺境の村の民たちですら、希望を失うことなく目を輝かせて生きているんです!」
佐藤さんが拳を握り締めて、ありったけの思いを込めて叫んだ。しかし、その思いは届かなかったのか、リカルドは怪訝そうな顔をして口を開いた。
「そんなことはわかっている!だからと言って私に何が出来るというのだ!」
リカルドのキレ気味の声が隠し部屋に響いた。燭台の光が揺れる中、佐藤さんは一瞬怯むが、少し悲しそうな目でリカルドを見据えた。
「わかっているなら何故できる事をしないの?…貴方は民に希望を与える皇帝ではないの?」
佐藤さんの言葉は、まるで先生が乗り移ったかのような説得力があった。それは誰よりも江洲小原先生を慕う彼女だからこその言葉であり、それを見ていた先生も、腕を組みながら瞳を閉じ、納得するように頷いていた。
そんな時、僕のスキル【教えを説く者】が勝手に発動し、佐藤さんのスキルツリーが光と共に現れた。枝の先には【師の教えを継ぐ者】の称号が輝き、そこから伸びる未取得の新たなスキルが連なっていた。
【統率力】や【説得】などの戦闘には関係ないスキルだが、枝の先には【世の理を知る力】という何とも意味深なスキルが堂々と構えている。
それを知ってか知らずか佐藤さんは、帝国の皇帝を前にしてアッと驚くような啖呵を切った。
「リカルド・マルチネス!恥を知りなさい!」
佐藤さんが指を突きつけ、リカルドにそう言い放つ。帝国の皇帝を見くだしたその姿は、初めて授業をした時の、江洲小原先生そのものだった。
教壇に立ち僕たちを一蹴したあの場面を思わせるその姿に、僕は背筋がゾッとするほどの寒気を感じながらも、成長したその姿が羨ましくて堪らなかった。
なんとか江洲小原先生に追いつこうとする僕を差し置いて、彼女は僕より一歩先に進んでいたのだ。
佐藤さんの言葉が響き、隠し部屋に重い沈黙が落ちた。リカルドの瞳はまだ揺れていたが、彼は拳を握り、燭台の光に照らされた顔に微かな決意が浮かんだ。
「お前の言いたいことは分かる…だが、フローレス公爵の力は想像以上だ…議会だけでなく、帝国の騎士団の殆ども彼の息のかかった者たちだ…私が動けば私だけではなく、それに賛同する者全てが即座に謀反の罪で捕らえられるだろう…」
佐藤さんはリカルドの言葉を聞き、拳を握っていた手をそっと緩めた。その顔には、微かな安堵と、なお燃える決意が混ざった表情が浮んでいた。
リカルドは目を伏せ、燭台の光に揺れる影を見つめていた。その背中に、ほんの一瞬、かつての皇帝の威厳がよぎったように見えた。
そんな時、2人を冷めた目で見つめる伊藤君が、何かを決意したように口を開いた。
「リカルドさん…僕たちは謀反の罪で捕らえられるために、ここに来たわけじゃない…貴方が立ち上がれば民衆に希望が生まれる…大きな誤解をしているようですが、国を動かすのは皇帝や貴族だけじゃない!民衆が立ち上がれば、国は変わるんだ!」
堂々と言い放つ伊藤君の姿も一皮剥けていた。彼もまたこの世界に召喚され、成長したうちの1人だった。
その姿には教室で宅間君を陥れようとしていた頃の、子供じみた面影など微塵も感じられない。
感慨深い思いに胸を熱くさせていると、リカルドは深い溜め息をつき、何かを思い出すように天井を見上げながら口を開いた。
「民衆か…イレーネ、覚えているか? あの頃、市場で飢えた子供たちにパンを配った夜を…俺たちは民のために国を変えられると信じていた…」
過去を振り返るように遠い目をするリカルドは、そう言って幼馴染のイレーネに目を向けた。
隠し部屋の空気が一瞬重くなり、壁に刻まれた瑠璃鳳の彫刻が、まるでその誓いを静かに見つめているようだった。
イレーネはそんな彼を労わるような目で見つめている。そして少し悲しそうな顔をしながら静かに答えた。
「ああ、リカルド…あの頃のお前は、希望に燃えていた…今のお前からは…その光が消えてしまったようだ…」
その時、僕のスキル【教えを説く者】が再び発動した。リカルドのスキルツリーがぼんやりと浮かび上がり、枝の先に【皇帝の威光】というスキルが薄く光っていた。
それは、彼がかつて民を導いた誇り高い時代を象徴するものだったが、今はまるで封印されたように輝きを失っていた。
そんな時、佐藤さんが前に出て、リカルドの目を真っ直ぐに見つめた。
「まだ終わってないよ!リカルドさん、貴方が国民の為に、この国を変えると宣言すれば、民衆は必ず付いて来る!だって、貴方は皇帝なんだから!」
佐藤さんの言葉が響いた瞬間、隠し部屋の空気が一瞬張り詰めた。燭台の光が揺れ、壁に刻まれた瑠璃鳳の彫刻が、まるで彼女の言葉に応えるように静かに輝いた。
リカルドは佐藤さんの熱意に押されるように一瞬言葉を失い、燭台の光に照らされた顔に、初めて弱々しい笑みが浮かんだ。
「お前、随分と生意気な小娘だな…」
だが、その声には未来につながる微かな希望と、皇帝として立ち上がろうとする、彼の決意が垣間見えた。
その時、2人を見ていたイレーネが意を決したように、ここぞとばかりに口を開いた。
「リカルド、国民決起大会だ…お前はそこで大勢の国民の前で、今までのやり方を改め、国を変えると宣言するんだ!」
【国民決起大会】――それは年に一度、帝都の民が強制的に王宮の広場に集められ、貴族の権威を知らしめる場であった。
軍事力を誇示するように、騎士たちが広場を取り囲み、その中で民衆は貴族たちの言葉を延々と聞かされる。
異論を唱える者や参加しない者は、謀反者として大会後に見せしめで処刑までされた。
イレーネの話を聞いたリカルドの瞳が揺れ、動揺を隠し切れずにいる。彼は混乱しているのか、茫然とした様子まま口を開いた。
「そんな場で、私が? 希望を失くした民たちに私の言葉など届くはずが無い…そこに居るマリア・エスコバルならば、一声で民衆もが付いて来るだろうが、私にそんなそんな力は…」
また、悲観的になるリカルドの態度に、今まで黙っていた江洲小原先生が深い溜め息をついた。
そして手にした扇子をパタリと閉じて、何かを言おうとしたその時、佐藤さんが遮るように口を開いた。
「リカルドさん、貴方は誤解してるよ…先生は完全無欠の完璧人間じゃない!先生だって悲しい事があれば子供みたいにシクシク泣くし、感動すれば声を出してわんわん泣く!貴方と同じ人間なんだ!」
佐藤さんの熱い言葉が隠し部屋の中に一気に響いた。度肝を抜かれたイレーネは、ポカーンと口を開き続けたまま「マリア・エスコバルがわんわん泣く…!?」呟いた。
信じられないといったイレーネの表情は、いつもの毅然とした先生の態度からは、想像も付かなかったのだろう。僕だってその場面を学校で目にしていなければ、到底信じられなかった。
そんな先生はいつもの態度が嘘のように、頬を赤くしながら、分が悪そうに咳ばらいを繰り返していた。
「先生…?先生とはマリア・エスコバルの事か?」
先生という呼び名がピンと来なかったのか、リカルドはそう言って佐藤さんに目を向けた。そして佐藤さんが頷きながら「うん、最高で最強の江洲小原先生…」と応えると、リカルドは目を丸くしながら先生に目を向けた。
そこに居る先生は恥ずかしさからか、今にも「ぐぬぬ…」と言い出しそうな、歪めた顔を真っ赤に染めている。
「そうか…お前たちはマリア・エスコバルの弟子だったのか…どおりで心が動かされるはずだ…」
何とも言えない先生の表情を見ていながら、リカルドは憑き物が落ちたような顔をしていた。
普段の冷静沈着な様子からは考えられない先生の姿に、僕はフォローしようとも考えたが、そのまま黙って見ていた。たまに見せる先生の人間らしさが、何故だか可愛らしくて堪らなかった。
佐藤さんの言うようにマリア・エスコバルだって、17、8の少女なのだ。
「リカルドさん、私たちはマリア先生に色んな事を教わりました…貴方が宣言すれば国民は必ず付いて来る!この国を一緒に変えましょう!」
佐藤さんが目を輝かせ、力強く手を差し出した。
リカルドは彼女の手を大きな両手で握りしめ、フッと笑みを見せた。胸にあった恐怖が、その言葉で初めて希望に変わった瞬間だった。
そして、リカルドは履き捨てるようにポツリと言った。
「フローレス公爵も馬鹿なことをしたものだ…」
佐藤さんが「どういうこと?」と聞き返すと、リカルドはまた静かに口を開いた。
「マリア・エスコバルの弟子たちを召喚したんだ…帝国の運命は、その時から大きく変わったのだ…」
その瞬間、隠し部屋の空気が一気に温もりに変わった。燭台の光が揺れ、瑠璃鳳の彫刻が希望の輝きを放った。イレーネは目を細め、笑みを浮かべた。
「さあ、私たちには時間がない…具体的な事を話し合おう!」
イレーネがそう言って場を収めると、江洲小原先生は佐藤さんと伊藤君の肩に手を回し、2人の頭を滅茶苦茶に掻き回した。
言葉はなかったが、その愛情たっぷりの仕草は、彼らを褒め称え「良くやった!」と讃えるようだった。
リカルドの説得という大任を果たし、2人は江洲小原先生に揉みくちゃにされながらも、満面の笑顔を浮かべている。
その夜、帝都の空には雲が途切れ、星が一つ、強く輝いていた。
~to be continued~