ただ痛いだけの生意気な小娘だと思ったら、その正体は僕の想像を遥かに超えてきた。。。【貴族教師マリア、君との約束】 作:村上しんご
僕たちの旅は、王都の尖塔がかすかに見える丘まで近づいていた。険しい山道を抜け、冷たい夜風が頬を刺す中、セレナは軽やかな足取りで先を歩き、佐藤さんがその後を追いかけていた。
彼女のあの小さな背中に、どんな秘密が隠れているのか、気になって仕方ない。しかし、今はそれ以上にあの天使の言葉が、頭から離れなかった。
『美濃又様が協力すれば、ディルファス帝国の復活と生徒たちの帰還は保証されます』
僕の【教えを説く者】の力が、ミルガルド神の支配に利用されるなんて、受け入れられるはずがない。なのに、ディルファス帝国の人たちの笑顔—リカルド・マルチネスの誇らしげな瞳、イレーネ・フォン・エスターライヒの精悍な顔つき、大公バスタの豪快な笑い声—が脳裏に浮かび、胸を締め付けた。
生徒たちも、異世界の過酷な日々に疲れ果て、故郷の空を恋しがっているのではないだろうか。江洲小原先生なら、どんな理不尽にも立ち向かうあの毅然とした姿で道を切り開いてくれると信じたい。だが、そんな確証などどこにもなかった。
僕さえ犠牲になれば、ミルガルド神が約束通り帝国を元に戻し、生徒たちを帰してくれるという誘惑が、心を揺さぶる。
先生が言っていた『我々、フェルナス公国はアヴァロン王国と手を結ぶことにしました…』という言葉は、何の打つ手も思いつかなかった苦肉の策だったのかも知れない。
そうで無ければ、あの先生がそんな選択をするはずがないのだ。僕は密かに最悪の場合は、自分が犠牲になろうと覚悟を決めていた。
子供たちはそんな僕の胸の内を感じ取っているのか、王都が近付くにつれ徐々に口数が減り、重苦しい空気になっていた。
あれ以来、天使は姿を見せず、聖騎士たちの警戒も穏やかになったように感じるが、このまま王都に着いても何の手だてもない。
遠くの空に、聖ミルガルド神殿から立ち上る光の柱が、夜空を裂くように輝いていた。あの光が強まるたび、ミルガルド神の降臨が近づいている気がして、背筋が冷えた。
「先生、王都にはどうやって入ろうか?」
僕は伊藤君のその質問に、どう答えようかと迷っていた。王都に入る通用門には聖ミルガルド神殿の使者たちが僕たちを待ち構えていて、すんなりと神殿に通してくれるだろう。
しかし、それは僕を仲間に引き入れる為だ。僕は敢えて教皇アレクシア・サンドラの策略に乗り、神殿に向かうつもりだ。だが、彼らがそれを聞いて黙っているはずがなかった。
「先生…まさか、教皇の話に乗ろうとしてるの?」
少し考え込む僕を見て、佐藤さんが不安げに声を上げた。
「…僕が奴らに協力すれば、帝国はこの世界に戻り、君たちだって元の世界に帰れるんだ…」
僕の言葉に、その場はシーンと静まり返り、月夜の野山に重苦しい沈黙が流れた。先を歩いていたセレナも不安げな目で僕を見つめている。
「そんなの…先生一人が犠牲になる必要がある?!それに、王国をこんなにしているミルガルド神に協力するなんて、どんな要求をされるかわからないんだよ!」
「だが、このまま神殿に行ったって、どうにかなるとは思えない…それなら、僕一人がこの世界に残って…」
そう話してる最中に、佐藤さんが僕の前に寄って来て、頬を思い切り引っ叩いた。「バチーーーン!」という鋭い音が林の中に響き渡り、焼け付くような熱い痛みが頬を襲い、目の前にキラキラと輝く星が舞った。
鬼気迫る佐藤さんの迫力に、セレナはポカーンと口を開けたまま怯えだし、宅間君と伊藤君は目を見開いて青ざめている。
僕は「痛ったぁーーーっ!」と叫びながら頬に手を当て、その場に尻もちを付くが、彼女の目は涙で潤み、真っ赤な顔で僕を見下ろしていた。
まだ10歳程度の子供の平手打ちとはいえ、魔物すらも単独で倒せるほどに成長した彼女の一撃は、僕の意識を朦朧とさせていた。
「江洲小原先生が居るじゃない!先生は私たちを、元の世界に必ず帰してくれるって言ったよ…信じてないの!?」
朦朧としながらも、佐藤さんの心からの叫びに胸を揺さぶられた。江洲小原先生の毅然とした姿、どんな理不尽にも立ち向かうあの眼差しが脳裏に浮かんだ。
しかし、彼女が「フェルナス公国はアヴァロン王国と手を結ぶ」と言ったときの、どこか吹っ切れた声が、僕の疑念を消さなかった。先生は本当に僕たちを救うつもりなのか? それとも、ミルガルド神の策略に巻き込まれているのか?
「江洲小原先生は王国と手を組んだと言っていたんだ!それは神殿と手を組んだと言ってるようなもんで、何を考えてるかわかりはしないよ!」
遠くの光の柱が、まるで僕の言葉に応えるように激しく脈動し、夜空を青白く染めた。
「美濃又 修!お前は今まで江洲小原先生の何を見てきたんだ!」
僕の名をフルネームで叫ぶ佐藤さんは、涙に潤んだ目で僕を睨みつけた。彼女の握り潰した拳が、月夜に白く光り、まるで僕の疑念を打ち砕こうとするかのようだった。
涙を流しながらの心からのその叫びに、僕の胸は再び熱くなる。腰を抜かして呆然としている僕を見て、佐藤さんは更に言葉を続けた。
「内緒にしろって言われたから言わなかったけど、私たちが美濃又先生を追ってきたのは、江洲小原先生に『力になってあげて…』って頼まれたからだよ!」
「えっ…!?」
佐藤さんの言葉に僕は驚きを隠しきれなかった。彼らが付いて来てくれたのは、僕のように江洲小原先生と対立し、逆らったのだと思っていた。
本当なのだろうかと伊藤君と宅間君に目を向けると、2人は気まずそうに僕から顔を背けている。
そして少し間を開けると、伊藤君が顔を背けながらも、言いづらそうに真実を語り始めた。
「先生、本当だよ…美濃又先生が城を出る直前に、マリア先生が僕たちの所に来たんだ…『彼は誤解してるみたいだけど、帝国のことも僕たちのことも、自分がきちんと決着を付ける…だから安心して…』って、僕たちに頭まで下げて…マリア先生、悲しそうだったよ…」
その言葉を聞いて僕は更に衝撃を受けた。そして僕の頭の中には、彼らの元を訪ねて頭を下げる江洲小原先生の姿が浮かんでいた。
僕は怒りに任せて執務室を飛び出していったが、彼女は僕一人じゃ何もできないだろうと、子供たちの所に行って事の成り行きを話し、尚且つ助けてやってくれと頭を下げていたのだ。
衝撃の事実を知って、僕が涙目で呆然としていると、宅間君も顔を背けたまま言葉を重ねる。
「マリア先生が王国と手を組んだのだって、先のことを見据えていたからじゃないかな?…だってマリア先生は、いつでもそうやって、絶望的な状況でも道を切り開いてくれてたじゃん…」
宅間君のその言葉で、僕の頭の中のピースは完全に揃った。確かに江洲小原先生は、詰め将棋でもするように先の先まで読んでいて、どんな窮地に追い込まれても、あっさりと問題を解決してきた。
僕が裏カジノで膨大な借金を抱えた時だってそうだった。借金を帳消しにしようと、最後の大勝負に出た時に、突然現れて僕を救ってくれた。
僕は今まで憧れていた先生の何を見てきたのだろう。自分の想像で先生と仲違いし、子供のように自分勝手に行動しようとするなど、何の成長もしてないではないか。
それに引き換え、この子たちは先生を信じ、僕の身勝手な行動にまで付き合ってくれてるのだ。
ハッと周りを見渡すと、佐藤さんは涙を流しながらも、悲しそうな顔で僕を見つめ、宅間君と伊藤君は吹っ切れた僕の顔を見て、薄っすらと笑顔を浮かべている。
少し遠くにいるセレナに目を向けると、何故か『この人たち、なに言っちゃってんの!?』という顔で小さな両手を口に当て、目を大きく見開いていた。
僕はゆっくりと立ち上がり、もう一度彼らを見渡した。胸に込み上げる感謝と後悔を込めて、江洲小原先生と同じように深く頭を下げた。
「みんな…悪かった…僕のわがままに付き合ってくれて、ありがとう…」
そう言って感謝を伝えると、僕は顔を上げ、吹っ切れた顔をしながら話しを続けた。
「でも、僕は敢えて神殿の誘いに乗ろうと思うんだ…」
僕のその言葉に生徒たちは「…先生!?」と言いながら、また不安げな顔を浮かべる。僕はそんな彼らを見つめながら、フッと笑みを浮かべ、更に言葉を続けた。
「江洲小原先生のことだ、僕がこうなることも見越して動いてると思うんだ…」
僕がそう言うと伊藤君と宅間君は、「そうか…【先見の明】だね」と言ってニヤリと笑った。佐藤さんはそんな2人の顔を交互に見つめながら「何?どういうこと!?」と慌てふためいていた。
しかし、セレナはそんな僕らには目もくれず、何故か不貞腐れて、近くの木に小石を投げつけている。
僕は先生がこれから、どう動こうとしてるのか、自分なりの推測を彼らに伝えた。
「問題なのは星の祭壇だと思うんだ…フェルナス公国と王国が同盟を結んだからといって、そう簡単には入ることは出来ない場所だ…なにしろ、ミルガルド神を降臨させようとしてる星の祭壇には、既にゲートが開き始めているはずだ…」
僕の言葉を聞いた伊藤君は、いつもの落ち着いた顔で直ぐに口を開いた。
「ゲートがどうやって制御されてるか知られれば、神の奇跡といわれることが誰にでも出来ちゃう訳だからね…帝国のこともあるし、フェルナス公国には尚更知られたくないはずだよ…」
伊藤君の話を聞いて更に宅間君が声を上げた。
「そこで、マリア先生は美濃又先生を黙って王国に行かせた訳だね…ミルガルド神が、美濃又先生の【教えを説く者】の力のことを、どうして知っていたのかは知らないけど…その力を利用するなら、神としての自分の言葉を伝えなきゃならないし、会って力を見せつける必要がある…」
2人の的確な推理に僕の顔は綻んだ。2人は江洲小原先生が何故、僕を王国に行かせたのか、何となく察していたのだろう。
そして、この旅を通じてそれを確信する何かを、感じ取っていたのかも知れない。僕はそんな子供たちの成長に胸を熱くしながら、更に言葉を続けた。
「そう…僕が行けばミルガルド神に直接会うことができる…江洲小原先生は、その期会を狙ってるんじゃないだろうか?」
しかし、僕の言葉に佐藤さんは、いつものようにポカーンとしている。勘が鋭いわりに、何故か間の抜けた彼女の様子は、僕たちに何故か希望を与えてくれた。
「でも、マリア先生はどうやってその場所に来るの?それに、神様だよ…そう簡単に会えるのかな?」
佐藤さんの穏やかな声で、その場の雰囲気は少しだけ和んだ。そんな僕たちの様子を見てセレナが口を開き始めた。
「マリア・エスコバルのことは良くわからないけど…それって本当に神様?…正体を知ってるのって、教皇のアレクシア・サンドラしか居ないんだよね…」
セレナの言葉に、僕の頭に一つの仮説が閃いた。
「そうか…江洲小原先生が女神と崇められてるように、ミルガルド神も神殿が勝手に祀り上げた、特別な力を持った人間なのかもしれない…」
「でも、問題はその力だよ…次元を超えることは神の領域なんでしょ?僕たちは神殿がゲートを操っていると思ってたけど、ゲートを操ってるのって、もしかしたらミルガルド神じゃないの?」
伊藤君の鋭い指摘に、その場はまた重苦しい空気に包まれた。しかしそんな時、佐藤さんがその空気を再び打ち壊す。
「ふふふ…神の領域って…だったら、マリア先生だってそうじゃん…あの人の存在自体が完璧で、とても人間とは思えないよね…」
佐藤さんの言葉に、僕と伊藤君、宅間君は「そりゃそうだ!」と声を揃えた。しかし、セレナはまた『この人たち、なに言っちゃってんの!?』という顔で呆然としていた。
そして、次第に真っ赤に頬を染め、今にも「ぐぬぬ…」と言い出しそうな顔をする。そんなセレナの事などお構いなしに、佐藤さんと宅間君は2人で江洲小原先生のことを誉めちぎり始めた。
「考えたら先生の方が神に相応しいよな…」と宅間君が目を輝かせた。
「そうでしょ…言ってる事だって筋が通ってるし、あの威厳は皇帝の立場を超えてるよ…」と佐藤さんが得意げに笑う。
「でさ、めっちゃ怖い顔してるのに、誰にでも優しいんだよな!」と宅間君がニヤニヤしながら言う。
そして「だよね!だから女神さまって呼ばれるんだよ、絶対!」と佐藤さんが胸を張った。
止まらない勢いで続く誉め言葉に、セレナは真っ赤になったまま「うるさい!」と叫んだ。どこにトリガーがあったのかわからないが、それは怒ってるような感じではなく、僕には照れてるようにしか見えなかった。
「さあ、行くよ!王都は目の前なんだからね!」
そう言ってセレナは顔を上げ、勢いよく先頭を歩き出した。顔は伺えないが、その小さな背中には、どこか揺れる決意と照れ隠しの強がりが見えた気がした。
もう、ここに来るまでの重苦しい空気はどこにも無い。僕たちは「おう!」と声を上げながら、セレナの後に続き王都を目指した。
王都の門が近づくにつれ、尖塔の光が一際強く輝き、まるで僕たちの覚悟を試すように脈動していた。木々の間からカサッと不気味な音が響き、セレナが鋭く振り返る。僕たちの旅は新たな試練を迎えようとしていた。
~to be continued~