ただ痛いだけの生意気な小娘だと思ったら、その正体は僕の想像を遥かに超えてきた。。。【貴族教師マリア、君との約束】 作:村上しんご
ミルガルド神は江洲小原先生によって倒され、神殿の光は永遠に消えた。かつての神の支配から解放された世界は、静けさの中に新たな希望の息吹を宿していた。
あの戦いで【神を超えし者】の称号を授かった先生は、ミルガルド神のゲートのように、次元の力を自由に操れるようになり、その力でディルファス帝国をこの世界に呼び戻した。
僕と生徒たちは二日後、元の世界に帰る予定だが、僕は喜びよりも、この世界との別れを告げることへの寂しさで胸がいっぱいだった。
気落ちした僕のそんな情けない姿を、生徒たちには見せまいと、僕は一人で神殿の外に出て星空を眺めていた。梟の声が遠くから聞こえ、夜空には満天の星空が輝いていた。
「私のことを思い出してくれたようですね…」
その時、背後から響いた先生の優しい声に、僕はハッと振り返った。星明かりの下、深紅のドレスが風に揺れ、瑠璃色の瞳が静かに僕を見つめていた。
その姿は、まるでこの世界の全てを包み込むような威厳と温かさに満ちていた。まさか、この人が忘れていた記憶の中のセレナだったとは、今でも信じられない。
「先生は、最初から僕のことを覚えていたんですね…」
僕がそう言うと、先生は遠くを見つめてフッと笑顔を浮かべた。
「もちろんです…お前が推測したように、私はお前と生徒たちのことをずっと【先見の明】で見てましたからね…」
その言葉で僕は、ディルファス帝国の民たちが貴族の支配から自由を手に入れた夜のことを思い出した。
その時の怪しげな態度に、どんな思惑があるのかと疑っていたが、先生は純粋に僕との約束のことを気に掛けていただけだった。
それなのに、僕は先生と衝突し、子供のように癇癪を起こして城から出ていった。
「あの時、交わした約束がどうなってるのか、気になっていたのですね…」
僕がそう言うと先生は頷きながら、穏やかに口を開く。
「ええ…しかし、お前は当時の志など失って、すっかり自堕落になっていました…」
呆れたように話す先生の言葉に、僕は自分自身を不甲斐なく感じ、居たたまれない気持ちでいっぱいになった。
「申し訳ない…歳を重ねるごとに、あの時の志をすっかり忘れていました…」
少し気落ちした様子で僕が答えると、先生はいつもの厳しい顔つきで星空を見上げた。
「構いませんわ…私だってお前との約束は、まだ夢半ばです…生きてるうちにどこまで出来るかわかりませんが、私は精一杯頑張ってみるつもりです…お前だって、これからではありませんか…ここに来てお前は、見違えるような教育者になったと思います…」
遠い目で星を眺めるその瞳には、何が見えているのだろうか。輝く瑠璃色の瞳に、セレナのあの日の面影が重なった。それは、まだ僕が純粋に教師を目指していた中学生の頃の話だった――。
学校の放課後、僕はいつものように本を読みながら帰宅をしていた。夕暮れ時のこの時間帯は意外に人も少なく、道路を走る車も遠慮なくビュンビュンとスピードを出していた。
そんな時、いつもの交差点に差し掛かり、赤信号で足を止めると、交差点の中心に青紫の光が渦巻く小さな空間が突然現れた。
突然の出来事に僕は驚くが、交差点にいた誰もが気づいていなかった。しかも次の瞬間、ボロボロの服を着た少女が、そこから地面にドサッと落ちてきた。
前方からものすごい勢いで大型トラックが、クラクションを鳴らして迫っている。少女は突然の出来事に、呆然とトラックを見つめ、大きく目を見開いていた。
「危ない!」
僕はそう叫んで咄嗟に道路に飛び出していた。なぜかこの少女を絶対に助けなければならないと、本能が叫んでいた。
僕は彼女を突き飛ばし、地面にゴロゴロと転がる。あわや衝突という寸前で、少女は僕に弾き飛ばされ、なんとかトラックを避けることができた。
しかし、この時の僕は動揺して、まともな考えが浮かばなかった。
「いったい、どこから出てきたんだ! 危ないじゃないか!」
少女が悪いわけでもないのに、僕は彼女に向かって怒りをぶつけてしまった。しかし、少女は青ざめた顔で汗を流し、街の光景をキョロキョロと見回していた。
まるで天変地異でも起こったかのようなその様子は、彼女に起こった出来事が、ただトラックに轢かれそうになった、だけではないということを、まざまざと感じさせている。
「そんな事より、ここは何処なの?何で鉄で出来た大きな馬車が、こんな綺麗な道を走ってるの?それに何なの、この街は…」
呆然とする彼女の言葉に、僕はただ事ではないと思いながらも、どうして良いのかわからずに狼狽えていた。
よく見ると少女は5歳くらいだが、その身なりはホームレスのようで、この国の社会制度でそんな子供がいること事態が考えられなかった。
しかも、髪は泥と埃で固まり、目は怯えと空腹で濁り、痩せこけてはいるが、顔つきはどう見ても、この国の子供では無い。
しかし、瑠璃色の瞳で怯えているこの小さな姿を見て、教師を目指す僕が放っておけるはずなどなかった。
「君、お腹は空いてないかい?」
僕がそう尋ねると、まるでその言葉を待っていたかのように、少女のお腹がグゥっと鳴った。
少女は俯いたまま答えなかったが、怯えた瞳が一瞬もの欲しそうに僕を見上げていた。僕はその反応を見て、そっと彼女の手を取り、街の中を歩き出した。
すれ違う人々がボロボロの姿と異国的な雰囲気に度肝を抜かれ、囁き合っていたが、声を掛けてくる人や通報する人は誰もいない。
車のクラクションと人々の喧騒に、少女は絶えず怯えているようだった。その瞳はどこかオドオドとして、握りしめた小さな手は、微かに震えていた。
こんな子がどうして…と思いながらも、僕は穏やかに尋ねた。
「君の名前は何て言うんだい?」
すると少女は俯いたまま、震える声で答えた。
「…名前なんか無いよ…でも、みんなはあたしをセレナって呼んでいる…」
その言葉に、僕は彼女がただの迷子ではないことを確信した。僕はポケットの小遣いを握り締め、セレナの手を引いてファーストフード店に入った。
彼女は小さくつまずきながらも、黙って僕についてきた。セレナを連れて店に入ることに抵抗はなかったが、客の好奇の目や店員の怪訝な視線が、チクチクと僕らに突き刺さる。
しかしその時、カウンターから漂う油とケチャップの匂いに、セレナの濁っていた瞳がふと光を宿し、キラキラと輝き始めた。
僕はありったけのハンバーガーを買い込み、セレナの手を引いて静かな場所を目指した。人けのない公園に足を踏み入れると、彼女は不安げに小さく周りを見回した。
街の喧騒から離れたこの公園は、木々が茂る静かな空間で、夕暮れの光がベンチを柔らかく照らしていた。僕はセレナをベンチに座らせ、ハンバーガーを差し出した。
開け方がわからないのか、彼女は紙袋を手に持ったまま、じっとそれを見つめていた。僕は彼女の前で包み紙をゆっくり開け、ハンバーガーを一口食べて見せた。
「ほら、こうやって食べるんだよ」そう言って笑うと、彼女の瞳がわずかに揺れた。セレナは僕の真似をして封を開け、恐る恐るハンバーガーをかじると、目を丸くして「こんな…美味しいもの、初めて…」と呟いた。
その声には、初めて僕に心を開いたような、わずかな信頼が混じっていた。ハンバーガーを夢中で頬張りながら、セレナは時折チラチラと僕を見ていた。
やがて、彼女は小さく息をついて、心を許すように自分から口を開いた。
「お兄ちゃんは、私を連れていて恥ずかしくなかったの?」
その言葉は、セレナが自分の境遇を深く自覚しているのが伝わってきた。声には、痛みと諦めが混じりながらも、僕の返答に少しだけ期待してるような希望がその瞳から見えた。
どこから来たのかわからないが、彼女のボロボロの服や怯えた瞳は、過酷な状況で虐げられてきた痕跡を物語っている。
恐らくセレナはそこでも、普通の人たちから蔑まれ、ずっと肩身の狭い思いをしてきたのだろう。
「そんなことは気にならないよ…教師を目指してるんだから…」
僕がそう言うとセレナは首を傾げながら「キョウシ…?」と、不思議そうな顔で呟いた。僕は得意げな顔をしながら彼女に言った。
「ああ…わからないことや、役に立つことを子供たちに教えて、正しい道に導いてあげる仕事だよ…」
その言葉に、何故だかセレナは嬉しそうに瞳をキラキラと輝かせた。まるで知識に飢えているような彼女の様子は、教師を目指す僕にとって熱いものを感じさせた。
「だったら、私にも教えて!ここは何処なの?」
そう言って燃える目で僕を見つめる視線は限りなく熱い。僕は彼女の熱意に圧倒されながら、教師として誰かを導く喜びを初めて感じていた。
「ここは日本の首都、東京だよ…いろんな人がいて、ビルや光がいっぱいの街なんだ…」
その言葉に、セレナの瞳がさらにキラキラと輝いた。彼女はベンチの上で身を乗り出し、まるで遠い世界の物語を聞くように耳を傾けていた。
僕は彼女の正体すらわからないのに、初めて日本に訪れた異国の人に、この国の説明するように丁寧に話していた。
そんなことはあり得ないとは思いながらも、僕はセレナが異世界から来たという、強い確信を持っていた。
「トーキョー…?」と呟く彼女の声には、知ることへの純粋な喜びが溢れていた。
「さっきの大きな馬車は何?あれはどうやって走ってるの?それに、街中に輝いている光は何なの?」
セレナの質問は次から次へと溢れ、止まることを知らなかった。彼女は興奮した声でまくし立て、僕の手をぎゅっと強く握っていた。
彼女の勢いに圧倒されながら、僕は笑顔でさらに話を続ける。
「あの鉄の馬車は車って言うんだよ…エンジンって力で動くんだ…街の光は、電気を使って輝いてるんだ…」
夕暮れの光が木々の間をすり抜け、ベンチを柔らかく照らす中、セレナの質問に答えるたび、教師になる夢が僕の胸の中で大きくなっていた。なぜか、言葉を紡ぐたびに心が軽くなり、まるでこの子を導いているような感覚がした。
東京の街や車について話し込んでいると、辺りはすっかり夜の闇に包まれ、星空の下で街灯が柔らかい光を投げかけていた。
「ここは、希望に溢れた国なんだね!…私が暮らしてる街とは全然違うよ…」
一通り話し終えると、セレナはハンバーガーに噛り付きながら静かに言った。その言葉には、遠い世界での苦労と、そこで暮らす重みが宿っていた。
「君のいる世界って、どんなところなんだい?教えてよ…」
僕がそう尋ねると、セレナは瞳を伏せて悲しげに話す。
「こことは全然違う…鉄の馬車もないし、街は松明の冷たい光に照らされてるだけ…何より、暮らす人に希望なんてないんだ…」
その声は小さく震え、瞳が一瞬曇ったが、どこか遠い未来を見つめるような光が宿っていた。
「だったら、君が自分の国を変えればいい!誰もが笑顔でいられる世界に…」
僕がそう言うと、セレナはハッとした顔で僕を見上げる。
「えっ!?あたしにそんなこと、できるの?」
その瞳が一瞬輝き、まるで未来を見据えるような光を宿していた。
「大丈夫、負けるな!君なら、絶対にできる!」
この時は何故かわからなかったが、僕はセレナなら、それをやり遂げることができると確信していた。
得体は知れないが、セレナには物凄い可能性が秘めてる事を、本能で感じ取っていたのかも知れない。
僕の声が夜の公園に響き、胸の奥から熱い力が湧き上がった。セレナの瞳が、まるでその言葉に呼応するように輝いた。
「うん、約束する!あたしは絶対、皆が笑顔でいられる世界を作る!」
そう叫ぶセレナの身体が黄金色に輝いた。その姿を見て、胸に熱いものが込み上げ、セレナの言葉に応えるように僕も叫んだ。
「だったら僕は、誰よりも立派な教師になって、そんな世界を担う子供たちを育てていく!」
そう言って拳を合わせると、黄金色の光が僕たちを包み込んだ。まるで星々が祝福するように、夜の公園が一瞬輝き、未来への約束がその光に刻まれたようだった。
しかしその時、青紫の光が渦巻く空間がまた現れ、セレナの身体が瞬時に消えた。まるで僕たちの絆を切り裂くように、彼女の姿はこの世界から跡形もなく消え去った。
遠い日の記憶を思い出し、2人で神殿の外の星空を眺めていると、先生はポツリと呟いた。
「ゲートに飲まれた後、私はハウゼンの街の路地裏で横たわってました…ハンバーガーの入った袋を抱えたまま…」
先生の静かな呟きが、星空の下に溶けていく。深紅のドレスを夜風がそっと揺らし、瑠璃色の瞳が遠い記憶を映すように瞬いた。
僕は言葉を失い、胸の奥で熱いものが込み上げる。あの公園での出会い、セレナの怯えた瞳、黄金色の光に包まれた約束――あの小さな親切が、彼女をここまで導いたなんて。
「あれは夢だと思っていました…人が突然、現れたり消えるなんて、信じられなかったんです…」
僕がそう言うと先生はフッと笑顔を見せた。
「そうでしょうね…私だって信じられませんでした…しかし、私はお前と出会って確実に変わりました…身体中から見えない力が漲り、諦めなければ何だって出来るという希望が湧いてきたんです…」
威厳の漂う風格で凛と佇み、夜空を見上げるその姿は、もう幼かった頃のセレナの面影はない。約束をずっと守ってくれていたその姿に、僕もあの時の約束をもう一度果たそうと心に誓った。
「先生の『皆が笑顔でいられる世界を作る』という誓いはずっと生きていたのですね…」
「お前だって、もうあんな立派な生徒たちを育てているではありませんか…彼らはもうそんな世界を担う人間として立派に育っています!」
先生はそう言うと満足げにニッコリと笑った。僕を認めてくれてたようなその言葉に、胸が熱くなり涙が溢れ出そうになった。
もうじき僕たちは元の世界に帰り、そんな先生とも会えなくなってしまうのだ。悲しいとは思いながらも、先生にそんな情けない姿は見せられない。
「さあ、フェルナス公国に戻りますわよ!」
先生はそう言って肩を強く叩く。僕は涙を堪えながら先生の後に続いて、生徒たちの元に戻っていった。
夜空に輝く星々が、まるで僕たちの約束を見守るように瞬く。あの日の2人の誓いがまるで永遠であると告げているかのように――。
~to be continued~