【遊戯王5D'sタッグフォース】小波シリーズ〜時間跳躍(タイムパラドックス)とコナミ〜 作:ふれれら
(WCS2010リバースオブアルカディア→クロスデュエル→TF4)
※挿絵付き→https://privatter.net/p/10273529
※ボイス付き→https://youtu.be/kcB14GTG42E
「アキちゃん」
その声は少しだけ特別だった。
中性的でまろい声。優しくて柔らかで、風に溶け込むような淡い呼びかけ。
あの子は、私の力を恐れなかった。
空気のように寄り添って、見守るように側にいた。
出会ってすぐから、いつも、心配してくれていた、と思う。そのお人好しさが、あの子だった。
あの子の力の使い方は、私とはまるで違った。
小波のサイコパワーの使い方は、とても器用だった。
いつだって必要最小限で、相手を傷付けることを厭っていた。周囲を力任せに薙ぎ倒すことしか知らなかった私とは対照的だった。
まるで柳の枝のような、寄せては返す海のような。しなやかな力の使い方だった。暴風のような私のサイコパワーの隣に立っているのに、力で上手く受け流してケロリとしていた。
そんな小波だったからこそ、ディヴァインも私のパートナーに選んだのだろう。デュエル中、私の隣に立っていられるというだけで、あまりに稀有な才能だったから。
ディヴァインにその力を見染められ、無理やり拐われてきたのだと知ったのは、ずっと後になってからだった。遊星たちは私を気遣って、ディヴァインの悪行がこれ以上私の耳に入らないようにしていた。
サイコパワーで無理やり洗脳されたせいで記憶を失って、なぜここにいるのかも分からないでいた小波を、ディヴァインは「外の世界で酷い目に遭ってここに来た」と説明していた。それを私たちは鵜呑みにしていた。それは、あの頃は日常的だったから。
突然誘拐されて、遊星たち仲間から引き剥がされ、記憶まで失って、きっと心細かったはずだ。
なのに小波は、いつも穏やかに笑っていた。誰かを気遣ってばかりいた。私が憎悪を周囲に振り撒くことしか考えていなかった頃、小波は周囲に静かな優しさを与えてばかりいて──……あの子は、私とまるで違う。
だから、仲間として分かり合えたはずの時間、私は心を閉ざしてばかりいた。
「ずいぶんと……器用に力を使いこなすのね」
その日、その言葉が口から零れたのは、本当に無意識だった。
激しいデュエルを終えた直後で、気が緩んでいたのだと思う。戦いの激しさに比して、相手もこちらも被害の少ない終幕だった。小波がそう立ち回っていたからだ。そんなことは初めてだった。
心の中だけで呟いたはずのその言葉は、小波の耳に届いてしまった。
小波は、赤い帽子の下で微笑んで、一緒に練習しないかと誘ってきた。
自分と違って、アキちゃんの力は制御が大変そうだ。
自己流でよければ、コントロールを教える、と。
そうすればきっと、もっとディヴァインの力になれるよ、と。
あの頃から小波は、心にするりと入り込んで、心の一番柔らかい部分を優しく口説き落とすのが得意だった。
力をもっと抑え込めたら、と。願わなかった日は無かった。けれど、無理だと諦めてもいた。強大な私の力は周囲を果てしなく傷付ける。それを笑って楽しむことで、私は心の平穏を保っていた。
それを、もっとディヴァインの力になれる、と。
そう、最大の言い訳を、さらりとさらけ出させて、小波は笑って私を手招いた。
小波と私は、サイコパワーの制御の特訓を始めた。
私の力は、荒れ狂う嵐で、竜巻だった。
無事なのは台風の目に立つ私だけ。周囲は全て薙ぎ倒されて、下手をすれば命すら奪い得るほどだった。私の周りはいつも悲鳴と、罵倒と、全てが過ぎ去った後の果てしない静寂が支配していた。
繰り返される悲鳴が途切れて、静寂が周囲を包む。その時だけ私は少しだけ安堵できた。
この力がある限り、誰も私を傷付けられない。
制御できるなんて思わなかった。
デュエル中に私の隣に立てたのは、アルカディアムーブメントの中でも桁外れにサイコパワーの特性を熟知したディヴァインだけ。天災のような台風の目の中で、ディヴァインと私は寄り添い合って過ごした。あの人の腕の中だけが、私の安堵できる場所だった。
ディヴァインは力を暴走させる私を抱きしめて、いつもささやいた。
もっと、もっと、もっと力を解放しなさいと。それが自然で、必然で、定めだと。理不尽に抑圧される今こそが不自然なのだと。もっともっともっと周囲を傷付けて、力を知らしめて、台風の目を広げなさいと。そうすれば、その台風の目こそが、我らサイコデュエリストの国となる、と。
あの人は周囲をいつも憎んでいた。
今思えば、ディヴァインに対してだけは、破壊の力が少し弱まっていたように思う。
あの当時、ディヴァインを盲信していた私は、それほどまでにディヴァインに力があるのだと信じ切っていた。
でも実際は、無意識にあの人を傷付けるのを厭ったのだと、今なら分かる。
私の力は、私の孤独を喰らって破壊力を増していた。だからディヴァインの腕の中でだけは、荒れ狂う力から自由だった。
そうやって私は、どんどんディヴァインの言葉におぼれていった。
だから、私とディヴァインだけがいる台風の目の中へ、あの日、急にふらりと足を踏み入れた小波に。
私がどれほど動揺して、どれほど打ち震えて、どれほど期待と恐れで怯えていたのか、少しは理解してもらえると思う。
あの子は無害だった。あの子は微笑んでいた。あの子は誰も憎んでいなかった。誰かを傷付けろとも、傷付けるなとも言わなかった。
ただ、するりと私の両手を取って、ダンスでもするように私の力を導いた。
小波は本当に力の制御が巧かった。
こんなにも上手く力を使いこなすのに、それを周囲を傷つける事に使わない。
サイコパワーは感情の起伏を激しくする。なのに小波は力を、ニンゲンなら誰にでもあるはずの怒りに使わなかった。
怒りなんて最初から存在してないみたいだった。傷付かないニンゲンなんているはずがないのに、まるで一度も傷付けられたことがない幸福な幼い子供みたいだった。
そうして私は、生まれて初めて。
少しだけ力を制御できて、泣きたいほどに打ち震えた。
喜びは長くは続かなかった。
そのすぐ後のことだった。私はその日、任務の出先で「魔女め!」と背後から力一杯石を投げ付けられた。
それだけなら、ありふれたことだった。私は睨むように振り返り、サイコパワーでそれを払おうとした。
いつものことだったのだ。ガツンと音を立て、小波がそれを庇って、頭と腕を打たれた以外は。
「見せてッ!」
小波はきょとんと赤い帽子の下で瞬いた。
「たいしたことないよ」
「それを決めるのは貴方じゃないわ」
思えば、小波を避けていた私が、自分から小波に触れたのは、この時が初めてだった。
帽子を外し、分厚い服をまくりあげて、私は息を呑んだ。
小波の体は傷だらけだった。
打撲や切り傷は妙に綺麗に塞がっているが、その痕だけはくっきり残っている。
触れても小波は眉ひとつ動かさず、きょとんとしていた。私はたじろいだ。
「……っ」
私の隣でサイコパワーを浴びて平気にしている?
違う。怪我をしても、まるで痛みを感じないから、平然としていただけだ。
「どうして……」
喉が震えた。絞り出した声で、私は小波を怒鳴り付けた。
「どうして私を庇ったの! 私には、この呪われた力がある! 石を投げられたって、なんとも…!」
小波は幼気に小首を傾げて、「体が勝手に動いてたんだ」と答えた。
「……あなた、私を勘違いしてる! 私はこの力に、ただ翻弄されているわけじゃない!」
憎かった。妬ましかった。サイコパワーを持ちながら、誰も恨まず、傷付けない、自分とはまるで違う小波が。
怖かった。恐ろしかった。傷付けられても笑うだけの、痛みへの無頓着さが。
このままでは、この呪われた力で、私は、痛みに無頓着な小波を意図せず殺してしまうかもしれないと思った。
「受け入れてるの……だって、楽しいもの! この力による破壊が! 私を孤独に追いやる全ての者どもに、私の力によって痛みを与えることが! こんなにも楽しい!」
小波は外された帽子の下から、思った以上にまっすぐこちらを見ていた。
小波はただ、心配げに目を細めて「手が震えてるよ、アキちゃん」とそう言った。まろく柔らかな声だった。
「……! うるさい、うるさい!!!」
「……ッ!!」
私はサイコパワーで小波を弾き飛ばした。
コンクリの壁にガッと激しく叩き付けられた小波が「うっ」と短く声を上げて崩れ落ちたのを見届けて、私はこれみよがしに嗤った。
「どう? 痛い? 苦しい? 私はね……楽しいわ! やっと、あなたの歪んだ顔が見られて!」
小波はこちらを見上げて、やんわり目を細めた。ひどく心配そうに。
私はたじろいだ。
「また、その目……! どうして、あなたは、いつも……!」
小波を突き放し、私は逃げるように走り去った。
バンッと居室のドアを閉めて、鍵をかけて、ずるずると座り込んだ。
(私には、ディヴァインさえいれば……それでよかったのに……)
私はその夜、自分の肩を抱いて、声を上げて泣いた。
全ての終わりはまもなく来た。
アルカディアムーブメントに踏み込んできた不動遊星と共に、小波は脱走して、アジトのビルは崩壊した。
◇ ◇ ◇
アルカディアムーブメントは、崩壊した。
ディヴァインは消え、私は真実を知った。信じたアルカディアムーブメントの、私の居場所の、正体を。
ミスティの弟は、ディヴァインに殺された。
アルカディアムーブメントの一員だったトビーは、ディヴァインの度を超えた実験の被験者にさせられ、命を落とした。
ミスティの憎しみは、私が受け止めるべきだった。
ディヴァインを守り、あの人の所業を止めなかった私が。
「これが、真実なの…」
崩壊したアルカディアムーブメントの極秘資料室で、私は現実と向き合い、今にも崩れ落ちそうだった。
私を愛してくれたディヴァインが、周囲を激しく憎んでいたのは知っていた。
でもそれは、あくまでサイコデュエリストを弾圧する非サイコデュエリストに対してだと、追いやられた私たちに非は無いと、甘く甘く言い含められていた。
でも、これが真実なら。
ディヴァインは、仲間のはずのサイコデュエリストも、使い捨ての駒にしてきたことになる。
あの人は結局、サイコデュエリストを愛してなどいなかった。自分に都合の良い駒だけを愛していた。
なら、私が与えられてきた愛は。
「そんな…」
瓦礫の中で、私は崩れ落ちた。
立ち上がれなかった。
小波が極秘資料室の反対側から、見張りを辞めて、私に慌てて駆け寄った。
小波はアキがここに連れて来た。
崩壊したビルは事故災害現場としてセキュリティが封鎖していて、それを撒くのに人手が必要だったのもある。小波はセキュリティの欺き方を何故かよく知っていたから。
でも、本当は。
勇気が欲しかった。真実に向き合う勇気が。
ディヴァインが消えた今、恐ろしい真実に向き合うには、他に頼れる人がいなかった。
遊星には頼めない。この資料室の中には、アキがしてきた悪辣な所業の詳細が山ほどあふれている。
それを目にしても態度を変えない人を、アキを受け止めてくれる人を他に知らない。だから。
背中をさする小波を、私は手酷く振り払って拒絶した。
「やめてッ!!」
差し出された手をパンッと思いっきり叩いた。小波が差し出した白い手は、ジンと赤く腫れた。
あの子は少しの間だけフリーズしたが、結局「アキちゃん」と思いやるような声掛けをやめなかった。
「うるさい、うるさい!! やめて!!」
私の癇癪に、小波は辛抱強く付き合ってくれた。
でも、それは、私を傷付けるだけだった。ディヴァインが与えてくれた優しさにも裏があったのだと、アキ自身など見ていなかったのだと突き付けられた今は。
「嫌…もう、もう誰も信じられない、誰も私を見てくれない…結局、ディヴァインが見ていたのも、私じゃなくこの呪われた力…! それじゃ、私は何のために…!」
ぶわりと赤い髪が逆立った。
瓦礫がビリビリ震える。アキの感情の爆発に呼応して、サイコパワーが暴走しようとしていた。
小波の焦ったような「アキちゃんッ」という声が、最後の引き金を引いた。
絶望をもたらした、数多の真実の資料を巻き上げて、狭い屋内で竜巻が爆発した。
小波は壁に打ち付けられて、一瞬にして弾き出された。
絶望に足を絡め取られて、後先を考えなかったあの瞬間を。
アキは、今も後悔している。
狭い資料室で爆発した台風は、金属の重い本棚をぐらりと揺らして
まるでドミノのように、アキの頭上に襲い掛かった。
アキはそれを、スローモーションのように
だらりと両手を地に落としたまま
泣きながら、ただ眺めていた。
アキを押し潰そうと重い金属の塊が倒れて来ても
ただ、片手を振り上げれば、それを弾き飛ばせると分かっていても
それでも、アキは何もしなかった。
もう、何も考えたくなかった。
消えて無くなりたかった。
本当は、ずっと。
誰かを傷付けながら、ずっとずっと、消えてしまいたかった。
ガンッという激しい衝突音と
どろり、とアキの頭を覆った生温かい血が
アキの視界を、真っ赤に染めた。
「…………え?」
真っ赤な血に濡れながら
アキは、あぜんとした。
アキの頭上を覆ったのは、体の全部でアキを庇ったのは
重い金属の棚ではなく、小波の柔らかい体だった。
アキに降り注ぐ真っ赤な血は
なぜだろう、どこか、古いオイルのような錆びた匂いをしていた。
「…………ァ……キ……ちゃ……」
重い金属棚に押し潰されながら、小波は血まみれだった。
頭がぱっくり割れたみたいに、後頭部から大量に出血していて
ずるり、とアキの腕の中に落ちてきた。
最後の力を振り絞るみたいに、小波が外に押し出した金属棚が、ずしん、とアキを避けて倒れる。金属棚同士はぶつかり合って、重い音を立て、ズン、と地響きを立てた。
崩落した資料室の中で
舞い上がった書類が何枚も、羽根のように降り注いで
呆然と座り込んだアキと、腕の中でピクリとも動かない小波は、二人きりだった。
滅んだセカイの瓦礫の中で。
「……小波?」
小波は動かない。
「……ねえってば」
小波は動かない。
「……ねえ、なんとか言って……」
小波は、動かない。
外した赤い帽子は、それと同じ色の液体でぐっしょり濡れそぼっていて
帽子の下に隠されていた瞳は、どこでもない虚空をぼんやり見つめたまま、動かなかった。
アキは、ヒュッと息を呑んだ。
「あ、ああああああああッ!!!」
アキは絶叫した。
ダメだ。命が零れ落ちる気配がする。
こんなとき、どうすればいいのか何も分からない。
呪われた凄まじい力も、周りを薙ぎ倒すことはできても、この血を止める手段は持たなかった。
アキは、今、初めて、本気で願った。
こんな力でなく、人を癒す力があったらと。
アキの胸の中で、サイコパワーが一瞬ぶわりと揺れたが
結局、力尽きたように何も起きなかった。
「嫌……いやぁ!!!」
アキは錯乱した。小波の名前を叫びながら。
「小波!!小波!!小波!!!」
恐慌する中、今まで誰にも言えなかった言葉が、喉を裂いた。
「助けて!!!!!!!!」
天井に開いた瓦礫の穴から、アキの悲鳴が長く尾を引いた。
「嫌ぁ!!!助けて、パパァ!!!」
この時、錯乱するアキの声を聞き付けたのが
もし、急に姿を消した二人を心配して探していた遊星だったら。
あるいは、行方不明のカーリーを必死に追っていたジャックだったら。
この戦いの未来は、大きく変わっていたかもしれない。
だが、その時、誰より早く駆け付けたのは。
小波の名を聞き付けて、廃墟の穴から瓦礫の中に降りてきたのは。
アキの腕から、血まみれの小波を奪い去ったのは。
黒いフードに包まれた、水色の髪の、アキの知らぬ男性だった。
「──……ここから消えろ。黒薔薇の魔女」
黒いフードマントの中に、小波を固く閉じ込めて
夜風にバサリとマントをはためかせて、奪い去るみたいに、その男は、アキに告げた。
「行け。
その男が纏っている衣装が
ミスティたちと同じ、ダークシグナーのものだと、錯乱したアキが気付けていたら。
アキは、呪われたこの力で、きっと全力で抵抗しただろう。
けれど、小波を抱くその両腕が。
マントの中に小波を閉じ込める、その二の腕が。
壊れ物のように小波を、あまりに大切そうに抱きしめるから。
「コイツは死なせない。──……たとえ、冥府の神にだって、奪わせるもんか」
その強烈な安堵に、限界まで張り詰めた糸は、ぷつんと途切れて
気を失ったアキが目覚めた時には、もう誰もいなかった。
◇ ◇ ◇
夜が明けても戻らない十六夜と小波を案じ、遊星は二人を探していた。
ダークシグナーの脅威も迫る中だというのに、二人と全く連絡が取れない。チーム時代に小波の失踪を経験している遊星は、嫌な予感がひしひしと背を這い上がるのを感じた。
(まさか、何か)
身を寄せていた雑賀のビルを急ぎ後にして、遊星は崩壊したアルカディアムーブメントのビルへ足を運んだ。
小波の行方は皆目検討がつかなかったが、十六夜の行方なら少し心当たりがある。彼女と小波が共にいるとしたら、十六夜を追っていけば見つかるはずだ。
そう、十六夜には帰る場所が無いはずだ。壊滅したアルカディアムーブメントだけが彼女の居場所だったはず。
仮に他の構成員と合流するにしても、崩れ落ちたビルを目印に落ち合うのではないか。遊星はそう考えた。
だから、朝の明かりに濡れながら、よろよろとビルを離れる十六夜を、すぐに見つけることができたのだ。
「十六夜!? どうした!」
足を引き摺り、片腕を庇いながら、崩れたビルから出てきた十六夜は、鮮やかな血で汚れていた。
「お前、怪我を…!? 見せてみろ!!」
慌てて駆け寄った遊星に、十六夜はどうしていいか分からないみたいに、どこか呆然と遊星を見上げたまま、ボロ、と涙を落とした。
はくはく、と声にならない嗚咽をもらしたまま、十六夜は膝から崩れ落ちた。
「なんだと…!?」
この血は彼女ではなく、小波の物であること。
倒れた小波が見知らぬ男に連れて行かれたのを、動揺のあまり見送ってしまったこと。
泣き崩れ、憔悴し切った十六夜の途切れ途切れの説明に、遊星は顔色を変えた。
「それで、その男は…!?」
「…… それ、が……!」
黒いフードを被った、スラリとした長身の男性で、水色の髪と、少し怖いくらいに夜闇に浮かび上がる鮮やかなイエローアイだったことを、アキはたどたどしく伝えた。
遊星は、胸を過ぎった心当たりに血相を変えた。
聞き出したそれらの特徴に、すべてピタリと当てはまる男が一人だけいる。
「まさか…!」
【第四章:十六夜アキ√〜
まるで恐ろしい悪夢の続きを、延々と見せられているかのようだった。
「ダーク、シグナー…?」
聞かされたアキは崩れ落ち、愕然とした。
小波を連れ去ったのは、鬼柳京介という人物だと思われると。
かつて遊星や小波、ジャックアトラスをリーダーとして束ねたこともある、既に死んでいるはずの男だと、唇を噛み締めた遊星から聞かされた。
だが、アキの耳に入ったそれらは上滑りするばかりで、頭に入って来ない。
ディヴァインが消え、アルカディアムーブメントが崩壊し、小波まで居なくなった。
真実と向き合う勇気が欲しくて連れて行った小波は、意識不明の重体のまま何者かに連れ去られた。
よりによってアキは、小波を最も託してはいけない相手に渡してしまったのだ。
茫然自失だった。
アキは失う一方だった。
この手の中から失って、ようやく気付いた。
ディヴァインを失い、アルカディアムーブメントという無二の居場所を失ったアキにとって
小波は唯一残された、アキの居場所になってくれる最後の存在だったのではないか、ということに。
「あ……」
崩れ落ちたアキの手のひらには、呪われたこの力と、果てしない孤独と、小波の真っ赤な血だけが残された。
朝陽が、アキの後悔を容赦なく照らし出す。
「……なさい……」
アキは両腕で顔を覆って、打ち震えた。
「ごめんなさい……!!」
喉を震わせた謝罪は、今ここに居ない小波に対してだった。
舌がもつれる。どれだけ叫んでも届かないことを知っていて、それでも無様に繰り返す。他にどうしていいか分からない。謝ったところで、何も変わりはしないのに。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…!!」
「落ち着くんだ、十六夜」
遊星は拳を音が出るほど固く握りしめたかと思うと、アキの肩にそっと手を置いた。
「今、クロウという俺の仲間が、小波とその男を探してくれている。少しでも情報があれば連絡をくれる手筈になっている」
Dホイールに搭載された通信機の回線を素早く閉じ、遊星はまるで祈るように固く目を閉じた。
「見つかり次第、鬼柳を追う。今は、小波の無事を祈ろう」
◇ ◇ ◇
痛みに耐えるように目を伏せたまま、遊星は唇を噛み締めて、絞り出すような声を上げた。
「小波…鬼柳…!」
状況は悪くなる一方だった。
サテライトのあらゆる場所に目端が効くクロウが率先して探してくれたのに、鬼柳の潜伏場所はついぞ見つからなかった。
『くそっ、サテライトでオレの目の届かない場所なんて、そう無えはずなのに……』
そうこぼしたクロウの通信を最後に、まずクロウの行方が知れなくなった。
ラリーもまた、同時に失踪した。少しでも遊星の力になりたいからと、危険だと止めるクロウを押し切って捜索に参加していたという。それを遊星は、二人が行方不明になった後、ナーブたちからの連絡で知った。
「クロウ…ラリー…ッ…!」
次の悪い知らせは龍亞からだった。
『ねえねえ遊星!ここに行けばシグナーの秘密が分かるんだって!オレ、確かめてくる!」
そんな弾んだ文面が遊星のメールボックスに放り込まれたのは、徹夜に徹夜を重ねた遊星がわずかな仮眠を取っている最中だった。
まるで、遊星が力尽きる限界のタイムリミットを知り尽くしているみたいに。
集中力が途切れたわずかな隙を狙って投げ込まれたそれが、周到な罠だと遊星はすぐに気付いた。
「龍亞ッ! 今すぐ戻るんだ! 龍亞ッ!」
遊星は目覚めてすぐ、慌てて龍亞に連絡を取ろうとしたが、通信は不可思議な力でジャミングでもされたみたいに不通なままだった。
「くっ…!」
遊星は、まだ塞がり切っていない腹の手術跡を抱え、必死にDホイールを走らせたが、間に合わなかった。遊星が辿り着いた時、そこには倒れた仲間たちしか残されていなかった。
「……ッ! ゆーせーッ!」
泣きながら龍亞が顔を跳ね上げた。一人だけ無傷の龍亞の腕の中には、意識を失ったボロボロの龍可。
そして周囲には、ピクリとも動かないジャックとクロウ、そしてラリーが累々と倒れていた。
「!! ラリーッ! クロウッ! ジャック!? 何があった!!」
「ゆうせ、ごめ、オレ、オレのせいで……!」
慌てて駆け寄った遊星に、龍亞はしゃくりあげ、混乱していて要領を得なかった。
遊星は急いで龍可を、ラリーを、クロウを順に診た。外傷は最低限だというのに、ひどく苦しげにぐったりと意識を失ったままだった。どれだけ強く刺激しても目を覚さない。
「……ぅ……せ……」
「ッ!!」
かすかにみじろいだジャックから声がして、遊星はハッと振り返った。
身体を丸め、無様に地を這うようにしてかすかに声を上げたジャックが、何かを必死に言い募ろうとしている。遊星は慌ててジャックに耳を寄せた。
「何があった!?」
「……ぐ……!」
震える手で、ジャックが懐から何かを取り出した。
ここに来るように指定した、クロウの名前で出されたジャック宛の手紙だった。
誘い込まれたのだ、と分かった。ジャックは、罠と見ればあえて誘いに乗り、内側から目論みを破壊してみせるやり方を好んでいる。
そんなジャックの性格を熟知して、あえてクロウを騙って罠を演出してみせた者がいるとしたら。
「鬼柳……鬼柳なんだな!? だが、地縛神の攻撃を受けて、よく消えずに無事で…!」
ジャックが力尽きたように再び地面に頬を落とした。かすかにジャックの唇が何かを訴える。
「………っ………な………だ………」
「待ってろ! 今一人ずつ安全な場所に…!」
「……な、み、……だ…!」
ジャックが、限界を振り絞って、その名を声に載せた。
「こな、み、だ…ッ…! 鬼柳、の……隣に……! アイツが……!」
小波が敵に回った。
その言葉に、遊星は。
事態は、想像よりさらに悪いのだと、頭を殴り飛ばされた。
小波を奪い去り、クロウを倒して攫って、ジャックを誘い込んで、ラリーと龍可を打ちのめす。
そんなふうに、一人、また一人と、まるでじっくり手足を削ぐように、遊星の仲間を一人一人、引き離しては見せしめのように再起不能に追い込んでいく。
敵ながら見事としか言いようがないその手腕は、確かにかつてのリーダーたる鬼柳の辣腕そのものだった。
サテライトの医者のもとに皆を運び込んだ遊星は、組んだ指を額に押し当て、項垂れたまま皆の治療を待っていた。
「小波…! いったい、なぜ…!」
龍亞から裏が取れた。ジャックと龍可のタッグを打ち破ったのは、確かに小波だったという。
使っていたデッキも、戦法も。どれほど限界まで聞き出しても、確かに小波のものだった。
なりすましとは到底思えない。第一、別人であれば、デュエルしたジャックが欺かれるはずがない。
蜘蛛に操られた他のデュエリストのように洗脳されていたのか、それとも──……
ガタン、とよろめいた十六夜に、遊星はハッと顔を上げた。
土気色に青褪めた顔色で、アキは口許を押さえてブルブル震えた。
「わたし、あの時……」
ダークシグナーは甦った死者。それなら。
まさか、小波は
どろり、と手に小波の血の感触が蘇って
ひゅ、とアキの喉が声にならない悲鳴を上げた。
「この忌むべき力で……! あの子を、殺してしまったんじゃ……!」
「……!!」
ぶわりと十六夜の赤髪が、空気を含んだみたいに膨れ上がって
言葉にできない異様なエネルギーが、十六夜の周囲で暴走するのを感じた。
「…ぁ……あ……あああ!」
「ッ! 待て、落ち着け、十六夜ッ!」
アキは赤い髪を振り乱して泣き叫んだ。
病院の古い壁がビリビリ震えて、アキの力でピシリ、とヒビ割れた。
電球が突如弾けてガラス片が舞う。遊星は制止して叫んだ。
「小波はきっと無事だ! お前は仲間を、小波を殺してなどいない!」
「そんなの、分からない!!」
「だが、オレの仲間はまだ、誰も欠けていない!」
遊星は祈るように叫んだ。
アキと遊星の大声で、窓ガラスがビリビリ揺れる。
「オレを追い詰めるだけなら、サテライトの他の人々のように、地縛神の生贄にしてしまってもよかったはずだ。クロウとラリーを解放せず、人質にし続けた方が都合だって良かったはずなんだ!」
かすかな糸に縋るみたいな声だった。不確かな希望を手放すまいとする声音だった。
それでも、その事実はそこにある。
「それが小波の意志か、鬼柳の意志かは分からない。だが……!」
ギリ、と音が出るほど奥歯を噛み締めて、遊星はぐっと顔を上げた。
「だが、小波の意志ならきっと、今も助けを求めているはずだ! だからこんなところで、絶望に足を取られているわけにはいかない! 小波との絆を信じる限り、オレたちは立ち上がれる! そうだろう!」
遊星は、アキの両肩をしかと掴んで、ぐいっと距離を詰め、息を呑むほどまっすぐアキを見つめた。
「十六夜、聞いてくれ。シグナーの仲間として、俺たちと共に力を合わせて戦って欲しい。小波を取り戻すには、お前の力がきっと必要になる」
「私の…力…」
「そうだ。サイコパワーのことじゃない。同じように小波を想う絆の力だ」
遊星の青い眼に射抜かれると、体が固まって動けなくなった。
アキを動けなくさせたのは、途方もない恐れと期待だった。
気味の悪い力を持つ黒薔薇の魔女を、恐怖でも畏怖でも嫌悪でもない眼でまっすぐ射抜く視線。それをアキは、ここに居ない小波の他に、この人しか知らなかったから。
「俺はお前たちのデュエルの中に、確かな絆を感じた。小波は俺たちの仲間で、十六夜、お前の仲間でもある。その絆が小波を、そして、この街を地縛神の脅威から救う鍵になるはずだ」
遊星の声は、絶望に呑まれそうなアキを鼓舞する不思議な力があった。
「共に戦ってくれ、十六夜。お前は独りなんかじゃない。お前には小波という仲間が、そして同じシグナーの仲間であるオレたちがいるんだ」
「仲間…」
不思議とアキの心は落ち着いて、ぐらぐら揺れていた視界がクリアになる。
「ダークシグナーを止め、共に小波を取り戻そう。オレはお前を、お前と小波の絆を信じる」
「どうして……」
アキは掠れる声で、一筋の涙を落とした。
「どうして、そんなふうに信じられるの……私は魔女なのよ、痛みを笑う魔女……それを……なぜ……」
「お前が小波の仲間だからだ」
遊星の言葉は揺るぎなく、迷いなかった。
「オレは仲間を、仲間の絆を信じている。たとえ、敵に回ったとしても……小波がお前を信じた。だからオレも、仲間が信じた絆を信じて戦う」
遊星の青い瞳が、強く熱くアキを射抜いた。
「だから、お前も信じてくれ。お前が信じた小波を、小波が信じたお前を!」
アキの瞳の中で、星が弾けた。
────アキちゃん!
その声は、少しだけ特別だった。
中性的でまろい声。優しくて柔らかで、風に溶け込むような淡い呼びかけ。
あの子は、私の力を恐れなかった。
そんなはずがないのに、私は
あの子といると、自分を恐れなくて良いと言われているみたいで
アキの周囲に激しく渦巻いていた力が波立つように引いていく。
病院の壁は震えるのをやめ、ヒビ割れた亀裂がぱらりと欠片を落とした。
遊星に両肩を掴まれたまま、こくん、とアキは静かに頷いた。
遊星はホッとしたように、目尻を和らげると、アキの震えが止まるまで待ってくれた。
アキの肩から手を離すと、遊星は拳を固く握り締め、激情を抑えるように細かく震わせた。
「小波…」
音がするほど強く拳を握り込んで、ギリッと怒りを抑え付ける。
「必ず助ける。小波を、オレたちの仲間を」
遊星は固く目を閉じ、頭の中で情報をまとめた。
ダークシグナーは死者。隣には小波。
「どこだ、どこにいる……?」
クロウの目の行き届かない場所。カウントダウンするように、一人一人欠けていく仲間。
まるで、笑って手を叩いて、鬼さんこちらと、裏切り者の遊星に見せつけるみたいな。
誘っている。
次はお前だ、と。
無言で嘲笑するような。
『────ゆうせー!』
なのに、こんな時でも、脳裏に浮かぶのは。
遊星を大切な仲間だと笑う、自信に満ちた鬼柳のあの日の笑顔だった。
「────……!!」
遊星はハッと目を開けた。
「もしかして……!」
「おい! 鬼柳! 鬼柳京介!」
遊星は叫んだ。
「ここに……いるんだろう! 出てこい!」
BADエリアの最深部。
ここで一度、遊星は鬼柳とのライディングデュエルに敗北した。正確にはデュエル中断によって
その場に今再び遊星、そしてアキは立っていた。
積み上がった瓦礫から小さな石が転がり、遊星は鋭く振り返って睨みを効かせた。
ガラ、と瓦礫の上に、靴と嘲笑が乗せられる。
「よくココが分かったなァ……遊星ぇ」
ケタケタと鬼柳は嗤った。
ザリ、と瓦礫を踏んだ遊星は、果敢に睨み上げた。
「クロウが見つけ出せない場所はそう多くない。お前は、昔からそうだった。一度勝った相手とは……同じ場所で、デュエルをしたがる。何度やっても同じだと、相手に思い知らせるために」
ニタリと口角を吊り上げた鬼柳が、瓦礫に脚を乗せ、膝に肘を付くようにして、愉快そうに顔を歪める。
「だから……ここだと確信した」
「相変わらず、勘は冴えてるな! 遊星ぇ!」
ヒャーハハッ!と高らかに嘲笑した鬼柳が、ひどくおかしそうに腹を抱えた。
「お笑い草だぜ。せっかく見逃してやったのに、またノコノコやられに出てくるとはなぁ!」
かつての仲間を見下ろしながら、鬼柳は遊星の決意を鼻で笑った。
「こんな所まで、わざわざDホイールを置いて徒歩でお散歩ってかァ? ライディングデュエルで勝てなかったからって、スタンディングなら勝てるって腹づもりなら……とんだ見込み違いだぜ」
鬼柳は絶対的な自信で、平然と弱点となる情報を開示してみせた。
「地縛神は確かに、生贄に相応しい
ビリ、と鬼柳の殺気が、大気を震わせた。
「クロウもジャックも、ついでにシグナーのガキもぶちのめしてやった。たった一人で何ができる? 絆絆とうるさいテメェは、本当の独りきりになった時、何が残るんだァ?」
「いいや、オレは独りじゃない。お前に立ち向かうと決めた仲間が、絆が! 共に鬼柳、お前を倒す!」
遊星に並んで、背後からザリ、と前に出たアキが、鬼柳を睨み上げた。
アキに視線をやると、鬼柳はいささかうんざりしたような顔をした。
「まったくどいつもこいつも、一度助けてやった命をドブに捨てるのが好きってか? あのままおうちに帰って泣いて震えてりゃあ良かったもんを」
鬼柳はそう嘲笑いながら、親しげに背後を振り返った。
「なあ? お前もそう思わねえか、小波」
「「……ッ!!」」
遊星もアキも、固唾を呑んで、瓦礫を見上げた。
崩壊した瓦礫の山の上に、鬼柳と共に現れたのは──……
目深に被った赤い帽子、着込んだ厚手の赤いジャケット。
ダークシグナーと共に立つ、真紅のデュエリスト。
「小波……!!」
アキは唇を震わせて押し黙った。遊星は素早くアキの前に出て、小波に呼びかけた。
「小波! 無事だったのか!!」
小波は答えなかった。目深に被った帽子の下から、じっと遊星とアキを見下ろして、デュエルディスクを静かに構える。
「小波! どうしてなんだ! なぜオレたちが戦わなければならない!?」
遊星は表情を苦しげに歪め、声を必死に張り上げた。
「お前も牛尾たちのように、あの蜘蛛の痣に操られているのか!?」
「──……アアン?」
鬼柳が高笑いを止め、ひどく不快そうに遊星を振り返った。
真っ黒な眼をぎょろりとさせて、闇に浮かぶイエローアイを嫌そうにすがめる。
「あんな小汚ねえオッサンに小波をやるかよ。テメェは本当につくづく見る目がねえ」
鬼柳は取り出したデッキを滑らかにデュエルディスクにセットして、獲物を見定めるみたいに、ペロリと唇を舐め取った。
フィールドの空気が、デュエリストの殺気を孕んで、ズン、と重くなる。
勝手に起動したデュエルディスクが、遊星とアキの腕で光を放った。
合成音声が名乗りを上げる。
タッグデュエルモード、スタンバイ、と。
「さあ、始めようぜ。あの日ついぞ果たせなかった、チームサティスファクションのラストデュエルをなァ!」
ヒャーハッハ!!と鬼柳の高笑いが
先の見えない闇の中に長く尾を引いた。
ジャックは、ハッと目を覚ました。
サテライト特有の煤けた天井が目に入り、急ぎ身体を跳ね起こす。
「ぐっ…!!」
全身を走る凄まじい激痛は、身体ではなく精神に叩き込まれたものだ。地縛神の生贄となる所を、ジャックは見逃された。情けをかけられたのだ、このジャックアトラスともあろう者が!!
『なぜ、このような半端な真似をする……!!』
『その方がお前には堪えるだろぉ? プライドのたっけえお前にはさァ!!』
鬼柳はそう言って、地べたを這うジャックを嘲笑い、敗者の頭にぐりぐりと靴を乗せた。
ライフを失い敗北した瞬間、助かる見込みなど潔く捨てた。
だが死を覚悟したにも関わらず、ジャックは今も無様に生きさらばえている。
『ハッ、最っ高に笑えるぜ。あのジャックアトラスが今やこの通りってか。確かにこの方が、よっぽど屈辱を与えられるってモンだ。小波、お前の見立ては正しかったってわけだ』
『……!!』
「アトラス様!」
気付いた狭霧がハッと振り返り、医者を呼ぶように指示を出してからベッドサイドに駆け寄った。
「俺は……どれだけ寝ていた……!」
「ふ、二日ほど」
「二日だと!?」
薄いボロボロのタオルケットを払いのけ、ジャックは立ち上がろうとしたが、全身を走る激痛に胸を押さえた。
「ぐっ…!」
「アトラス様…!! まだ動かれては…!」
「どけ……っ!」
狭霧を押し退け、ベッドサイドに崩れ落ちながら、ジャックは身体を無理やり引きずった。
「俺もクロウも、
ジャックの睨んだ暗闇の中で、目深に被った帽子の下から、小波が微笑んで闇に溶けて消えた。
過去が
それすなわち、デッキを組むのに絶対に必要な『自分』というものを、自在に書き込めるということだった。
それは、トランプのジョーカー
牌における真白のオールマイティ
あるいは、それは。
数字の無いサイコロ、表裏を持たぬ無地のコイン
もしくは
七を出すダイス、表と裏を同時に出す硬貨。
使い道を
いわば効果を書き込まれる前の────白紙の、デュエルモンスターズ
「伝えねば……! 見誤っていたのはオレたちの方だと、それが理解できなければ……!」
アレは、何にでも化ける
空白のデュエリスト
敵に回ったのなら
決して容赦してはいけないのだと。
必死に進めた歩が、膝から崩れ落ちる。上がる息と走る激痛を押さえつけて、ジャックは壁に縋り付いた。
「
◇ ◇ ◇
「はっ、地縛神を呼ぶまでもなかったな」
鬼柳はデュエルディスクを仕舞いながら、いたく満足げに頷いて、「なぁ、小波?」と笑った。
デュエルディスクを構えた小波の前に、遊星とアキはボロボロで地面にひれ伏していた。
ライフを全て失った遊星もアキも立ち上がることはできず、地べたを舐めながら、必死に見上げるだけだった。
帽子のつばを伏せて、自分たちを見下ろす、小波の帽子の下から覗く表情を。
「こ……な、み……」
本気を出した小波は、桁違いに強かった。
強力な地縛神を操るハンドレスデッキは、強大であるが故に付け入る余地もあるはずだった。
だが、隙の大きな無手札戦術とは到底思えないほど、小波の支援はあまりに完璧だった。
サポート技能がずば抜けていて、互いの手札が見えているみたいに連携が正確すぎる。
小波のデュエルは、鉄壁の守りそのものだった。最初から最後まで、付け入る隙をこちらに与えなかった。
両腕を広げ、ボロボロになりながら、ダークシグナーに向けたアキと遊星の攻撃の全てを一手に受け止めていた。
同時に、アキと遊星が、強大な地縛神の攻撃を直接受けないように立ち回っている、とアキも遊星もやがて気付いた。
敵も味方も損害が少ないデュエル。それは、小波のサイコパワーの使い方と一緒だった。
どれだけ攻撃してもダークシグナーに攻撃は届かず、小波だけがボロボロになっていった。
だから、油断してしまった。
アキも遊星も、何とか小波の鉄壁の守りをかわして、ダークシグナーに攻撃を届けようとばかり、注力しすぎた。
────その全てが彼らの罠だったとしたら。
小波というデュエリストの力量は最初から、アキたちの手には負えない化け物だったのかもしれない。
小波のフィールドにずらりと並んだ、二体の巨大なギガンティックファイター。
鬼柳のサポート、パートナーの陰に徹していた小波は、突如、一瞬で遊星たちに牙を剥いた。
小波がかざした、何の変哲もないノーマルカード。
通常魔法、『大波小波』によって。
「!! あのカードは……」
────573で、小波って読めるだろ?
あの日、楽しげに笑った鬼柳が。
それに頷いた名もなき決闘者が。遊星の視界をチラついた。
「大波小波で、自分のE・HEROアブソルートZeroを破壊。この時、フィールドを離れたアブソルートZeroの効果で、相手の場の全てのカードを破壊する」
遊星とアキの前で、ぶわり、と空気が膨張した。
「……ッ!! コレは!?」
まるでそれは、ソリッドビジョンの域を出て、恐ろしい津波が実体化したかのようだった。
遊星もアキも、たまらず片膝を折った。
そうでなければ、見えない濁流に薙ぎ倒されてしまう。
周囲に放置されていたジャンクの山が震え、ガラガラと崩壊する。
岩が消し飛んで、粉々になって霧散した。
遊星がデュエルディスクを構えたまま、アキの隣で驚愕していた。
地縛神の圧とも違う。海に押し流されるような、それは。
「このプレッシャーは……!? これが、闇のデュエルなのか…!?」
違う。あれは、小波が抱えたサイコパワーだ、と。アキは直感して息を呑んだ。
アキの力が荒れ狂う竜巻だとしたら、小波の力は、突如降り出す大雨のようだった。
優しい五月雨しか見せなかった小波が放ったのは、家屋を押し流す津波ような激流だった。
大波小波
あの子と同じ名前のカードが開かれて
フィールドの全部を押し流していく
抑圧され続けた力が、ついに鎖を引きちぎって暴れ出したのだ。
(こんなものを隠し持っていたの。こんな──……!)
あの子は、サイコデュエリストであることを親しい仲間にもひた隠しにして、こんな荒れ狂う力を、小さな身体に隠していたのだ。
「……!!」
アキが立てていたブラックローズが破壊される。
サイコパワーで半ば実体化していた破壊の薔薇竜は、暴風の中、花が散るように霧散しようとしていた。
鉄砲水に晒されながら、茨の竜から苦しみの咆哮が上がった。赤く透き通った美しい薔薇の羽根が、津波と竜巻の中で散る。
「ブラックローズが……!」
「いや、まだだ! 十六夜のカードは破壊させない! リバースカードオープン!」
隣で遊星が叫び、素早く腕を前に突き出した。
地面から罠カードが立ち上がり、光の竜を呼び覚ます。
「トラップ、《スターライト・ロード》ッ! このカードは、自分フィールドのカードを二枚以上破壊する効果が発動した時、その効果を無効にして、スターダストドラゴンを特殊召喚できる!! 再びその姿を現せ、スターダストッ!!」
津波に呑まれかけたブラックローズを守るように、遊星のスターダストが翼をひろげた。
美しい星屑の竜。希望の流星。
真紅の薔薇は、キラキラと降り注ぐ白銀の粉に守護されながら、津波の中を生き残った。
凍てつくような香りがする。
ソリッドビジョンに匂いは無いはずなのに。
「……大波小波の更なる効果。破壊したアブソルートZeroの代わりに、水属性モンスターを手札から呼ぶことができる」
小波は、淡々と言っていい調子で、機械的にカードを読み上げた。
「超古深海王シーラカンスを特殊召喚」
レベル7、攻撃力2800、守備力2200の上級モンスターが、引いていく波の中からバシャリと飛び出した。
水晶のような美しい鱗に覆われた。少しグロテスクな牙を持つ魚型のモンスターだった。
遊星は身構えた。
(だが、こちらにはスターダストもブラックローズもいる。ライフはギリギリだが、コイツだけなら、まだ……!)
「シーラカンスの効果。手札を一枚捨てることで、デッキからレベル4以下の魚族モンスターを、可能な限り特殊召喚する」
「!? なに!?」
小波の場には、レベル7のシーラカンスが一体だけ。
瞬く間にデッキから4体のレベル4モンスターをずらりと呼び出した小波は、そのままモンスター達を光球へと変化させた。
空に浮かび上がったリングと星が、レベル8の大型シンクロモンスターを二体同時に呼び出す。
「ギガンテック・ファイターをシンクロ召喚」
たちまち並んだ二体のギガンテックファイター、攻撃力2800の大型モンスター。
すかさず追撃が入る。
「トラップ、発動、バスターモード」
「!!」
遊星もジャックも。隣で使う姿を散々見せてきた、バスターモード。
タッグを組む時は、主に小波が伏せ、遊星やジャックが使う形式を取っていたトラップだった。
小波のデッキのパーツには、鬼柳はもちろん、遊星とジャックを補助するためのカードが大量に含まれたままだ。
それは。たとえ敵に回ったとしても、小波が遊星やジャックの仲間である、何よりの証に見えた。
ひたすら影に徹し、無言でパートナーを守り続けていた小波のデュエルが、たちまち見たことのない激しさを巻き起こす。
現れたギガンテックファイターの横に、スラッシュバスターで強化された、もう一体のギガンテックファイターが並ぶ。
小波がグッと帽子の鍔を下げ、ぎらついた視線を一瞬だけ覗かせた。
これまで、徹頭徹尾、守備に専念してきた小波の、突然の猛攻。
ゾワ、と遊星は背筋が粟立った。直感した。小波はこのターンでケリを付ける気だ。
特殊召喚されたギガンテックファイター
これで、小波達の墓地には戦士族が五枚。そして遊星の墓地には、ジャンク・シンクロンとジャンク・ウォリアーという二体の戦士族がいる。合計七体。
目的はなんだ。
まさか、これまで地道に時間を稼いでいたのは、墓地に戦士族が溜まるタイミングを待っていたのか?
ギガンテックファイターの攻撃力が、墓地の戦士族七枚分で、3500まで急増する。
そして、ギガンテックファイター/バスターの効果で、小波の墓地の戦士族の数だけ、スターダストとブラックローズの攻撃力が一気にダウンする。
これで、ギガンテックファイターの攻撃力は3500、スラッシュバスターの攻撃力は3300
対して、スターダストの攻撃力は2000、ブラックローズの攻撃力は1900
こちらのライフは残り800。ダメだ、十六夜が押し切られる。
「!! 速攻魔法発動、《武装再生》! その効果で、俺の墓地から《白銀の翼》をスターダストに装備! これでスターダストは、1ターンに2度まで戦闘で破壊されない!」
遊星は十六夜を庇って前に出た。続けてリバースカードをオープンする。
「さらにトラップ発動、《挑発》! 俺はスターダストを選択する! これでこのターン、お前はスターダスト以外を攻撃できない」
これで十六夜のブラックローズは守られる。
前に出ているのはスターダストだけだ。
スターダストの攻撃力は2000のまま。ライフは800。
場には、攻撃力3500に強化されたギガンテックファイターと3300のスラッシュバスター。一見すると、無駄な抵抗に見える。
だが、まだ手は残されている。遊星は、汗をひとたらし、小波の攻撃を待った。
小波は、赤い帽子の下から、じっと遊星を見つめ、やがてまっすぐ指を前に出した。
「ギガンテックファイターで、スターダストを攻撃」
「この瞬間! 速攻魔法発動! イージーチューニング!」
遊星は最後の伏せカードをオープンした。
「俺の墓地のチューナー1体を除外し、その攻撃力分、スターダストの攻撃力をアップさせる! 俺が選ぶのは、ジャンク・シンクロン!」
ジャンク・シンクロンは戦士族。除外され、墓地の戦士族が減ったことで、ギガンテックファイターの攻撃力アップ効果も、同時に低下する。
これで、ギガンテックファイターの攻撃力は下がって、3400。
対して、スターダストの攻撃力が、2000から3300まで急増する。
振りかぶった拳が、スターダストを激しく打ち付ける。遊星に100ダメージが入る。
「くっ…! だが、《白銀の翼》の効果で、スターダストは破壊されない!」
残ったのは攻撃力3300のスラッシュバスター。
攻撃力3300のスターダストは、装備カードの効果で、戦闘で破壊されない。
凌いだ。これならまだ。
だが、小波は攻撃をやめなかった。まるで、待ちに待ったタイミングが来たかのように。鮮やかに指先を翻す。
「……ギガンテックファイター/バスターで、スターダストを攻撃」
「なに…!?」
スラッシュバスターが、スターダストに自爆特攻する。
攻撃力は同じ。破壊されないスターダストだけが残り、スラッシュバスターだけが墓地に行く。一見すると無意味な行動が、最後の破滅の引き金だった。
スラッシュバスターが消えたことで、攻撃力ダウンの効果が消失し、スターダストの攻撃力が3800まで一気に急増する。相手をみすみす強化した小波の悪手こそが、喉笛に迫る一手だった。
「破壊されたスラッシュバスターの効果で、墓地のギガンテックファイターを特殊召喚。そのままスターダストに攻撃」
「…!?」
攻撃力3800のスターダストと、攻撃力3500のギガンティックファイターが激突し、小波に自滅の300のダメージが入る。
小波は、衝撃で傷付く自分に頓着せず、身じろぎもせずに遊星を指差したままだった。
いや、違う。
小波が指差しているのは、遊星ではない。
指しているのは、遊星のデュエルディスク。正確には────遊星と十六夜の、共通墓地。
「破壊されたギガンテックファイターの効果。
ぞわっ、と遊星は青くなった。
違う。スラッシュバスターのために、戦士族が墓地に溜まるのを待っていたのではない。
時間を稼ぎながら、本当に小波が待っていたのは。
本当に、狙っていたのは。
「自分の場に特殊召喚。────ジャンク・ウォリアー」
「しまっ…!!」
遊星の墓地から、一瞬にしてジャンク・ウォリアーが奪い取られる。
この瞬間、敗北は喫した。
「トラップ発動。エンジェルリフト、強化蘇生。墓地のインフェルニティ・ビートルと、インフェルニティ・リローダーを特殊召喚。────パワー・オブ・フェローズ」
遊星が譲ってやったエンジェルリフト、ジャックが譲った強化蘇生が、最良のタイミングで小波に力を貸し、皮肉にも終幕を告げる。
互いにデッキを見せ合うほどに、信頼し合った仲間でありタッグパートナーだった。
遊星が小波を知っているように、小波もまた、遊星のデュエルを誰よりもよく知っている。
いつだって、隣にいた小波のために、力を貸し続けていたジャンクウォリアーが。
鬼柳のインフェルニティ下級モンスターの力を吸収して、攻撃力4500に膨れ上がる。
場には、攻撃力3800のスターダスト。残りライフ、700。
「────っ…こな…!!!」
「スクラップ・フィスト」
伸ばした手は届かない。
小波と遊星の絆を証明する、その鮮やかな勝ち筋こそが
それこそが、小波から突き付けられた、絶対的な決別の証だった。
巨大化したスクラップ・フィストが、牙を剥く。
迫るトドメの風圧で、ぶわりと舞い上がった赤い帽子の鍔が、わずかに浮かび上がって
隠された小波の瞳の奥の
噛み締めるような苦悩を映した。
「こな、」
衝撃が全身を殴り付け、吹き飛んだ。
「ぐ、あああああああああ」
「きゃあああああああ」
遊星・アキ LP700→0 《LOSE》
◇ ◇ ◇
「ヒャーハハッ! 無様だなぁ、遊星ぇ!」
鬼柳は高笑いしながら機嫌良くしゃがみ込んで、遊星の髪を鷲掴みにした。
髪が抜けるほど強く引っ張り上げられて、倒れ伏したまま顎を上げた遊星が、苦悶の表情でうめいた。
「ぐ…!」
「地縛神ばっか気を取られてるから、こうなるんだぜぇ?」
ケタケタと愉快そうに笑った鬼柳は、手札をわざとバラバラと落下させてみせた。
地に落ちた鬼柳の手札の中には、地縛神は無かった。
「テメエは最後まで気付かなかったなァ、ゆうせえ……このタッグデュエルでテメエが警戒しねえとならなかったのは、最初からオレじゃなく小波だったってことをよぉ」
鬼柳は、遊星の頭に靴を乗せると、ぐり、と踏み躙ってみせた。
「オレがまた地縛神の圧倒的な力で攻めてくると思ったかァ? 甘ぇ、甘ぇ、甘えなあ、ゆうせえ! そんな短調な考えだから、罠にハマるのさ。まさか、考えてもみなかったってかァ? まさかダークシグナーが、地縛神そのものを囮に使うなんて、ってよォ!」
高らかと嘲笑した鬼柳は、まるで親しげなほど微笑んで、遊星に顔を寄せた。
「オレはなァ、最初から正気なんだよ。冥府の力に呑まれちまって自滅した女どもとは違ぇ」
鬼柳の眼の光が、執着の焔を燃え上がらせて、ギラギラと揺れる。
「冥府の神が相手だろうが、誰が手放すもんかよ。チームサティスファクションのラストデュエルも、小波も」
「なぜだ、鬼柳……」
「あぁん?」
「お前が正気だとしたら、なぜ小波を巻き込んだ……お前が憎んでいるのは、オレじゃなかったのか! なぜ、小波に仲間を裏切らせるような真似をした!?」
遊星は、命を握られているこの状況で、それでも必死に顔を歪めて苦しげに叫んだ。
「小波は、それでもお前を…お前との絆を…!!」
「黙れ」
鬼柳は、遊星の顔を蹴り飛ばした。
遊星が「グッ…!」とうめいて、切れた口角から血を流した。
「テメエには分からねえさ。チームを捨てたテメエには。捨てられねえ俺と小波の気持ちはな」
鬼柳は遊星を手離して、背を向けた。
「ああ、でも、良い気分だぜぇ。クロウ、ジャック、遊星……チームを抜けた連中は、みぃんなオレと小波に負けた。チームサティスファクションは本当に最高だぜ。やっぱり誰も、オレたちを止められねえ」
闇色の空に両腕を広げながら、鬼柳は熱に浮かされながら、歌うようにそう言った。
「楽しかったぜ、ゆうせえ……だから、このまま生き恥を晒せ」
くるり、と踵を返した鬼柳が、地べたを這う遊星に冷たい視線をやる。
「誰も護れず、誰も救えず、誰も取り戻せねえまま、このラストデュエルを永久にその身に刻んで、無様に生き永らえるといい」
冷たく言い放たれた鬼柳のその言葉は、けれども、どこか祈るようだった。
「ヒャハ、テメエにはその方が、ずっと痛えだろ……? オレは、よぉく知ってる」
アキは、もう上手く動かない体で、必死に顔を上げた。
「こ、なみ……」
小波は、答えなかった。
もし、アキと遊星が最初から。
小波を本気で害そうとしていたのであれば、きっと勝敗は逆だった。それならば、付け入る隙があるデュエルだった。
だって小波は、パートナーを守ろうとするばかりで、自分をまるで守らなかったから。
それが、恐らく唯一の勝ち筋だったそれが、どうしてもできなかった。アキにも遊星にも、どうしても。
デュエルすれば伝わってきた。小波はどうしても失いたくないのだと。たった一つの、かけがえのない居場所を。
『同じ』だったアキには、それが痛いほど分かった。
泣いている。
小波が泣いている。
涙を流さずとも、嗚咽を漏らさなくとも、アキには分かった。
デュエルを通して、サイコパワーを通して、伝わってきた。
小波の慟哭が。嘆きが。絶望が。
あの子の力は訴えていた。誰も失いたくない──と。
それをアキは、『小波が泣いている』と感じたのだ。
「……ぁ……」
アキの心根の奥底に、仄暗い喜びが湧いてきた。
ああ、あの子の力を正しく理解できるのは、自分だけなのだ、と。
だから、遊星の思い違いを、アキは訂正しなかった。
アキも同じだった。
居場所を失くせなくて、たった一人を失えなくて、必死に力を振るう、そんな。
そんな、小波の慟哭が、同じ哀しみを抱えたアキには、痛いほどよく分かった。
傷付けるデュエルなら、追い払うデュエルなら、いくらでもできた。
けれど、こんなデュエルはしたことがなかった。
だから手が届かない。
救い出すためのデュエル、取り戻すためのデュエル。
泣いているあの子に、手を伸ばすためのデュエル。
こんなデュエルは、まるで。
(────……ああ)
アキは、ようやく気付いた。
小波のデュエルが、いつだって隣のアキのためだったことに。
泣いている誰かに、手を伸ばすためのデュエル。
アキが今必死になってやろうとした不慣れなデュエルは、いつだって小波の
デュエルを通して小波はずっと、泣いているアキに手を伸ばしてくれていた。
きっと小波には、ずっとアキが泣いているように見えていた。だからいつもあの子の呼びかけは、優しくてまろくて、まるで小さな女の子にするみたいだったのだ。
『────アキちゃん』
やっと気付いた。こんな時になって。
「ヒャーハハ! そうやって地べたに這いつくばったまま、生き恥を晒し続けるがいいさ!」
鬼柳はそう高らかと嘲笑し、小波の肩をぽん、と叩いた。
「行くぞ、小波」
背を向けた鬼柳に、小波は後ろ髪引かれるように振り返りながら、付いていった。
唇だけで、音の無い声が、はくはくと紡がれる。
『────……』
音にならない謝罪は、空気に溶けて消えた。
あの子は泣かなかった。
涙を流さなかった。
けれど、きっと泣いていた。
いつかのアキと、同じように。
◇ ◇ ◇
ダークシグナーとの戦いは終わりを告げた。
帰ってきたミスティ、帰ってきたカーリー。そして、あの
生贄にされたサテライトの人々も戻って、敵だったはずの人たちも皆、正気を取り戻して帰ってきた。
奇跡のような出来事は、アキの前に確かに存在している。
でも、アキにとっては、もっと奇跡みたいなことがたくさん降り注いだ。
遊星が手助けしてくれた父との和解、家族のやり直し、抱きしめてくれた母との暮らし。
そしてアキに笑いかけてくれる、たくさんの仲間たち。アキの名を恐れず笑って呼んでくれるみんな。
サイコパワーは消えてはいないのに、もう誰も傷付けなくて良くなった。
それらの出来事の方が、アキにとってはずっとずっと、奇跡みたいなことだった。
アキを憎んでもいいはずのミスティは、アキの友人になってくれた。
予知のような不思議な力を幼い頃から持つミスティは、アキがサイコパワーをコントロールできるよう、実践的なアドバイスをいくつも授けてくれた。
ミスティは「貴女を苦しめたこと、私たちを冥府から救い出してくれたことの、お礼に少しでもなればと思って」と微笑んで、力に振り回されないためにどうすればいいのか、サイコパワーに左右されない人生とはどういうものなのかを、丁寧に導いて手解きしてくれた。
そこでアキは初めて、ディヴァインがわざと情報を遮断していた、力の制御の根幹の部分を知ることができた。
サイコパワーは、今までずっとアキの人生を狂わせてきた。
けれど、ミスティの導きは、自分の人生を歩む術をアキの手に取り戻させてくれた。
ただ、アキの中に最初からあった硝子の箱に、力を丁寧に仕舞えばいいだけなのだと教えてくれた。
「よく見ていてね」
ミスティは、普段は完璧にコントロールされている力の奔流を、わざと少し手放してみせた。
傍目にはただミスティが手のひらを上に向けただけに見えるだろうが、同じサイコデュエリストであるアキには、ミスティの中から見えない力がぶわりと湧き水のように激しく噴出するのを感じ取れた。
「幼い頃はよく、まるで悪夢のように昼も夜も襲ってくる恐ろしい予知に、人生を振り回されたわ」
ミスティは少しだけ苦しそうに、流れ落ちる滝のような汗を拭おうともせず、ただ荒れる力にわざと身を浸した。
力の濁流は、肌で感じ取れるアキから見てもビリビリと恐ろしいほどで、ミスティがこれほどまでに力を抱えているとは思えなかったほど激しいものだった。
「少しだけ
恐らく今、ミスティの瞼の裏には、彼女の許容を超える予知が濁流のように襲っているはずだった。
間欠泉のようだった濁流が、緩やかに凪いだ川へと姿を変えていく。
まるで意志を持つ竜のようなその流れは、ミスティの周囲を循環した後、ミスティの中へと緩やかに還っていった。
ああ、こうすればいいのか、と。アキは言葉にならない感覚を掴んだ。
ミスティの中へと溶けていった力の龍は、完全に同化して、彼女の纏う空気の一部になった。
荒れる力の気配が感じ取れないほど薄くなると、彼女は疲れたようにへたり込んで、座り込んだまま、ふう、と汗を拭った。
アキが慌てて駆け寄ると、ミスティは「大丈夫、少し疲れただけだから」と笑ってアキの手を取った。
ミスティが立ち上がれるように差し出したアキの手を、彼女は逆にぐいっと引いた。
「えっ」とバランスを崩したアキは、彼女の腕の中に簡単に落ちて、ぎゅっと抱きしめられた。
「ミスティ…?」
「よく聞いてね」
密着したことで、ミスティの胸に収まっている静かなサイコパワーの源泉を、もっと近くで感じることができた。
ミスティの抱擁は、家族にするように、もう居ない弟にするように、切なく優しく愛情深いものだった。
ミスティはアキを優しく抱きしめたまま「ただ押さえつけるのはかえって良くないの」と微笑んだ。
「抱きしめるのよ。貴女を抱きしめてくれた人がしたように、ただ抱きしめるだけでいいの。それだけで、必要な時に必要な分だけ、湧き出て風に溶けていくわ」
その言葉の意味が、父に抱きしめてもらったアキには、分かった。理解できた。
「あ……」
周囲に綻び出ていたサイコパワーが、抱きしめたミスティに導かれるみたいに、自然にアキの中に溶けていく。
嵐の海が凪いでいくみたいに、全身に溶け出す力を感じられた。
「力が……こんな……」
アキの手の中に自然に収まった力は、まるでずっとアキがそうしてくれるのを待っていたみたいに、荒れ狂うことなくそこにあった。
「……こんな……こんなに簡単だったのね……こんな……」
アキは、呆然とするみたいに、ポロリと涙を落とした。
ミスティは、何もかも分かったみたいに、泣きじゃくるアキを抱きしめたまま、ただいつまでも頭を撫でてくれた。
小波が教えてくれたのが、丁寧に小さく畳む術だとしたら
ミスティが教えてくれたのは、それを宝箱の中に優しくしまう術だった。
二人が教えてくれたやり方を合わせたことで、今アキの力は、ほとんど日常に支障がない範囲まで抑えられている。
この日、アキとサイコパワーの果てのない戦いは、終わった。
最初から、戦わずに抱きしめれば良かったのだと、父に抱きしめて貰えなかったアキには、わからなかっただけだったのだ。
《エピローグ〜1年後〜》
「あのねアキ、これをパパに届けて欲しいの」
ある朝、アキが母からそう頼まれたのは、ちょうどデュエルアカデミアが休みの土曜のことだった。
この時期、アキの父は選挙を控えた上院議員として最大の繁忙期で、アキが朝起きるよりずっと早く秘書と共に出勤する。
アキが手渡されたのは、母手製の弁当箱だった。父が忘れていったらしい。
母に頼まれたアキは、ずいぶん珍しく思った。仕事に関して完璧な振る舞いを見せる父が、こんなふうに荷物を忘れていくなんて。
「アキ?」
「! ……なんでもないわ。行ってきます」
「ええ、お願いね」
母はひどく穏やかに微笑んで、アキを優しく送り出した。
父の仕事場である議会は、トップスの中でも最も厳重に治安を管理された地区にあった。
白い塀をぐるりと囲むように数メートルごとにセキュリティの人員がずらりと配置された、ネオドミノシティの議事堂。
訪れるのは初めてで、アキは父まで無事に辿り着けるか若干の不安を覚えたが、弁当を届けるというちゃんとした理由もあって、普段なら気後れするようなセキュリティの視線も難なく進めた。
黒薔薇の魔女の名でセキュリティを避けていたあの頃と比べ、ずいぶん遠くに来たように感じた。
幸い、並び立ったセキュリティから職質を受けることもなく、むしろ訳知り顔で親切に案内してくれたセキュリティもいて、スムーズに守衛のもとまで辿り着けた。
門の柵の近くの守衛のもとには、腕時計で時間を気にしながら立つ父がいて、アキは駆け寄って「パパ」と弁当箱を掲げた。
「おお! アキ! 来てくれたんだね!」
父はややオーバーリアクション気味に、けれど心からアキに嬉しそうに微笑んでくれた。
「遠かっただろう? 何か問題は無かったかい?」
「いいえ、パパ。ここまでもセキュリティの人が案内してくれたし…」
そう言いかけて、アキはふと首を傾げた。
父がここで待っていたということは、母が連絡したのだろうか。
アキがこの場所に来ることを。でも、時間までは正確にはわからなかっただろうに、最初からアキが来るのを分かっていたみたいだった。
父の秘書にでも
「届けてくれてありがとう。助かったよ、アキ」
父はひどく嬉しそうに、アキの両肩に手を乗せた。
「どうだろう、親切なお嬢さん。お礼に今度、どこか美味しいレストランにでも招待させてくれないかい」
忙しい仕事の合間を縫った父の申し出は、アキも嬉しいと感じたので、一も二もなく頷いた。
父はほっとしたみたいに「良い店を押さえておくよ。日取りはまた決めよう」と話を締め括った。
スーツの胸ポケットに仕舞った携帯が鳴る。時間らしい。
父の仕事は分刻みだ。国会議事堂の会議室を出て、中心から離れたこんな守衛場に立っていることそのものが、父が寸暇を縫ってアキに時間を割いている証拠だった。アキはもう、それを理解している。
「それにしても、パパもうっかりすることがあるのね」
アキが何気なくこぼしたその言葉に、実直な父は少しピクリと反応した後、苦笑しながらゆっくりと振り返った。
「最後まで内緒にしておこうかとも思ったんだが、それはフェアではないね」
とそう言いながら父は「実はね、アキ」とひっそり耳打ちした。
「アキ、お前の赤い帽子のお友達のアドバイスだったんだ。忘れ物を口実に会いに来てもらってはどうかと」
「……!」
「私たち親子は、もう一度、改めて親子をやり直している途中だ。だからきっと、お前もきっかけを探していると。歩み寄りたい気持ちがあるなら、たくさん口実を作ったらいいと。きっとお前もそれを待っているからと」
父の秘書が代わりの食事の手配を行わなかったことを、道すがら少し疑問に思ったことをアキは思い出した。
忘れ物は口実で、本命は礼の形を取ったディナーの誘いの方だったのだと、アキは気付いた。
思えば、少し前に小波にカフェでこぼしたことがあった。
この時期は昔から父は仕事が忙しい。何週間も会えないこともザラだったと。
せっかく再び親子に戻れたのに、少しだけ寂しいと。そう、小波にこぼしたことを、アキは思い出した。
いったい、いつの間に父や母と会っていたのだろう。
アキは、胸の奥がジンと痺れて、胸に手をやった。
「小波……」
「アキ、良いお友達を持ったね」
父はひどく優しげに微笑んだ。
「ここまでの道は覚えたね。何かどうしても困ったことがあったら、電話が繋がらなくても、ここに来ても良いんだよ、アキ」
アキはひどく驚いて、目を丸くして父を見上げた。
この場所は父の仕事場、つまり絶対に迷惑をかけてはいけない不可侵領域だった、昔から。
アカデミアで最も荒れていた時期でさえ、アキがこの場所を訪れたことはなかった。
父はアキの肩に手を置いて「いいかい、アキ」と静かに語りかけた。
「私はただ愛するお前の母とお前のために働いていたのに、愚かにも一度、その順序を間違ってしまった。だから、本当に困ったときはいつでも来なさい。それでどれだけ仕事に支障が出たとしても、今度こそお前を優先すると約束する」
「パパ……」
じわ、とアキの目に雫が滲んだ。
アキの心の奥にずっとあった虚が満たされていく。
慌ててアキは目を擦って、涙が落ちる寸前に拭った。それを父は、温かく見守ってくれていた。
「大丈夫よ、パパ。もし困っても、今の私には、助けてくれる仲間がたくさんいるから……」
そうか、と父は微笑んで、今度こそ仕事に戻っていった。
◇ ◇ ◇
帰り道のことだった。
アキは、親切に案内をしてくれたセキュリティの名前を聞いておくのを忘れたことを思い出した。
もしかしたら、辺りに不慣れなアキを見かけたら手助けしてくれるよう、父か小波があらかじめ口添えしておいてくれたのではないか、ということに気付いたのだ。
小波はセキュリティにも顔が広い。警官服でヘルメットをしてしまえば、アキには誰が誰だか見分けが付かないが、小波は彼らを難なく見分ける。
この辺りはトップスの地区の中でも政治系のビジネス街だ。
アキも滅多に足を運ぶことはないので、少し物珍しく、周囲を眺めながら帰った。
だから、その人と遭遇したのは、本当に偶然のことだった。
アキが通りかかったビルから出てきた、スーツ姿の男性。
誰かとの会合だったのだろうか、よそ見をしていてぶつかりそうになったアキに身を引いて、
「おっと、失礼」
と如才なく一礼しようとして、その男は固まった。
その声には聞き覚えがあった。
アキは顔を上げた。
ばったりと遭遇したアキを見て、反射的に「ゲッ」という顔で頬を引き攣らせた、その男。
着ている服こそ見慣れないスーツ姿だったが、その横顔は確かに見覚えがあった。
水色の髪、遊星と対照的に逆に付いたマーカー、イエローアイ。アキはハッとした。
(この
反射的に距離を取って、デッキに手をやって身構えたアキに「あー、あー、やめようぜ、こんなとこでよ」と、男は目を逸らしながらぷらぷら手を振った。
「こんなとこで会うなんてな。十六夜アキ。さすがにこんな場所じゃ、誰にも遭遇しねえと踏んでたんだが……見込みが甘かったか」
警戒を解かないアキをじっと見つめると、その男────鬼柳京介は、静かに口を開いた。
「……少し時間あるか? 話があるんだ、小波のことで」
「……!」
鬼柳はそう告げると少しの間だけ席を外した。
電話でどこかへ何かを断ってから、アキを街中へと
いったいどこに連れて行かれるかと身構えたが、なんてことはない、着いた先は、遊星たちが住むポッポタイムの目の前のカフェだった。
たとえ何をされてもサイコパワーで凌げる自信はあったが、アキは拍子抜けした。
ここは遊星たちの住処の、目と鼻の先だ。何かあれば、アキが大声のひとつも上げれば、サイコパワーに頼らずとも、いつでも誰か飛んできてくれる距離にある。
あるいは、そういう場所をあえて選んだのかもしれない。
アキの激しい警戒は明らかだったから。
鬼柳は慣れた調子で「インフェルニ
警戒を解かないアキに、鬼柳はどこ吹く風で「小波とたまに来るんだ」と穏やかに指を組んだ。
「もちろん俺の奢りだ。遠慮なく好きなもん頼んでくれよ。破産させる気でいいぜ」
「……じゃあ、ブラックローズヒップティーを」
アキは男を睨んだまま、そう答えた。
小波のこと、などと言われなければ、うかうかと着いてなど来なかった。
けれど、この男は、それを分かって小波の名前を出したのではないかと思う。表面上は穏やかで快活な好青年に見せても、そういう油断ならなさを眼の奥に秘めていた。
アキは、見極めなければならなかった。
たとえ遊星が、ジャックが、クロウが、そして小波がこの人を許したとしても。
「そんなに警戒しねえでも、何もしやしねえさ」
鬼柳はパッと苦笑してみせた。
「今日だって、あいつらに会う予定じゃなかったんだ。お偉いさんとの堅っ苦しい会合でよ。仕事だけして、すぐ帰る気だった」
店員が笑顔で置いていった淹れたての紅茶に、鬼柳は品よく口を付けた。
置かれたローズヒップティーに手を付けることなく、アキはキッと男を睨んだ。
「でも貴方は、今でも小波と会ってる」
「……そうだな」
カチャ、とソーサーに置かれたカップが、無機質な音を静かに立てる。
「アイツにお前らを裏切らせたのは俺だ。たとえ遊星が俺を許そうと、警戒するのは当然だろうな。そう、小波は今でも──俺が言えばきっと、お前らを裏切って俺につく」
ピリ、と空気が張り詰めた。
アキの静かな激怒をはらんで空気が揺れる。
「けど、すまねえだとか、そんなちゃちなことを言うつもりはさらさらねえ。あのデュエルに関してだけは、俺は後悔してねえし、許しを乞うつもりもねえ」
けどよ、あいつ、言い訳ひとつ言わねえだろ。
ぽつん、と鬼柳は、それだけ悔いるように、紅茶の水面に言葉を落とした。
「あの時の俺の望みはただ一つ、チームサティスファクションのラストデュエルだった。あの場において異物なのはお前の方だった」
ふっと太陽が翳って
鬼柳のイエローアイが、怖いほどアキを見つめて浮かび上がる。
ぞく、とアキの背を底知れない恐ろしさが這い上がった。
「最初、俺はてめえに水を差されるのを厭って、真っ先にてめえを排除するデュエルをする気だった」
アキは、蛇に睨まれたような気になって、一瞬、気後れして後ずさった。
椅子がガタ、と音を立てたが、アキは気合いで気持ちを押し戻し、再び男を睨んだ。いつでもサイコパワーを発動できるよう身構えながら。
「だが、小波がそれを止めた。お前が欠けた2対1では、俺の望む遊星との対等な勝負にならないと。彼女のデュエルとサイコパワーを受け流す術なら自分が知ってる、だから逆に、それを逆手に取ればいい、ってな」
鬼柳の言葉は淡々としていて、ただ事実だけをなぞるような口調だった。
「結果はあの通りだ。遊星はお前を庇うことに意識を割きすぎた。何もかも罠だと気付くのがあと一手遅かったな」
こくん、と紅茶をストレートで口にして、男の喉仏が静かに上下する。
「……クロウの時にもあいつは言ったよ。クロウは必ず子供を庇う、冷静な勝負がしたいなら、子供に致命傷を与えるのは逆上するからやめたほうがいいってな。そんな形で勝ってもつまらないだろうと」
鬼柳は、まるで手慰みのように、紅茶にミルクを注いだ。
撹拌するミルクティーが、甘やかにほどける。
「ジャックの時もだ。アイツはプライドが高いから、完膚なきまでに叩きのめした後で見逃してやったら、きっと屈辱で眠れなくなるに違いないってよ。あの時の俺は、アイツらの手足の何本かぐらいは潰してやる気だったが……小波は俺を説得して、ずいぶん上手く立ち回ったと思うぜ」
紅茶のカップを覗き込んで、鬼柳はそこに映る冷たい己の顔に、苦く笑った。
「あいつは仲間をよく知っていた。どう説得すれば妄執に囚われた俺を動かせるかも、な。……俺だって、本当は分かってたさ。あいつが望んでることぐらい」
鬼柳は甘いはずの紅茶を苦そうに煽ると、スッと、まっすぐ顔を上げた。
そうして鬼柳は「言い訳しねえアイツの代わりに、これは俺が伝えなきゃならねえ」とそう前置きして、静かにアキに告げた。
「遊星やジャックやクロウだけじゃねえ、あいつは最初から。十六夜アキ、お前も守ろうとしてたぜ」
ま、俺なんかにわざわざ言われなくても、わかってるかもしれねえがな。
鬼柳は言葉をそう結んで、肩をすくめた。
カフェは、水を打ったような静寂に包まれた。
シンと絶えた音の中、カツン、と靴音がして、アキの知るよく通る声が聴こえた。
「鬼柳、アキ、ここだったか」
鬼柳は視線を上げ、満足げに紅茶をくっと煽った。
「さすが遊星、タイミングぴったりだな」
そら、王子様のご到着だ。悪役は退散するぜ。
そう冗談めかして肩をすくめた鬼柳を他所に、アキはひどく驚いて、迎えに来た遊星を驚いて見上げてしまった。
「遊星? どうして……」
「鬼柳から連絡をもらって驚いた。アキがここに居るから迎えに来いと」
アキは思い出した。アキを連れ出す前、鬼柳がどこかに電話をかけていたことを。
てっきり仕事先か宿泊所への断りの電話かと思っていたが、あの時にはもう遊星をこの場に呼んでいたということだった。最初からアキは、男の手のひらの上だったのだ。
ジャンク屋の帰りなのだろう、遊星は重そうな金属音がする茶袋を抱えたまま、アキと鬼柳の組み合わせを、ひどく意外そうに見つめて瞬いた。
「鬼柳、シティに来ていたんだな。前もって声を掛けてくれればよかったのに」
「俺も仕事で来てるしな。お前たちも今がいちばん大事な時期だろ。邪魔するわけに行かねえさ。ま、デュエルの誘いならいつでも乗るけどな。今日はもう時間切れだ」
鬼柳はカタン、と立ち上がって、「マスター、
いつものバイトではなく、奥から姿を見せた壮年のマスターに対して、鬼柳は懐から上質紙の束を取り出すと、滑らかにサインした。
上流階級である父もアキと食事をする時に時折使うので、アキにはそれが小切手だとわかった。サテライト育ちの青年だと聞いていたが、振る舞いはまるで父と同じ上流階級のそれだった。
マスターは小切手に記された額を見て、こほん、と上品に咳払いをした。
「チップにしては、いささか多すぎるかと思いますが」
「次にジャックが来たら、そいつで一杯奢ってやってくれ。俺からって聞いたらアイツ、ぜってー嫌がってしばらく真面目に働くからよ。クロウも
肩をすくめた鬼柳は、そう笑ってスーツの上着を肩に引っ掛けた。
スマートな立ち振る舞いは、父の仕事で時折家にやってくる他の議員と遜色なくて、そういえばこの人は、今はある町のトップで治世をしているのだとアキは思い出した。
少なくとも、今の場面だけ切り取れば、シティの他の議員に見下される隙はない振る舞いを、ごく自然に身に付けているように見えた。そう簡単なことではないはずなのに。
「じゃあな、遊星。アイツらによろしく」
去り際は風のようだった。
立ち去る背中が、手をひらひらと揺らしていた。
アキは、少しの間口を噤んでいたが、ゆっくりと言葉を選んで、気持ちを言の葉に乗せた。
「……わたし、あの人のこと、もっと自分勝手で怖い人だと思ってた」
遊星が、アキを振り返った。アキは、大きく息を吸って、言葉を継いだ。
「でも、遊星も小波も、……あの人のことが、本当に好きだったのね」
アキの言葉に遊星は、そんな発言が出るなんて思いもよらなかったみたいにひどく驚き、目を丸くした。
そして、やがて、青い瞳の色を優しく深めた。
「ああ、大切な、……本当に、大切な、仲間だったんだ。昔も、今も」
鬼柳が去っていった道を見やり、遊星はいつまでもいつまでも、遠くを眺めて見送っていた。
懐かしげに青い目を細めたまま。
◇ ◇ ◇
ポッポタイムに寄っていくかと訊ねた遊星に、首を横に振った。母が食事を用意して待ってくれているから、と。きっと父との顛末を気にして待ってくれているはずだった。
そう答えたアキに、遊星は穏やかに「そうか」とだけ答えた。言葉数は少なくとも、遊星が心からアキの現状を喜ばしく思ってくれているのが伝わってきた。
言葉を超えて、そういう一つ一つを届けてくれるのが、絆なのだとアキは知った。言葉にしない想いは、アキが相手を信じることで初めて届くのだと。
そう、遊星が、小波が、みんなが教えてくれた。
あの子のことを考えていたからか、偶然にも帰りにデュエルアカデミアの近くで、小波を見かけた。
アキのアカデミアでの同級生である大庭ナオミと、委員長──原麗華に激しく詰め寄られていた。恐らくまた、どちらが先にタッグパートナーを務めるとか、どっちが先に課外デュエルの相手をするとか、そういう話だろう。
「小波」
「……アキちゃん!」
小波はアキを見つけるとハッと急いで駆け寄ってきて、タッグを組んで欲しいと言ってきた。
否はないので、アキもデッキを取り出して合流した。
息の合ったコンビネーションで、アキと小波は圧勝だった。こう見えて彼女たちも、なかなか油断ならない実力者だというのに。アキたちの勝利は揺るぎなかった。
あの頃から、小波のデュエルはいつも、変わり続けるアキをずっと理解してくれている。
────あいつは仲間をよく知ってる
────良いお友達を持ったね
────アイツは最初から、お前のことも守ろうとしてたぜ
だからアキはその日、ずっと訊けなかったことを、小波に尋ねた。
「ねえ、小波」
小波はデュエルディスクを仕舞いながら、きょとんとアキを振り返った。
「……小鳥がいたの」
「ことり?」
「ええ。もっと他に、いくらでも居心地の良い止まり木があったはずなのに、……わざわざ棘だらけの茨に寄り添った、変わった小鳥が」
アキは力なく俯いた。
「本当は、ずっと聞きたかった。傷付けるばかりだった茨の隣に、どうして……」
小波は少し困惑したみたいに、きょとんとしていたが
アキのデュエルディスクに置かれたブラックローズのカードにチラリと目をやると得心したみたいに
帽子のつばを押さえて、口元だけでにこりと微笑んだ。
「花が咲くよ」
小波は、アキの両手を取って、何もかも分かったみたいに、穏やかに笑った。
アキは顔を上げた。小波はあたたかに微笑んだ。
「茨の中に、綺麗な華が咲くよ、アキちゃん」
きっと小鳥は、それが見たかったんじゃないかな。
そう告げる小波の声音はどこまでも優しく
アキは、ダムが決壊するみたいに、泣き崩れた。
おろおろと慌てる声が、泣き濡れるアキに降り注ぐ。
騒がしく「あーっ! アキお姉様に何をしたの!?」と捲し立てる
《十六夜アキ編〜茨に止まる小鳥と涙〜 END》
▼ [十六夜 アキ]ルート幕間(高橋秀行編)へ進みますか?
→ はい
いいえ
▼ [クロウ・ホーガン]ルート幕間へ向かいますか?
はい
→ いいえ
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※タッグフォース6において、小波がパートナーにアキと過ごしている時、鬼柳に話しかけると、ダークシグナー鬼柳および満足鬼柳の場合はアキの機嫌が二段階落ちます(大嫌い)
※しかし、通常(町長)の鬼柳に話しかけた場合、アキの機嫌は低下せず、フラット(±0)なままです。
※つまり実は、クラッシュタウン後、アキから見て、鬼柳に対する心象と関係性が、アニメでは見えないどこかのタイミングで、明確に改善したことを表しています。
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