孤独葬~生前予約承ります~   作:Anacletus

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この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。


Episode1

孤独葬

 

 超少子高齢化の折、日本という国には不況知らずの職業が三つあるという。

 

 一つは冠婚葬祭業者。

 

 一つは医療従事者。

 

 そして、最後の一つが……遺品整理業者である。

 

Episode1

 

~祭殿の主~

 

『はい。はい。では、よろしくお願いします』

 

 五十代の男女数人の立会いの下。

 

 高殿五月(たかどの・さつき)は灰色の作業着に防塵マスクとゴーグル、厚手のゴム手袋に長靴という出で立ちでその部屋へと入った。

 

 団地にある一室。

 部屋の中には彼以外の誰も入ってこようとはしない。

 その後ろからは『安いと聞いたが大丈夫なのか』との視線が複数。

 それも仕方無い。

 五月の年齢は二十二歳。

 

 そこらの若造にしか見えないし人の死に様に立ち会うような歳にも見えない。

 

 更に言うなら容姿も依頼者の不安を煽っているかもしれない。

 

 左側のこめかみに走る大きな古傷と連動するかのように白く染められた生え際の一部。

 

 何処かのV系バンドのボーカルでも張っていそうな外見に不安を覚えない方が難しい。

 

 しかし、五月は淡々と仕事をこなしていく。

 請け負った仕事は八畳一間の整理である。

 

 そこらの遺品整理業者とは違い個人で営んでいる彼にとっては手頃な仕事と言える。

 

「……」

 

 そっと部屋の主がいたであろう場所に手を合せて五月は仕事を始めた。

 

 まずは小物や衣類の選別。

 更に家具の運び出し。

 一間とはいえ、個人が住んでいた場所にはそれなりに物が溜まる。

 

 大小のゴミだけではないのだ。

 

 部屋内部にある幾つかの小物入れには故人を偲ばせるようなものもあり、一概に全て棄ててしまうわけにもいかない。

 

(放置されて……一ヶ月以上か…)

 

 部屋の中の臭気は主に部屋の中央で融け腐った跡から発されている。

 

 彼の後ろのドアの外からは『う…』だの『ぐ!?』だのと鼻を押さえるやらドアから遠ざかるやらする男女の声。

 

 夏場真っ盛りである八月下旬。

 

 素人なら失神するような匂いがこびり付いている部屋の中には蠅と蛆の死骸もちらほらと散見された。

 

 幾つかの遺品を運び出し、家具を軽トラに載せるまで一時間半。

 部屋内部に如かれていた畳を消臭した後ビニールで密封。

 床を専門業者御用達の洗剤で一通り掃除する。

 約三時間程で室内は空っぽとなった。

 

「では、此処にサインを」

「あ、ああ、これでいいかね?」

 

 書類へのサインを受け取って五月がお辞儀する。

 

「はい。ご利用ありがとうございました。神前遺品整理(かんざき・いひんせいり)をこれからもご愛顧くださるようよろしくお願いします。これを」

 

「これは?」

 

 五月が汗に塗れながら顔色も変えずにそっと手袋を脱いだ手で名刺を渡す。

 

「生前予約も承っているので」

 

 名刺には電話番号と住所と社名しか書かれていない。

 

「生前予約…そういうのもあるのか…」

 

 Tシャツ姿の五十代の男が僅か視線を名刺に落とす。

 

「生前に依頼されていれば、その旨を書類に認(したた)めまして、死後にご本人が望んだように処分する事も可能です。手数料や処分費用が割高になりますが、言わば遺品整理に関する遺言と思って頂ければ」

 

 言葉に耳を貸すでもなく男が五月を見つめた。

 

「…じゃあ、後の処分は任せていいかな?」

 

「はい。最後の確認ですが、本当に遺品は全て処分でよろしいですか?」

 

「ああ、それでいい。父とは何かとトラブル続きでね。こうして処分してやるだけありがたいと思って欲しいくらいなんだよ…」

 

「…そうですか。では、事前の契約通り、処分方法はこちらに一任という形で行わせて頂きます。では、本日はお疲れ様でした」

 

 頭を下げて五月が小さなエレベーターに乗り込む。

 

「………父さん…」

 

 男が開け放たれた扉の先、もう何も無い部屋を見つめる。

 

「…僕は…貴方の事が今でも大嫌いだ…」

 

 吐き捨てるように言って、男が扉を閉めようとした時、不意に夕景に陰りが差した。

 

―――――――。

 

「………え」

 

 振り返った男が次の日に発見されるも遺品整理の仕事が五月へ舞い込む事は無かった。

 

 *

 

「あの依頼人。永くないな…」

 

 軽トラを運転しながら五月が呟く。

 

 車内には七十年代にアメリカでヒットした洋楽が陽気にリピート再生されている。

 

 夕暮れの車内で一人。

 車両も疎らな道で信号待ちをする五月がチラリと横を向く。

 助手席には掌に乗りそうな小さな鳥篭のストラップが一つ切り。

 よく見れば、そのストラップの奇妙さに気付く者もいるかもしれない。

 鳥篭の頂点に結び付けられている紐だけがやけに真新しいのだ。

 

 それ以外にも肝心な鳥篭の部分が金属やプラスチックではなく何かの植物の赤茶けた蔓で編まれていたり、妙に古びれていたりする。

 

「大事にすれば大事にされる。そういうものだろうにな」

 

 素気なく言った五月が青信号と同時に車を発進させた。

 

「……少しは聞けよ」

 

 誰もいない助手席にそっと溜息が吐かれるも反応はない。

 それから一時間半後。

 

 山間の小さな街の片隅にある体育館程もあるだろう倉庫の前に軽トラが帰ってきていた。

 

 嘗てあった配送会社の名残だ。

 

 今現在、神前遺品整理所有であり倉庫は遺品整理の際に出る品を一時的に保管する場となっている。

 

 錆び付いた錠前を外して扉を開き、車ごと倉庫に入った五月は再び扉を内側から施錠した。

 

 完全に暗闇で閉ざされた倉庫内。

 

 扉の横にあるスイッチを探り当てた五月が金属製の突起を弾くとバツンと暗闇に一つ切りの明かりが灯る。

 

 ぶら下がっている電球の明かりは少し茶褐色の色をして、倉庫内を中央から染め上げた。

 

 車の入ってきた扉付近こそ開(ひら)けているものの。

 それ以外の場所には幾つも家具や家電が置かれている。

 

 それ以外にも人形や玩具、CDやDVD、時代遅れのビデオ、傘、誰のものとも知れぬアルバム、アタッシュケース、タイヤ、本の山、自転車、バイク、スケートボード、小さなバスケットゴール、座椅子、テーブル、暖房器具、ネクタイ、革靴、大型のブラウン管テレビ、等々が所狭しと並んでいた。

 

 どれもこれも一時的な保管の後に中古品業者の市に流れる事が決まっている品ばかりだ。

 

 無論、買い手の付かない品などは処分品として手元へと戻ってくる事になっているが、それもネットオークションなどに出品され、最後に手元で処分しなければならない品はそう多くない。

 

 遺品整理業者の中にはそういった処分費用をケチった挙句に不法投棄に走る者もいるが、五月は基本的に真っ当な手段で処分を行っている。

 

「……ふぅ」

 

 車から遺品を降ろし、売れそうなものをより分け、それ以外は処分の区画へと持っていく。

 

 そうしてようやく五月はその日の全ての仕事を終える事になった。

 

「お疲れ様…お前は何もしてないけどな」

 

 車に乗せっぱなしだった鳥篭のストラップを開けっぱなしの窓から掴んで取り出し、一日の疲れに脱力気味な体が倉庫の最奥にある黒檀のデスクへと向かう。

 

「今日も働いた働いた」

 

 革張りの椅子に腰が下ろされた。

 

 全ての疲れを受け止めてくれそうな椅子は偏屈な作家が愛用していた一品であり、バサバサと上にファイルと書類が山積しているデスクは一人身の貿易商が使っていた代物である。

 

 どちらも五月が仕事上引き受けた遺品の一つであり、手放すには惜しいという理由で再利用しているものだ。

 

 遺品というだけで時には値が付かないような高級品というものが少なからず存在する。

 

 それを黙って市で流している人間がいるのは暗黙の了解ではあるが事情を知っている人間が安く買い叩くのも世の常。

 

 そんな品を有効活用しているだけなのだが、何かと信心が強い人間から五月はよく“そういうのは止めた方がいい”と釘を刺される。

 

 死んだ人間の使っていたものだからと敬遠する者は多い。

 

(偉人が残したものなら宝で凡人が残したものは忌避する対象……何だかな…)

 

 世の不思議を思い倉庫の主が溜息を吐いた時だった。

 

 リンゴーンとやはり業務上の出会いで使い続けているベルが鳴る。

 

 来客に「どうぞ」と素気なく声が響く。

 倉庫の横。

 小さなドアが開いて比較的小柄な男が一人入ってきた。

 

「おう。さっちゃん。今日も元気に仕事してたかな?」

 

 おどける声に目を細めた五月が「出費だな」と呟きつつ背後にある小さな冷蔵庫を開けて冷えたサイダーの瓶を二本取り出す。

 

「いや~~まいったまいった」

 

 品の山を掻き分けるようにデスクまで辿り着いた男が何処か愉快げに笑いながらサイダーを受け取った。

 

「おじさん。この暑さで干上がっちゃうかと思ったよ」

 

 グレーのスーツをだらしなく着崩して無精髭を撫でる四十代の男。

 

 その柔和な笑みと反比例するように五月に向ける視線だけが笑っていない。

 

「それで…佐武のおっさん。今日は何の用…」

 

 微妙に警戒しながらも、二周り歳が違う佐武に五月が聞く。

 

 ニィッと唇の端が吊り上げられた。

 

「ああ、そうそう! そうなんだよ!! 今日はちょっとおじさんの頼みを聞いて欲しくて来たんだ。さっちゃん」

 

「その呼び方どうにかならないの?」

 

 冷たい視線で返す五月に佐武は首を横に振る。

 

「おやっさんが死んでもう二年。確かにそろそろ名前くらいは考えないといかんかもなぁ……」

 

「そう思うならせめて実行したら?」

「はは、おじさん結構お茶目だろう?」

「お茶目違う。それと意味なく笑うな……キモチワルイ…」

「相変わらず毒舌だなぁ。さっちゃんは」

 

「とりあえず用件だけは聞こう」

 

「そう怒るな若人よ。今日は仕事の依頼をしようという細(ささ)やかな善意だから」

 

「内容による」

 

 ほらと佐武が持っていた鞄から幾つかの資料が渡された。

 

「蓮美園…高賃専の類か…」

 

 さっと資料を確認した五月がポツリと呟く。

 

「ああ、そうだ。無許可営業だった不正規の高齢者介護施設の看板を架け替えた連中がいてな。それで現在はそういう括りで営業してる」

 

「…劣悪な環境そうだな…この謳い文句見る限り……」

 

「ま、安い早い美味いってのは牛丼の常套句だからな」

 

 五月が再び資料に視線を落とすと美麗字句が並んでいた。

 

 しかし、肝心な事が丸々書かれていなかったり、明らかに現代の姥捨て山を想起させるような契約内容の一端が資料端に書かれていたりとその道の者が見れば明らかに怪しい。

 

「それで死人でも出た?」

 

「ああ、それで今下調べの最中なんだが、虐待容疑で模索中って感じだ」

 

「で、どうしてこの仕事を警察が依頼するの?」

 

「施設の連中は何も分からずに働いてる下っ端連中ばかり。事情を聞いたら死後の遺品を施設で処理するって言うんで内容を聞いてみたらこれが……」

 

「まぁ、想像は付くけど」

 

「さすがに仏さんの遺品を全て焼き捨てるってのは頂けないだろう? それで部屋の内部もそれなりに汚れてるって事なら専門業者に頼んだらって話になったんだ。それでさっちゃんの名前が上がったのさ」

 

「安くて早くて上手い奴がいるって牛丼並みな謳い文句で?」

 

「こほん…んん、あぁ…そうなるようなならないような」

 

 曖昧に笑う佐武にげんなりした様子で五月が資料を返した。

 

「…仕事の依頼なら受ける」

 

「そう言うと思ってたよ!! さっちゃん」

 

 調子良く佐武が頷く。

 

「はぁ……で、いつ?」

 

「明日」

 

「おいおい」

 

 呆れる五月にまったく悪びれもせず佐武が契約書を突き出してくる。

 

「もし、虐待の証拠や不正の証拠が出てきたら是非おじさんのケータイに連絡をくれ!!!」

 

「普通遺品なんて真っ先に消されてるはずだ……」

 

「ははは、真っ先に消されてたら消した証拠が出てくるかもしれないだろう? 今の科学捜査ってのは見えないものを見ようとする技術だ。病状に合わない血の染みなんかあったら拭いても一発さ♪」

 

「はいはい……」

 

「いや、良かった! これで今日は安らかに眠れる!!」

 

 サイダーを一気に飲み干した上機嫌な佐武がサインを貰った契約書を再び鞄に戻すと元来た扉から颯爽と去って行った。

 

「……聞いての通り……明日も暑くなりそうだぞ…」

 

 デスクの下プランプランと終始揺れていた鳥篭がピタリと止まった。

 

「……だから、聞けよ……」

 

 次の日、朝早くから出かけた五月が着いた現場は……まるで無人かと思わせるような静かな場所にある薄暗い建物だった。

 

 *

 

 施設の代表者として応対したのが同じような年頃の二十代の若者だった事に五月は内心で驚き、佐武の言っていた事が大筋で正しいのだと知る。

 

「んで? あんたのとこはあの値段で全部やってくれるっての?」

 

 玄関先でジロジロと無遠慮な視線を向けてくる男の髪は金髪に染められていた。

 

「ええ、警察の方の依頼ですから」

 

「へぇ…あんたも結構若けーな。こういうの爺みたいな奴がやってんのかと思ってたけどなぁ。ははは」

 

 唐突にニヘラっと笑う男の歯は幾つか抜けていてシンナーの類でボロボロだった。

 

「貴方も若いようですけど。此処を任されているなんて凄いですね」

 

 心にも無いおべっかだったのだが、五月の言葉に舞い上がったように外見ヤンキー男が何度も頷く。

 

「ああ! ったく人生分かんねぇよなぁ!! こんなラクショーな仕事で今じゃ施設チョーだぜ!!」

 

「……」

 

 その言葉にスッと五月は表情はそのまま僅か目を細めた。

 

「じゃ、案内すっから後ヨロシクゥ♪」

 

 施設内に通された五月はまるで無人のような施設の廊下を歩きながら周辺を観察する。

 

 僅かに漂ってくるのはゴミの臭い。

 

 消臭スプレーで誤魔化しているが、各部屋の扉から隠しようも無く悪臭が漂っている。

 

 更には床のあちこちにある染みも劣悪な環境を示していた。

 たぶん吐瀉物を雑に拭き取った後に違いない。

 

「……」

 

 物音一つしない。

 

 朝近いというのに夜のように薄暗い廊下には切れ掛けた電灯がチカチカと光っている。

 

 不意に扉の一つが開いた。

 

「オイ!!? ババ――宮迫さん…今日は業者の人来るから部屋の中で待っててって言ったよな?」

 

 言い掛けてグッと堪えた様子の施設チョーが作り笑いで対応しようとすると、するりと老婆がその横を抜けて五月の方へと駆け寄った。

 

「こ、これ…バ、バーグさんのと…ところに…持って行きな…さい…」

 

 震える手が差し出したものを五月が反射的に受け取るとすぐに男が老婆をドアの奥に押し込むように連れて行く。

 

「…後で介護に向いますからね? 宮迫さん……」

 

 猫なで声。

 

 その声に含まれる怒気にヒッと声を上げた老婆がドアを慌てて閉めた。

 

「…バーグさんというのは誰の事ですか?」

 

「あ、あぁ、そりゃ死んだジジ…死んだ方がリンドバーグって言うんで」

 

「外人さんですか?」

 

「ええ」

 

 二人がそのまま進んでいくとやがて施設の最奥部に辿り着いた。

 

「ここがリンドバーグさんの部屋っす。後はテキトーにやっといてください。水の入ったバケツは用意してあるんで」

 

 さっきのやり取りを見られているのを気にしたのか。

 施設チョーがそのまま踵を返して去っていく。

 小さな声で「あのババア」と呟いたのを五月は聞き逃さなかった。

 

「さて……」

 

 いつもの如く仕事をするべくドアを開けた五月がムッと咽返るような甘い臭いに顔を顰める。

 

 だが、同時に不思議にも思った。

 

 死体が腐っていたにしてもその臭いは甘過ぎるのだ。

 

「……どういう事だ?」

 

 いつもなら掛けるゴーグルやマスクを手に持ちつつ、五月が部屋の内部に足を踏み入れる。

 

 部屋の中は暗かった。

 埃の為かカーテン越しの光も色褪せている。

 暑さだけで頬から流れる汗が蒸発しそうな小さい一室。

 そこには確かに今も生活感がある。

 

「……これは」

 

 部屋の中央。

 体液が浸潤したのだろう染みが床にへばり付いている。

 

 五月が物の配置に違和感を覚えたのは長年の勘というやつからだった。

 

 四方に置かれた小物入れや小さな洋服ダンスや台座。

 色で別けられたそれらは単色。

 

 赤、青、緑、黄色。

 

 カラフルな家具の多くはハイカラで済ませていいレベルではない。

 何の斑(きず)もない調和と黄金比が無ければ出てこない造詣。

 

 壁の様々な場所に貼られている祭りのポスターや規則の張り紙やアイドルのライブ告知。

 

 普通に見るなら随分と不規則で若者みたいな趣味を持った故人だったのだと思うのだろうが、その規則性は正に意匠を凝らした神殿にも劣らない。

 

 祭りは祭祀。

 規則は規律。

 アイドルは偶像。

 象徴に足る世界の欠片に他ならない。

 もっとも大きいのは窓。

 カーテンを開けた途端にその光景が顕れる。

 硝子に描かれたのは五月がいる施設そのもの。

 

 施設の見取り図の頂点に位置するのは五月がいる部屋。

 

 其処を始点にして終点まで描かれる螺旋状の円とペンタゴン。

 

 既にその中で描かれ終わっているのは複数の真理を一元化した複合体。

 

 幾何学と文言と数字の数々。

 

 ゲマトリア。

 ノタリコン。

 テムラー。

 セフィロト。

 

 統一性が無いにも程がある理(ジャンル)の大雑把さに五月は渋い顔をした。

 

(まずい…此処は…この施設は…もう……)

 

 踵を返し部屋を去ろうとした五月が背後からの視線に足を止める。

 わざと確認しなかった“天井”からの圧力。

 そこに何が描かれているのか想像はもう付いていた。

 夏場の暑さに生温い吐息が混じる。

 

 それが耳元を抜けたものの、あくまで何も気付かないフリをしたまま後ろ手で扉が閉められた。

 

「……ふぅ」

 

 そのまま廊下を抜けて五月は施設チョーがいるらしき玄関脇の部屋に立ち寄る。

 

「あ…何かありました?」

 

 TVを横目にチラチラと見ながら応対している時点でまともな介護をしていないのは一目瞭然だった。

 

「ええ、少し道具を忘れてきてしまって…夕方までにもう一度伺いたいのですが、どうでしょうか? 今回はこちらの手違いですので、料金は一割程引かせて頂きたいのですが?」

 

「ああ、そっすか!? いやぁ、何か悪りぃなぁ……じゃ、それでって、おお!? あゆちゃん出てんじゃん!! やっぱ今のシュンはあゆちゃんっすよね!!! マジ、あの巨乳はいいわ~~」

 

「……では、夕方までにもう一度お伺いします」

 

 ペコリと頭を下げて五月は慌てる事なく部屋を後にした。

 

「いや~~あゆちゃんマジいいわ~~」

 

 施設チョーがニヤニヤと笑いながらテレビの中の近頃売り出し中のアイドルを見つめる。

 

 彼が座った場所をよく見ればグッチャリと濡れている。

 

 その床を濡らしている液体が尻から出ている事を本人は知らない。

 

 甘い臭いが全身から立ち上っている事も消臭スプレーの効果が切れてきている事も彼は知らない。

 

 TVが何故か横倒しになっている事もリモコンが手から滲み出る液体ですでに反応しなくなっている事も……彼が気付く事は無い。

 

「さて、ビールビールっと」

 

 小型の冷蔵庫からアルコールを取り出し施設チョーは熱い夏を乗り切る為、水分補給を開始する。

 

 ダバダバと尻から直接溢れ出ていく液体がズボンを濡らしていくのも構わずに。

 

 何処からか飛んできた蠅がピトリと瞳に取り付いた。

 

 *

 

 一端倉庫に戻っていた五月は夕暮れ時、再び施設の前に軽トラを止める事になっていた。

 

 人気の無い道がやけに郷愁を誘う時間帯。

 

 山間部の濃い影が施設を闇へと引きずり込んでいく。

 

「…今日は一日無駄にした…明日は働かないとな…」

 

 ゆっくりと軽トラから降りた五月の手には鳥篭のストラップがぶら下がっていた。

 

「こんな所に【既得圏(ベステット)】を構えざるを得なかった。たぶん外国から流れてきた何処かの流派の末弟辺り。此処の施設が真っ当なら起こりえなかったんだろうが……このまま見逃すにしては犠牲者が多過ぎる」

 

 チャリッと鳥篭が揺れる。

 

「働いてもらうからな、って聞けよ……いい加減……」

 

 溜息を吐く五月に返す声は無い。

 

「【孤独葬】か。己で己を弔うなんて無理だって分かってただろうにな……」

 

 愚痴った五月がインターホンを押すと施設チョーが玄関先に出てくる。

 

「あ、来たんすね。じゃ、お願いします」

 

「ええ…」

 

 その状態はもう見れたものではなかった。

 さすがに消臭スプレーの効果は失われている。

 使う必要がないと判断されたのだとすれば、引き込む事を決めたのか。

 

「では、始めさせて頂きます」

 

 そう悟った五月は施設全体に対してそっと手を合わせた。

 

「はい」

 

 ゆっくりと構えを解いた手が横にあったモップを握る。

 

「?」

 

 それが大きく横に振られた。

 ドンと脇を殴り付けられた施設チョーが玄関内部で壁際に吹き飛ぶ。

 

「ゴォッぱ…げ…ご…な、なにしゅるんじゃぽけー」

 

 今まで何とか形を保っていたのだろう顎の皮がズル剥けて外れる。

 

 それに気付いた風も無く立ち上がろうとしたものの、体の半分以上がもう上手く連動するだけの筋繊維を保持していない為か、ズルンと倒れて地面に激突した。

 

「あ…りゃ…なにしらんぼけー…?」

 

「そろそろ気付け。ただ、自業自得だろうとは言っておく」

 

 施設チョーが何かを喋ろうとしたものの、五月は構わず施設の奥へと進んだ。

 

 すると朝は閉まっていたはずの左右幾つかのドアが開きつつ中から“住人”が出て来ていた。

 

 寝巻きの者。

 全裸の者。

 パンツだけ履いた者。

 エプロンを付けた者。

 

 様々な姿の老人達が一様に五月を見つめる。

 

 共通しているのはもう肌に生者の証である血の気が通っていないという事とそろそろ夏の暑さに所々形が崩れそうな事だろう。

 

 蛆と蠅が部屋から背後に湧き出して彼らの周囲を取り囲んでいる。

 

「ああ、お掃除…やはん? ばーぐしゃんは奥れしゅよ」

 

「おや、ばーぐのお部屋は奥だ。行っておあげなはい」

 

「あんにゃわかいひろがなんのようなのかにぇ~」

 

 未だに気付いていない。

 

 いや、気付かせていないのだろう奥の主の部屋はすぐに見えてくる。

 

 躊躇無く五月がドアを開け放つとそこには夕暮れの景色の中で一人。

 

 人体模型のような存在が佇んでいた。

 

 その上からは禍々しい輝きが床に複雑な幾何学模様を浮かび上がらせている。

 

 喋りもしないただ腐り落ちる筋肉だけの存在が五月にもう何も存在しない眼窩を向けた。

 

「その様子からして既に無いはずの自己をプールした魔力で論理化(ロジカライズ)して自分に見せかてるのか? 稀有な才能だ……ただ、悪趣味にも程がある」

 

【………………】

 

 眼窩から読み取れる事は何も無い。

 

「魔力が切れる度に人死にを出すのも気が引ける。此処で終わっておけ」

 

 五月の言葉に反応したのか。

 バーグさんが立ち上がる。

 

 同時に部屋の上、描かれていた膨大な量の魔術方陣が起動した。

 

 施設全体がもはや一種の結界と化している。

 

 一瞬で施設内部が生物の腸の如く色を帯びて胎動し始めた。

 

 五月の背後には十数人に及ぶ老人達が何も言わずに集っている。

 

【……】

 

 ゆっくりとバーグさんが手を上げると一際天井からの輝きが強くなった。

 

「如何に己の死でしか技(クラフト)を起動できなかったとはいえ、これだけの大魔術を扱う貴方には同業者として敬意を評そう。同情はしよう。情けも掛けよう。だが、犠牲者(いけにえ)になってやるつもりはない」

 

 五月が作業着に入れていたケータイのボタンを押した。

 

【!?】

 

 不意にバーグさんがガクガクと震え出す。

 

 同時に五月が施設に入る前に周辺を囲むよう配置していた複数のケータイから音声が響き始めた。

 

「この間、元牧師の遺品整理があって…その時に聖句を録音したカセットが大量に見付かって処分に困っていた事があった…」

 

【!!!】

 

 震えながらも五月の下へ歩み出そうとしたバーグさんが崩れ落ちる。

 

「データとはいえ、貴方の使う論理と同様に己自身が奏でなくとも大本となった論理が破綻していなければ、使い方次第でそれなりに効果もある」

 

【……】

 

「唱えられる聖句によって此処は既に聖なる場。死者は死者に。動かざるものはただの屍と―――」

 

 ドンと背後からの力に五月が横に倒れた。

 

「―――貴女は!?」

「バ、バーグさんは…何も悪く…ない…!!」

 

 倒れ込んだバーグさんがそっと抱き締められる。

 施設チョーに宮迫と呼ばれていた老婆だった。

 五月が呆気に取られる。

 

「あの男に…虐められていた…私達を…バーグさんは庇って…それに他のシゲさんや…綾香さん他の皆さんが警察に訴えようとして…あの男に…だから!!!」

 

 大体の事情を察したものの五月はあくまで静かに老婦を見つめる。

 

「それは…もうただの機械と同じ存在だ…」

 

 非情な声に老婆がそれでもバーグさんを抱き締めた。

 甘い臭いに咽返るような腐臭。

 体が汚れていくのも構わずに。

 

「!?」

 

 五月が思わず下がる。

 

 今まで抱き締めれていたバーグさんがまるで老婆を労わるように撫でた後、今までの震えが嘘のように立ち上がったのだ。

 

「……愛の力で復活……お約束だな…」

 

 臨戦態勢を取った五月が掌の鳥篭を前に突き出す。

 するとバーグさんが老婆を守るように腕を広げた。

 

「だが、貴方だってもう理解してるはずだ。生きている者にしか死者は慰める事ができない」

 

 五月が老婆に貰ったものをそっとバーグさんに突き出して見せる。

 

【!?】

 

「最初に背を向けた時、襲ってこなかったのがコレのせいなら…自覚はあるだろう……」

 

 その掌に乗せられているのは一枚の写真だった。

 

 作業着に無造作に入れられていたソレは確かに最初に部屋から帰る時、ポケットからはみ出していた。

 

「人の心が残っているなら、せめてその人に貴方を弔わせてやれ。葬儀はいつだって愛した人にしてもらうのが一番幸せなんだ」

 

【………】

 

―――啼け白鴉(ハクア)。

 

 バーグさんに向けられた鳥篭、その小さな扉が五月の声と共に開く。

 

「牛王宝印焼刷(ごおうほういんしょうさつ)」

 

 鳥篭の中から小さな輝きが飛び出した。

 その真白い鴉(からす)が虚空を舞う度に輝きが虚空に焼き付き、一枚の印となっていく。

 

「臨兵闘者皆陣列在前」

 

 切られた九字をトリガーに印がバーグさんに転写された。

 

【―――――――――】

 

「バーグさん!!?」

 

 老婆の叫びにもう崩壊しそうな体が振り返った。

 泣きそうな顔に何を思ったのか。

 最後、その男は唇の端を緩めて笑っていた。

 

「――――――」

 

 老婆はただ往く男に一言を呟く。

 待っていてくださいと。

 

――――――――――――――――――――――――。

 

「……ふぅ」

 

 何もかもが終わった後。

 

 窓が割れ、天井が崩れ始める部屋から老婆を退避させながら、五月は施設内部で横たわる住人達にそっと手を合わせた。

 

「ぅ…っ…ふ…う…」

 

 ほろほろと泣く老婆に人の死を見取る者の一人として彼は言う。

 

「貴女がこれから彼らを弔ってやってください。それが残された者の義務であり権利です」

 

「…は…い…」

 

 玄関脇まで来た五月はもう動かずに転がっている施設チョーにいつもの調子で頭を下げた。

 

「では、本日はお疲れ様でした」

 

 その日、田舎の小さな施設に大量のパトランプが点滅する事となったのは夜半過ぎの事だった。

 

 *

 

 変わらず雑多な倉庫に佐武が再び来たのは事件から一週間後の事。

 

「おう。さっちゃん!! 元気か? こっちはようやく事件の後始末が終わった所だ」

 

 ズカズカと扉から入り込んでくる中年に五月がデスクの上で書類仕事をしながら白い目を向ける。

 

「事情聴取に二日も時間を取られた……」

「いや~~さすがにあんな大量の仏さんが出ちゃうとな~~」

「それで今日は何の用?」

「事件の捜査経過とか知りたくないか?」

 

「……今、古物商の免許更新書類に忙しいから結論だけ教えてくれればいい」

 

「そか。じゃ、結論から言おう。施設を運営してた連中を根こそぎ豚箱にブチ込めそうだ」

 

「そりゃ良かった」

 

「それと…施設の仏さんは生き残った老婦が喪主をして葬儀を出した。ま…他の誰も来なかったがな」

 

「ああ、そう」

 

「あそこに入れられてたのは殆どが家族に棄てられた老人ばかりだったらしい。何かと不思議な事件だったが、これで解決だ」

 

「分かった。じゃ、帰って」

 

 素気なく返した五月に佐武が絡む。

 

「……なぁ、さっちゃん」

 

「さっちゃんて呼ぶな」

 

「葬式ってのは一体誰の為にやるもんなんだろうな」

 

「……その歳になって若者に聞く話じゃない」

 

「いや、な。喪主の老婦が言ってたんだよ。自分を弔う人はいなくなったけど、愛する人を弔う事ができた事はきっと人生で一番の喜びだって」

 

「………そう。なら、もし暇だったら教えておいて。ウチは葬式こそ出さないが生前予約は承ってますって……」

 

 佐武が僅か驚いた様子で五月を見る。

 

「あぁ、分かった……じゃ、そろそろ行くぜ」

 

「いつもいつも。来るならせめて菓子くらい買ってきたら? それなら歓迎出来る」

 

「はは、そうか。なら、次は菓子折りコミコミで来るさ」

「期待してる」

「じゃあな」

 

 バタンと閉まった扉を一瞬見た五月はデスクの中から一枚の写真を取り出す。

 それは老婆が五月に渡したあの写真だった。

 

「………」

 

 中では老人達が一緒に笑って映っている。

 

「人は死んだ後すら一人じゃない。オレが死んだら弔いくらいしてくれるか?」

 

 筆箱の横に置かれた鳥篭からは小さな鳴き声が響いた。

 

「聞いてるのかよ……」

 

 呆れた様子で五月は笑い。

 

 写真をそっとデスクの中に戻し、再び書類へと向かっていった。

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