孤独葬~生前予約承ります~   作:Anacletus

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Episode2

孤独葬

 

 超少子高齢化の折、日本という国には不況知らずの職業が三つあるという。

 

 一つは冠婚葬祭業者。

 

 一つは医療従事者。

 

 そして、最後の一つが……遺品整理業者である。

 

Episode2

 

~荒城の果実~

 

『はい。はい。では、これを持って正式な契約となります』

 

 八十代の老人に頷いた高殿五月(たかどの・さつき)はクーラーの効いた狭い室内で頭を下げていた。

 常のツナギ。

 

 灰色の作業着ではない。

 薄紅色のTシャツにジーパンという至って質素な装い。

 彼の友人が見れば、どうしたのかと尋ねるだろう。

 

 それ程に五月は作業着でいる事が多いわけだが、時折若者らしい姿を晒す事もある。

 

 殆どの場合、それもまた仕事絡みだ。

 

「ふぅ…大口GET」

 

 狭い一室から出れば、五月の目には団地を形成する無数の棟が見えた。

 

 今までいたのは最奥。

 一際目立つ丘の上にある一棟。

 団地を統括する町内会長宅。

 

 棟の最上階からは古びれた高度経済成長の象徴たる団地全域が見渡せる。

 

 そこを統括する者は多分にして勝ち組。

 それもある種、権威の象徴たる王にも等しかったに違いない。

 

 その王が今や死に支度をする骨と皮ばかりの古老と成り果てて、誰とも同様に最後の選択を五月のような業者に委ねたわけだが、人の営みとしては極々妥当な話だろう。

 

 死者の遺品の扱いに困る団地は今やかなり多い。

 廃墟のようにも思われる子供の声がしない墓標の群れ。

 嘗ては人々の息吹が全てを満たしていたのだろう場所も今は昔。

 

 親を待つ鍵っ子は消え、煩いと怒鳴り合うお隣は消え、巨大な団地で毎年執り行ってきた夏祭りも消え失せた。

 

 在るのはもう用を成さなくなった鳥の巣の抜け殻と年老いた親鳥だけ。

 

 日本という国家が夢見た儚い一夏は終わりを告げ、もう冬が近付いていると多くの者が気付いたが故に五月は団地まで足を運ぶ事となるのだ。

 

(この団地が消えるまで何年掛かるか……)

 

 故障中の張り紙のあるエレベーター横手。

 昔は多くの人が上り下りしただろう階段を軽やかな足取りで五月が下りる。

 

 何処かのV系バンドのボーカルでも通りそうな容姿は最初こそ町内会長に警戒されたものの。

 

 契約書その他の書類を全て揃えてやってきた彼に死角は無かった。

 めでたく契約は取り交わされ、五月は大口の仕事を予約された。

 生前予約承りますの言葉通りに。

 

(人より先に団地が消えるかもな……)

 

 まるで人の消えた古城。

 その端に残存入居者34人のA-030号棟がある。

 身寄りも殆ど寄り付かない彼らの死後。

 

 神前遺品整理(かんざき・いひんせいり)は独占的に住人達の遺された品を引き受ける事となる。

 

(老朽化も限界に近いだろうしな……)

 

 夕暮れ時。

 

 修繕に手が回っていないのだろう割れた石畳を歩いて、車も殆どない駐車場へ五月が向う。

 

 切れそうに明滅する外灯の明かりが郷愁を誘う道すがら、不意に芳しい薫りを嗅いだ視線が棟と棟の間、朽ち果てようとしているベンチと庭を見つけた。

 

 夕日によって棟の影が落ちた憩いの地。

 棟に挟まれた中央には樹が一つ。

 伸び放題の雑草に集られながらも青々と葉を茂らせている。

 

「……?」

 

 樹に隠れるように行き止まりのベンチで誰かが座っているのを見て、五月は興味をそそられた。

 

 本来、深く立ち入るような性格ではない。

 しかし、今正に通り過ぎようとした棟こそが彼の契約した棟。

 

 座っているのは別の棟の人間かもしれないが、秋の夕暮れに一人ベンチに座っていては風邪を引きかねない。

 

 遺品整理の仕事無くして五月の生活は成り立たないが、かと言って一般常識としての良心が働かないという事は無かった。

 

「そろそろ暮れますよ。おばあさん」

 

 ベンチに座っていたのは紫色のケープを羽織った人柄の良さそうな老婆で五月に気付くと軽く会釈を返す。

 

 横にはランチでも入っていそうなバスケットが一つ。

 

「ああ、こんな若けぇ人がこの団地に何の用かね?」

 

 五月は腰からケースから名刺を一枚取り出して暗がりのベンチの前に屈み込んだ。

 

「こういう者です」

「あぁ、町会長さんが言ってた」

 

 頷く老婆が独特な「い」と「え」の中間の発音で納得した様子になり頷く。

 

 五月に人の良さそうな笑みを返して、老婆が横のバスケットから飴を取り出した。

 

「けぇ」

「?」

 

 老婆が五月の様子に笑って、丁寧に言い直す。

 

「どうぞ」

 

 容易に考え付く事だが団地には全国各地から人が集っていたはずだ。

 

 一体何処の出だろうかと疑問に思うものの、素直に飴を受け取って五月がどうもと軽く頭を下げる。

 

「こごのみんなさ、お迎えくるんだば、いつになるがしら」

「さぁ、どうでしょうか」

 

 ジョークを飛ばした老婆に五月はいつもの調子で静かに返した。

 

「お隣の山田さんも三件先の三重さんもみ゛んないなぐなってしまったがら。もうさっさど死んだ方がいいがさ」

 

 カラカラと笑う老婆は影に沈む樹を見つめる。

 

 まるで孫を見るような視線に五月はその樹が老婆の生き甲斐なのだろうかと再び視線を樹へ向けた。

 

 改めて見てみれば、おかしな樹だった。

 上に伸びるはずの枝は横に伸び、人の手が届く程度の高さとなっている。

 

「その樹な。うぢの夫がやってだんだね。昔は農家で、都会に出てきたはいいけど、手癖直らなくで。町内会長さんに『何やってんだば』って怒られて…」

 

「そうですか……」

 

 嬉しそうに苦笑する老婆がゆっくりと腰を上げた。

 

「へば。頼みましたよ。わがものさん」

 

 頭を下げた老婆がすぐ傍のA-030号棟の階段へと歩いていく。

 

 最後まで我の強かった老婆の背中は何処か寂しげに消えて。

 五月は再び草がアスファルトを割る駐車場へと歩き出した。

 

 白い軽トラの運転席へと戻って、ふと彼は最後まで結局聞かなかった事に気付いた。

 

 一体、あれは何の樹だったのかと。

 

 *

 

 山間にポツリとある神前遺品整理の倉庫に来る客はそう多くない。

 

 来るのは同業者や中古品の仲買人。

 あるいは多少時代遅れの旧い刑事ものの主人公みたいな男くらいだ。

 

 ほぼガラクタかインテリアか売り物かという倉庫内。

 いつものように旧い電球の明かりに商品が照らされている。

 

「あの樹……一体何の樹だったんだろうな?」

 

 黒檀の机の上。

 

 掌に載る小さな褐色の蔦で編まれた鳥篭に話しかけながら、今日も書類の整理と明日以降の仕事を再度確認していた五月はそう漏らした。

 

 勿論、何処からも答えは返ってこない。

 

「聞けよ……」

 

 溜息を一つ吐かれ、テレビのリモコンがポチリと押される。

 

 最新の家電も時折扱う遺品整理業者であるが、未だに神前遺品整理の備品は年季の入ったハイビジョンのブラウン管だった。

 

 更に言えば、アナログ放送終了後、泣く泣く自腹で地デジのチューナーを買って据(す)えた代物である。

 

 机の横にビデオデッキと共に鎮座している姿はたぶんこれから数年はそのままだろう。

 

 ラジオのように聞き流すような使い方しかされていないものの、世情というのはどうしても遺品整理業に関わってくる為、時折リモコンのスイッチは押される事になる。

 

【○○県××市の市営団地において連続した孤独死は今後の社会問題として注目に値するべき事件であると官房長官が述べるなど、少子高齢化問題は既に身近なものと―――】

 

 ニュース番組には今や流行(はやり)とばかりに世間で持て囃されている連続孤独死の実態が映されていた。

 

 旧い団地。

 高度経済成長の遺したもの。

 老人。

 孤独。

 社会規模での少子高齢化。

 限界集落。

 

 番組内では無数の言葉が乱れ飛び、福祉がどうの、地域の取り組みがこうの、と理屈と理論が行き交っている。

 

「何だかな……」

 

 たぶん、五月の感想にすれば、番組の内容はそれだけの事だった。

 

 人は死ぬ。

 間違いなく。

 決して例外なく終わる。

 それが早いか遅いか。

 良きものか悪しきものか。

 そんな事は遺品整理業者には関係が無い。

 遺品は何も語らない。

 

 ドラマなどでは死んだ者の遺品は何かを語るなんて言われているが、遺品の多くは単に所有された痕跡を残す道具でしかない。

 

 アルバムや写真。

 

 個人的側面の強い売り物にならない遺品には確かに多くの場合故人の意思、思想や生き方が反映される。

 

 だが、私事(プライベート)であるとして引き受け手がいなければ、神前遺品整理では供養の後に処分している。

 

 社会的に価値の無い故人の品を弄り回したり、調べたりするのは土足で他人の人生を詮索する行為に他ならないというのは先代の持論。

 

 財産としての価値を認められないものも、迷信の結果として朽ち往くものも、値打ち自体は変らない。

 

 良いものは良いし。

 悪いものは悪い。

 

 故人の思い出は自分の思い出に出来ないし、商売として扱うのは不適当、故に深くは踏み込まない。

 

 それが前提。

 

 だから、神前遺品整理の倉庫には基本的に価値のあるものと処分するものしかない。

 

 ガラクタと見える品も引き受け手が無さそうに思えるが、蛇の道は蛇の言葉通り、仲買人には売れたりする事が多々ある。

 

 発展途上国で未だに使われるブラウン管の輸出で儲けが出たり、今は在庫が無い電球やもう発売していないビデオテープ版の映像情報、他にも廃れた技術で生成された品は未だ少数の需要が存在する。

 

 未開封の真新しいフロッピーが結構な値段で取引されているというのは過去、誰が想像しただろう。

 

 世の中は何も合理性だけで賄われているわけではない。

 無駄とも思える欠片が積み重なって出来ていて、本当に価値が無いものは一握りだ。

 

 一見して価値が無さそうなものも、単に価値を見出す市場が傍に無かったり、あるいは取引する人間が極めて少ないだけの代物という事が殆どである。

 

 故に倉庫の品は取引相手を見つける帰還。

 約二ヶ月程で大体が入れ替わる。

 最長でも半年。

 それ以上の期間を遺品が倉庫で過ごす事はない。

 

 もしも、長い時間留め置かれる品があるとすれば、倉庫の主である五月のお眼鏡に叶った安く買い叩かれそうな高級品、曰く付きの代物くらいだろう。

 

(とりあえず、使える限りは使えばいいだろ)

 

 小さく小奇麗な冷蔵庫“とある山荘で誰かの一部が保管されていた”からサイダーを取り出しつつ、五月は良い仕事場になりそうなテレビ先の団地を見つめた。

 

 リンゴーンと“所有者が立て続けに突然死した館の”ベルが鳴る。

 来客に「どうぞ」と素気なく声が響くと倉庫の横、小さなドアが開いた。

 

「おう。さっちゃん。今日も元気かな?」

 

 その男の様子はいつもと同じ。

 おどけた仕草で柔和な笑みを浮かべ。

 視線だけが笑っていなかった。

 

「おっさんか……」

 

 手にはいつか言った通り。

 菓子折りらしき袋が提げられている。

 

「ふぅ。いや~~近頃はおじさんも結構忙しいんだよ。これが」

 

 机の前にやってきたのはグレーのスーツをだらしなく着崩して無精髭を撫でる四十代。

 

 佐武学(さたけ・まなぶ)。

 

 神前遺品整理の先代から色々と縁がある警察関係者、事件後の被害者や加害者の身辺整理時に時折仕事を持ってくる男だった。

 

「佐武のおっさん。それで今日は何の用?」

 

「さっちゃん、世の中には『お茶でも飲みに来たの?』と聞いてくれる優しい方もいるんだよ」

 

「優しさの半分以上は仕事への期待で出来てるもんなんだよ」

 

 そっけなく宣言する五月に佐武は苦笑する。

 

「はは、こりゃ、おやっさんに今度報告しないとな。さっちゃんは大人のあしらい方が上手い子になってしまいましたって……」

 

 一応、新しいサイダーを冷蔵庫から取り出した五月が佐武に手渡す。

 

「ありがとよ。それでさっそくなんだが」

 

 ゴソゴソと紙袋を置いて、小脇に抱えた鞄から数枚の資料らしき紙が机の上に広げられた。

 

「さっちゃんに大口の仕事を持ってきたわけだ」

「連続不審死?」

「ああ、ほら世間で騒がれてる連続孤独死ってのがあるだろ」

「孤独死と不審死じゃ、天地の差じゃないか?」

 

 佐武が頭を掻いた。

 

「孤独死なのは間違いないんだが、どうにも」

 

 歯切れの悪い佐武を尻目に五月の視線が資料を読み漁る。

 

「全員玄関で?」

 

「そうなんだよ。何故だか仏さん全員が玄関で死んでてな。こりゃおかしいだろって事で捜査してるんだが、死体には何の痕跡も無いわけだ。全員が心臓麻痺で三人目の遺体は司法解剖に回したんだが、興奮してたって事以外分からなくてなぁ」

 

「興奮?」

「死に顔がこれまた人間とは思えないような形相で」

「具体的には?」

 

「こう、歪んでるんだよ。泣いてるんだか怒ってるんだか分からない程」

 

「それで四人ともオレに?」

「ああ、○○市の××団地だ」

 

 ピクリと五月が僅かに反応する。

 今日行ってきた団地にも程近い。

 

 それも市の再開発地域に指定された真新しい場所で近くには商業施設が集中し、県外からもベッドタウンとして名高い。

 

「いやな。最初に団地側で業者を呼んだんだが、途中で気味が悪いって作業が中断したまんまなんだと」

「気味が悪い?」

 

 佐武が大きく頷く。

 

「一応話は聞いてきたんだが、作業員が声を聞くんだとか」

 

「死者の声でも聞こえた? 真夏の階段はそろそろ店仕舞いかと思ってたけど」

 

「はは、本当になぁ。作業員の耳にはこう聞こえたらしい『連れてけ』って」

 

「連れてけ? あの世に連れていくとか。そっち系の都市伝説の亜種か何か?」

 

「まぁ、それで作業員が気味悪がってあそこで仕事するくらいなら会社を辞めるって言い出したらしい。これで団地側が困り果ててな。さっちゃんも知ってると思うが、何せ狭い業界だから噂が一人歩きして他の業者も受け付けてくれないらしい」

 

「なるほど。それでオレのところまで来たわけ、か」

 

「おやっさんだったら『連れてけ』なんて言われたら『おう。ついでに飯でも一緒に食ってくか!』くらい言う人だったから。その弟子であるさっちゃんにこうやって仕事を持ってきたわけだ」

 

 佐武が懐かしそうな顔で視線を細める。

 

 その視界の先にはたぶん先代がいるのだろうと理解しつつ、五月が書類をまとめて返した。

 

「……契約書類は?」

「おう。受けてくれるか! いやぁ、良かった。これで安心して今日も眠れる」

 

 鞄の中から一枚の書類が出てきて、文面を全て読んだ五月がサインと判子を押す。

 

「近日の仕事はここ三日入ってない。明日からでいい?」

 

「先鋒は出来るだけ早めにってな話だ。喜んで迎えてくれるさ」

 

 サイダーを片手に懸案が片付いたと上機嫌な佐武を尻目に五月はチラリと机の上の鳥篭を見た。

 

「……」

 

 鳥篭の扉はいつの間にか五月に背を向けていた。

 

 *

 

 正確に記すならば、日本に遺品整理業者の公的資格というものはない。

 

 殆どの場合は古物の取引や運送の資格を持った個人や会社によるサービス業という形を取る。

 

 故に遺品の取り扱いに関しても明確なガイドラインは存在しない。

 

 会社や個人の良心道徳に拠っていると言っても過言ではないだろう。

 

 業者にとって一番困らない客はアルバムやその他の故人を偲ぶ品を全て引き取ってくれる客だ。

 

 一括で多くの品を処分するには負担が大きい。

 

 少しでも売れない、儲けにならない品を引き取ってもらえるなら、それに越した事はない。

 

 しかし、近年。

 

 孤独死が増えるに連れて遺品を全て処分して欲しいという案件が増え続けている。

 

 核家族化。

 コミュニティーの消失。

 

 無縁仏はそうそういないが、財産らしい財産も無く死ぬ一人身の者は増えている。

 

 彼らの死後。

 

 相続もされない多くの品は素人目にはガラクタ。

 

 金を払ってさっさと業者に引き取ってもらいたいというのが大概の依頼者の望みである。

 

 その仕事も確かにその内の一つに違いないと五月は部屋の中を見回した。

 

 常の灰色の作業着姿。

 防塵マスクにゴム手袋。

 それから黒い長靴という出で立ち。

 

 背後の依頼人である町内会役員と名乗った四十代の男は作業を見る気も無いのか。

 

 すぐに内部を一見して消え失せた。

 佐武からの仕事は四件。

 

 一日一軒ペースでの仕事はハードでこそあるものの、実入りは良い。

 

 早めに終わらせてくれるなら、追加料金を払ってもいいとのお達し。

 

 その役員の態度から早めに事件の痕跡を消したいという感情が透けて見えて、今時の団地事情に詳しくない五月は人間の薄情とはこういうものかと至極納得した気分となった。

 

 最新の団地は恐ろしいくらい小奇麗だった。

 

 近くにはショッピングモール、レンタル店、大型スーパー、ファーストフード店まで幅広い店舗が軒を連ねている。

 

 団地の壁は真白に輝き、染み一つ無い。

 

 道往く家族連れや一人身らしき人々は何も団地からだけではないのだろうが、それにしても清潔感と何よりも若さに溢れている。

 

 そんな団地の端。

 日が翳る棟の二階に部屋はあった。

 左端の角部屋。

 内部は死んだ住人が運び出された当時のままなのか。

 玄関には独特の“あの臭い”が染み付いている。

 早期発見されたおかげで玄関先まではさすがに臭ってくる事は無かったらしく。

 死んで数日後の発見だったと資料にはあった。

 五月にしてみれば、久しぶりに当たりの仕事と言えた。

 

「靴……」

 

 玄関の靴はグチャグチャになっている。

 臭いと液体の痕が染み付いた靴は売り物にはならない。

 玄関先から進んだ五月が内部をざっと見渡す。

 インテリアはかなり質が高かった。

 

 家具は既製品とは違った艶を帯びていて、すぐにオーダーメイドの品と分かる。

 

 食器類も何点か外国製の高級品があった。

 

 衣服はどうだろうかとクローゼットを開けると仕立ての良さそうなスーツが数着。

 

 他にも古着屋に売るには丁度良さそうなものが幾つも。

 

 情報機器もパソコンから最新型のブルーレイレコーダーからオーディオ機器とかなり揃っている。

 大きな棚にはCDラックが置かれ、最新のアイドルグループの曲名がズラリと並んでいた。

 

(ミーハーだったのか……)

 

 インテリな室内。

 

 窓際の棚には洋書が収められた棚が鎮座し、知らない言語の本が幾つか。

 

 充実した生活環境は住人の人生そのもの。

 しかし、何故か。

 一見して五月にはその空間が寒々しく思えた。

 その最たる理由はたぶん。

 

 故人を偲べそうな品、写真やアルバムと言った類のものが無いからだろう。

 

(恋人の写真も無し、と)

 

 室内をざっと見渡し、幾つか棚を開けたものの、それらしい人との繋がりを示唆するものは見当たらなかった。

 

 パソコンを起動してみるものの、入っているのは仕事用のソフトのみ。

 

 メールボックスには仕事先との痕跡はあるものの、個人的な繋がりを示すメールは一件も見付からない。

 

 何処かのSNSに入っている事は十分に考えられたが、その先にいる人間に遺品を受け取れるような人間がいるとは考えられない。

 

 既に遺族からは了承を取り付けてあるらしく。

 全て処分という事で仕事を引き受けている。

 

 友人関係が分かれば、形見分けのように何かしらの遺品を渡す事もしている五月だったが、部屋の内部の様子から親しい人間は少ないだろうと察していた。

 

 ある程度の調査が済んで何も無ければ、普通に仕事開始である。

 

 一人目の誰かは世の中の誰に見取られる事もなく死に、親しい者に痕跡を受け渡す事無く、消える。

 

 作業は数時間。

 

 内部の小物をより分けて、いつも通り売れそうなものと処分するものに分けて梱包。

 

 残った家具や家電はそう大きくないので傷を付けぬよう運び出した。

 

 五月が全てを軽トラの荷台へ満載した時にはもう夕方。

 

 そのまま次の日に掃除する事も考えたものの、早く行えばボーナスという言葉は魅力的過ぎた。

 

 室内の掃除に取り掛かったのは夕飯時。

 

 明け方に日の差さなかった角部屋には緩やかに夕日が差し込んでくる。

 

 カーテンも無い室内。

 

 埃が軽やかに舞い橙に染まるフローリングに落ちていく。

 

 荷運びの前に最小限の掃除は済ませたものの、完全には程遠い。

 

 業者用の洗剤容器を手に深夜前には帰れるだろうかと五月が掃除時間を内心で計算していた時だった。

 

「?」

 

『ツレテケ』

 

 声が響いた。

 

「……」

 

 辺りを見回した五月は声の主が見えない事を訝しむ。

 何の類か。

 あやかし、もののけ、ようかい、きぶつ。

 

 どれに相当したとしても、要求するモノの姿が見えないならば、其処には厄介な壁がある。

 

「お前は誰だ」

 

 問いかけに答えは返らなかった。

 静かな夕暮れが過ぎていく。

 逢禍時の悪戯か。

 再びの声は無く。

 

 五月はもう声が消えたと判断し、掃除へと取り掛かった。

 

 一日目の仕事終わりは十時過ぎ。

 

 夕飯を食べなかった五月はコンビニで安っぽい野菜ジュースを一本購入して帰路に付いた。

 

 *

 

 黒檀のデスクに腰掛けた時にはもうクタクタ。

 

 冷蔵庫からサイダーが取り出され、ゴッキュ、ゴッキュと飲み干され。

 

 今日もテレビが点けられる。

 

【本日の特集は××県○○市△△団地での取り組みに付いてお送りします】

 

「まさか」

 

 多少驚きを持って野菜ジュースにストロー差して咥えつつ、五月がテレビに見入った。

 

 紹介された団地は前日契約を交わした団地に他ならない。

 

【この団地の町内会ではとてもユニークな取り組みを行っていて、それで今注目を集める場所の一つになっています。では、VTRをどうぞ】

 

 映し出されたのは罅割れだらけの団地の建造物。

 棟は五月が感じた通り、墓標のように編集され、夕闇の中で沈んでいく。

 

【近年、高齢化の進んだ限界集落にも似た団地があちこちに出来ているのは皆さんご存知でしょうか。連続孤独死が騒がれる昨今、それでも何とか地域を復興しようとする団地が此処にはあります。その取り組みを追いました】

 

 次々に場面が流れていく。

 老人達が笑顔で集る集会所。

 若者向けに市と共同で超格安の入居を実現させた経緯。

 取り組みを行う町内会長の意地。

 テレビの先にいる視聴者はさぞかし興味を引かれているだろう。

 老人達の生き生きとした姿。

 

 溌剌とした生活ぶりは旧き善き時代というものを思い起こさせるには十分だ。

 

【このような取り組みが行われていますが、それでも住民達の高齢化はもう限界に近付いている現状があります。この団地の棟で最低の人数はA-030号棟の三十八人。団地全体の空き室は四十八%にも及んでおり、今後の課題はどのように若者の住み易い環境整備を行っていくかに掛かっていると町内会長は語ります】

 

「……おかしいな」

 

 番組側の不備だろうかと棟に住む人数を疑問に思いながらも新たな入居者だろうと考え直して、五月は野菜ジュースを飲み干した。

 

「どう思う」

「……」

 

 傍らの鳥篭は沈黙を保ったまま。

 

【いつかまたあの日のように。最後の灯を振って、この団地の人々は大きな問題に立ち向かっているのです】

 

 最後、画面には一つの樹が映った。

 それは前日老婆と出会った場所の光景。

 青々と茂った葉の中で紅いものが幾つか実を付けている。

 

(林檎だったのか)

 

 五月はその樹が何の樹であるのかを知って奇妙に思ったものの、そのままテレビを消した。

 

 たぶん、ほぼ同時だっただろう。

 夜中にも関わらず。

 デスクの上の黒電話が鳴り始めた。

 

「はい。もしもし。こちら神前遺品整理ですが」

 

 電話先の主は今日団地で合った町内会役員の男。

 

 用件はまた数人の死者が出たので依頼するかもしれないという予約確認の電話だった。

 

 *

 

 佐武を通さずに契約書を交わした五月が頭を下げて会議室らしい部屋から退出したのは二人目の部屋の片付けも終わった暮れ時。

 

 前回と違い。

 連れてけとの声も聞こえず。

 

 かなり故人の品が少なかった二人目の部屋はすぐに作業が終了した。

 

 掃除も含めて八時間弱。

 五月の脳裏には今月の収支が算盤で弾き出される。

 黒字。

 しかもかなりの余裕が出来た。

 遺品の処分費用や軽トラのガソリン代。

 

 それから保険や生活費を全て差し引いても月平均で四か月分以上の儲け。

 

 貯金に一定金額回してもお釣りが来る。

 

(入用のモノでも買い足すか)

 

 軽トラでの帰り際。

 新しい団地を五月は一周した。

 幸せそうな家族連れ。

 母と共に帰路へ付く母子。

 白いコンビニの袋を提げて歩く若者。

 

 活気に溢れた人々の行き交う付近の道はまるで近くにある老人達ばかりの団地とは違う。

 

 世の中は確かに老人ばかりなのかもしれないが、確若さと熱気が集る場所も存在するのだと若くして老人や年上が商売相手な五月は世の不思議を思った。

 

 帰りの道すがら、再び起きた連続孤独死のニュースがラジオから流れ始める。

 

 不審な連続孤独死。

 警察は事故と殺人の両面からの捜査へと正式に切り替えた。

 

 キャスターが次のニュースですと新たな事件の詳細を話し始めるより先に五月はラジオをFMの陽気な曲が流れる番組に切り替えた。

 

 警察車両が付近に何台かいたのは五月も確認している。

 

 発見された死人は三人。

 

 全員の親族から遺品は全て処分して欲しいとの話を受けたらしく。

 

 五月は四人に続けて、全員の品を処分する事となった。

 

 立て続けの不審死を担当するのだからと役員の男は死んだ人間の内実をそれとなく五月に幾つか話した。

 業者に逃げられるのだけは阻止したかったのかもしれない。

 

 本来ならば部外者であり、ただの業者に過ぎない人間にする話ではないだろう。

 

 愚痴のように状況を零した男曰く。

 今度の三人も同じく玄関で死んでいた。

 そして、同時にやはり顔が歪んでいたらしい。

 

 近頃の身内は薄情なもんだと嘆く男に相槌を打った五月だったが、脳裏では多くの疑問が浮いていた。

 少なくとも“ツレテケ”は犯人ではないと確信していたからだ。

 

 連れて行けと人に語る何かに付いて幾つかの智識。

 

 最初の部屋で聞こえた声はその智識のどれにも当て嵌まらなかった。

 

(行くか。謎解きはそれからだ)

 

 軽トラは軽快に街を通り抜け、紫雲に染まり、闇の帳が落ちる一角へと進む。

 

 止まった駐車場は旧い団地の一角。

 

 五月は新しい住人が増えたとはどういう事か。

 

 そう事情を聞きに丘の上の一棟へと向った。

 

 完全に暗くなった道を歩いて停止中と書かれた紙の張ってあるエレベーターに乗り、町内会長の自宅へ。

 

 ベルの切れたはずの呼び鈴を鳴らした五月に町内会長はすぐさまに出てきた。

 

「ああ、業者さん。今日はどういったご用件で。何か書類に不備でも?」

「契約外の方が入居したという事を耳に挟んだもので」

 

 快く向えた町内会長は五月を招き入れるとすぐに話し始めた。

 

 今までの取り組みが成功したとか。

 若者がようやくこの団地の良さに目を向け始めたとか。

 これで新しい団地の担い手が出来たとか。

 

 嬉しそうな笑顔は五月と契約した時とは打って変わって明るい。

 

「そうですか」

 

 頷いた若者に自慢したくなったのか。

 

 町内会長は若者も共に運営する事となったサロンへ案内すると言い出して。

 

 機嫌も良さげに立ち上がった。

 

 少し離れた場所にある一棟。

 会長宅から歩いて三分程の近く。

 

 二個のプレハブ小屋を繋げたサロンからは明かりが漏れている。

 

「さぁ、どうぞ」

 

 ガラガラと戸が横に開けられ。

 茶の薫りか。

 薄甘い空気が流れる。

 

【やぁ。どうしましたか。町内会長さん?】

【あ、町内会長じゃないっすか】

【こんにちわ。いえ、こんばんわ。かしら。今井さん】

【おーおー今井さん。こっちこっち。今、丁度ボードゲームしてたんじゃ】

【はいはい。入れ歯零しそうだよ。おじいちゃん】

 

 若者と老人合せて十人。

 

 中央にある大きなテーブルの上には人生を疑似体験する定番のボードゲームが広げられていた。

 

「こちらは遺品整理業者の方だ。若者が新しく入居した話を聞いて契約の確認に来てくださったんだよ」

 

 プレハブ小屋の中。

 若者は珍しがり、老人はご苦労様ですと軽く挨拶した。

 それからボードゲームに誘われたのは場の雰囲気から。

 契約相手からの話を断り切れず。

 五月は小さな駒を手に入れた。

 様々な話題に華を咲かせながら、老若男女が賽を振る。

 

 カラン、コロン、カラン、コロン。

 

 一流大学に入り。

 証券会社に就職。

 恋人が出来て。

 マイカーを購入し。

 ローンで一戸建ての主になり。

 家族が何人か増え。

 出世街道を登り。

 順風満帆の人生の内にゴールが見えてくる。

 

 カラン、コロン、カラン、コロン。

 

 金を失い。

 親に見捨てられ。

 大学を中退し。

 就職が決まらず。

 家から追い出され。

 振り出しに戻されて。

 全てを初めからやり直す。

 

「………」

 

 人生は様々。

 

 老婆が成功体験にガッツポーズすれば、青年が人生上手くいかないと嘆いて溜息を吐く。

 

 縮図。

 

 ボードの上では人の一生が手短にまとめられ、受け入れられていた。

 

 一攫千金を狙う奴。

 家族を大量に増やす奴。

 一人身で権力を握った奴。

 

 誰彼構わず疑似人生の荒波は人々を翻弄していく。

 

「上がり」

 

 誰よりも先に上がった五月がそっと席を立つ。

 

「楽しかったです。でも、そろそろ帰らないと」

 

 惜しがった人々の幾人かが五月を引き止めるものの、固辞して彼はその場に背を向ける。

 

 様子を見守っていた町内会長が今度は自分が入ろうと提案し、また場が盛り上がった。

 

「では、お疲れ様でした。皆さん」

 

 頭を下げて、その場を立ち去っていく五月に幾つかの声が掛かり、さようならと誰かが言って。

 

 五月がプレハブを出た後。

 再びゲームが始まる。

 

【会長。ずるーい! 一攫千金ですか】

【今井さん。凄いですね】

【本当に強運じゃ】

【まったく羨ましい】

 

 カラン、コロン、カラン、コロン。

 

 賽が振られる。

 テーブルを囲んだ人々の手から可能性が振られる。

 

「あ」

 

 会長の振った賽がテーブルの下に落ちた。

 慌てて下に潜った彼が賽を探す。

 キョロキョロと見回した末。

 発見した賽が拾われる。

 

「?」

 

 彼は少しだけ不思議に思った。

 

 椅子に腰掛けているはずの彼らの足は何処に行ったのだろうかと。

 

「すまない。すまない。それじゃあ、再開しよう」

 

 しかし、そんな“些細な事”を気にするのは何だか気持ちが咎めて。

 

 彼は気にせず。

 

「では、また私から」

 

 客人が消えて、最低限の返答しか返さなくなった“彼ら”の代わりに賽をまた振った。

 

 カラン、コロン、カラン、コロン。

 

 明かりの中。

 古びれた白い布が光る。

 幾重にも洋服のように巻かれた姿。

 太い枝に手と足が申し訳程度に付いている顔もない人形。

 

 樹の切れ端を合わせただけの粗末なソレらが椅子の上で喝采を上げる。

 

【本当に今井さんはお強いですよ】

【ホントホント】

【いや~~感心するわ】

 

「それ程でも」

 

 英田英俊。

 基山紀国。

 佐藤峰清。

 石井美也子。

 倉安国。

 遠山悠馬。

 津島優。

 海藤千。

 郷田紗枝

 葛西幸三。

 

 今や名前の書かれた札だけでしか分からない住人達に促されて。

 

 賽は笑顔で振られ続けた。

 

 *

 

 五月は影の多い石畳を歩いていた。

 墓石であるはずの棟の群れ。

 その最中は薄暗いものではなくなっている。

 

 まるで誘蛾灯のようにポツリポツリとしか点いていなかった団地の明かりが全て十全に付いているのだ。

 

 それどころか。

 

 多くの棟から明らかに前回とは違って灯りが漏れている。

 

 活気を取り戻しつつあるかのように空気が違う。

 死に往くはずの老木ではなく。

 若木の匂いを漂わせて。

 団地の景色すら色褪せているのが嘘のようだった。

 やがて、五月が受け持った棟の群れの端。

 A-030号棟が見えてくる。

 

 棟と棟の間。

 草木生い茂る庭の中央。

 部屋の灯りに照らされた樹は仄かに照り返していた。

 

 枝の先には無かったはずの果実が、紅いの果実が、毒々しくも艶やかに実っている。

 

 吐いてしまいそうなくらいに芳しい匂いに釣られたのか。

 

【どうかしましたか?】

 

 五月はその集ってきた声に振り返らなかった。

 

【おにーちゃん。どうかしたの?】

 

 ゆっくりと数が増えていく。

 

【おや。珍しいわね】

 

 老若男女。

 五月の背後には今や何人もの声がある。

 

「この樹が何の樹か知ってますか?」

 

 誰に言うでもなく。

 彼は問い掛けた。

 

【この樹? この樹は命の樹なんじゃよ】

【その樹はね。皆の命を繋ぐ樹なんだよ】

【ああ、その樹か。これは誰かが植えた樹さ】

【よく手入れをされた樹らしいわね】

 

(……命の樹、か)

 

 その答えに納得して。

 高殿五月は目を細める。

 

 古来より旧い樹には特別な価値があると信じられてきた。

 

 世界中で樹木を使う呪いに事欠かないのは畏敬の対象であったからだ。

 

 そんな旧樹信仰の一つとして神が禁じた知恵の実を林檎とするのは実際のところ正しくない。

 

 しかし、大概にしてこの世の不思議とはこの世を作る者によって形作られる。

 

 命の樹。

 生命の木。

 それを決めるのもまた人。

 

 故にそれが実際何だろうと信仰があるならば、特別足り得る。

 

「皆さんは何処から?」

 

【あっちのほーだよ】

【そうそう。あっちの方よね】

【ああ、あっちじゃったかの】

【いや、近頃越してきたばかりなんだ】

 

 たぶん、指差された方角は五月が考えた通り。

 あの真新しい団地に違いない。

 

【ねぇ。貴方も此処に住まない?】

 

 その声に賛同が多数。

 拍手する者はいなくとも。

 鳴動するかの如く。

 棟の群れの間を風が吹き抜けていく。

 

【ねぇ。おにーちゃんも一緒になろうよ】

 

 林檎の樹の背後から何かがテクテクと歩いてくる。

 白布と枝で造られた粗末な人形だった。

 

(林檎…人形…命の樹…孤独死…団地…)

 

 団地に来た最初の日。

 黄昏に落ちる団地の全体像は把握している。

 

「そうか。これは……」

 

 五月はほぼ全ての事を理解し終えていた。

 人形が林檎の樹の前に立つ。

 

「幾つの奇跡が重なったのか見当も付かないが、生きている人間に害なすなら、此処で終わりだ」

 

【おにーちゃん。何を言ってるの?】

 

「相似する団地。起点となる命の樹。その枝で編まれた人形。これは…相似形を基本とした依り代への憑依術……一体“何人の人間”をその人形で此方側へ引き込んだ?」

 

【何を言ってるの? おにーちゃん】

 

 短く五月がサンスクリッド語で呪(しゅ)を紡ぐ。

 樹が燃え上がった。

 

【何するの!!?】

【おやめなさい!!!】

【ほ、放火じゃ!! 消せ!! 消せ!!】

【火が出たぞおおおおおおお!!!】

 

 騒ぐ背後の声に構わず

 

「姿を現せ」

 

 五月が高速で九字を切った。

 次の瞬間。

 林檎の樹に掛かった炎が幻のように消える。

 

「!?」

 

 そうして背後の声すら消失した仄温かい夜の帳に一本の樹が現われた。

 

 枯木の太い幹の中央。

 伽藍と化した虚。

 腐り抉られた深き穴にソレは在った。

 衣服の切れ端を纏った白骨。

 座る者に一番近い表現を彼は呟いていた。

 

「即身仏だと……」

 

 本来は限界まで肉体の水分量を減らした状態で漆などを飲みつつ死に肉体を腐敗から守るのが即身仏だ。

 

 そこまでの苦行でようやく人間は形を残す事が出来る。

 

 世の大安を願う悲哀と慈悲なくして成せはしない話だろう。

 

 もう白骨しかないとはいえ、普通の人間が死ぬ寸前まで枯木の洞で過ごしていたとすれば、尋常ではない。

 

(この服……)

 

 五月は服の切れ端にあの老婆を思い浮かべた。

 

「魂すらも依る樹。貴女が一体何の血筋か知らないが、力だけを遺していくのは迷惑だ」

 

 老婆の遺骨を核とした“術と生ってしまっている団地”は既に通常の領域を侵す程に成長している。

 

 林檎の数がもしも取り込んだ命の数ならば、どれだけの人間が犠牲になったのか。

 

 相似する二つの団地。

 

 墓標たる場所はもはや生きた人間を収集する神隠しそのものと化している。

 

 老婆の意識のようなものは感じられず。

 

 巨大な術の一部と化した遺骨が樹に取り込まれ一体化し始める。

 

「そう言えば、東北も林檎の産地だったな……思い出した…民間信仰の一つの形…人形を守り神とする風習。名は……おしらさま……」

 

 果実の代わりか。

 

 巨大な神樹となった林檎の木の枝に憑くのは今や数を数えるのも馬鹿らしい量の人形だった。

 

「旧きものが今の世で軽んじられる風潮は確かに目に余るものがある。だが、旧きが新しきに成り代わる事なんて出来はしない。例え、それが人に対する善意の制止であろうとも」

 

 ザッと掌に結わえていた小さな鳥篭を五月が目の前へ突き出す。

 

―――啼け白鴉(ハクア)。

 

 五月へと無数の人形が襲い掛かった。

 

 恐らく触れれば魂を持っていかれ、永遠に団地の住人としての生を約束させられる。

 

 偽りの楽園。

 神隠しの薗。

 

 その本質は依り代たる団地へ魂を誘い込む郷愁と懐古にこそある。

 

 人の根幹たる望郷の念。

 

 五月には今ならば何故、死体の顔が歪んでいたのか分かる気がした。

 

 それは連れて言ってくれとの懇願だ。

 

 あの懐かしき世界へ。

 あの帰りたかった日々へ。

 

 現在の満たされた偽りの日々から解き放って欲しいという苦痛と渇望。

 

 現代社会の病理は人の魂を蝕んで、この“旧き善きもの”への結合を人々に望ませたのだ。

 

 連れて行け。

 

 そう言ったアレ。

 もしかしたら、選ばれなかったのか。

 

 善きものだけを集めた楽園に濁ってしまったものは要らないと拒否されたのかもしれない。

 

「牛王宝印焼刷(ごおうほういんしょうさつ)」

 

 鳥篭の中から小さな輝きが飛び出した。

 その真白い鴉(からす)が人形を退け、虚空を舞う。

 輝きが世界に焼き付き、一枚の印となった。

 

「旧き善きものよ。人がどんなに望んでも手に入れられない安寧を齎すものよ。確かに世界は過酷で人は過去を求めるのかもしれない。でも、誰にも先へ進む事を阻む権利はない。その先に破滅が待っていようと、進まない限り人は何処にも辿り着けない」

 

 人形が神樹が鳴動する。

 

「例え、永遠を築いても、弔う者がいる限り、見送られないものはないんだ」

 

 樹の根が地面から五月を捕えるより先に。

 

「臨兵闘者皆陣列在前」

 

 切られた九字をトリガーに印が即身仏へと転写される。

 

「いい加減に気付くべきだ。あの団地の人々もきっと貴方達と同じ。泣き、笑い、怒り、絶望を知り、孤独に耐え、それでも……懸命に前を向いていた!!」

 

 まるで対抗するように輝いていた遺骨の光が不意に消えた。

 

 印が全ての力を解いていく。

 全てを無へと戻していく。

 

【…んだ。言う通りだじゃ…ありがとう…わがものさん……】

 

 そんな声がして突風が吹き、五月は顔を覆った。

 

「……?」

 

 顔を上げた五月が再び目にしたのは明かりが全て消え失せた団地と枯れ果てた林檎の樹が一つ。

 

 その中央の洞に崩れた骨が重なっていた。

 団地の全てがまるで死んだようにひっそりとして。

 五月はそっと両手を合わせる。

 

「本日は……お疲れ様でした」

 

 匿名の通報で団地にけたたましいサイレンが響いたのは夜明け頃。

 

 数棟の住人ほぼ全員の死亡が確認され、団地の名は一躍ワイドショーを賑わせた。

 

 不可解にも若者の姿は団地に影も形もなく。

 

 特集を組んだ番組のやらせ問題が浮上したのはそれから数日後の話だった。

 

 *

 

『おう。さっちゃん。何だか今日は忙しそうだなぁ』

 

 そう言って佐武がやって来たのは事件から何日か経ったある日の事。

 

 大量の遺品整理の仕事を連日連夜こなしている五月は忙しく倉庫内の整理をしている。

 

「この間の大量孤独死事件で仕事漬け……これで後二年は食ってけるよ。貯金と倉庫の回収費用に消えてなけりゃの話だけど……」

 

 旧いレコード盤を大量にダンボールから専用のラックへと仕舞いながら、五月は次の品であるトラックの上の旧いオルガンに目を向ける。

 

「そりゃ良かった、おっと…ご愁傷様ってやつだな」

 

 言い直した佐武に声だけで五月が答えた。

 

「人が死ななきゃ食っていけない因果な商売さ。別に祝福してくれて構わない」

 

「はは、おやっさんも同じような事言ってたっけなぁ」

 

 その時、珍しく付いていた奥のテレビから大声が上がる。

 

【う、嘘じゃない!!? 確かにその時は若者がいて!! ちょ、町内会長に聞いてくれれば分かる!!!】

 

【ですが、もう随分とアルツハイマーが進行していたと医師が証言して―――】

 

「おう。それにしても近頃の捏造ってのは怖いな。だから、マスゴミ呼ばわりされるんだよ。ったく」

 

 佐武がやれやれと肩を竦めた。

 

「それで今日は何の用? こっちはまだまだ忙しいんだけど」

「ああ、一応報告だけはしておこうかと思ってな」

「報告?」

 

「ああ、この間頼んだ団地での連続不審死。あれは真に遺憾ながら不審死で決着だ」

 

「遺憾なの?」

 

「そりゃな。明らかにおかしい事件だった。だが、死因は心臓麻痺。つまり、分からねぇって事だ。これじゃ調べようもねぇのさ。団地の入居者の転出が相次いでるって話だが、時間が経てば全部忘れられるんだろうなぁ」

 

「そう……」

 

「逞しいのか。それとも鈍感なのか。死ってやつにも人間慣れちまう生き物らしい」

 

 五月に愚痴を零しに来ただけらしく。

 言うだけ言って佐武は帰っていった。

 

 一人倉庫整理に追われる五月はあの新しい団地での最後の仕事を思い出す。

 

 ツレテケ。

 

 その声がした部屋に小さな神棚を付ける事を団地の管理組合に進言したのだ。

 

 それ以降、声がしたという報告は無いと団地側から連絡があった。

 

「全部、無かった事になる……か」

 

 何処かの大手開発業者が都市の区画整理に乗り出したという噂がある。

 

 その内に旧い団地は跡形もなく消えるだろうと同業者の間では囁かれていた。

 

 新しい場所に遺品整理業者の仕事は少ない。

 

 大きく変わっていく場所にあるのは目前の希望へ群がる者ばかり。

 

 過去を省みる者は殆どいない。

 

 旧きを捨て去る速度は加速し、次々に社会は底へと全てを振るい落とす。

 

 その悲哀に抵抗するものこそ、あの神樹ではなかったかと。

 

 五月は作業の手を止めてしまっていた。

 

「それでも……前に進むしかないのが人の性なんだろうな」

 

 倉庫の奥。

 

 机の上で何処か咎めるような鳴き声が響いた。

 

「……振り返るのは老後になってからでいいだろ。郷愁も懐古もオレにはまだ早過ぎる」

 

 そっと、レコードが一枚取られて、倉庫の奥にある古びれたプレーヤーに掛けられる。

 

 曲は欧州のシャンソン。

 

 何処か懐かしさを感じる調べはテレビから流れる情報の羅列を嘲笑うように倉庫内を満たしていく。

 

「良(い)いものは例え百年経とうが千年経とうがいい。だろ?」

 

 渋々同意するのか。

 

 小さな鳴き声が五月の耳に聞こえた。

 

 月夜に響く女の声が謳うのは故郷の葡萄畑。

 

 戦火に焼かれた美しき故郷の風景。

 

 この世界の誰にもある自分の帰る場所への讃歌だった。

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