普通ではない鮮花の普通ではない友達   作:星乃 望夢

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第十二話

 

 アスファルトの上で芋虫のように転がり、呻き声を上げている連中を冷めた目で見下ろしてから、オレは踵を返してアパートへと戻った。

 

 この手のゴミ掃除には、専門の業者を呼ぶに限る。

 

 部屋に戻り、まだ硬い表情で立っている鮮花と、震えている浅上藤乃を横目に、オレは備え付けの黒電話の受話器を取り上げた。

 

 ダイヤルを押す指先に迷いはない。繋ぐ先は、両儀の屋敷だ。

 

「……あー、オレだ。夜分に悪いな、秋隆」

 

 電話口の向こうで、秋隆が息を呑む気配がした。

 

 無理もない。声の主は、間違いなく死んだはずの「織」でありながら、その発信源はまったくの別人なのだから。

 

 だが、秋隆は優秀だ。瞬時に事態の異常性と、優先すべき主命を天秤にかけ、即座に「かしこまりました」と応じてくる。

 

 本来、秋隆からすれば「境織姫」など、縁もゆかりもない赤の他人だ。

 

 だが、その器の中に両儀の正統な人格のオレが居座っているとなれば、話は別だ。

 それに、境の家系は両儀の分家筋にあたる。血の繋がりがあり、中に「織」がいる。それだけの条件が揃っていれば、両儀という家を動かす大義名分としては充分すぎる。

 

「場所はここだ。店の前を掃除する感覚で頼む。……ああ、この街にはもう二度と、彼らの居場所がないように手配してくれ」

 

 要件だけを伝え、オレは受話器を置いた。

 

 オレが直接命を下せば、秋隆は完璧に仕事をこなす。

 

 鮮花たちを追い回していたあの連中は、警察に突き出されるよりも酷い結末を迎えるだろう。少なくとも、この観布子の街からは物理的にも社会的にも消え失せる。彼らと付き合いがあった連中にも、両儀の名において厳重な釘が刺されるはずだ。

 

 一通りの手配を終え、オレは改めて鮮花の方へと向き直った。

 

 彼女は藤乃を椅子に座らせ、落ち着かせていたが、その瞳だけは鋭くオレを射抜いていた。

 

 まるで、正体を暴いてやろうとする検事のような眼差しだ。

 

「……おいおい、そう睨むなよ、鮮花」

 

 オレは肩をすくめ、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して呷った。

 

 乾いた喉に冷たい水が染み渡る。

 

「お前のお姫サマは、今は奥で寝てるだけだ。……誰かさんが散々貪って、骨の髄まで搾り取ったせいで、疲労困憊でダウンしてるんだよ」

 

 皮肉を込めて言ってやると、鮮花の頬が僅かに朱に染まる。

 

 図星だろう。実際、今の織姫の肉体はオレが強制的に動かしているだけで、ガソリン切れ寸前だ。

 

「なんであんたが、織姫の中に居るのよ」

 

 低い声で問う鮮花に、オレは空になったペットボトルをゴミ箱に放り投げながら、ニヤリと笑ってみせた。

 

「んなの、簡単だろ」

 

 オレは自身の胸を指差す。

 

「コイツが、オレを求めたんだ。『消えないでくれ』ってな」

 

 死にゆく影法師の手を掴み、自分の魂を削ってまで繋ぎ止めた。

 

 その狂気じみた願いに、オレは応えた。それだけの話だ。

 

「自分を姫に変えてまで、オレを飼いたいなんて……まったく、ワガママで強欲なお姫サマだと思わないか?」

 

 織姫の中に巣食う、両儀織。

 

 織姫が命を削ってまで探し求めていた「友達」。

 

 ……なるほど。そういうことだったのね。

 

 黒桐鮮花が、彼にとって唯一無二の「女友達」であるならば。

 

 両儀織は、織姫の魂の半身たる「男友達」だったというワケか。

 

 たった一度。ほんの僅かな時間、言葉を交わしただけの相手。

 

 常識で考えれば、それで命を懸けるなんてありえない。

 

 けれど、織姫と両儀織の間にある呪術的な関係性は、橙子師から魔術のイロハを叩き込まれる中で、嫌というほど理解させられた。

 

 魂の一蓮托生。

 

 出会うことがなければ、そこまで深刻な因果が結ばれることもなかっただろうと、師は言っていた。

 

 互いに知らぬまま過ごしていれば、ただの「遠い親戚」で終わっていたはずの話だ。

 

 けれど、二人は出会ってしまった。

 

 魔術の世界において、血は単なる遺伝情報の伝達物質ではない。それは魂の記録であり、霊的な意味での通貨とも呼ばれる強力な触媒だ。

 

 両儀と、その分家筋である境。

 

 根源を同じくする血が、出会いというトリガーによって共鳴し、強固なパスを繋いでしまった。

 

 だから、両儀と血縁のある「境の姫」である織姫にとって、両儀織という存在は、失われたパズルのピースのようにカチリと嵌まる、運命の相手だったのだとでも言いたいのだろう。

 

 ――ふざけないでよ。

 

 そんな理屈、知ったこっちゃないわ。

 

 運命? 魂の結合? 血の宿命?

 

 そんなカビの生えたオカルトで、私の織姫を定義しないで。

 

 織姫と先に出逢ったのは、わたしよ。

 

 彼の孤独を最初に触れ、その氷を溶かしたのは、他の誰でもないこの私だ。

 

 兄さんが、両儀式という女に取られているのは……悔しいけれど、今のところはどうしようもない事実として認めてあげる。

 

 あの二人にも、私には入り込めない何かがあることは認めざるを得ないから。

 

 でもね。

 

 わたしの織姫までは、絶対に奪わせたりしない。

 

 「両儀」という名の引力がどれほど強力だろうと、関係ない。

 

 兄さんを奪った上に、私の愛する人まで連れ去ろうなんて、両儀家の人格(ひとたち)はどこまで強欲なのかしら。

 

 わたしは、織姫の身体を通して、その奥に居座る「彼」を睨みつけた。

 

 覚悟しなさいよ、両儀織。

 

 貴方が彼の「男」としての半身だと言うなら、わたしはその上を行く「支配者」になってやる。

 

 たとえ神様が決めた運命が相手でも、わたしは譲らない。

 

 貴方に織姫は、指一本だって渡さないんだから。

 

 

◇◇◇

 

 

「鮮花……?」

 

 深い海の底から浮上するように、微睡みの様な意識から目覚めてくると、目の前には仁王立ちでこちらを見下ろす鮮花の姿があった。

 

 視界が少しぼやけているが、その双眸に宿る苛烈な光だけは鮮明だ。

 

『織姫が戻って来たんじゃ、オレは退散するぜ。――じゃあな』

 

 脳裏に直接響く声と共に、スゥっと織の気配が裏側へと引っ込んでいく。

 

 身体の主導権が返還された瞬間、糸の切れた操り人形のようにカクンッと膝が崩れた。

 

 アスファルトに打ち付けられる――と覚悟したその時、ふわりと温かい感触に包まれた。

 

 僕は鮮花の腕の中に、すっぽりと納まっていた。

 

 ……ダメだ。

 

 腰が砕けていて、まったく力が入らない。

 

 織が無理やり動かしていた反動が一気に押し寄せたのか、それとも事前の鮮花による「愛の鞭」のせいなのか。いずれにせよ、自力での歩行は絶望的だ。

 

「あらあら、だらしないお姫様ね」

 

 鮮花は悪戯っぽく微笑むと、軽々と僕を抱き上げた。

 

 いわゆるお姫様抱っこ。

 

 情けなさで顔から火が出そうだが、抵抗する体力もない僕は、大人しく彼女の首に腕を回して身を委ねるしかなかった。

 

 ベッドに戻され、ふうと息をつく。

 

 ようやく落ち着いた僕は、織から共有された記憶を参照しながら、部屋の隅で所在なげに縮こまっている一人の少女に目を向けた。

 

 ──浅上藤乃。

 

 その名前は、僕の中にある「知識」の書架において、特別な意味を持つインデックスの一つだ。

 

 退魔四家の一つ、浅神の血を引く末裔。

 

 そして、『歪曲の魔眼』という凶悪な異能を発現する資質を持つ少女。

 

 今はまだ、ただの内向的な女学生に見える。

 

 だが、七月というこの時期。

 

 本来の運命通りであれば、彼女はそう遠くないうちに暴漢たちによる凄惨な被害に遭い、その過程で能力を覚醒させ、人を殺し、やがて復讐を超えた殺戮者(モンスター)へと変貌していただろう。

 

 無痛症という檻の中で、痛みという「生の実感」を求めて彷徨う、哀しき殺人鬼に。

 

 それが、何の因果か。

 

 運命が致命的な分岐点を迎えるその直前に、黒桐鮮花というイレギュラーが介入した。

 

 彼女の残留する痛覚は、悲劇として始まることもなく、静かに終わりを告げたのだ。

 

 救われた、と言っていいのだろうか。少なくとも、彼女が血に塗れた修羅の道を歩む未来は回避された。

 

 けれども、彼女の中にある「もう一つの時限爆弾」は、まだ解除されていない。

 

 僕はそれを知っている。

 

 彼女が無痛症である原因。そして、放っておけば確実に命に関わる病魔の存在を。

 

 僕は深く息を吸い込み、意識のチャンネルを切り替えた。

 

 日常の風景から、死の深淵へ。

 

 カチリ、と脳内でスイッチが入る音がして、視界が変貌する。

 

 藤乃の身体に、無機質な黒い線が浮かび上がる。

 

 それは鮮花に見える健康的な「生物としての死の線」とは明らかに異質だった。

 

 特に腹部。

 

 そこに、複雑に屈曲した歪な線が視える。

 

 虫垂炎。

 

 痛みを感じない彼女の身体の中で、病巣は誰にも気付かれることなく進行し、確実に彼女の命を蝕んでいる。

 

 僕はチャンネルを元に戻した。

 

 そして、鮮花の方を向き、真剣な眼差しで告げた。

 

「鮮花。……彼女の身体を、ちゃんと調べた方がいい」

 

「え? どういうこと?」

 

 鮮花が怪訝そうに眉を寄せる。

 

「彼女は、病気を患っている可能性がある。……それも、かなり深刻な」

 

「病気……? 藤乃が?」

 

 鮮花は驚いて藤乃を見るが、藤乃自身もきょとんとして自分の身体を見下ろしている。

 

 自覚症状がないのだから無理もない。

 

「僕の眼は、物事の死を視ることが出来る」

 

 僕は意を決して、自身の異能の一端を明かすことにした。

 

「直死の魔眼。……橙子さんがそう呼んでいた。万物の終焉を視覚情報として捉える眼だ」

 

 鮮花の表情が変わる。魔術師としての顔になり、僕の言葉を咀嚼しようとしている。

 

「彼女の身体、特に腹部に……歪な死の線が視える。痛みを訴えていないとしても、内部で何かが起きているのは間違いない。早急に、専門の医者に見せた方がいい」

 

 僕の切迫した口調に、鮮花は事の重大さを理解したようだ。

 

 彼女は頷き、藤乃の手を握りしめた。

 

「わかったわ。……藤乃、明日の朝一番で、医者に診てもらいましょう。痛みがないからって、放っておいたらダメよ」

 

「は、はい……黒桐さんがそう言うなら」

 

 藤乃はおずおずと頷いた。これで、最悪の事態は避けられるはずだ。

 

 時計を見れば、礼園の門限にはどうあがいても間に合わない。

 

 無断外泊。普通なら厳しい処罰と反省文ものだが、今回は不良集団に追い掛け回された末の「緊急避難」という大義名分がある。

 

 事情を説明すれば、ある程度の温情は期待できるだろう。

 

「今夜は、ここでゆっくり休んでいくといいよ。もう門限にも間に合わないし、夜に外を歩くのは危険だ」

 

 僕の提案に、二人は安堵の表情を見せた。

 

 さて、問題は寝床だ。

 

 狭いワンルームにベッドは一つ。

 

「……えっと、一先ず僕は床で寝た方がいいのかな、鮮花?」

 

 一応男として、レディ二人にベッドを譲り、自分は床で雑魚寝。それが紳士的な対応というものだろう。

 

 だが、鮮花はニッコリと笑って、とんでもないことを言い放った。

 

「何言ってるの。藤乃にはベッドを使ってもらうとして……貴方はわたしの身体が冷えないように、抱き枕になりなさい」

 

「……はい?」

 

 抱き枕。

 

 つまり、鮮花と一緒に床で寝ろと? しかも密着状態で?

 

「そ、それは構わないとしても……良いのかな? 彼女は鮮花の友達でしょう? その前で……」

 

 さすがに友人の目の前でイチャつくのは教育上よろしくないのでは、と藤乃の方をチラリと見る。

 

 藤乃は少し顔を赤らめつつも、嫌悪感はないようで、むしろ興味深そうに僕たちを見ている。

 

「あら、何か問題でも?」

 

 鮮花は小首を傾げる。その瞳は「拒否権なんてないわよ」と雄弁に語っていた。

 

「あ、うん。そうだね。問題ない……よね」

 

 僕は自分に言い聞かせるように頷いた。

 

 今の僕は、鮮花によって開発され、織によって生まれ変わった「姫」なのだ。

 

 いわば女の子同士のお泊まり会に、一人混ざっているようなもの。

 

 だから、鮮花と一緒に寝て、抱き枕にされたとしても、何も不思議じゃない。

 

 ……不思議じゃない、はずだ。

 

 僕は諦めと僅かな期待を胸に、鮮花がテキパキと床に布団代わりの毛布を敷くのを見守る。

 

 今夜は、長く、そして温かい夜になりそうだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 まるで母親の胎内に還ったかのような、絶対的な安らぎ。

 

 温かくて、優しくて、どこまでも柔らかい羊水に抱かれているような浮遊感。

 

 鮮花の腕の中は、僕にとって世界で一番安全な揺籃だった。

 

 昨晩の激闘と、その後の精神的な疲弊、そして彼女に骨の髄まで搾り取られた肉体的な消耗。そのすべてが、彼女の体温と鼓動のリズムに溶けていき、泥のようなまどろみへと沈んでいく。

 

 悪夢も、死の線も、何もかもを忘れて過ごせた、奇跡のように静謐な一夜だった。

 

 翌朝、カーテンの隙間から差し込む白い光で目を覚ますと、すでに鮮花は活動を開始していた。

 

 彼女は手際よく礼園女学院の寮監に電話をかけ、昨夜の顛末を報告していた。

 

「ええ、そうです。……はい、緊急避難的に。警察沙汰にする前に、まずは身の安全を確保する必要がありましたので」

 

 理路整然とした口調は、優等生そのものだ。昨夜の激情家とはまるで別人のような落ち着き払った態度に、僕は内心で舌を巻く。

 

「はい、証人もおります。代わりますね」

 

 受話器を渡され、僕は証人としての役割を演じることになった。

 

 昨夜、二人の少女を保護した「一般市民」として、努めて誠実に状況を説明する。

 

「ええ、五人程の男たちに囲まれていて……非常に危険な状態でした。もし必要であれば、調書提出にも応じますので」

 

 一先ず事態の深刻さを強調しておく。

 

 そして本題だ。

 

「今日は彼女たちを休ませてやってください。特に浅上さんには、早急に医療機関での検査が必要です」

 

 僕の進言もあり、二人は「病気療養および精神的ケア」という名目で、今日の講義を欠席する許可を取り付けることができた。

 

 電話を切った後、僕たちはすぐに身支度を整え、病院へと向かった。

 

 目的は二つ。

 

 一つは、僕の魔眼が捉えた彼女の腹部にある「死」の正体を暴き、治療すること。虫垂炎と腹膜炎の併発は、無痛症の彼女にとってはサイレントキラーだ。一刻の猶予もない。

 

 そしてもう一つは、よりデリケートで、残酷な現実と向き合うための検査だ。

 

 僕の中にある「知識」によれば、浅上藤乃という少女は、この七月の凶行に至る半年前から、定期的に不良グループによる拉致と暴行を受け続けていたはずだ。

 

 昨夜の未遂は氷山の一角に過ぎない。

 

 彼女の精神が摩耗し、限界点を超えて『歪曲の魔眼』が覚醒するトリガーとなったのは、痛みによるスイッチだけではない。長期間にわたる尊厳の蹂躙と、心身に刻まれた深い傷跡こそが、彼女を修羅へと変える火種だったのだ。

 

 だから、一度精密検査を行う必要がある。

 

 腹部の病巣だけでなく、彼女の身体に刻まれたであろう、おぞましい暴力の痕跡を。

 

 その傷がどれほど深いものなのか。肉体的な治療だけでなく、精神的なケアがどれほど必要なのか。

 

 それは素人判断で触れていい領域ではない。プロの医師、それも事情を汲んでくれる信頼できる人間に委ねるべきだ。

 

 病院への道中、僕は鮮花と浅上藤乃の付き添いとして、二人の少し後ろを歩いた。

 

 退院したばかりで、まだ復学の目処も立っていない僕にとって、時間は有り余っている。

 

 世間一般から見れば「暇人」かもしれないが、今の僕にとっては、この時間こそが何よりも重要だった。

 

 前を歩く藤乃の背中は、どこか頼りなく、少しの風で折れてしまいそうに儚い。

 

 彼女が抱えてきた孤独と痛みを思うと、胸が締め付けられる。

 

 だが、その隣には鮮花がいる。

 

 彼女の手をしっかりと握り、前を向いて歩く鮮花の強さが、今はただ眩しかった。

 

 僕ができることは少ないかもしれない。

 

 けれど、少なくとも「知っている」人間として、最悪の未来を回避するための手助けはできるはずだ。

 

 織の力を借りるまでもない。

 

 これは、境織姫として、そして鮮花に愛される「姫」として、果たすべき役割なのだから。

 

 

 

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