普通ではない鮮花の普通ではない友達   作:星乃 望夢

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第十七話

 

 無機質な電子音と共に、式の持つ携帯電話が鳴った。

 

 彼女は躊躇なく通話ボタンを押し、耳に当てた。

 

 漏れ聞こえる声はない。ただ、式が放つ返答の言葉の端々から、相手が件の爆弾魔であり、その能力の正体が徐々に見えてくる。

 

「……なるほど。お前の視ている未来は、そういうカラクリか」

 

 話の内容を傍らで聞きながら、僕も思考を巡らせる。

 

 式の分析によれば、爆弾魔の未来視は「予測」ではなく「測定」に属するタイプのものだという。

 

 予測と測定の違い。

 

 起きる可能性を視るのが予測。無数の分岐の中から、統計的に最も高い確率の未来を覗き見る行為だ。観布子の母の能力はこちらに近いだろう。

 

 対して、起きる可能性を限定し、確定させるのが測定。

 

 シュレディンガーの猫の箱を開け、「猫は死んでいる」と観測者が認識した瞬間に結果が固定されるように。

 

 未来を測定するということは、未来を決めてしまうということだ。

 

 「ここで爆発が起きる」と測定された未来は、もはや回避不能な決定事項として現実を侵食する。それが彼の爆弾が百発百中で標的を追い詰める理由だ。

 

 携帯電話で挑発的な会話を続ける式について歩く傍らで、僕たちは橋に差し掛かった。

 

 見通しの良い普通の橋だ。

 

 その路肩に、一台の無骨なトラックが不自然に停められているのが目に入った。

 

 ハザードランプも点いていない。運転席に人影もない。

 

 チリチリと、首筋が焼け付くように疼く。

 

 脳裏に蘇る、観布子の母の警告。

 

 ――『今日は橋と駐車場に気をつけな。鬼門だからね』。

 

 嫌な予感が、確信へと変わる。

 

「ねぇ、式――」

 

 続く言葉を紡ぐ前に、世界が反転した。

 

 僕の身体は宙に浮いていた。

 

 式に首根っこを掴まれ、強引に横へと薙ぎ払われるように引っ張られたのだ。

 

 直後。

 

 鼓膜を破壊するような轟音と共に、トラックが爆発した。

 

 紅蓮の炎が膨れ上がり、爆風が質量を持った壁となって僕たちを襲う。

 

 熱い。

 

 炎に包まれず、五体満足でいられたのは、爆発のコンマ一秒前に式が僕の身体を引き寄せ、橋の欄干を飛び越えていたからだ。

 

 それでも、瞬間的に肌を撫でた爆風の熱は、死の感触そのものだった。

 

 爆風を横からもろに食らった式は、吹き飛ばされながらも空中で猫のように身を捻った。

 

 彼女は僕をしっかりと抱き抱え、自分の身体をクッションにするようにして、橋の下を流れる川へと落下していく。

 

 ドボンッ、という鈍い水音。

 

 冷たい水が全身を打ちつけ、視界が泥色に染まる。

 

 息が詰まる。重たい和服が水を吸い、身体を下へ下へと引きずり込もうとする。

 

 けれど、式の腕は僕を離さなかった。

 

 彼女に引き上げられるようにして、僕は水面へと顔を出した。

 

「ぷはっ……! ゲホッ、ゲホッ……!」

 

 泥水を吐き出しながら、何とか岸へと這い上がる。

 

 式もまた、濡れ鼠になりながら上陸し、川に落ちる瞬間に河川敷の草むらへ放り投げていた携帯電話を拾い上げた。

 

 通話はまだ切れていないらしい。

 

 彼女は水滴の滴る前髪をかき上げ、遥か彼方にあるビルの屋上を睨みつけた。

 

「……見つけた」

 

 その声には、獲物を追い詰めた狩人の歓喜が滲んでいた。

 

 本当にどうなっているんだろうか式は。

 

 この距離で、しかも爆発の混乱の中で、此方を観測している未来視の爆弾魔の位置を特定するなんて。

 

 未来測定の未来視ならば、結果を確定させるために「観測」が必要になる。だから爆弾魔は、どこか見晴らしの良い場所から、スコープ越しに式と僕を見ている必要があった。

 

 理屈は分かる。だが、この広大な都市風景の中から、たった一つの視線を見つけ出す芸当は、もはや人間業ではない。

 

 ぐっしょりと濡れた和服が重い。

 

 あまり綺麗な川じゃないから、早く洗わないとドブ川特有の匂いが染み付いてしまうかもしれない。

 

 僕は後ろ髪を纏めているヘアゴムを取り、濡れて張り付いた髪の毛をバサリと広げた。

 

 真夏の水浴びをするなら、もう少し清涼な渓流か、せめてプールが良かったなと、場違いな感想が頭をよぎる。

 

 式が、通話を切り、僕の方へと振り返った。

 

「気をつけて、式。……今日は橋と駐車場が鬼門らしいから」

 

 僕がそう伝えると、彼女はニヤリと不敵に笑った。

 

「へぇ。つまり終点は駐車場か。わかりやすくていい」

 

 ポイッと、用済みになった携帯電話を僕に放り投げる。

 

 慌てて受け取る僕を置き去りにして、式は疾風のように駆け出した。

 

 水を吸って鉛のように重いはずの着物で、どうしてあんなスピードで走れるのだろう。

 

 彼女の背中は、瞬く間に遠ざかっていく。

 

 橋の次の鬼門である、駐車場。

 

 そこら辺にあるコインパーキングとは思えない。

 

 さっき式が鋭い視線を向けたビル。あそこから近くて、狙撃や観測に適した特徴のある駐車場――デパートに併設された立体駐車場か。

 

 手元の携帯電話を見る。

 

 今、式が助けてくれなかったら、僕は爆弾の直撃を受けずとも、爆風で内臓を破裂させて死んでいたかもしれない。

 

 あるいは、橋から落下して溺死していただろう。

 

 『式と関わると死ぬ』。

 

 観布子の母の予言が、呪いのように脳裏を過ぎる。

 

 鬼門である橋での爆破。そして僕の死相。半分は当たった。

 

 だが、僕はまだ生きている。式が運命をねじ曲げてくれたからだ。

 

 つまり、次の駐車場に僕が向かえば。

 

 次も無事で済むという保証はどこにもない。

 

 むしろ、今度こそ決定的な「死」が待ち受けている可能性の方が高い。

 

「式……」

 

 僕は走り去って行った式の、もう見えなくなった背中を見つめる。

 

 追いかけるべきか。それとも、足手まといにならないようここで待つべきか。

 

 心臓が早鐘を打つ。

 

 僕にできることは、彼女の無事を祈ることだけなのか。

 

 いや、本当にそれでいいのか。

 

 僕もまた、自分の未来を自分で選ばなければならないのではないか。

 

 僕は濡れた拳を握りしめ、泥だらけの足で、一歩を踏み出した。

 

 

◇◇◇

 

 

 まるで僕がそこに辿り着くのを待っていたかのように、式はデパートの立体駐車場の入り口に佇んでいた。

 

 その足元には、見えない死骸が転がっているような気配が漂う。

 

「定められた結果の末路か」

 

 彼女は短くそう呟いた。

 

 それはまるで過ぎた事実の確認の様な声音だった。

 

 カタチがあるのならば、未来ですら殺せる。

 

 なんて無茶苦茶な眼だ。因果の理すらもナイフ一本で切断する、神域の御業。

 

 式は、爆弾魔によって「決定」されたはずの未来像そのものを殺したのだ。

 

 爆弾魔からすれば、これほど理不尽な話はないだろう。必中必殺を約束された未来を、暴力的なまでの概念殺しで強制キャンセルされたのだから。そんなズルめいた決着、彼に同情したくなるほどだ。

 

 そう。決着である。

 

 僕が息を切らせて到着した頃には、すべてが終わった後だった。

 

 爆弾魔の正体は、まだ子供と言える十代半ばの少年だった。

 

 彼が設置した指向性の爆弾は、本来ならば式を木っ端微塵にするはずだった。だが、「式が死ぬ」という未来そのものが殺されたことで、爆発の因果がズレた。

 

 それでも、少年は最後のあがきを見せた。

 

 雄叫びにも似た絶叫と共に、彼は起爆装置のスイッチを押し込んだのだ。

 

 今度こそ、物理的な起爆信号が走り、爆炎が咲いた。

 

 だが、それは虚しい徒花だ。

 

 式が「死なない未来」の場所に立った以上、彼女を殺すという因果からは外れている。

 

 ばら撒かれた無数の鋼玉は、駐車してある車のボディを蜂の巣にし、コンクリートの柱を無惨に引きちぎり、壁を抉ったが――式には、掠り傷一つ負わせることはなかった。

 

 対人地雷もどきのクレイモア。殺意が高すぎやしないかと思う惨状だが、それもすべて空振りに終わった。

 

 噴煙が晴れる中、式は気怠げに僕の方へと歩み寄ってきた。その手には、奪い取ったであろう起爆装置が握られている。

 

「……良いの? ソレ」

 

「未来視は殺した。右目もな。奴の商売道具はもう使い物にならない。だから爆弾魔も今日で廃業だろ。それ以上は知らない」

 

 式は興味なさげにそう言い捨てた。

 

 まさか凶悪な連続爆弾魔の正体が子供だったなんて、警察でもすぐには突き止められないだろう。

 

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえ始める。面倒な事情聴取に巻き込まれる前に退散の構えらしい。

 

 そういえば、幹也先輩と待ち合わせをしているのだったか。

 

 式が良いと言うのなら、これ以上僕が口を挟むのも野暮というものだ。

 

 ――後日談となるが、公式な記録上では、この事件は奇妙な結末を迎えたことになっている。

 

 現場では家族を庇って軽傷を負った父親が一人と、右目に重傷を負った子供が一名、救急車で搬送された。

 

 あれだけの鋼玉がばら撒かれたにも関わらず、奇跡的に死者はゼロ。

 

 そして、現場にいたはずの着物の少女や、その少女によく似た面差しの少年の姿は、誰の記憶にも、どの防犯カメラの記録にも残されることなく、事件は霧散した。

 

 とは言え、現場を離れた僕たちは、互いにあまり身綺麗とは言えない有様だった。

 

 川遊びの後のようにぐっしょりと濡れ、煤と埃にまみれている。

 

 僕は式から返された携帯電話を操作し、幹也先輩が待っているだろう喫茶店「アーネンエルベ」に電話を入れた。

 

『はい、アーネンエルベです』

 

 店員さんに事情を話し、幹也先輩に取り次いでもらう。

 

 受話器の向こうから、聞き慣れた、そして何よりも安心する穏やかな声が響いた。

 

「もしもし、織姫くん? 二人とも遅いけど、何かあったのかい?」

 

「あ、先輩。すみません。実は……」

 

 僕は息を吸い込み、淀みなく嘘を紡ぐ。

 

「観布子の母に会いに行った帰りなんですけど、僕がドジを踏んで足を滑らせて、川に落ちちゃいまして。それを助けようとして、式も一緒に飛び込んじゃったんです。だから一度家に戻って、シャワーと着替えを済ませてから向かいます。少し遅れますけど、必ず行きますから」

 

『えっ、川に? 大丈夫かい? 怪我はない?』

 

「はい、大事ないです。ただの泥汚れだけですから。ご心配おかけしてすみません」

 

 幹也先輩は本気で心配してくれた。その優しさに胸が痛むと同時に、温かくなる。

 

 幹也先輩は観察眼が鋭い。式が相手なら、彼女のつく嘘や隠し事には敏感に気づくだろう。

 

 けれど、僕なら。

 

 「境織姫」という、少し抜けたところのある後輩の言葉なら、まだ疑うことなく信じてくれる。

 

 だから、爆弾魔に殺されそうになったことも、その爆弾魔の未来を殺して廃業させたことも、知らせない。

 

 血なまぐさい真実は、闇に葬る。

 

 それが、僕の中にいる織が見るユメだから。

 

 シキの幸せには、コクトーが必要だ。

 

 彼という陽だまりが、彼女を人の世に繋ぎ止めている。

 

 だから僕も、必要以上に幹也先輩がこちらの側の「異常」や「危険」に触れないように、防波堤となる。

 

 通話を終え、隣を歩く式は、何も言わずにむしろ満足そうに僕の嘘を受け入れていた。

 

 あの人の『普通』は、異常な世界に生きる僕たちにとって、何よりも守らなければならない、かけがえのない宝物なのだから。

 

 

 

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