普通ではない鮮花の普通ではない友達   作:星乃 望夢

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第二話

 

 正月は、まさに台風一過の後のような騒々しさだった。

 

 ショック状態で寝込むかと思われた鮮花だったが、彼女の回復力は僕の予想を遥かに上回っていた。

 

 復活した彼女は、まるで溜め込んでいたマグマを噴出させるかのように、あっちこっちへと僕を連れ回した。

 

 初詣に始まり、デパートの初売り、話題のカフェ巡りに、映画鑑賞。

 

 その道中、彼女の口から絶え間なく紡がれるのは、泥棒猫こと両儀式への呪詛と、朴念仁な実兄・黒桐幹也への愛憎入り混じった怨嗟の声だ。

 

「大体なによあの女! 兄さんも兄さんよ、あんなのが趣味だなんてどうかしてる!」

 

「……うん、そうだね」

 

 罵詈雑言をBGMに、福袋を両手に抱えて街を闊歩する鮮花。

 

 僕が連れ回されているのは、本来ならお正月に幹也さんと過ごすはずだった予定の埋め合わせ――明らかな代償行為だということは分かっている。

 

 彼女の隣を歩くのは僕ではなく、本当は最愛の兄であるべきだったのだ。

 

 けれども、僕はそれでも構わなかった。

 

 鬱ぎ込んで部屋に引き籠もられるより、こうして毒を吐き散らしながらもエネルギーに満ち溢れている彼女の方が、ずっと良い。

 

 いつも通りの、勝気で傲慢で、けれど眩しい鮮花が戻ってくるのなら、荷物持ちだろうが愚痴の聞き役だろうが、どんな役回りだって引き受けよう。

 

 そして、一度どん底を覗いた彼女の再起は凄まじかった。

 

 鮮花は以前にも増して、己を磨くことに執念を燃やすようになったのだ。

 

「見てなさいよ。あの女が裸足で逃げ出すくらいのイイ女になって、兄さんを取り戻してやるんだから!」

 

 ただでさえ才色兼備で完璧に近い自分を、さらに上の次元へと押し上げようとする向上心。

 

 勉強も、立ち居振る舞いも、美容も、すべてにおいて一切の妥協を許さないその姿勢は、もはや鬼気迫るものがある。

 

 打倒・両儀式。奪還・黒桐幹也。

 

 その明確すぎる目標が、彼女をより強く、美しく変えていく。

 

 そんな鮮花の『友人』であり『ライバル』のポジションに居る僕も、必然的にその熱に巻き込まれることになる。

 

「織姫、背筋が曲がってるわよ」

 

「織姫、この問題の解き方、もっと効率的な方法があるんじゃない?」

 

「織姫、肌の手入れはちゃんとしてる? 隣を歩くんだから、みすぼらしいのは許さないわよ」

 

 彼女の隣に並び立つためには、僕自身もまた、彼女の審美眼に叶う存在でい続けなければならない。

 

 彼女のライバルとして、がっかりさせるような真似はしたくない。

 

 彼女という宝石を輝かせるための背景になるにしても、曇ったガラスでは失礼にあたる。

 

 それは客観的に見れば、どこか歪な関係なのかもしれない。

 

 兄への執着を原動力にする少女と、その少女への秘めた恋心を原動力に付き従う少年。

 

 互いに別の誰かを見ているようで、鏡のように影響し合っている共犯関係。

 

 けれども、僕はそれを少しも苦だとは思わなかった。

 

 むしろ、彼女に求められ、彼女のために自分を高めていけるこの日々が、酷く心地よかった。

 

 これが惚れた弱みというやつなのだろう。

 

 僕は苦笑しながら、また一つ増えた彼女の買い物袋を持ち直した。

 

 

◇◇◇

 

 

 打倒・両儀式を掲げ、私が更なる高みを目指して己を磨き上げるということは、必然的にその隣に立つ人間にも相応の「格」が求められるということだ。

 

 だから織姫も、私に合わせて自分を研磨していく。

 

 私の歩調が速まれば、彼は息を切らすことなく追いついてくる。

 

 私が要求するハードルが上がれば、彼は涼しい顔でそれを飛び越えてくる。

 

 それはまるで、私の成長に合わせて自動的にアップデートされるシステムのようであり、あるいは私の影が実体を伴って寄り添っているかのようでもあった。

 

 勘違いしないで欲しいのだけれど、私たちは別に付き合っているわけではない。

 

 私と織姫は、あくまで友達であり、ライバルであるだけ。

 

 恋人という契約関係にはないし、互いに束縛し合う権利も義務もない。

 

 普通なら、こんな一方的で身勝手な関係は、あっという間に破綻して終わるものだ。

 

 思春期の男子なんて、もっと単純で、見返りを求める生き物なのだから。

 

「俺の気持ちに応えてくれないなら、もういい」と拗ねて離れていくのがオチだろう。

 

 けれども、織姫は違う。

 

 彼は嫌な顔一つせず、文句も言わず、私の理不尽な要求にも、兄さんへの執着にも、すべて付き合ってくれる。

 

 私のことが好きだという、彼の秘めた想いに付け込んで。

 

 私は彼を『特別』な友達、『特別』なライバル、そして兄さんとはまた別の『特別』な人という、曖昧で都合の良い箱庭に閉じ込めている。

 

 でも、私は兄さんが好き。

 

 誰がなんと言おうと、私の世界の中心は黒桐幹也だ。私は兄さんの『特別』になりたい。兄さんにとって唯一無二の女性になりたい。

 

 その渇望は嘘じゃない。

 

 ……けれど、同時に私は、織姫の『特別』でも在り続けたいと願ってしまっている。

 

 彼が私に向ける、あの静かで熱っぽい視線を失いたくない。

 

 私だけを見て、私だけを優先してくれる彼の献身を、手放したくない。

 

 そんな強欲で矛盾だらけの私を、織姫は決して否定しない。

 

 「どっちつかずだ」と責めることも、「いい加減にしろ」と怒ることもない。

 

 ただ静かに微笑んで、私の隣に居場所を作り続けてくれる。

 

 そうして私はまた、織姫の底なしの想いに付け込んでいく。

 

 甘い毒を啜るように、彼の優しさを搾取していく。

 

 客観視すれば、とんでもなく酷い女だ。

 

 どっちの『特別』も手に入れたいだなんて、貪欲にも程がある。

 

 二兎を追う者は一兎をも得ずという諺がある通り、いつか私はすべてを失うのかもしれない。兄さんには届かず、愛想を尽かした織姫にも去られる。それが因果応報というものだろう。

 

 いっその事、拒絶してくれたって構わないはずなのに。

 

 「君の都合にはもう付き合えない」と突き放してくれれば、私も諦めがつくのかもしれないのに。

 

 なのに織姫は、そんな最低な私を、黙って受け入れて支えてくれる。

 

 その聖人のような、あるいは共犯者のような沈黙が、私をこのぬるま湯から逃がしてくれない。

 

 そんな、歪で奇妙な私たちの関係。

 

 言葉にすれば「友達」の一言で片付けられるけれど、その内実はあまりにも複雑怪奇。

 

 周囲から見れば、私たちは付き合っているようにしか見えないらしい。

 

 「もう付き合っちゃえばいいのに」とか「熟年夫婦みたい」なんて冷やかしの声も耳にする。

 

 けれど私たちは、その境界線を越えることもなく、かといって離れることもなく。

 

 友達以上恋人未満というありふれた言葉では到底説明しきれない、濃密で歪な依存関係を続けたまま。

 

 中学二年生の、騒がしくも平穏な日々は過ぎて行った。

 

 

◇◇◇

 

 

 中学二年生という生き物は、どうしてこうも男子の馬鹿さ加減をエスカレートさせる触媒になるのかしらね?

 

 野球部にサッカー部、バスケにテニスにバレー部。

 

 とにかく運動部でキャプテンだとかエースだとか、あるいはレギュラーに選ばれただとか、そんな肩書きを手に入れた途端、彼らは根拠のない自信に満ち溢れだす。

 

 私の下駄箱や机の中に、毎日のように入れられる呼び出しの手紙。

 

 これまで何人が玉砕して屍を晒しているか知っているはずなのに、どうして自分だけは特別で、例外で、受け入れられると思い込めるのか。その学習能力の欠如には呆れるばかりだ。

 

 この現象について、織姫に意見を求めたことがある。

 

 彼は少しだけ本から目を離し、冷めた缶紅茶を一口啜ってからこう言った。

 

「小学生のような純粋な子供感覚は抜け落ちたけれど、高校受験という現実的な壁はまだ来年という、少し先の未来にある。だから中学二年生というのは、人生で初めて体験するモラトリアムの全盛期にして絶頂期なんだよ。根拠のない無敵感と、無尽蔵に湧いてくる全能感に酔える唯一の時期と言ってもいい」

 

 相変わらず、織姫の言葉は教養と洞察に満ちていて、心地が良い。

 

 私の抱く不満を論理的に解き明かし、納得させてくれるだけの叡智がそこにはある。

 

 本当に、あの無駄にエネルギッシュで思慮の浅い男子たちに、織姫の爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだわ。

 

 なんでもっとこう、織姫みたいに振る舞えないのかしら。

 

 相手の領域を侵さず、尊重し、静かな思慕の内に秘めた恋情を抱く。そんな風に洗練された好意を向けることはできないの?

 

 織姫の纏う、あの静謐で心地良い空気感を知ってしまうと、他の男子が本当にただの子供にしか見えなくなる。

 

 彼らが求めているのは「私」という人間じゃない。

 

 「クラスで一番の美少女と付き合っている俺」というステータス。

 

 自分の空っぽなアイデンティティを埋めるための装飾品として、女を求めているようにしか思えないのよねぇ。

 

 そう、確信を持って言える。

 

 織姫がわたしに好意を寄せているというのは、決してわたしの自意識過剰や願望なんかじゃない。

 

 悔しいけれど、時々わたし自身が見惚れてしまいそうになるほど、織姫は綺麗な顔立ちをしている。思わず嫉妬してしまうくらいの美貌の持ち主だ。

 

 けれど、彼もやっぱり男の子なのだと実感する瞬間がある。

 

 わたしが不意にそのパーソナルスペースを侵して、肩が触れ合うほどに身を寄せると――彼は静かに、けれど確実に耳の先まで赤く染めるのだ。

 

 そんな反応を引き出せるのは、世界でわたしだけ。

 

 ふざけて織姫にちょっかいを掛ける女子や、そのミステリアスな雰囲気に惹かれて本気で懸想する女子も居る。

 

 けれど、織姫は誰に対してもあの涼しい顔を崩さない。

 

 その対応が周囲には「紳士的」だとか「クール」だと映り、勝手に評価を上げて人気に拍車を掛けているみたいだけれど、わたしに対してだけは、その鉄壁が機能しない。

 

 わたしだけが、織姫の『特別』。

 

 その事実は、わたしにこれ以上ない優越感を齎す。

 

 織姫という、周りの有象無象とは違う特別な人間に、特別に想われている。その事実はわたしの自尊心をくすぐり、自分をより高みへと磨き上げる原動力になる。

 

 彼に見合う女であり続けるために、わたしはわたしを誇示できる。

 

 もちろん、それを面白くないと思う女子からの僻みや嫉妬の視線を感じることもある。

 

 けれど、お生憎様。

 

 わたしはその程度の逆風でへこたれるようなヤワな女じゃない。

 

 小学生の頃、誰よりも人間嫌いで、頑なに殻に閉じ籠もっていた織姫の心を開いたのは、他ならぬわたしの努力と根気の結果なのだから。

 

 今日昨日現れたぽっと出の女に靡くほど、織姫は安っぽい男じゃないもの。

 

 

◇◇◇

 

 

 絶対君主として玉座に座る、学年首位のわたし。

 

 その傍らで静かに控える、次席の織姫。

 

 その順位を分かつ決定的な境界線は、英語と数学の点数にあった。

 

 文芸や歴史に関しては博覧強記を誇る彼だけれど、どうやら論理的な数式や異国の文法といった分野は、彼にとって少々相性が悪いらしい。

 

 もっとも、苦手と言ったところで、それは「満点を取り続けるわたし」と比較しての話だ。

 

 たった一問、あるいは二問。

 

 その僅かなミスの差で順位が決まるのだから、彼の実力が凡百の生徒たちを遥かに凌駕していることに変わりはない。

 

 どんなに完璧を求めて研磨しても、どこかに人間らしい綻びが出てしまう。

 

 その微かな隙こそが、彼の魅力なのかもしれないけれど。

 

 そんな彼の価値に、周囲が気づかないはずもなかった。

 

 二年生の三学期も終わろうとする頃、わたしの下駄箱だけではなく、織姫の下駄箱や机にも、色めき立った呼び出しの手紙が頻繁に投函されるようになったのだ。

 

 無理もない話だ。

 

 学年首位の美少女・黒桐鮮花に唯一並び立てる才知を持ち、次席をキープし続ける秀才。

 

 男子という枠で見れば、学力はトップ。運動神経も万能で、体育の授業や球技大会で見せる身のこなしは洗練されている。

 

 それでいて、無駄に騒ぎ立てることのない寡黙さと、誰に対しても礼節を崩さない紳士的な態度を併せ持つ文学美少年。

 

 これだけの条件が揃っていて、しかも「黒桐鮮花とは交際しているわけではない」という情報が出回れば、獲物を狙う狩人たちが色めき立つのも当然の帰結だろう。

 

 告白するだけならタダ。玉砕覚悟でアタックをかけるのは、思春期の特権であり、相手の勝手だ。

 

 ただ、結果は火を見るよりも明らかだった。

 

 わたしに挑んで散っていった男子たちの屍累々と同じように、織姫に挑む女子たちもまた、全員が見事なまでに玉砕していく。

 

 わたしたちのクラスで、織姫に無謀な特攻を仕掛ける女子など皆無だ。

 

 彼女たちは教室という閉鎖空間の中で、毎日見せつけられているからだ。

 

 織姫の視線が、意識が、その魂の在り方が、わたしという一点にのみ注がれている事実を。

 

 そこに入り込む隙間など、針の穴ほども存在しないことを、肌感覚で理解している。

 

 けれども、日頃の接点が薄い他クラスの生徒や、情報網の疎い上級生、下級生にはそれが伝わらないらしい。

 

 加えて、わたしが生徒会に入ったことで、事態は加速した。

 

 わたしが生徒会役員になれば、当然のように織姫も付いてくる。

 

 わたしが生徒会長の座に就き、彼が副会長としてその右腕になれば、二人が並んで仕事をする姿は全校生徒の目に触れることになる。

 

 壇上で指示を飛ばすわたしと、それを完璧に補佐する彼。

 

 一見すれば、織姫という存在は、手が届きそうで届かない、超絶優良物件に見えることだろう。

 

 その涼やかな横顔に熱を上げ、あわよくばその隣に収まりたいと夢を見るのも無理はない。

 

 けれど、残念ながらその席は予約済み――いや、そんな安っぽい言葉では表現できない。

 

 周囲は勝手に噂する。

 

 「お似合いのカップルだ」とか「いつも一緒で仲が良い」とか。

 

 けれど、わたしと織姫は、人前でベタベタとイチャつくような真似は決してしない。

 

 手を繋いで下校することもないし、互いを名前で呼び合って甘い空気を醸し出すこともない。

 

 そんな甘ったるい、ありふれたカップルの尺度で測られるような間柄じゃない。

 

 もっと精神的な、魂の深い部分で結びついた共犯関係であり、互いに互いを高め合うための不可欠なパーツ。

 

 友情と、執着と、依存と、敬愛が複雑に絡み合った、名前のつけられない関係。

 

 そんな単純な関係じゃないのよ、わたしと織姫は。

 

 呼び出しの手紙を困ったように見つめる織姫の横顔を見ながら、わたしは密かな優越感と共に、そう心の中で呟くのだった。

 

 

 

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