普通ではない鮮花の普通ではない友達   作:星乃 望夢

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第五話

 

 僕が暮らす祖父母の家は、この地方でもそれなりに名の通った旧家だった。

 

 広大な敷地の一角、鬱蒼と茂る木々に隠れるようにして、古めかしい土蔵が建っている。

 

 幼い頃から「危ないから近づくな」と厳命されていた開かずの場所だったが、老朽化に伴う整理のため、僕は祖父の手伝いとして初めてその重い扉を開くことになった。

 

 埃っぽい空気と、墨とカビの混じった独特の匂い。

 

 薄暗い蔵の中、僕は掃除の手を休め、偶然崩れ落ちた木箱からこぼれ出た一冊の古い書物を手繰っていた。

 

 黄ばんだ和紙に綴られた、筆文字の系譜。

 

 そこに記されていたのは、僕のルーツに関わる衝撃的な事実だった。

 

「……嘘でしょ」

 

 文字を追う指先が震える。

 

 境家が、あの『両儀家』の分家筋だなんて、初めて知った。

 

 両儀。

 

 この世界――魔術と神秘が未だ息づく『型月』の世界において、その名は特別な意味を持つ。

 

 退魔四家。古来より異能を以て人を魔から守護してきた狩人の血族。

 

 その中でも異端にして至高とされる一族の血が、薄まっているとはいえ、僕の血管にも流れているというのか。

 

 呆然としながら、僕は自分の手のひらを見つめる。

 

 なるほど、合点がいく。

 

 高校生になっても一向に男らしくはならず、むしろ中性的な美しさを増していくこの身体。

 

 「境」という境界を示す名字。「織姫」という女性的な名。

 

 そして何より、両儀式と同じ「シキ」という音を持ち、両儀織と同じ「織」の字を背負う運命。

 

 退魔の血筋。両儀との血縁。意味深な名前。そして、この世界の理の外からやってきた魂。

 

 これだけの要素が揃ってしまえば、もはや偶然の一言では片付けられない。

 

 数え役満どころの話ではない。これは、世界そのものが僕という存在に何かを期待し、あるいは呪いをかけているとしか思えなかった。

 

 そして、ふと思い至る。

 

 僕がこの世界に転生した時、僕の魂はどこを通ってきたのか。

 

 異界の魂がこの世界の肉体に定着し、適合する過程で、必ず経由しなければならない場所があるはずだ。

 

 ――『  』。

 

 根源の渦。

 

 全ての事象の始まりにして終わり。万物の記録と、あらゆる現象の座。

 

 もし僕がそこを通ってきたのだとしたら。

 

 僕の魂には、その残滓が刻まれているのではないか。

 

 そして、同じく根源に接続している「彼ら」となら、深い意識の底で繋がれるのではないか。

 

 その日から、僕の夜は変わった。

 

 布団に入り、瞼を閉じると、僕は意識を深く、深く沈めていく。

 

 睡眠という生理現象を超え、自己という殻を抜け出し、暗く冷たい深淵へと潜っていく。

 

 それは、溺れることに似ていた。

 

 あるいは、死ぬことに似ていた。

 

 本能が警鐘を鳴らし、引き返せと叫ぶ。

 

 けれど、僕は止まらなかった。まるでそうすることが最初から決められていた自然の摂理であるかのように、あるいは見えない力に強いられているかのように、僕は底へ、底へと落ちていく。

 

 恐怖はない。あるのは焦燥だけだ。

 

 まだ間に合うはずだ。

 

 まだ、消え去ってはいないはずだ。

 

 深い闇の中で、僕は必死に手を伸ばす。

 

 その魂が完全に根源へと還り、溶けてなくなってしまう前に。

 

 僕の、たった一人の理解者。

 

 僕の、唯一の「男友達」。

 

 ――織。

 

 お願いだ、返事をしてくれ。

 

 こんな結末で終わらせたくないんだ。

 

 僕は祈るように、縋るように、終わりのない闇の中で彼の影を探し続けた。

 

 

◇◇◇

 

 

 最近、織姫が目に見えてやつれているように見えてきた。

 

 元々色白で線の細い人だったけれど、今の彼はまるで蝋細工のように血の気がなく、透き通るような白さが病的にすら感じられる。

 

 生気がない、という表現がこれほど似合う状態もないだろう。

 

 授業中、ふと隣を見ると、彼がそこに「居ない」ような錯覚に囚われることがある。

 

 肉体はそこにあるのに、中身がどこか遠くへ行ってしまっているような。

 

 ちゃんと腕を掴まえて、私の重みで繋ぎ止めておかないと、ふとした瞬間にふわりと霧散して消えてしまいそうなほど、その気配が希薄になっているのだ。

 

 その原因の一端と思われるのが、最近彼が読み耽っている古書だ。

 

 休み時間も、放課後も、彼は古めかしい和綴じの本に没頭している。

 

 そこには現代文とはかけ離れた難解な文字が踊っているけれど、彼はそれを憑かれたように読み解いている。

 

 我慢できず、私はある日の放課後、彼に率直に尋ねてみた。

 

「ねえ、織姫。最近、何をしているの?」

 

 織姫は本からゆっくりと視線を上げ、焦点の定まらない瞳で私を見た後、掠れた声でこう答えた。

 

「……友達を、探しているんだ」

 

 私は思わず首を傾げた。

 

 友達? 織姫に?

 

 彼がこれまでの人生で、積極的に友達を作ろうとしたことなんて一度もない。

 

 孤高を貫き、他者を寄せ付けず、その隣に立つことを許されたのは、世界でただ一人、私だけだったはずだ。

 

 その「友達」という席は、私のための特等席であり、他の誰かが座る余地なんて最初から存在しない。

 

 だから、「友達を探している」という表現は、彼には致命的に当てはまらない。

 

 百歩譲って「友達を作ろうとしている」と言われた方が、まだ納得がいく。それなら最近の奇行も、彼なりの不器用な社交訓練だと解釈できるかもしれないからだ。

 

 けれど、「探している」とはどういうことなのか。

 

 まるで、かつて存在した誰かを、あるいは失くしてしまった大切な何かを、必死に捜索しているかのような響き。

 

 それに、その言葉だけでは、今の彼の幽霊みたいなやつれ加減の説明がつかない。

 

 夜な夜な街を彷徨っているわけでもないのに、どうしてこれほどまでに自分をすり減らしているのか。

 

 織姫のすべてを知っていると自負していた。

 

 彼の思考、彼の癖、彼の孤独、彼の私への想い。

 

 そのすべてを把握し、掌握していると思っていた。

 

 なのに今、私の知らない何かが、彼の身に起きている。

 

 私の手の届かない深い場所で、彼が一人で何かと戦い、傷つき、消耗している。

 

 それはわかる。

 

 けれど、それだけしかわからない。

 

 その事実が、得体の知れない不安となって、私の心をどうしようもなく煩わせた。

 

 彼が遠くに行ってしまう。

 

 私の知らない「友達」という名の誰かに、彼を奪われてしまうかもしれない。

 

 そんな予感が、冷たい棘となって胸に突き刺さっていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 そこに、底はなかった。

 

 上も下もなく、時間も空間も意味を失う、絶対的な暗黒。

 

 どこまでも暗くて、昏い場所。

 

 「無」という概念すらも無に帰してしまうような、原初の混沌にも似た冥い場所。

 

 僕は毎日、夜の帳が下りるのを合図に、意識をその深淵へと沈めていた。

 

 肉体の枷を外し、理性の囲いを越え、命綱も持たずに魂の海へとダイブする。

 

 すべては、唯一の「男友達」を探し出すために。

 

 客観的に見れば、正気の沙汰ではない。

 

 いや、狂っていると断じられても反論の余地はないだろう。

 

 たった一度。ほんの数十分。言葉を交わしただけの相手だ。

 

 名前を交換し、みかんを食べて、妹の自慢話を聞いただけの、些細な縁。

 

 それを「友達」と呼ぶことすら、おこがましいのかもしれない。

 

 そんな希薄な繋がりのために、魂の路を逆走し、万物の根源たる『  』の縁へ還ろうとしている。

 

 それは緩やかな自殺に他ならない。

 

 魂が摩耗し、生命力が削り取られ、現世との結びつきが希薄になっていく感覚。

 

 鮮花に「幽霊みたい」だと指摘されたのも当然だ。

 

 鏡に映る自分の顔は、日を追うごとに青白く透き通り、瞳からは生気という輝きが失われている。

 

 まるで、生きながらにして死者の国へと片足を踏み入れている亡霊のように。

 

 けれども僕は、止めない。

 

 止めるつもりも、止まるつもりもなかった。

 

 だって、辞められないのだ。

 

 この胸に焼き付いた喪失感は、探求を止めた瞬間に僕を押し潰してしまうだろうから。

 

 「災難だったな」と笑いかけてくれた、あの声。

 

 僕と同じで、僕とは違う、あの魂の輝き。

 

 たとえ世界が彼を「無かったこと」にしたとしても、僕だけは忘れない。

 

 この胸に抱く、生涯でたった一人の同性の友達を、そう簡単に手放したくはない。

 

 だから僕は今夜も、冷たい布団の中で目を閉じる。

 

 意識の深度を下げ、自我が溶け出す恐怖と戦いながら、虚無の海へと漕ぎ出していく。

 

 いつかその指先が、彼という存在の残滓に触れることを信じて。

 

 

◇◇◇

 

 

 織姫が目覚めなくなって、一ヶ月という月日が流れた。

 

 最初は、死んでいるんじゃないかとさえ疑われた。

 

 呼吸は浅く、脈拍は緩慢で、体温は冷たい。まるで生命活動を最小限に抑え、自らスイッチを切ってしまったかのような状態だったからだ。

 

 けれども、医師の診断は「異常なし」。

 

 織姫は死んではいない。ただ静かに眠っているだけ。深い、深い、誰も手の届かない場所で、眠り続けているだけなのだ。

 

 病室のベッドで、白磁の人形のように横たわる彼を見下ろしながら、わたしは唇を噛み締める。

 

 ――ホントに、何をしてるのよ、バカ。

 

 このわたしを差し置いて。

 

 残されたわたしの気持ちなんてお構いなしに、そんなになるまで魂を削って追いかける「大切な誰か」って、一体誰なのよ!

 

 悔しさで視界が滲む。

 

 わたしは、境織姫という人間のことを誰よりも知っている。彼の嗜好、彼の思考、彼の弱さ、そして彼が誰を特別に思っていたか。

 

 だから当然の帰結として、消去法でその答えにたどり着いてしまう。

 

 あの女だ。

 

 あの泥棒猫だ。

 

 両儀式。

 

 彼女の事故の報せ。

 

 それを伝えた時、織姫はまるで自分の半身をもがれたように酷く落ち込んでいた。

 

 あの女が、昏睡状態に陥った。

 

 そしてそれを追うようにして、織姫もまた目を覚まさなくなった。

 

 偶然? いいえ、そんなわけがない。

 

 同じ「シキ」という名前を持つあの女と、織姫はたった一度だけ出逢っている。

 

 あのお正月。わたしが兄さんにあの女との関係を問い詰め、ヒステリックに叫んでいたあの僅かな時間。

 

 あの時、織姫とあの女は二人きりだった。

 

 あの空白の時間に、二人の間で何があったのかは分からない。

 

 けれど、織姫の魂をここまで引きずり込むほどの「何か」が、あの女にはあったのだ。

 

 兄さんを奪うだけじゃ飽き足らず、わたしの織姫まで連れて行こうとするなんて、あの女はどこまで強欲なのかしら。

 

 ギリ、と奥歯が鳴る。

 

 ここで指をくわえて、彼が枯れていくのを待っているなんて御免だわ。

 

 わたしは、決めた。

 

 兄さんに会いに行く。

 

 本当なら、あと数年。大学進学に合わせて上京し、誰もが振り返るような完璧な淑女に生まれ変わった姿で、兄さんの記憶に鮮烈に刻み込まれるための「上京作戦」を練っていた。

 

 けれど、そんな悠長な計画なんて、もう知ったことじゃない。

 

 今はなりふり構っている場合じゃないのよ。

 

 兄さんなら、知っているはずだ。

 

 あの女のこと。そして、あの女の周りで起きている不可解な現象のこと。

 

 わたしの『特別』な人を、死の世界へと連れ去ろうとしているあの女の正体を。

 

 待っていなさい、織姫。

 

 貴方がどこの暗闇を彷徨っているのかは知らないけれど、必ずわたしが引きずり戻してあげる。

 

 貴方の魂も、身体も、全部わたしのものなんだから。

 

 勝手に終わらせるなんて、絶対に許さないんだから!

 

 

 

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