キャンバスが気になる。
あれから授業で何度も模擬レースをし、そのたびにキャンバスの近くで走りを観察した。
だけど、他のウマ娘が感じるという彼女の強さは全くわからなかった。
レースの結果も彼女の強さを証明するものではない。
私と同じようにレースでは手を抜いているんだろうけど、それでも他のウマ娘は明確に感じ取れるくらいキャンバスは強いらしい。
それを感じ取れないって私はどんだけ鈍いんだろうね。
レースが終わって教室に戻り、見ているのがバレないように机に座っているキャンバスの様子を見ると、心なしかケロッとしてて全く疲れてなさそう。
確かに手を抜いてそうな感じではあるな。
キャンバスを観察していると彼女はいつも一人でいる。
聞いた話ではキャンバスは親の仕事の都合でこの国に来ているだけで、すぐにアメリカに戻るんだって。
しかも、そんな状態でこの国の言葉がわからないので自分から誰とも交流しようとしない。
この国出身で、まだ中学生になったばかりの私たちも英語が達者じゃないから彼女に話しかけるのを躊躇している。
お互いがお互いに薄いバリアを張っているような状態。
だからキャンバスはこのクラスではちょっと浮いた存在になっていた。
だけど、それはキャンバスのことを軽んじているのではなく、むしろその逆。
みんなからはキャンバスに対して強いウマ娘に対する敬意みたいなものを感じる。
でも、それがさらにキャンバスと私たちの間に壁を作ってしまっている。
そんな気がするんだ。
「コガラスさん、ちょっといいかしら?」
「はい?」
私はある日、ある教師から呼び止められた。
「実は次の授業で使うプリントを運んでほしくて……」
その教師は申し訳なさそうに頼みごとをしてくる。
「私、ちょっとやることがあって…。職員室の私の机にプリントあるから、お願いできる?」
いきなりじゃないかー。
でも立場が上に人にお願いされた時点で私の返事は決まってるんだよね。
それが社会人の悲しいサガなのだ。
「はぁい、わかりましたぁん♡」
私は内心めんどくさー、と思いながら表向きはとびきりの美少女ボイスとポーズで快諾する。
すると教師は汗の一筋を頬に流しながらまるで信じられないものを見た様な顔で私を見つめてきた。
おいおい、なんだその顔は。
聞こうと思ってもなかなか聞けない美少女の媚々ボイスだぞ。
まずは頭を下げてありがとうございますだよな。
お前は教師のくせに礼儀も知らんのか。
「じゃ、じゃあお願いね……」
「ハイ、ワカリマシタ」
美少女ボイスの無銭飲食をされた私は、表に怒りの感情を出さないようロボットになり応対する。
「な、なんでいきなり無表情になるのよ。もしかして怒らせた?だったらごめんなさい。無理しなくてもいいからね?」
「わふー!」
私は教師を無視して両手を広げながら走って職員室に向かった。
「失礼しまーす」
職員室に着くと、そこにあったものは天に届きそうなほどの山のようなプリントだった。
これ授業で使うってマジ?
こんな量、なにしたって絶対使い切れないだろ。
だけど、どれだけ疑問に思っても上司の命令は絶対だ。
私はこれを命に代えても運ばないといけない。
とりあえずプリントを一気に全部持ち上げた。
複数回に分けて運ぶとトレセン学園のなっがい廊下を往復しないといけなくなるからね。
効率を重視する私は廊下を早足で歩く。
そして当然のように転んだ。
「うおーーーーー!!」
プリントが勢いよく散らばり体が地面にビターンと綺麗にへばりつく。
もう最悪。
私は怪我がないか調べるために体をさすりながら顔を上げると、なんとそこにはいたのはキャンバス。
キャンバスはバラバラになったプリントをものすごい速度で集めて私に渡してくる。
その顔はちょっと得意げだ。
フンスフンスって擬音が聞こえてきそうな見事なドヤ顔。
やっぱこいつ可愛いな。
私はプリントを受け取る前に、お礼としてキャンバスの頭を撫でてやる。
なでりこなでりこ。
そうすると私が敵じゃないことが伝わったんだろう、まるで付き合いたてのカップルみたいな空気が私たちの間に流れた。
キャンバスも私も、お互いの国の言葉を知らないから何も言わない。
でも、それは不快な沈黙じゃなかった。
言葉がなくたって、きっと伝わるもの大事なものがある。
私たちは今、それを感じているんだと思う。
「あっ、コガちゃんがキャンバスちゃんいじめてるー」
「いじめてねーです」
その声の主はトラントトランだった。
トラントトランが私たちに近づくと、キャンバスはすぐに私に集めたプリントを渡して走り去ってしまう。
なんかゲームに出てくる経験値めっちゃくれる敵モンスターみたいなやつだな。
私なりに頑張ってコミュニケーションしたつもりだが、あれくらいじゃ心を開いてくれなかったみたいだ。
私はトラントトランと駄弁りながら、彼女がクラスに溶け込めるようにはどうすればいいだろうかを考えた。
休日。
その日、私は学園の近くにあるクラスでおいしいと評判のクレープ屋に来ていた。
クラスメイトによると、ここのビッグチョコバナナクレープ?ってのがおいしいらしい。
でも店に着いて並んでいたら、その商品の正式名称を知らないことに気が付いた。
飾ってあるメニュー表を見てみてもそれっぽいのはわからない。
後ろを待たせてるし、とりあえず注文しなきゃ。
「チョコのでっかいヤツください」
それで店員に伝わったようだ。
お目当てのクレープはすぐに来た。
それはクレープと呼ぶにはあまりにも大きすぎた。
大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。
ウマ娘としてはかなり小食気味な私にはちょっと胸焼けしそうな大きさだ。
味は………。
うん、腹が膨れるな。
大きさにしてはお値段がかなり安いし、育ち盛りのウマ娘にはちょうどいいかもしれない。
でも私にはこれを食べきるのは無理だ。
とりあえず帰ったらトラントトランに押し付けるか。
食べかけのクレープを片手に学園に帰ると、そこで偶然キャンバスと出会った。
私はなんとなくキャンバスに食べかけのクレープを差し出す。
「……食べる?」
キャンバスは勢いよくクレープに齧り付いた。
どうやらこれはキャンバスの好物だったようだ。
キャンバスはまるでハムスターのように頬を膨らませてクレープを食べ始める。
やっぱかわいいなこいつ。
私はそんなキャンバスの頭をまた撫でた。
なでりこなでりこ。
するとキャンバスはクレープを食べながら顔を赤らめて優しく微笑む。
「アリガトウ、ゴザイマス」
キャンバスは片言の日本語でお礼を言った。
たった一言だけど、私にはそれがどれほど勇気を出した一言だったのかしっかり伝わった。
恥ずかしがりながらクレープを食べるキャンバスを見ていると、心が温かくなる。
なんだか彼女に手を真っ直ぐ伸ばしたい。
その日はずっと、そんな気分になった。
また別の日の放課後。
学園では騒ぎが起こっていた。
なんでも学園で飼っていた猫が食事の時間になっても帰ってこないで、ずっと姿を見せないそうだ。
学園のウマ娘は総出で猫を探し回っている。
誰から聞いたのかは知らないけど、それを聞いたキャンバスも猫を探しているようだ。
キャンバスは雨が降っているのに傘もささずに校舎の外に出てグラウンドに向かう。
それを見た私は隠れながらキャンバスの背を追った。
グラウンドに出るとキャンバスはグラウンドの端に立っている、ある一本の木に真っ直ぐ向かいそこでしゃがみ込む。
そこには学園が探している猫がいた。
キャンバスには、なぜかその猫の居場所が分かったようだ。
その猫はよく見ると足を怪我している。
キャンバスは猫を優しく抱えると、その猫がいつもいる場所に置いて教師を呼びに行き、そのあと教師がやってきて猫を保護した。
教師に話を聞くとキャンバスは自分が猫を見つけたんじゃなくて、いつの間にか勝手に帰ってきたのを偶然見つけたってことにしたらしい。
この出来事の一部始終を見届けた後、私は思う。
キャンバスはすごく優しい心を持っている。
みんなに強さは伝わっているようだが、その心までは伝わっていない。
私はみんなにもそれが伝わるようにしてやりたい。
どうすればいいんだろうか。
キャンバスのために何かをしたい。
でも何を?
私に何ができる?
考えながら教室に戻ると、そこには雨に濡れたキャンバスが一人で立っていた。
私はその光景が無性に嫌だった。