倒れたままのルギアは、目を閉じて静かに眠っていた。
エボルはその小柄な体をそっと両腕で抱き上げる。
「こいつは、まだ子供だ……」
黒い煙を纏っていたときの荒々しさは微塵もなく、今のルギアはまるで穏やかな海そのもののようだった。
『大丈夫かな……すごく弱ってる……』
『あれだけの黒煙を纏ってたんだもの……普通じゃないわ』
「とりあえず、森の外に出る。……行方知れずだった人間たちのことは、あとでジュンサーに連絡する。ここにいたと、救助してもらえばいい」
エボルの言葉に、レイカとシルヴィアはうなずいた。
──
森の出口が見えてくる頃、風に混じってかすかに聞き覚えのある鳴き声が聞こえてきた。
『クンッ!』
『オオッ!』
「……あいつらか」
ロコンとオオタチが、心配そうに森の入口近くで待っていた。
『よかった……無事だったんだね!』
『でも、その子……』
オオタチがエボルの腕に抱えられたポケモンを見て、目を大きく見開いた。
『こ、これは……まさか……ルギア!?』
『あの伝説に語られる“海の神”!?』
エボルは頷く。
「そうだ。正体は、ルギアだった。まだ子供だがな。誰かに操られてた。……その証拠もある」
懐から、破壊された機械の残骸を取り出す。
「これが、首の後ろに嵌められていた。黒い煙の正体でもあった」
『……機械で支配されてたってこと……?』
『そんな酷いことを……!』
「説明はあとだ。まずは医療だ。ポケモンセンターに急ぐぞ」
──
町に戻ると、ポケモンセンターに駆け込み、受付で叫んだ。
「ジョーイさん!緊急だ!」
ジョーイがすぐさま顔を出し、腕に抱えられたルギアを見て目を見開いた。
「えっ……!ルギア!?すぐ処置室へ!」
ナースたちが慌ててストレッチャーを運び、エボルは慎重にルギアを横たえる。
「体は小さいけど、生命反応は安定してる……けど、これは……」
ジョーイが診察を始める中、入口の方からもう一人、制服姿の女性が駆け寄ってきた。
「エボル君!?連絡を受けて来たけど……まさか本当に……!」
「ジュンサーさん。助かった」
エボルは一礼しながら、懐から機械の残骸を取り出し、ジュンサーに手渡す。
「こいつが、ルギアの首に付けられていた装置だ。今は壊してあるけど、何かの制御機構だったはずだ」
ジュンサーは驚きと共にそれを受け取り、慎重にビニール袋に包んだ。
「……証拠として、しっかり預からせてもらうわ。検査して何が目的だったか調べてみる」
「それと──森の奥に、行方不明だった人間が数人いた。あれも、装置のせいで正気を失ってたんだと思う。位置は……」
エボルが地図を取り出して詳細な位置を伝えると、ジュンサーは即座に端末で救助隊を呼び出した。
「了解、すぐに部隊を回すわ。あなたたち……本当にありがとう。まさかこんな危険な場所へ足を踏み入れてたなんて……」
ジョーイが処置室から出てきて、小さく息を吐いた。
「今は眠っていますが、命に別状はなさそうです。少し栄養が不足してるのと、精神的な疲労が大きい……それでも、無事に戻ってこられてよかった」
『……よかった……ほんとによかった……』
『あのまま誰にも知られず……なんて、許せないわ』
レイカとシルヴィアは安堵の表情を見せ、エボルも静かに目を閉じる。
「ひとまず、これで一区切りだな」
ルギアの眠る部屋をガラス越しに見ながら、エボルはそっと呟いた。
それから一日が経過した。
ポケモンセンター内は、昨日とは打って変わって落ち着いた雰囲気に包まれていた。だがその空気を突き破るように、処置室の方から慌ただしい足音とナースの声が響き渡る。
「大変です!ルギアが……暴れています!」
エボルたちは食堂の隅で朝食を取っていたが、すぐさま立ち上がり、処置室の扉を目指した。
駆けつけると、部屋の中ではルギアがベッドの上で激しく羽ばたき、尾を振り乱しながら泣きじゃくっていた。
『やだっ、こわいっ!帰りたいよぉ……っ!!』
ナースたちは近づこうにも、強風のような翼のあおりに阻まれ、どうすることもできずにいた。
「……人間じゃ無理だ。レイカ、シルヴィア。お前たちに任せる」
エボルが後ろへ下がりながら告げると、レイカとシルヴィアはすぐに処置室へ駆け込む。
『大丈夫よ!落ち着いて!』
『私たち、敵じゃないから!あなたを助けたいの!』
突然のことに驚いていたルギアだが、優しい声を聞いたことで少しずつ羽の動きが緩やかになり、やがて嗚咽に変わった。
『ひぐっ……ぅぅ……っ……』
レイカがそっと羽に触れ、シルヴィアがそばで手を添えるように体を支える。
ルギアの荒れた感情が静かになったのを見計らって、エボルがゆっくりと前に出た。
「……お前を助け出したのは、俺だ」
その言葉に、ルギアはびくりと反応し、目をエボルに向けた。
怯えたような、けれどどこか助けを求めるような瞳。
『ほんと……に?』
シルヴィアが優しく微笑みながら頷く。
『そうよ、エボルが君の首の機械を壊してくれたの。だから今、自由なんだよ』
その言葉を聞いたルギアの表情は、少しだけ和らいだ。
怯えは消えないが、警戒心が和らぎ始めているのが分かる。
エボルはその様子を確認しながら、問いかけた。
「お前……どうしてあんな場所にいた?あの煙や暴れた理由に心当たりはあるか?」
ルギアはしばらく黙ってから、ぽつりと語り始めた。
『えっとね……いつもみたいに海で泳いでたんだ。そしたらね、急に眠たくなって……気がついたら、ここにいたの……』
「……それだけか。つまり、眠らされた後の記憶はないってわけか」
エボルは腕を組みながら、納得いかないといった様子で唸る。
「これじゃあ、何も分からねぇな……」
するとルギアは、不思議そうにエボルを見つめながら呟いた。
『……人間さん、僕の言ってること分かるんだね?』
エボルは軽く頷いた。特に隠そうとはせず、ただ「そうだ」と言うかのような無言の同意。
それを見たルギアは、不思議そうに首を傾げたが、すぐに瞳が潤み始めた。
『僕、海に帰りたい……!あそこが僕のおうちなの……!』
ぽろぽろと涙を零す姿に、レイカがすぐさまルギアのそばへ寄り添った。
『なら、私たちと一緒に行きましょ?元の場所まできっと案内してあげるわ』
『私も賛成よ。こんな小さな子を、まだ弱ってるのに放っておけないわ』
エボルは眉をひそめ、すかさずツッコミを入れる。
「……勝手に決めるな」
『でもエボル、あの子はまだ子供よ?ここに置いといたら、また危ないことがあるかもしれないじゃない』
『そうよ!助けておいて見捨てるなんて、ご主人様らしくないわ!』
「……俺だって子供だろうが」
そう返したが、レイカとシルヴィアは「また始まった」というように肩をすくめた。
『可哀想よ……お願い、ご主人様』
『エボル……この子、あなたを信じてるみたい』
レイカが懇願するように瞳を見つめてくる。
エボルは溜息をつき、後頭部を軽く掻きながら視線をそらした。
「……分かったよ。仕方ねぇ」
『やったー!ありがとう、ご主人様!』
『エボル、ありがとう!』
『えへへっ……!僕、ついてっていいの?』
「ただし。……お前の姿は目立つ。だから普段は、モンスターボールに入れ。注目されるのはごめんだ」
『う、うん……!分かった!』
エボルは一つだけ使っていなかったモンスターボールを取り出し、ルギアの前に差し出した。
「名前は……まだねぇのか」
『うん……!』
「……まぁ、いずれ決めればいい。とりあえず、入ってくれ」
コクン、と頷くルギア。
ボールにそっと触れたその瞬間、赤い光が彼の体を包み、内部へと吸い込まれていく。
数秒後、ボールはカチリと音を立て、振動が止んだ。
「じゃ、行くか。次の街に」
レイカとシルヴィアが並び、1人と3匹はポケモンセンターを後にする。
いつもと同じような、だけど少しだけ賑やかになった。