暗部として鍛えられた子の漂流譚   作:ラン乱

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なりたい自分に【前編】

──広がる一本道。昼下がりの陽光が草の葉に揺れていた。

 

一行はゆるやかな坂を下っていた。レイカは四足の姿で草を踏みしめながら進み、シルヴィアはエボルの肩に軽やかに乗っている。眠そうなエボルの目は、道の先をぼんやりと捉えていた。

 

そのとき──

 

『わっ!?』

 

小さな鳴き声と共に、藪の向こうから一匹のポケモンが駆け込んできた。まだ幼さを残したミジュマルだった。走る勢いのまま、エボルの背後に回り込み、服の裾にしがみつく。

 

「……なんだこいつ」

 

不思議そうに見下ろすエボル。だが、その震え方は尋常ではない。

 

『誰かに追われてる……?』

 

レイカがミジュマルの様子を見て呟いた。

 

間もなく──遠くから男の声が近づく。

 

「ミジュマルーーッ!どこ行った!? この辺に来たはずだけど……」

 

声の主は、旅装束を着た青年トレーナー。汗を拭きながら駆け寄ってきて、エボルたちに気づいた。

 

「あの……すみません!この辺りでミジュマルを見かけませんでしたか!?」

 

エボルは背中を指さした。

 

「……そこにいるけど?」

 

青年の目がミジュマルに移り、安堵の笑みを浮かべる。

 

「ああ、よかった……やっぱりここに……」

 

しかしミジュマルはますます服にしがみつき、顔を隠してしまった。

 

「……? ミジュマル、戻ろう。君の修行はまだ終わってないんだ。君の兄と父が待ってる」

 

その瞬間、青年の腰にぶら下がっていたモンスターボールが二つ、勝手に開かれた。そこからフタチマルと──凛とした風格を纏ったダイケンキが現れる。

 

『逃げるな、ミジュマル!』

 

フタチマルが凛々しい声で叱咤する。

 

『お前はまだ修行の途上にある。我らと共に歩む者が、己の弱さに逃げてどうする!』

 

続いて、ダイケンキが威圧的に声を放つ。

 

『いずれ父を超える武士となるのだ。その心が未熟では、志も折れるぞ』

 

ミジュマルは顔を上げ、怯えながらも叫んだ。

 

『ぼ、ボクは……ボクは、兄さんや父さんみたいにはなれないよ!強くなんてないし、武士になんかなりたくない……!』

 

『わがままを言うな!』

 

ダイケンキがピシャリと叱る。

 

『弱さは信念の欠如から生まれるのだ。お前に必要なのは“修練”だ』

 

『時間を無駄にするな、ミジュマル。俺たちは鍛えるために来たんだ』

 

フタチマルの目にも、一切の慈悲はなかった。

 

青年はすまなそうに頭を下げた。

 

「すみません。特訓から抜け出しちゃって……。ほら、ミジュマル、戻るよ」

 

だがミジュマルは、首を何度も何度も横に振る。エボルのズボンを両手でしっかり掴み、震えていた。

 

「……アンタのミジュマル、震えてるけど?」

 

エボルが低く声をかける。

 

青年は笑ってみせた。

 

「ああ、それは“武者震い”ってやつですよ。戦いの前には誰でも緊張するものですから。ミジュマル、そんな時こそ修行あるのみ!」

 

そのとき──

 

ミジュマルの目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

それはまるで、誰にも気づかれたくない悲鳴のように、静かに、でも確かに。

 

「…………」

 

エボルの目が細くなり、口がゆっくりと開く。

 

「アンタ……ミジュマル自身が、本当に望んでると思ってんのか」

 

「……これは自分たちの問題だ。君には関係ないことだよ」

 

青年の言葉に、エボルの額にわずかに皺が寄る。

 

「……関係ない?」

 

「君には関係ない──ミジュマルが泣こうが、それは成長の一環なんだ。信念が足りないなら、叩き直すまで。……最終的には、一流のホタチ使いとなって、父を超える武士に──」

 

「──もう一度、聞くぞ」

 

エボルが一歩、青年に近付く。

 

「“ミジュマル自身が”望んでるのか?」

 

「……君、しつこいな。これは──」

 

その瞬間──

 

エボルの足元、乾いた地面にピシリと小さな亀裂が走った。

 

シルヴィアがぼそりと呟く。

 

『……あ、キレた』

 

『ご、ご主人様……怒るのは分かるけど、それは駄目よ』

 

レイカが少し焦った様子でエボルの横に回り込む。

 

静寂が広がる。

風がぴたりと止み、草木さえも息を潜める。

 

エボルの足元から、ほんのわずかにひび割れた大地。

そこから漏れ出す空気が、まるで氷のように冷たく張り詰めていた。

 

『……ご主人様……』

 

レイカが息をのむようにその名を呼ぶ。

その声には、焦りと、畏れが滲んでいた。

 

『あ、あれ……エボル……なんか違う……』

 

シルヴィアも、エボルの肩からすっと降りる。小さな体が、本能的に距離を取ろうとしていた。

 

「……どうして、お前たちが……?」

 

青年がようやく気付く。

 

彼の足元に立っていたフタチマルとダイケンキが、突然、緊張に身を固めていた。

まるで見えない敵を警戒するように、身構え、エボルの動きを一瞬たりとも見逃さぬよう視線を定めている。

 

『……なん、だ……この圧……』

 

フタチマルの喉が鳴った。

 

『戦いの前触れとは、違う……これは……生き物としての“危機感”だ……!』

 

ダイケンキの目が鋭く細められる。

 

『……この少年、一体……何者だ……?』

 

青年はそれでも状況が掴めず、困惑しながらミジュマルを指差す。

 

「ミジュマル、ほら……父さんたちも来てくれた。だから──」

 

その言葉を遮るように──

 

「……動くな」

 

エボルの声が落ちる。

 

低く、冷ややかで、ひとつの音に重みが宿る。

背筋に氷柱でも落ちたような錯覚を覚え、青年は思わず足を止める。

 

「……アンタが気付いてねぇなら教えてやる。震えてんのは武者震いなんかじゃねぇ」

 

ゆっくりと、しかし確実に一歩ずつ近づいてくるエボル。

 

「ミジュマルは“怯えてる”。誰かの理想を押しつけられて、自分を見失って、逃げるしかなかったんだよ」

 

「だ、だけど……っ!」

 

「“だけど”じゃねぇ」

 

言葉を重ねる青年に、エボルの瞳が突き刺さる。

 

「アンタの言葉の全部が、ミジュマルには“呪い”だ。立派な武士?ホタチ使い?兄や父を超える?……そんなもんは、お前らの“自己満足”だ」

 

青年の口がわずかに開きかけたその瞬間──

 

エボルがわずかに顔を傾ける。

その動作だけで、再び地面にひびが走った。

 

フタチマルとダイケンキの身体に、びりびりと走る緊張。

 

『止まれ!これ以上近付くなら…』『構えるなフタチマル、構えたら……やられる!』

 

ダイケンキが一瞬、警戒を強めた。

 

エボルの背後では、ミジュマルがまだ服を強く握っていた。小さな震えは止まらない。

 

「教えてやるよ、アンタに足りなかったもの──」

 

青年の目の前に立ったエボルは、わずかに姿勢を落とし、凍てつく風のような気配を放つ。

 

「“声を聞く”ことだ」

 

その言葉と同時に、レイカとシルヴィアが左右から進み出る。

それは、あくまで“抑え”に回る動きだった。

 

『……ご主人様、それ以上はダメよ。』

 

『エボル……ミジュマルが怖がってるだけじゃない、あたしも、ちょっと怖いかも……』

 

レイカとシルヴィアの声が届き、エボルは一瞬だけ目を閉じる。

 

そして、息を吐いた。

 

すっと雰囲気が和らぎ、さっきまでの氷のような覇気は消えていく。

 

「……アンタが気づくかどうかは、もう知らねぇ。けど一つだけ言っておく」

 

エボルは振り返り、ミジュマルに視線を落とす。

 

「俺は、“やりたくない”っていう気持ちを、無理やり押さえ込む奴を……許すつもりはない」

 

そう言って背を向けた。

 

ミジュマルが、エボルの背中をじっと見つめていた。

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