黒煙と怒号、破壊された建物の残骸の中で、観測者の鋭利な刃が風を裂いた。エボルに向かって振り下ろされる刃──しかし、その瞬間、空気が一変した。
「──うおおおおぉぉぉおお!!」
エボルの咆哮が響き渡ると同時に、観測者の身体がぴたりと停止した。
「か、体が……!? なんで動かねえ……!」
その咆哮には、周囲の空間すら凍りつくような覇気が込められていた。怯えではない、恐怖でもない。純粋な「本能への命令」。その声を聞いた者の体は、理屈を超えて従うしかなかった。
「…くらえ!」
エボルの拳が、観測者の顔面に炸裂した。岩盤まで吹き飛ばされた観測者は、建物の残骸に激突し、鈍い音を響かせながら倒れ込んだ。
しかし──エボルも、無事ではいなかった。漆黒のオーラが身体を這い、今にも暴走しそうなほど脈打っていた。
「っぐ……! クソッ……!」
彼は膝をつき、苦悶の呻きを漏らす。
「すぐに力を使いこなせるわけねえだろ」
岩盤から起き上がった観測者が不敵に笑いながら、再びエボルに向かって刃を構えた。
「だがな、俺に傷を負わせた分──きっちり返してやる!」
その言葉と共に放たれた突撃。だが、その行く手を遮ったのは──四本の光の刃。
『そこまでだッ!』
コバルオン、テラキオン、ビリジオン、そしてケルディオ。四剣士の刃が、観測者の攻撃を受け止めた。
「てめぇらが俺を止められると思ってんのかァッ!」
観測者は狂気を帯びた声を上げ、力任せに四体を振り払う。コバルオンは歯を食いしばりながら言う。
『……なんて力だ……!』
その刹那、観測者の目は再びエボルへと向けられた。
「エボル、お前は出来損ないだ……! そんな下らねぇ感情に縛られてるから、力を使いこなせねぇんだよ! 優しさ? 情け? はっ、そんなもん、捨てちまえよ!」
──その言葉を遮ったのは、レイカの声だった。
『ふざけないで!』
レイカの声が戦場に響いた。砂塵の舞う瓦礫の間、彼女はエボルの前にすっと立ちふさがる。緋色の瞳が怒りを宿し、全身に炎のような妖気が滲む。
『これ以上、ご主人様に卑劣な言葉を投げないで』
観測者は嗤う。狂気を孕んだその目はレイカを嘲るように見つめる。
「俺達は選ばれたんだよ! この力で世界を牛耳るのだって夢じゃない! エボル、早くくだらねぇ感情なんて捨てちまえ!」
『くだらないですって?』
レイカの声が静かに響いた。その声音には怒りと、なによりも確かな“意志”が宿っていた。
『私はその“くだらない感情”に救われた。だからこそ、私はあなたのような奴にエボルは絶対に渡さない!』
彼女の体から放たれる妖気が紅く揺らめき、観測者を威圧する。直後、彼女は地を蹴り、鋭い火の玉のように観測者へ飛び出す。観測者は刃の腕で応戦し、火花が散る。
だが、その戦いの最中、他のポケモンたちの悲鳴が耳に届いた。
『ルギア様は……まだ生きておられる!』
その声に観測者が反応した。
「へぇ……まだ生きてたか」
不敵な笑みを浮かべ、観測者は踵を返し、ルギアの元へ向かって駆け出す。
『しまった!』
レイカは叫ぶも、一歩間に合わない。ルギアの命が危機に晒されようとした、まさにその時──
「そこまでだ」
低く、しかし鋭く通る声が、観測者の前で響いた。
──エボルだった。
先ほどまで地に伏していた彼が、立ち上がり観測者の進路を遮っていた。
「出来損ないが邪魔するなあッ!!」
観測者は狂気じみた怒声とともに斬りかかる。しかしエボルは微動だにせず、両手を前に掲げ、静かに言った。
「……“あくのはどう”」
漆黒の衝撃波が観測者を捉え、吹き飛ばす。
レイカやシルヴィア、仲間たちが固唾をのんでその光景を見守る中──
エボルの脳裏に、先ほどの意識が朦朧とする最中、どこか優しい女性の声が響いたのを思い出していた。
──『私はゾロアーク……あなたの中の力。お願い……私の力で……ポケモンを……人間を……助けて……』
声はそれきり消えたが、確かに彼の心に刻まれていた。
観測者が立ち上がり、血を流しながらも吠える。
「ありえねぇ……あの状態から……どうやって立ち上がった……ッ!」
エボルはフッと口元を緩めた。
「さあな。……だが、まだ終わっちゃいない」
ルギアの無事を感じ取ったエボルは、安堵を胸に静かに言った。
「待たせてすまない。今なら、早く終わらせられそうだ」
観測者が嘲笑する。
「終わらせる? ははっ、面白い冗談だ! さっきまで苦しんでた奴が──!」
その言葉が終わるよりも早く、エボルの姿が掻き消える。
観測者の目の前に現れたエボルは、零距離で技を放つ。
「“ナイトバースト”」
闇の奔流が観測者の身体を包み込むように炸裂し、凄まじい衝撃音と共に彼を吹き飛ばす。
「ば、ばかな……なぜあいつに……あれほどの力が……」
観測者は呻き、意識を失って地に伏した。
「手加減した、俺はもう、自分の手を犯したくないからな。」
───
戦いが終わった後、ポケモンたちは解放され、檻は壊され、エボルは端末を操作してジュンサーに連絡を入れる。
ジュンサーが駆けつけた時、ポケモンたちを見て驚愕した。そしてエボルの姿に目を留めると──
「……髪の色が……変わってる……?」
エボルの髪は長さこそ戻っていたが、赤黒く変色したままだった。
そして──ルギアはポケモンセンターで再び治療を受けることに。救助された他のポケモンたちも次々と運び込まれ、センター内は忙殺状態となる。
全てが片付き、夜。エボルは町の宿屋の一室で、静かにベッドに横になっていた。疲労が全身に染みわたり、意識がゆっくりと沈んでいく。
──ギィ……
扉が開き、レイカがそっと部屋に入ってきた。
『お疲れ様でした、ご主人様』
そう言って、彼女はベッドの隣に横になり、そっとエボルに身を寄せた。
柔らかな体温が肩に伝わる。
エボルは完全に眠っていた。だが、その表情は苦しみではなく、どこか安心したような、穏やかなものだった。
レイカはその横顔を見つめ、そっと抱きしめた。
『…もう、あなたには傷ついてほしくない』
囁くようなその声は、眠るエボルの心に届いたかどうかは分からない。
だが、確かに──その手は彼を守るように、強く、そして優しく包み込んでいた。