特訓を終えたエボルたちは、道場を後にして、リンとフレアのトレーナーに別れを告げた。静かに握手を交わし、再び旅路へと足を踏み出す。
ナギ──ルギアを元いた場所、海へと帰す。そのための道のりは、まだ続いていた。
「しばらくは、東の海岸を目指す。山を越えれば、海が見えるはずだ」
エボルの言葉に、レイカ、シルヴィア、アーク、ライガが頷き、ナギは静かにその背を見つめていた。
しばらく歩いた先に広がっていたのは、季節の花々が町の通りを彩る、華やかな町だった。街道沿いには露店が立ち並び、風に揺れる花の香りが、旅の疲れを柔らかく癒してくれる。
『わぁ……すごい。全部、本物の花?』
シルヴィアが目を輝かせ、通りに並んだ色とりどりの花に顔を近づけた。紫、黄、赤、白――咲き誇る花たちは、まるで競うようにその美しさを主張していた。
『このお花、見たことないわ。ご主人様、これ、買ってもいい?』
「ダメとは言わんけど、荷物になるぞ。持てるか?」
『もちろんよ!こう見えて、器用なんだから!』
そう言って、シルヴィアは器用にツルのムチを伸ばし、花束を丁寧に持ち上げる。
エボルは苦笑を浮かべながらも、何も言わずに歩みを進めた。レイカとアーク、ライガ、ナギもそれぞれ周囲を見渡しながら町の景色を堪能している。
「お祭りでもやってるのかってくらいだな、ここ」
エボルがふと呟いたその時、賑やかな通りの一角から、どこか聞き覚えのある声が耳に届いた。
「バクフーンと……色違いのツタージャ? あれ、もしかして……!」
立ち止まり、声の主が見えた瞬間、エボルの目元が僅かに動いた。
「ああ、やっぱり……貴方でしたか」
声をかけてきたのは、以前、ヴァルダスの町でパフォーマンスショーを行っていたあのスタッフだった。彼はエボルの姿を見て目を丸くする。
「なんだか雰囲気が変わりましたね? 髪……あれ、どうしたんです? かつらでも被りました?」
「いや、被ってない。かつらでもないし、あんまり触れないでくれ……ちょっと訳ありなんだ」
エボルは手を軽く上げて、少しだけ困ったように言った。スタッフは納得したような、納得していないような曖昧な顔をしたが、それ以上は踏み込んでこなかった。
「なるほど、事情あり……っと。あ、そうだ!」
思い出したように、スタッフが声を上げた。
「ということは、イーブイ達にもまた会えますか? 君たちの姿を見たら、もしやと思って」
「イーブイ達? ああ、そうか……あんたがいるってことは」
「ええ、ちょうどこの町に来てるんです。あちらのホテルに泊まってますよ。パフォーマンスは今お休み中なんで、今日はゆっくりしてると思います」
スタッフは町の中心にそびえる三階建てのホテルを指差した。
「じゃあ、イーブイ達によろしく伝えといてくれ。こっちはまだ先があるから、今は会いに行かない」
「わかりました。伝えておきますよ。……それにしても、本当に雰囲気が変わりましたね。以前よりも、こう……厳かな感じというか」
「……あんた、口が悪いって言われないか?」
「たまに言われます!」
あっけらかんとした答えに、エボルは少しだけ口元を緩めた。
スタッフはにこりと笑い、「それじゃあ、私はこれで。旅、頑張ってくださいね」と手を振って、通りの向こうへと消えていった。
町を包む空が、やがて橙色へと変わっていく。
穏やかな午後の風が、花の香りと共に通りを吹き抜ける頃。
その広場の真ん中で、ひときわ忙しなく走ってきた一人の女性が、息を弾ませながらエボルたちの前に立った。
「す、すみませんっ! 急に……! ちょっとだけ、お話よろしいですか?」
「……俺に?」
エボルが怪訝な顔をすると、女性は深く頭を下げた。
「実は……今日、ホテルのホールでちょっとした催しがあるんです。参加者の一人が体調を崩してしまって、急遽、代役を探していて……。すみませんが、もし……もし可能でしたら、一日だけでいいので参加していただけませんか?」
エボルは少し眉をひそめて尋ねる。
「他の人じゃダメなのか?」
「……いえ、他の方にもお声がけはしたんですが、実は……ダンス担当が休んでしまって、チームとして欠けている状態でして……。どうしても、踊れる方が必要なんです」
「ダンスか……」
エボルがボソリと呟く。記憶の奥底で、かつての記憶がよぎった。
「ちなみに、ダンスって言っても……スタイルとか決まってんのか?」
「いえ! 全くのフリースタイルです! 音楽に合わせて自由に動いていただければ、それで結構です!」
その言葉に、エボルは軽くため息をついて肩をすくめた。
「……分かった。出てやるよ」
女性の顔がぱっと明るくなる。
「ほ、本当ですか!? ありがとうございますっ! 本当に助かりました!」
「ただし、今日限りだからな」
「もちろんです! では、夕方5時に、あちらのホテルのホールへお越しください。町で一番大きな建物なので、すぐに分かると思います!」
深々と頭を下げ、彼女は足早に去っていった。
レイカがすぐに問いかける。
『ご主人様にしては珍しいですね。引き受けてくれるなんて』
「前世でな。割とダンスはやってたんだよ、気晴らしに。……今も体が覚えてるかは分からねえけどな」
レイカはくすっと笑って答えた。
『ご主人様の踊ってる姿、ちょっと楽しみです』
そして――時間は流れ、太陽が地平線へと沈む頃。
町一番のホテルの裏手にある控室で、エボルは着替えを済ませていた。
「では、こちらが衣装です!」
渡されたのは、黒を基調にしたジャケットに、少し装飾が入ったシャツ。そして首元には、やけに輝く銀のチェーン。
「……服はともかく、何でチェーン?」
「その方がかっこいいと思いまして! 首にかけると、女性から人気が出ますよっ!」
エボルは何も言い返せず、押し切られる形で首にチェーンをかける。
「……はぁ」
軽くステップを踏むと、体が自然に動くのを感じた。
「すごい……! もしかして、経験がおありで?」
「多少な。けど言っとくけど、今日だけだからな?」
「はいっ!」
その頃、ホテルのホールでは、町の人々が集まり、催しが始まるのを今か今かと待ちわびていた。
その最前列の一角――
「これから催しがあるから、観ててね」
スタッフが、イーブイ、エーフィ、シャワーズにそう告げる。三匹はそれぞれに頷いた。
『楽しみ!』
『わたし、音楽好き』
『お菓子も出るのかな』
そんな会話をしていた時、スタッフが何気なく口にした。
「そうそう、今日の昼頃だったかな。エボルさんにも会ったんだよね。髪、なんか長くなってて驚いたけど」
その瞬間、イーブイの耳がぴくりと動き、両前足でスタッフの袖を掴んで見上げてきた。
『え、エボル!? どこに!?』
まるで、「今すぐ会いたい」とでも言うように、目を大きく輝かせて見つめていた。
「え? ああ……うーん、もうこの時間だから、きっと次の町に向かったんじゃないかな」
その一言に、イーブイの肩がしゅんと落ちた。
『そっか……行っちゃったのか……』
エーフィとシャワーズは、それを見てそっと寄り添い、妹を慰めた。
『きっとまた、どこかで会えるよ』
『エボルもきっと、会いたいと思ってるよ』
──だが、彼女たちは知らなかった。
今夜、そのステージに、エボル自身が立つことを――
にぎわい始めるステージ、カーテンの奥で準備を整えたエボルは、小さく深呼吸をする。
「……さて、やるか」
その瞳の奥に揺れるのは、かつての記憶、そして今を生きる証。
誰も知らぬまま、幕は上がろうとしていた。